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旦那(予定)
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お花畑でのあの日から、しばらく経った夜のこと
街の喧騒が引き、静寂が支配する深夜。リネットはいつものように、霧吹きで花びらに露を与え、優しく茎の調子を確かめる。いつもなら心安らぐこの時間が、今のリネットにとっては、迫りくる「変化」へのカウントダウンのように感じられました。
ふと、店の外に気配を感じます。
全属性を操る主(ルカ)を支え、常に影のように寄り添うあの男の、あまりに洗練された静かな気配。
「……セバス? そこに居るの?」
リネットが扉越しに小さく声をかけると、間を置かずに「はい」と、落ち着いた低い声が返ってきました。
「夜分に失礼いたします。主(あるじ)は先ほどようやく、公務の山を越えて眠りにつかれました。様子を伺いに参った次第です」
リネットは鍵を開け、セバスを店内に招き入れました。月明かりと、魔道具の淡い光に照らされた店内。花の香りに包まれながら、リネットは今まで誰にも言えなかった、胸の奥に溜まっていた泥のような不安を、ポツリ、ポツリと吐き出しました。
「セバス……このお店、無くなっちゃうのかな? 私、もうここでは働けなくなるの?」
握りしめた霧吹きが、微かに震えます。
「ルカは『王子を辞める』なんて無茶を言っているけれど……そんなの無理だってわかってる。でも、私が王妃になったら……この場所はどうなるの? 毎日、王妃としての仕事に追われて、土に触れることもできなくなるのかしら。私……容量が悪いから、きっとどっちも中途半端になっちゃうと思うの」
リネットはセバスを見上げました。助けを求めるような、縋るような、切ない瞳。
「何度考えても、上手い解決策が見つからないの。私、どうしたらいいの……?」
いつもは皮肉屋で、ルカを厳しく突き放す執事のセバスも、この時ばかりは眼鏡の奥の瞳を和らげ、一歩前に進み出ました。
「リネット殿。……あの方は、貴女を籠の中に閉じ込めるために、あの指輪を贈ったわけではありません。あの方は、貴女が花を愛で、土を慈しむその姿に救われたのです。それを奪うような真似を、あの独占欲の塊のような主が許すとお思いですか?」
セバスはゆっくりとリネットに向き直り、優雅に、けれど力強く一礼しました。
「解決策が見つからないのであれば、私と共に作り上げれば良いのです。店を続けながら、王妃としての責務も果たす……前例がないのなら、我らが作ればよろしい。そのための『最高のお隣さん』であり、この私なのですから」
セバスの心強い言葉に、リネットの心に少しだけ光が差しました。翌朝、昨夜の不安が嘘のように、店先には朝日と共に「絶好調」なルカの姿がありました。セバスからリネットの悩みを聞き及んだ彼は、公務明けとは思えないほど目を輝かせています。
「リネット! セバスから聞いたぞ。店のことも仕事のことも、全部僕に任せておけ!」
「ちょっと、ルカ……。また『王子を辞める』なんて言わないでしょうね?」
リネットが身構える中、ルカは自信満々に人差し指を立てました。
「いや、もっといい案だ。名付けて『王宮ひまわり化計画』だ!」
「……は?」
「いいか、リネット。君が店に来られないなら、店を王宮に持って行けばいい。 王城の広大な中庭をすべて君に開放する! そこで君が育てた花を、王都中の人が買える『王立・リネット花園』を作るんだ。君はそこで店主を続けながら、疲れたら隣の執務室にいる僕のところに茶を飲みに来ればいい。完璧だろ?」
「ちょっと待って、王城の中庭を花屋にするなんて、陛下が許すわけ……」
「父上なら『ルカがやる気を出して結婚するなら、庭の半分くらい森にしても構わん』って言ってたぞ。それに、ほら!」
ルカが指差したのは、隣にある自分の「臨時執務室」の壁。そこには、昨夜まではなかったはずの、リネットの店へと続く『空中回廊』の支柱が魔法で作りかけられていました。
「これがあれば、公務の合間に30秒で君に会いに行ける。君が王妃としての公務で忙しい時は、僕が代わりに店番をしてやるからな! 全属性魔法で水やりも温度管理も一瞬だ!」
「……ルカ様。主人の公務中に店番をさせる王妃など、それこそ前代未聞ですが」
呆れ顔のセバスが補足しますが、ルカの「とんでもない計画」を聞いているうちに、リネットの心は不思議と軽くなっていました。
「王城でお花屋さん…。そんなの、世界で私だけね」
「ああ、世界で一番贅沢で、一番愛されている花屋だ」
ルカはリネットの手を優しく握り、いたずらっぽく笑いました。
「……もう。本当にあんたは、最高に規格外の『お隣さん』ね」
リネットが呆れ半分、愛しさ半分でそう告げると、ルカは一瞬で顔を真っ赤にして、「ち、違うだろ!?」と大きな声を上げました。
「何がよ?」
「……『お隣さん』じゃない! その、……『旦那様(予定)』、だろ!」
ルカは顔を背けながら、壊れ物を扱うようにリネットの手をギュッと握り直しました。不安が再燃してしまったようです。
「あはは! ルカ、まだそんなこと気にしてたの?」
「気にするさ! 僕は君の『特別』になりたいんだ。隣の家に住んでいる王子じゃなくて、君の心の一番近くに住んでいる男に……!」
必死なルカの様子に、リネットは可笑しさが込み上げて、ついに声を上げて笑い出してしまいました。
「はいはい、わかったわよ。……私の、世界でたった一人の『旦那(予定)』さん。これからもよろしくね」
ルカはパッと表情を輝かせ、まるで尻尾を振っているのが見えるかのような喜びよう。
そんな二人の様子を、背後で見ていたセバスがスッと時計を確認しました。
「はい、のろけはそのくらいで。ルカ様、その『旦那様(予定)』としての甲斐性を見せるためにも、まずはその空中回廊の設計図を完成させ、午後の閣議に間に合わせてください。……リネット殿、貴女には本日より、王城へ行くための『マナー基礎』の集中講義を始めます」
「ええっ! 今から!?」
「思い立ったが吉日、と主人が仰っていましたから」
セバスの有無を言わさない微笑みに、リネットは「うう……」と唸り、ルカは「リネット、頑張れ! 僕も隣で仕事してるからな!」と空回りなエールを送ります。
こうして、規格外な二人の「王宮移転プロジェクト」は、騒がしくも幸せな一歩を踏み出したのでした。
街の喧騒が引き、静寂が支配する深夜。リネットはいつものように、霧吹きで花びらに露を与え、優しく茎の調子を確かめる。いつもなら心安らぐこの時間が、今のリネットにとっては、迫りくる「変化」へのカウントダウンのように感じられました。
ふと、店の外に気配を感じます。
全属性を操る主(ルカ)を支え、常に影のように寄り添うあの男の、あまりに洗練された静かな気配。
「……セバス? そこに居るの?」
リネットが扉越しに小さく声をかけると、間を置かずに「はい」と、落ち着いた低い声が返ってきました。
「夜分に失礼いたします。主(あるじ)は先ほどようやく、公務の山を越えて眠りにつかれました。様子を伺いに参った次第です」
リネットは鍵を開け、セバスを店内に招き入れました。月明かりと、魔道具の淡い光に照らされた店内。花の香りに包まれながら、リネットは今まで誰にも言えなかった、胸の奥に溜まっていた泥のような不安を、ポツリ、ポツリと吐き出しました。
「セバス……このお店、無くなっちゃうのかな? 私、もうここでは働けなくなるの?」
握りしめた霧吹きが、微かに震えます。
「ルカは『王子を辞める』なんて無茶を言っているけれど……そんなの無理だってわかってる。でも、私が王妃になったら……この場所はどうなるの? 毎日、王妃としての仕事に追われて、土に触れることもできなくなるのかしら。私……容量が悪いから、きっとどっちも中途半端になっちゃうと思うの」
リネットはセバスを見上げました。助けを求めるような、縋るような、切ない瞳。
「何度考えても、上手い解決策が見つからないの。私、どうしたらいいの……?」
いつもは皮肉屋で、ルカを厳しく突き放す執事のセバスも、この時ばかりは眼鏡の奥の瞳を和らげ、一歩前に進み出ました。
「リネット殿。……あの方は、貴女を籠の中に閉じ込めるために、あの指輪を贈ったわけではありません。あの方は、貴女が花を愛で、土を慈しむその姿に救われたのです。それを奪うような真似を、あの独占欲の塊のような主が許すとお思いですか?」
セバスはゆっくりとリネットに向き直り、優雅に、けれど力強く一礼しました。
「解決策が見つからないのであれば、私と共に作り上げれば良いのです。店を続けながら、王妃としての責務も果たす……前例がないのなら、我らが作ればよろしい。そのための『最高のお隣さん』であり、この私なのですから」
セバスの心強い言葉に、リネットの心に少しだけ光が差しました。翌朝、昨夜の不安が嘘のように、店先には朝日と共に「絶好調」なルカの姿がありました。セバスからリネットの悩みを聞き及んだ彼は、公務明けとは思えないほど目を輝かせています。
「リネット! セバスから聞いたぞ。店のことも仕事のことも、全部僕に任せておけ!」
「ちょっと、ルカ……。また『王子を辞める』なんて言わないでしょうね?」
リネットが身構える中、ルカは自信満々に人差し指を立てました。
「いや、もっといい案だ。名付けて『王宮ひまわり化計画』だ!」
「……は?」
「いいか、リネット。君が店に来られないなら、店を王宮に持って行けばいい。 王城の広大な中庭をすべて君に開放する! そこで君が育てた花を、王都中の人が買える『王立・リネット花園』を作るんだ。君はそこで店主を続けながら、疲れたら隣の執務室にいる僕のところに茶を飲みに来ればいい。完璧だろ?」
「ちょっと待って、王城の中庭を花屋にするなんて、陛下が許すわけ……」
「父上なら『ルカがやる気を出して結婚するなら、庭の半分くらい森にしても構わん』って言ってたぞ。それに、ほら!」
ルカが指差したのは、隣にある自分の「臨時執務室」の壁。そこには、昨夜まではなかったはずの、リネットの店へと続く『空中回廊』の支柱が魔法で作りかけられていました。
「これがあれば、公務の合間に30秒で君に会いに行ける。君が王妃としての公務で忙しい時は、僕が代わりに店番をしてやるからな! 全属性魔法で水やりも温度管理も一瞬だ!」
「……ルカ様。主人の公務中に店番をさせる王妃など、それこそ前代未聞ですが」
呆れ顔のセバスが補足しますが、ルカの「とんでもない計画」を聞いているうちに、リネットの心は不思議と軽くなっていました。
「王城でお花屋さん…。そんなの、世界で私だけね」
「ああ、世界で一番贅沢で、一番愛されている花屋だ」
ルカはリネットの手を優しく握り、いたずらっぽく笑いました。
「……もう。本当にあんたは、最高に規格外の『お隣さん』ね」
リネットが呆れ半分、愛しさ半分でそう告げると、ルカは一瞬で顔を真っ赤にして、「ち、違うだろ!?」と大きな声を上げました。
「何がよ?」
「……『お隣さん』じゃない! その、……『旦那様(予定)』、だろ!」
ルカは顔を背けながら、壊れ物を扱うようにリネットの手をギュッと握り直しました。不安が再燃してしまったようです。
「あはは! ルカ、まだそんなこと気にしてたの?」
「気にするさ! 僕は君の『特別』になりたいんだ。隣の家に住んでいる王子じゃなくて、君の心の一番近くに住んでいる男に……!」
必死なルカの様子に、リネットは可笑しさが込み上げて、ついに声を上げて笑い出してしまいました。
「はいはい、わかったわよ。……私の、世界でたった一人の『旦那(予定)』さん。これからもよろしくね」
ルカはパッと表情を輝かせ、まるで尻尾を振っているのが見えるかのような喜びよう。
そんな二人の様子を、背後で見ていたセバスがスッと時計を確認しました。
「はい、のろけはそのくらいで。ルカ様、その『旦那様(予定)』としての甲斐性を見せるためにも、まずはその空中回廊の設計図を完成させ、午後の閣議に間に合わせてください。……リネット殿、貴女には本日より、王城へ行くための『マナー基礎』の集中講義を始めます」
「ええっ! 今から!?」
「思い立ったが吉日、と主人が仰っていましたから」
セバスの有無を言わさない微笑みに、リネットは「うう……」と唸り、ルカは「リネット、頑張れ! 僕も隣で仕事してるからな!」と空回りなエールを送ります。
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