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怒り
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「ねぇ?リネットさん。王子がここに来ているんだね?……僕が一番に君を見つけていたのに。残念だよ。これほど美しい『花』が、あんな若造に汚されるとは」
「あの……それはどういう。お客様、うちはただの花屋で……」
リネットは本能的な恐怖を感じ、一歩後ずさって身構えた。男の瞳に宿る色が、客のそれではなく、獲物を狙う狂信者のそれに変わったからだ。
「あの王子は君のことなど遊びとしてしか思っていないさ。高貴な血筋が、平民の娘を本気で愛するはずがないだろう? ……そんなことより、僕にもお花の育て方を教えてくれよ。あいつに教える暇があるなら、僕にもね……」
「申し訳ないのですが、そのようなサービスはしておりません。うちは花を売る花屋ですので、お引き取りください!」
リネットが毅然と拒絶した瞬間、男の表情が怒りで醜く歪んだ。
「……生意気な口をきくな!」
「きゃっ……!」
鉄のような力で細い腕を掴まれ、リネットは悲鳴を上げた。男は怒りに任せて彼女を引きずり出し、店先に待たせていた黒塗りの馬車へとリネットを無理やり押し込んだ。
「いや!! やめて!! 誰か、助けて!!」
リネットが暴れるのをあざ笑うように、男は彼女の両手を紐で縛り上げる。その瞳は完全に理性を失い、歪んだ悦びに満ちていた。
「ふははははは! 怖がらなくていい、君は俺とお似合いなんだ。俺の傍から離れてはいけないと、神が仰っているんだよ!! 王子なんかに、君の価値が分かってたまるか!!」
バタン! と乱暴に馬車の扉が閉められる。
「嫌……! ルカ……!!」
リネットの叫びも虚しく、馬車は急加速して石畳を駆け抜けていった。
数分後
「リネット! 遅くなってごめん、セバスが急に書類を……」
「人聞きの悪い。昨日の書類を見落とすからですよ。」
いつも通り、明るい声を上げて店に入ってきたルカと、セバスが見たのは、床に落ちたジョウロと、争った跡のある荒らされた店内だけだった。
「……リネット?」
ルカの呼びかけに、答える声はなかった。
店内には不自然に静まり返った空気が漂い、窓から差し込む朝の光が、無残に散らばった花びらと、床に転がったジョウロを冷たく照らしている。
「おい、セバス……これ……」
ルカの声が低く震える。先ほどまでの穏やかな表情は消え失せ、その瞳には凍てつくような冷徹さが宿った。
「争った跡……それも、つい数分前ですね。ジョウロの水滴がまだ、乾ききっていない」
セバスが瞬時に状況を分析し、しゃがみ込んで床の状態を確認する。その顔からもいつもの余裕が消え、鋭い執事の目に変わっていた。
ルカは静かに目を閉じ、集中を高めた。
全属性の魔法に適応し、神の加護を持つ彼には、常人には感知できない「世界の揺らぎ」が見える。
「……汚ねぇ魔力が残ってる」
ルカが掌をかざすと、空気中に残っていた淀んだ魔力の残滓が、黒ずんだ霧のように浮かび上がった。執着、嫉妬、独占欲。リネットを連れ去った男が放っていた、吐き気を催すような負の感情の跡だ。
「ルカ様、あちらです」
セバスが店先を指差す。石畳の上には、急発進した馬車の轍が、乱暴に刻まれていた。
「……セバス。馬車を出せ。いや、馬車じゃ遅い」
ルカの全身から、凄まじい密度の魔力が溢れ出した。怒りによって研ぎ澄まされたその魔圧は、店の空気を震わせ、棚の花々がざわめくほどに高まっていく。
「近くに馬を売っている店があれば……いや、城の馬を呼び戻すか……! クソ、どうすれば一番早い!?」
焦燥に駆られるルカに、セバスが冷静かつ鋭い声を飛ばした。
「ルカ様、落ち着きなさい! あなたには『全属性』、そして『神の加護』がある。馬など探さずとも、風の魔力で己の脚を強化すれば、馬車など一瞬で追い越せるはずです!」
その言葉に、ルカの瞳に宿る色がさらに鋭さを増した。
「……そうだったな。あいつを助けるためなら、魔力の枯渇なんて怖くない」
ルカは店の外へ飛び出すと、石畳を踏みしめた。足元に展開されるのは、風と雷の複合魔法陣。バチバチと青白い火花が散り、ルカの体が高密度の魔力に包まれる。
「僕の大切な場所に土足で踏み入って、リネットを……あいつを怖がらせたこと、死ぬほど後悔させてやる」
ドォォォォン!!
爆音と共に、ルカの姿がその場からかき消えた。文字通り「光」となって街道を駆け抜ける。
一方、街の外れへと続く一本道をひた走る黒塗りの馬車の中。
「ひっ、ひひ……もうすぐだ。僕の隠れ家で、一生僕のために『リネット』という美しい花を咲かせ続けるんだ!!」
男の濁った瞳が、恐怖に震えるリネットを舐めるように這い回る。
「いやぁあああ!! 気持ち悪い! 離して!!」
リネットが必死に抵抗し、縛られた手で男を突き飛ばそうとするが、男はその細い肩をさらに強く、爪が食い込むほどに掴んだ。
「怯える顔が……はは! ゾクゾクするね。君にはお似合いだ」
男の歪んだ欲望は止まらない。嘲笑いながら、リネットのスカートの裾を無慈悲に捲り上げる。
「……っ!? いやぁ……やめて! 触らないで!!」
リネットの瞳から大粒の涙が溢れ出した。逃げ場のない密室、止まらない馬車の揺れ。絶望が彼女を飲み込もうとした、その時だった。
ギガァァァァァァン!!
空気を引き裂くような轟音と共に、凄まじい衝撃が馬車を襲った。前輪が跡形もなく粉砕され、馬車は激しく傾ぎながら石畳を削って強引に停止する。
「なっ、なんだ!? 何が起きた!?」
男が狼狽えながら、壊れた窓から外を覗き込む。
そこには、砂塵の中から立ち上がる一人の「死神」がいた。
怒りで髪を逆立て、神の加護を受けた瞳を金色の魔力で発光させたルカ。彼は片膝をついて着地した姿勢から、ゆっくりと、獲物を逃さない捕食者のような動きで立ち上がった。
彼の周囲では、全属性の魔力が混ざり合い、パチパチと空間を焼き切るような不気味な音を立てている。
「……その汚い手で、リネットに触るな」
地を這うような、極低温の怒りが込められた声。
「ル、ルカ………?」
男の顔から一気に血の気が引いた。かつて見たことのない、本物の「支配者」としての威圧感。
ルカは一歩、また一歩と、地面を凍りつかせ、同時に焦がしながら馬車へと歩み寄る。
「リネットを泣かせた……。その代償がどれほど重いか、お前のその腐った体に直接教えてやる」
ルカの指先から、雷と火を纏った凶悪な魔力が膨れ上がり、馬車の扉を跡形もなく吹き飛ばしていった。
「あの……それはどういう。お客様、うちはただの花屋で……」
リネットは本能的な恐怖を感じ、一歩後ずさって身構えた。男の瞳に宿る色が、客のそれではなく、獲物を狙う狂信者のそれに変わったからだ。
「あの王子は君のことなど遊びとしてしか思っていないさ。高貴な血筋が、平民の娘を本気で愛するはずがないだろう? ……そんなことより、僕にもお花の育て方を教えてくれよ。あいつに教える暇があるなら、僕にもね……」
「申し訳ないのですが、そのようなサービスはしておりません。うちは花を売る花屋ですので、お引き取りください!」
リネットが毅然と拒絶した瞬間、男の表情が怒りで醜く歪んだ。
「……生意気な口をきくな!」
「きゃっ……!」
鉄のような力で細い腕を掴まれ、リネットは悲鳴を上げた。男は怒りに任せて彼女を引きずり出し、店先に待たせていた黒塗りの馬車へとリネットを無理やり押し込んだ。
「いや!! やめて!! 誰か、助けて!!」
リネットが暴れるのをあざ笑うように、男は彼女の両手を紐で縛り上げる。その瞳は完全に理性を失い、歪んだ悦びに満ちていた。
「ふははははは! 怖がらなくていい、君は俺とお似合いなんだ。俺の傍から離れてはいけないと、神が仰っているんだよ!! 王子なんかに、君の価値が分かってたまるか!!」
バタン! と乱暴に馬車の扉が閉められる。
「嫌……! ルカ……!!」
リネットの叫びも虚しく、馬車は急加速して石畳を駆け抜けていった。
数分後
「リネット! 遅くなってごめん、セバスが急に書類を……」
「人聞きの悪い。昨日の書類を見落とすからですよ。」
いつも通り、明るい声を上げて店に入ってきたルカと、セバスが見たのは、床に落ちたジョウロと、争った跡のある荒らされた店内だけだった。
「……リネット?」
ルカの呼びかけに、答える声はなかった。
店内には不自然に静まり返った空気が漂い、窓から差し込む朝の光が、無残に散らばった花びらと、床に転がったジョウロを冷たく照らしている。
「おい、セバス……これ……」
ルカの声が低く震える。先ほどまでの穏やかな表情は消え失せ、その瞳には凍てつくような冷徹さが宿った。
「争った跡……それも、つい数分前ですね。ジョウロの水滴がまだ、乾ききっていない」
セバスが瞬時に状況を分析し、しゃがみ込んで床の状態を確認する。その顔からもいつもの余裕が消え、鋭い執事の目に変わっていた。
ルカは静かに目を閉じ、集中を高めた。
全属性の魔法に適応し、神の加護を持つ彼には、常人には感知できない「世界の揺らぎ」が見える。
「……汚ねぇ魔力が残ってる」
ルカが掌をかざすと、空気中に残っていた淀んだ魔力の残滓が、黒ずんだ霧のように浮かび上がった。執着、嫉妬、独占欲。リネットを連れ去った男が放っていた、吐き気を催すような負の感情の跡だ。
「ルカ様、あちらです」
セバスが店先を指差す。石畳の上には、急発進した馬車の轍が、乱暴に刻まれていた。
「……セバス。馬車を出せ。いや、馬車じゃ遅い」
ルカの全身から、凄まじい密度の魔力が溢れ出した。怒りによって研ぎ澄まされたその魔圧は、店の空気を震わせ、棚の花々がざわめくほどに高まっていく。
「近くに馬を売っている店があれば……いや、城の馬を呼び戻すか……! クソ、どうすれば一番早い!?」
焦燥に駆られるルカに、セバスが冷静かつ鋭い声を飛ばした。
「ルカ様、落ち着きなさい! あなたには『全属性』、そして『神の加護』がある。馬など探さずとも、風の魔力で己の脚を強化すれば、馬車など一瞬で追い越せるはずです!」
その言葉に、ルカの瞳に宿る色がさらに鋭さを増した。
「……そうだったな。あいつを助けるためなら、魔力の枯渇なんて怖くない」
ルカは店の外へ飛び出すと、石畳を踏みしめた。足元に展開されるのは、風と雷の複合魔法陣。バチバチと青白い火花が散り、ルカの体が高密度の魔力に包まれる。
「僕の大切な場所に土足で踏み入って、リネットを……あいつを怖がらせたこと、死ぬほど後悔させてやる」
ドォォォォン!!
爆音と共に、ルカの姿がその場からかき消えた。文字通り「光」となって街道を駆け抜ける。
一方、街の外れへと続く一本道をひた走る黒塗りの馬車の中。
「ひっ、ひひ……もうすぐだ。僕の隠れ家で、一生僕のために『リネット』という美しい花を咲かせ続けるんだ!!」
男の濁った瞳が、恐怖に震えるリネットを舐めるように這い回る。
「いやぁあああ!! 気持ち悪い! 離して!!」
リネットが必死に抵抗し、縛られた手で男を突き飛ばそうとするが、男はその細い肩をさらに強く、爪が食い込むほどに掴んだ。
「怯える顔が……はは! ゾクゾクするね。君にはお似合いだ」
男の歪んだ欲望は止まらない。嘲笑いながら、リネットのスカートの裾を無慈悲に捲り上げる。
「……っ!? いやぁ……やめて! 触らないで!!」
リネットの瞳から大粒の涙が溢れ出した。逃げ場のない密室、止まらない馬車の揺れ。絶望が彼女を飲み込もうとした、その時だった。
ギガァァァァァァン!!
空気を引き裂くような轟音と共に、凄まじい衝撃が馬車を襲った。前輪が跡形もなく粉砕され、馬車は激しく傾ぎながら石畳を削って強引に停止する。
「なっ、なんだ!? 何が起きた!?」
男が狼狽えながら、壊れた窓から外を覗き込む。
そこには、砂塵の中から立ち上がる一人の「死神」がいた。
怒りで髪を逆立て、神の加護を受けた瞳を金色の魔力で発光させたルカ。彼は片膝をついて着地した姿勢から、ゆっくりと、獲物を逃さない捕食者のような動きで立ち上がった。
彼の周囲では、全属性の魔力が混ざり合い、パチパチと空間を焼き切るような不気味な音を立てている。
「……その汚い手で、リネットに触るな」
地を這うような、極低温の怒りが込められた声。
「ル、ルカ………?」
男の顔から一気に血の気が引いた。かつて見たことのない、本物の「支配者」としての威圧感。
ルカは一歩、また一歩と、地面を凍りつかせ、同時に焦がしながら馬車へと歩み寄る。
「リネットを泣かせた……。その代償がどれほど重いか、お前のその腐った体に直接教えてやる」
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