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架空の人物『更科しらさ』の補足情報
#15
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ナンナはVR技術を学ぶ専門学校を出ると、新卒でとある企業へ入社した。
そこはエンターテイメント向けにVRを活用する会社で、そこでの仕事はナンナにとって楽しくてたまらないものだったという。
彼女の語る技術的な内容はまったく頭に入ってこなかったが、過去を振り返り身振り手振りで教えてくれる姿からは、どれほどその仕事に親愛の情を持っていたかが伝わってきた。
「三年目だった。私としらさちゃんが出会ったのは」
仕事に誠実で前向きなナンナは、とあるプロジェクトのメンバーに選ばれ、さらにサブリーダーに抜擢される。それは、VR空間の中で活き活きと動くVR美少女キャラクターを世に放ち、プロデュースする仕事だった。
「後追いの商売だけどやるからには全力で、って意気込んで会議に出てさ。この子をプロデュースしていきます、ってマネージャーがしらさちゃんのデザインをプロジェクターに映し出して……ひと目見た瞬間にときめいたよ。カラダがブワッとして、アタマにビリビリッときて、軽く気を失って再起動して……気づいたんだ。私はこの子を生み出すためにこの仕事を始めたんだ、これは運命なんだってね」
恍惚とした表情を浮かべつつも彼女は説明を止めることはなかった。
『更科しらさ』のデザインに惚れ込んだナンナは、自身の持てる力を全てを仕事に注ぎ込んだ。
『更科しらさ』という少女には、予めキャラクター背景が設定されており、それを崩さぬよう多彩に多様に、モーションを付けていった。デフォルトの表情はデザイン画と違わない微笑にし、そこからあたかも生きている人間であるかのような喜怒哀楽へと自然に変化するように作り込んだ。
しかし、作り込みのために開発工数がかさみ、ナンナの率いるチームはスケジュールの遅延を解消するため、身を削って仕事にかかることとなった。彼女はサブリーダー権限を最大限に活かし、朝から晩まで、というか寝ているとき以外ずっと作業場に居られるよう根回しした。問題視されないよう、自分の分だけこっそり工数を少なめに誤魔化したりもした。
「この仕事が最後になっても、いやもう、このしらさちゃんを世に生み出せるなら人生が終わってもいい、それぐらいアツかった」
そうして、度重なるリテイクの末に完成したのは、仕様書どおりどころか、プロジェクト全体で見てもモーションだけは突出した完成度を誇る、『更科しらさ』の背景を持つ生きたキャラクターだった。
ナンナの悩みとなる遠因は、皮肉にもその完成度の高さにあった。
「表情のトラッキング……簡単に言うと演者さんの表情をVのキャラクターに再現させる技術周りを言うんだけど、当初予定してた演者さんの表情としらさちゃんの表情の相性が悪いことが発覚したんだ」
マジでやらかした、とナンナは嘆く。
『更科しらさ』として活動する予定だった演者は、表情がころころと変わるタイプで、実際に更科しらさを演じさせてみたところ、多くのプロジェクトメンバーから芳しくない反応が返ってきたのだ。
意見は様々だったが、それらを集約するとたった一つの結論へと行き着いた。
「演者の表情を再現しすぎていて不気味だ、ってね。言われたときはショックだったよ」
「表情を再現しすぎると良くないのか? 素人意見だが、良いこと何じゃないか」
「実はね、再現させすぎも良くないことになるんだ。例えば漫画のキャラに置き換えると、演出上必要な表情や感情は描くけど、必要のないものまで描かないでしょ? 何でもかんでも描いてしまうと画家さんも大変だし、読者側もキャラクターの感情を直感的に理解できなくて、物語に入り込めなくなってしまう」
「なるほど、ということはーー」
「そう。あえてデフォルメ、スポイルする必要があった。たぶんノウハウがある製作者ならわかったんだろうけど、私には熱意はあってもノウハウがなかった。それが私の失敗」
自分で蒔いた種だけど、とナンナは言った。
「他の演者さんに演じさせても同じだった。表情に出さないよう演技指導しても、表情をこらえている微かな変化まで、しらさちゃんは再現してしまう」
「……なあ、実はあんた天才なんじゃないか? そこまでできるとなると、もはや別ジャンルに流用できそうだぞ」
「知ってる? VRの技術界隈じゃあ、私程度にできる人はゴロゴロ居るって。『本当にできる人』ができなくて私にできることは、しらさちゃんのために頑張れるってことだけ」
なにかのため、誰かのために惜しまず努力できる。
それ自体が才能だと思うのだが、そんな励ましでナンナが立ち直れるかというと、まず無理だろう。
彼女は、自分の失敗のせいで『更科しらさ』の魅力が失われてしまったことを責めている。自分がミスをしなければ、不気味だなんて言われることもなかっただろうにーーと。
「プロジェクトは決断を迫られることになった。新しくVのキャラクターをつくり出すか、しらさちゃんをなんとか配信で使えるようにするか」
前者はコスト的な問題があり、後者には技術的な問題があった。プロジェクトを中止するという選択肢はなかった。たとえ問題があっても、ナンナの関わるプロジェクトは前進しなければならなかった。
上層部からゴーサインが出ていたという噂もあったが、プロジェクトマネージャーが明確に答えることはなかったという。
「新しく創造するとなると、実質キャラクター二人分のコストがかかることになってしまって、プロジェクト目線では利益的に不利だし、演者さんからするとその期待が重荷になる。かと言って、しらさちゃんを使おうにも、つくった私がーーやらかした私が言うのも申しわけないけど、上手くいくとは思えない……演者さんにやってもらう限りは」
「『演者さんにやってもらう限りは』? どういう意味だ」
「演者さんじゃない人がしらさちゃんを動かせばなんとかなるかもしれないってこと。もちろん誰でもいいってわけじゃないけど、しらさちゃんのトラッキングの癖をつかめていれば、なんとかできる気がしてた」
ここでまたしてもナンナ博士の技術的開発が入り、例のごとく俺は理解していないのだが。
まとめると、こういうことだーー『更科しらさ』のモーションを担当した開発チームメンバーなら、わずかな変更だけで彼女の表情を創作上のキャラクターっぽくデフォルメした感じに動かすことができる。
なるほど。ようやく話がつながったぞ。
「開発チームのサブリーダーであり、かつ『更科しらさ』を最もよく知るあんたが適役だとプロジェクトに判断された、と」
「そういうこと。開発チームのメンバーならできるかも、って提案したのも私。だって、折角しらさちゃんは生まれてきたのに、一度も配信に乗ることなくお蔵入りにされるのが可愛そうだったから」
それが演者になったきっかけというなら、たしかに急な話だ。
ーー生まれてきたのに。
ーー可愛そうだった。
ナンナの言葉からは、『更科しらさ』を単なる架空のキャラクター以上の存在として捉えている節があった。
それは生み出した者にしか芽生えない親心というやつに思えた。
そこはエンターテイメント向けにVRを活用する会社で、そこでの仕事はナンナにとって楽しくてたまらないものだったという。
彼女の語る技術的な内容はまったく頭に入ってこなかったが、過去を振り返り身振り手振りで教えてくれる姿からは、どれほどその仕事に親愛の情を持っていたかが伝わってきた。
「三年目だった。私としらさちゃんが出会ったのは」
仕事に誠実で前向きなナンナは、とあるプロジェクトのメンバーに選ばれ、さらにサブリーダーに抜擢される。それは、VR空間の中で活き活きと動くVR美少女キャラクターを世に放ち、プロデュースする仕事だった。
「後追いの商売だけどやるからには全力で、って意気込んで会議に出てさ。この子をプロデュースしていきます、ってマネージャーがしらさちゃんのデザインをプロジェクターに映し出して……ひと目見た瞬間にときめいたよ。カラダがブワッとして、アタマにビリビリッときて、軽く気を失って再起動して……気づいたんだ。私はこの子を生み出すためにこの仕事を始めたんだ、これは運命なんだってね」
恍惚とした表情を浮かべつつも彼女は説明を止めることはなかった。
『更科しらさ』のデザインに惚れ込んだナンナは、自身の持てる力を全てを仕事に注ぎ込んだ。
『更科しらさ』という少女には、予めキャラクター背景が設定されており、それを崩さぬよう多彩に多様に、モーションを付けていった。デフォルトの表情はデザイン画と違わない微笑にし、そこからあたかも生きている人間であるかのような喜怒哀楽へと自然に変化するように作り込んだ。
しかし、作り込みのために開発工数がかさみ、ナンナの率いるチームはスケジュールの遅延を解消するため、身を削って仕事にかかることとなった。彼女はサブリーダー権限を最大限に活かし、朝から晩まで、というか寝ているとき以外ずっと作業場に居られるよう根回しした。問題視されないよう、自分の分だけこっそり工数を少なめに誤魔化したりもした。
「この仕事が最後になっても、いやもう、このしらさちゃんを世に生み出せるなら人生が終わってもいい、それぐらいアツかった」
そうして、度重なるリテイクの末に完成したのは、仕様書どおりどころか、プロジェクト全体で見てもモーションだけは突出した完成度を誇る、『更科しらさ』の背景を持つ生きたキャラクターだった。
ナンナの悩みとなる遠因は、皮肉にもその完成度の高さにあった。
「表情のトラッキング……簡単に言うと演者さんの表情をVのキャラクターに再現させる技術周りを言うんだけど、当初予定してた演者さんの表情としらさちゃんの表情の相性が悪いことが発覚したんだ」
マジでやらかした、とナンナは嘆く。
『更科しらさ』として活動する予定だった演者は、表情がころころと変わるタイプで、実際に更科しらさを演じさせてみたところ、多くのプロジェクトメンバーから芳しくない反応が返ってきたのだ。
意見は様々だったが、それらを集約するとたった一つの結論へと行き着いた。
「演者の表情を再現しすぎていて不気味だ、ってね。言われたときはショックだったよ」
「表情を再現しすぎると良くないのか? 素人意見だが、良いこと何じゃないか」
「実はね、再現させすぎも良くないことになるんだ。例えば漫画のキャラに置き換えると、演出上必要な表情や感情は描くけど、必要のないものまで描かないでしょ? 何でもかんでも描いてしまうと画家さんも大変だし、読者側もキャラクターの感情を直感的に理解できなくて、物語に入り込めなくなってしまう」
「なるほど、ということはーー」
「そう。あえてデフォルメ、スポイルする必要があった。たぶんノウハウがある製作者ならわかったんだろうけど、私には熱意はあってもノウハウがなかった。それが私の失敗」
自分で蒔いた種だけど、とナンナは言った。
「他の演者さんに演じさせても同じだった。表情に出さないよう演技指導しても、表情をこらえている微かな変化まで、しらさちゃんは再現してしまう」
「……なあ、実はあんた天才なんじゃないか? そこまでできるとなると、もはや別ジャンルに流用できそうだぞ」
「知ってる? VRの技術界隈じゃあ、私程度にできる人はゴロゴロ居るって。『本当にできる人』ができなくて私にできることは、しらさちゃんのために頑張れるってことだけ」
なにかのため、誰かのために惜しまず努力できる。
それ自体が才能だと思うのだが、そんな励ましでナンナが立ち直れるかというと、まず無理だろう。
彼女は、自分の失敗のせいで『更科しらさ』の魅力が失われてしまったことを責めている。自分がミスをしなければ、不気味だなんて言われることもなかっただろうにーーと。
「プロジェクトは決断を迫られることになった。新しくVのキャラクターをつくり出すか、しらさちゃんをなんとか配信で使えるようにするか」
前者はコスト的な問題があり、後者には技術的な問題があった。プロジェクトを中止するという選択肢はなかった。たとえ問題があっても、ナンナの関わるプロジェクトは前進しなければならなかった。
上層部からゴーサインが出ていたという噂もあったが、プロジェクトマネージャーが明確に答えることはなかったという。
「新しく創造するとなると、実質キャラクター二人分のコストがかかることになってしまって、プロジェクト目線では利益的に不利だし、演者さんからするとその期待が重荷になる。かと言って、しらさちゃんを使おうにも、つくった私がーーやらかした私が言うのも申しわけないけど、上手くいくとは思えない……演者さんにやってもらう限りは」
「『演者さんにやってもらう限りは』? どういう意味だ」
「演者さんじゃない人がしらさちゃんを動かせばなんとかなるかもしれないってこと。もちろん誰でもいいってわけじゃないけど、しらさちゃんのトラッキングの癖をつかめていれば、なんとかできる気がしてた」
ここでまたしてもナンナ博士の技術的開発が入り、例のごとく俺は理解していないのだが。
まとめると、こういうことだーー『更科しらさ』のモーションを担当した開発チームメンバーなら、わずかな変更だけで彼女の表情を創作上のキャラクターっぽくデフォルメした感じに動かすことができる。
なるほど。ようやく話がつながったぞ。
「開発チームのサブリーダーであり、かつ『更科しらさ』を最もよく知るあんたが適役だとプロジェクトに判断された、と」
「そういうこと。開発チームのメンバーならできるかも、って提案したのも私。だって、折角しらさちゃんは生まれてきたのに、一度も配信に乗ることなくお蔵入りにされるのが可愛そうだったから」
それが演者になったきっかけというなら、たしかに急な話だ。
ーー生まれてきたのに。
ーー可愛そうだった。
ナンナの言葉からは、『更科しらさ』を単なる架空のキャラクター以上の存在として捉えている節があった。
それは生み出した者にしか芽生えない親心というやつに思えた。
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