ふたりきりの閉鎖倶楽部

きどじゆん

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人間たちの置かれた状況

#4

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 こういう時にまあ落ち着けよとお茶をだしたり、相手を冷静にすべく柔らかい感じで説得したりといったことができれば良かったのだろう。
 だがいかんせんここは閉鎖空間。自動販売機なんて文明機器は存在しない。
 そして俺は女性の扱いが上手いわけではない。日常的会話はそつなくこなせるが、感情的になった相手をなだめられるトークスキルは備えていなかった。

「な……な、な、なんな、なんな」
 彼女の声は想像していたよりも低音だった。
 それに外見から勝手に推測していたが、俺より年下というのも違うような感じがする。
 何をもって俺の認識が変わったかと言えば、彼女のこちらに対する構え、距離のとり方だ。
 対人コミュニケーションにおいては、言葉がなくとも両者の差異がどれほどあるか感じ取れることがある。わかりやすいところなら体格差や身長差、もう少しわかりにくいものとしては体の動かし方やバランスの取り方など、判断材料は数多い。そして差異が少ないほど相手との距離感は小さく感じられる。特に初対面ではその影響は強い。
 彼女とはまだまともに言葉も交わしていないが、俺に対して怯えるわけでもなく、また取り乱す様子もない。仮に彼女が二十歳より前の歳で、俺のことを年上と認識したなら、もっと警戒して沈黙するか、後ずさって今以上の距離を取ろうとするはず。
 まとめると、彼女は「目の前の見知らぬ男は自分と大して変わらない存在」と認識したということ。そういう理屈で、彼女は年下っぽくないと感じたのだ。

「ナンナ? それが名前か、あんたの」
「何なんですかあなた誰! どうしてが私こんなとこ……ってここ、なんで急に森なの?!」
「否定しないということは肯定か?」
「どうやってこんなところに連れてきたか答えなさい!」
「俺の名前も教えておこうか、俺はーー」
「答えるつもりない? ああそう、ないね? ならこっちにもしかるべき対応ってやつが……あれ、スマホがない!」
 彼女は最初に懐に手をやり、次に下に着ているジャージのポケットを探っている。しかるべき対応として警察に電話しようとしたのか、身近な頼れる存在に事態の収集を依頼しようとしたのか、それはわからない。

 ふむ、俺との会話が成立しないだと?
 努めて無害っぽい話し方をしたつもりだったが、どうも彼女は聞いていないらしい。
 もしかして、キャッチボールよりドッジボールが好きなタイプか?
 ならば、いいだろう、受けて立とう。そもそも俺はそっち側なのだ。
 ただでさえこんな空間に閉じ込められて生物とのコミュニケーションに餓えていたのだ。お互いに存分楽しもうじゃないか。

「それでナンナさんよ」
「変な名前で呼ばないで! っていうかそっちこそ教えなさいよ!」
「吾輩は人間である」
「見りゃわかる!」
「名前はまだない。どこで生まれたのか、皆目見当もつかぬ」
「え、記憶喪失? ……ご、ごめんね」
「なにやら日本のカイシャという仄暗い場所でポチポチとスマホをいじっていたことだけは記憶している」
「記憶あるじゃん! っていうか社会人ならスマホいじってないで真面目に働け!」
「失敬な、ちゃんと休憩時間にも触っているぞ」
「『休憩時間にも』って言った! じゃあ仕事中も休憩のときも触ってるんでしょう!」
「仕事の電話とチャットも個人のスマホにくるからな、しょうがないことだ。いつ電話がくるかと怯えることもあるけど、もう諦めてるよ」
「え……あー、そっか。その、あんたも辛いことあるんだね」
「まあ、おかげで仕事するふりができて助かっている」
「ーー返せ! 私の同情を返せ! そして地べたに手をついて謝れ!」
「最近は猫を集めることにはまっている」
「ああ、あのゲーム? 私もちょっとだけやったことあるよ、癒されるよね」
「ガチャを引いても出ないんだ、お目当ての子が」
「え、そんな要素あったっけ? でもうん、まあそういうもんだって。私だって何度爆死する姿をさらしたことか」
「確定演出のときだけ出てくるあの子の頭にいる猫、なんていう名前なんだろう」
「あれ、私と同じゲームの話してる? あー、あの猫は装飾みたいな感じじゃないの? 特に語られてないはずだけど」
「なるほど。つまり、名前はまだ無い、ということか」
 彼女は少し首を傾げる。
 そしてハッとなにかに気づくと、こう叫んだ。
「ーー私で遊びやがったな、このくそったれ! 『吾輩は』からの『名前はまだ無い』まで、くだりが長いんだよ!」

 ああ、会話が楽しい。
 こんな風に他人をいじって、もとい、他人との会話で楽しんだのはいつぶりだろうか。
 独り立ちして勤め人になってからは、こうして他人と遠慮なく話す機会は失われてしまっていたな、と今さら自覚する。どうやら俺は知らないうちにフラストレーションを溜めてしまっていたようだ。

 女性、たぶん名前はナンナではないのだろうが、教えてくれないからナンナと呼ぼう。
 ナンナは「この嘘つきめ!」と言いながら地団駄を踏んでいたが、そうしているうちに息があがったようで、肩で息をするようになった。
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