真夜中は秘密の香り

桜 詩

文字の大きさ
上 下
34 / 52
彼は誰時の章

失われた時 [Jordan]

しおりを挟む
 体力が回復してからジョルダンはアリオール・ハウスに戻った。
「おかえりなさいませ」
バレリオが出迎え、そしてその横にはウィリスハウスに行かせていたロンとデイジーが居た。
「ああ、そうか……」
「ご帰宅早々、申し訳ございません」

「いや、いい。あちらの他の使用人たちは?」
「サーヤとウェンリーとミセス・ダフネはまだあの屋敷に……」
「そうか」
バレリオの言葉に、ジョルダンはうなずいた。

「働き口を紹介するか?」
「旦那さま……お探しにならないのですか?」
「なぜ?」
「女性一人で子供を育てながら生きていくには、あまりにも大変です」
「バレリオ。そんな事はわかってる、が、私は……自分から逃げた人を追いかけようとは思わない。側にいればこそ助けられる」
「旦那さま……」

ジョルダンはバレリオにそう言い、部屋に向かったが、
「領地から持ってこられた宝石類を、使用人たちの給料の代わりにと置いていかれていても?」
「………私にどうしろと?」

信頼を築くにはあまりにも短すぎたのか……。
グレイシアはジョルダンから去ってしまった、それだけが真実だ。

「次の勤め先がいるなら、手配しよう」
ジョルダンはバレリオにそう告げて、ひさしぶりの自室に入った。
その寝室を見れば、思い出すまでもなくここで過ごしたその日々を、彼女の事が思い出される。短くとも鮮烈なその記憶を

(想いおこすな…………)

   想い起こさせるな……

  思い出を、呼び起こすまでもなく
  あの懐かしい、過ぎた時
  私の心のすべてがあなたへと、そそがれた時を
  私が忘れる事はない
  二人の命の力を「時」が奪いさり
  あなたと私が、この世にいなくなるまで

  私は忘れない… あなたも忘れない
  黄金色のあなたの髪を絡めさせたとき
  あなたの胸がときめいて、早くなった鼓動を
  ああ、魂にきざまれて、今もあなたの姿が見える
  ものうげな眸、真白な胸
  ものを言わずとも、恋をささやく唇

  頬をよせて、私の胸にもたれ
  かの瞳は、やわらかな光を湛え
  想いの火は、責めるように、かきたてるかのように
  二人は、もっと身を寄せあって
  唇は熱く燃え、深く迫り
  接吻のうちに、息絶えようとした

  その時、あのうるわしい眼は閉ざされ
  瞼は静かに重なりあい
  その下に、青い瞳を覆い隠し
  長い睫毛の艶やかなかがやきは
  あなたのすべらかな頬にしのびより
  白雪の上の天使の羽のようであった

              (バイロン詩集 より)

 

 ロマン派の詩人の……そんな詩を思い浮かべてどうする。

「……もう、いい……済んだことだ」
そう、言えるほどジョルダンは彼女に対峙したか?真実の心を伝えたのか………?
後悔したくない、そう思って彼女を手に入れようとしたのでは無かったのか?
彼女には、ジョルダンしか頼る人は居なかったのではなかったか?
不自由をしているのがわかるのに、黙って見過ごしていいのか?

ジョルダンはまだ、生きていて助ける事が出来るというのに?

(喪う事への………恐れ)

それ故に彼女は去ったのだと、分かっているから。

(どうする?)

情けない。

成人してもなお、迷う。

大人だから迷うのか………。

グレイシアが、喪う事を恐れているのなら、ジョルダンもまた、不幸にするのではないかと怖れていると……。

そう気づいた。

(幸せに。そう出来ると言えるほどの自信が………ない)

今更だ………。

出会ってしまったのだから……。自ら彼女に囚われに、手を伸ばしたというのに

自信がないなんて、笑えない。

(このまま………時がたつのを待てば、忘れ果てる日がくるのか?)

しかし、それはまた新たなる悔恨を背負うだけだと気づいていながら……。

思い耽って目を閉じれば、さらに鮮明に思い浮かぶだけだった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

辺境のバツ4領主に嫁ぎました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:1,333

ヒロインさん観察日記

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:445

異世界迷宮のスナイパー《転生弓士》アルファ版

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:584

おいてけぼりΩは巣作りしたい〜αとΩのすれ違い政略結婚〜

BL / 完結 24h.ポイント:461pt お気に入り:2,532

別れてくれない夫は、私を愛していない

恋愛 / 完結 24h.ポイント:624pt お気に入り:4,289

処理中です...