猫被り王子が出会う、本気の恋!

花垣 雷

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繋がれた手

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店を後にしたセバスは、王城へと続く人通りの少ない路地に入った途端、それまでの完璧な執事の仮面を脱ぎ捨てた。

「はぁ……なんだよまったく! あのクソ王子、寝とけって言っただろ!」

天を仰ぎ、誰に聞かせるでもない毒づきが漏れる。

「せっかく俺が、超特急で毒味を済ませたってのに! 消化にいい食事やら何やら、全部カートに乗せてガラガラ運んで戻ったってのに……!」

部屋の扉を開けた瞬間の、あの「もぬけの殻」状態。冷え切った寝台を見た時の脱力感といったらなかった。
どこに行ったかなんて、調べるまでもない。あの猪突猛進な主人が向かう先など、世界に一箇所しかないのだから。

「……まぁ、いいけどな。にしても、リネット殿……あれはもう、落ちてるだろ」

セバスはフッと口角を上げ、リネットのあの林檎のような赤ら顔を思い出した。

「俺なんかに嫉妬しねぇでも、安心してくださいませねぇ、王子様。あんたがどれだけ格好悪くあがいてるか、彼女はちゃんと見てるみたいですよ」

セバスの脳裏に、幼い頃のルカの姿が浮かぶ。
神の加護を持ち、全属性の魔法を使いこなし、何でも器用にこなしてきたからこそ、何に対しても執着を持たなかった孤独な少年。
そんな彼が、今、生まれて初めてと言っても過言ではないほど、泥臭く、必死に、一人の少女に認められようと頑張っている。

「……ま、あんなに必死な顔されたら、邪魔なんて野暮な真似、できるわけないか」

セバスは独り言を吐き捨てると、主人の幸せを確信したような、どこか誇らしげな足取りで歩き出した。

「全力で支えてやりますよ、王子様。……その代わり、元気になったら溜まった公務、死ぬ気で片付けてもらいますからね」

主人の成長を喜ぶ親心と、放置された仕事への恨み節。
複雑に混ざり合った感情を抱えながら、誠実すぎる執事は、静まり返った城へと戻っていった。

リネットの店の奥。

薬剤師の魔道具が放つ淡い光が、静かに部屋を包み込んでいた。

「……んっ、」

微かな喉の痛みと共に、ルカは意識を浮上させた。
重かった頭が少しだけ軽くなっている。視線を動かすと、テーブルの上には絞られたタオルとハーブティーの跡、そして枕元には見慣れた城の魔道具が置かれていた。

(……セバスか。あいつ、結局ここまで追いかけてきたんだな)

執事として完璧なフォローをこなしつつ、自分をここに残して帰った幼馴染の「計らい」に苦笑する。城では主従だが、二人きりになれば気兼ねない悪友のような関係だ。後でどんな皮肉を言われるか想像するだけで頭が痛いが、今のルカの意識は、それよりもずっと近くにある「重み」に奪われていた。

「……リネット?」

ふと横を見ると、リネットが床に座り込んだまま、ベッドの端に顔を埋めて眠っていた。
どうやらルカの寝息を聞きながら看病しているうちに、自分も限界が来てしまったらしい。

(……しまった。僕のせいで、こんなところで……)

一国の王子として、女性をこんな冷たい床で寝かせるなどあってはならないことだ。すぐにでも抱き上げてベッドに横たえようとしたルカだったが、動こうとした瞬間、右手に伝わる柔らかな感触に息を呑んだ。
リネットの小さな手が、自分の右手をしっかりと握りしめている。

「くっ……!」

ルカは顔を覆い、こみ上げる嬉しさを必死に噛み締めた。
あんなに拒絶されていたのに。セバスにヤキモチを焼いて醜態をさらしたのに。彼女は、眠る間も自分の手を離さずにいてくれたのだ。
握られた手のひらから、リネットの温もりが伝わってくる。それはどんな強力な回復魔法よりも、ルカの心を癒やしていった。

「……ごめんね、リネット。ありがとう」

ルカは起き上がり、握っていない方の左手をそっと伸ばした。
陽光を浴びて輝く、少しだけ土の香りがする彼女の柔らかな髪。
それを、宝物に触れるような手つきで、優しく、優しく撫でる。

熱の余韻か、それとも別の高揚感か。ルカの頬は、再び赤く染まっていた。

幸せな沈黙が流れる中、ルカの眉間に微かな影が差した。

「……っ」

ズキリ、と脈打つような痛みが再び頭を突き抜ける。どうやら熱は完全に引いたわけではないらしい。
ルカは溜息をつき、熱を帯びた瞳で眠るリネットを見つめた。

「……ふう。悪いけど、もう少しだけ寝させてもらうよ」

ルカはそっと、極限まで繊細に調整した魔力をリネットへと送った。彼女をより深い、安らかな眠りへと誘うための魔法。かつての彼なら、対象の意識を強引に奪うような真似しかできなかっただろう。だが、今のルカには、彼女の寝息を乱すことすらなく、優しく意識を沈める術が分かっていた。

これも、リネットとの対話で得た「心の魔法」の成果に違いなかった。

ルカは細心の注意を払って彼女を抱き上げると、床から引き剥がし、そっとベッドの中央へと横たわらせた。

「あ……。しまった、ベッドはリネットサイズだったか」

ようやく気づいて、ルカは呆然と立ち尽くした。
一人用の小さなベッド。リネットを寝かせれば、もうルカが潜り込む隙間はほとんど残っていない。

(……どうしよう。リネットの横に寝るか? いや、変な意味じゃない! 決して下心なんかではないからな! ……でも、流石に体が触れてしまう)

ルカは顔を真っ赤にして、激しく首を振った。
彼女には、いつだって紳士として、誠実に向き合いたいと思っている。熱に浮かされた勢いでその一線を越えるなど、今のルカのプライドが許さなかった。
ふと、視線を部屋の隅に転じると、リネットが手入れをしていたはずの花々が、どこか少し元気がなく、しおれているように見えた。

「……申し訳ない。僕が彼女の手を握って、動けなくしてしまったからだね」

ルカは自嘲気味に笑うと、ベッドの脇に座り込んだ。
自分のせいで、彼女も、彼女の大切な花も、少しだけ調子を崩してしまった。その責任を感じながら、ルカは残った魔力を振り絞る。

「リネットの代わりに、今度は僕が……君たちの面倒を見るよ」

彼は眠るリネットの指先が触れていた場所を思い出しながら、花たちに静かな魔力を注ぎ始めた。それは、彼女への感謝と、少しばかりの申し訳なさを込めた、穏やかな時間だった。
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