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18,乱される心
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美術館に入って、少しして気づいた事。
それは運の悪いことに、少し先の方にヴィヴァース伯爵夫妻が立っていた事だった。
「ヴィヴァース」
「ソールズベリ」
二人は軽く帽子を上げて互いに挨拶を軽く交わす。フィリスも隣で軽く膝を折って挨拶をする。二人は同じ年頃であるから、顔馴染みなのは間違いない。
ブライアンの目が、ソールズベリとフィリスの間を行きつ戻りつする。
「君たちも美術鑑賞か?」
ソールズベリがありきたりの事を聞く。
そんなもの、答えを聞かなくても見ればわかるわ、とフィリスは心中で吐き捨て、フツフツと苛立ちがこみ上げる。
「フィリス、近いうちに………」
ジェラルディンの相変わらず優しげで暖かみのある茶色の瞳は、くっきりとフィリスを見つめていた。
「こんにちは、ヴィヴァース伯爵夫人」
話しかけられても答えたくなくて、彼女の言いかけた言葉を切り、挨拶だけを返す。まだ尚も言葉を続けそうなジェラルディンから、フィリスは顔をソールズベリに向けた。
「侯爵さま、わたしは睡蓮の絵が見たいのですがどこにあるのかご存知ですか?」
「ああ、あれは見事だよ。行こうか、…………では失礼」
足を動かして、彼らから遠ざかる。
「私といるのを見て驚いたようだね、ヴィヴァースは」
「ええ」
「ヴィヴァースは、陛下に何とか結婚の許可を頂いたらしいが君への対応に、酷くお怒りだったと聞く。世間は君の味方だ。ヴィヴァース夫妻は、ロイヤルクラブの会員資格を失った………不名誉な事だろうね」
ロイヤルクラブから、そっぽ向かれるとなると上流貴族としてはかなり苦しい事態だ。
「もう、およしになって」
「そうだね、止めよう」
間もなくして、壁にとても大きな睡蓮の絵が飾ってありそれが目を奪う。
「なんて素晴らしいの………!」
「気に入った?」
「ええ………とても……。いつまでも見ていられそうだわ。ご覧になって、本当に水が揺らいでいて夜になれば花が閉じそうな気がするわ……」
しばし、見惚れてそしてようやく他の絵へと足を進めた。
あの睡蓮を見るのが、ソールズベリではなくジョエルだったなら……。
彼を思い浮かべるだけで、彼の指が苛んだ蜜壺から、また愛液が溢れてしまいそうだった。
「……………、…………しませんか?」
「あっ…………ええ……」
つい、意識が記憶をさ迷い、ソールズベリの言葉を適当に返してしまった。
「それでは明日の朝に、お迎えに上がります」
朝、というと今自分は、散歩か乗馬の約束に同意してしまったのだろうか。
「ウィンスレットにはたくさんのいい馬が揃えてあるでしょうから、……もちろんあなたの腕を披露して下さることも楽しみにしています」
フィリスは、曖昧に微笑んだ。
今さら行けないとは断れない。
(どうしよう……)
こんなこと。
また、喜んで約束したなんて言われてしまったら……。
どうしよう……。
彼の香りまで鮮やかに思い出せる。
どうしよう……。
フィリスは、レティキュールをきつく握りしめた。
「期待なさらないで。あまり上手くありませんから」
ソールズベリは軽やかに笑い声を上げた。
「大丈夫ですよ、ロットンロウをゆっくりと回るくらいです」
「ええ」
いっそ、乗れないと言ってしまう?そうしたら、今度は散歩をと、言われる?
それに、本当は乗れるのだ。どこかで見つかって、平気な顔で居られるほど、肝は座っていない。
まさか、朝から予定があると言えるわけでもなし……。
「明日の天気も悪くは無さそうですし、楽しみですね」
まさか、朝に乗馬に出掛けるくらい……。
なんてことない、はず。
わざわざ、言わなければ良いのだから。
それに、フィリスはジョエルの何者でもないのだから。
ただの遠い親戚で、今は隣人に過ぎない。
それなのに……、彼の反応が………どうしても気になる。
結局、気もそぞろなフィリスは、あやふやな受け答えを続けてこれに懲りて、もう誘わないでくれればと思うくらいだった。
****
―――その夜。
いつものように、トリクシーは夜会へと向かう。
エスコート役は、今夜はジョエルではないが、それでも今夜の会場のアップルガース伯爵家へは、ジョエルが送る事になっていて、三人は馬車に乗っていた。
ジョエルは今夜はブラッドフィールド家の夜会に行くのだ。
アップルガースの夜会は、招待客が若々しく、ブラッドフィールド家の方は、政治色が濃くなるらしい。
それで、今夜は別々の場所なのだ。一夜の間に舞踏会をはしごするのは、時に有る事なのだ。
「ねぇ、フィリス。今日はソールズベリ侯爵と美術館で明日の朝は乗馬に行くのでしょう?上手く行けば、フィリスは今度は侯爵夫人なのね!」
トリクシーに、ソールズベリと乗馬の事を言われてしまい、どきん、と鼓動が跳ねる。トリクシーはきっとルナから聞いたのだろう。
「きっと公爵さまが、わたしを誘うように言って下さってるだけ。先の事を考えるのなんてまだまだ先の事よ」
「でもね、そうなったら素敵だと私は思うの。ね、ジョエル」
「さぁ、どうかな。ソールズベリは誠実と言えば聞こえが良いが、あまり面白味がない。まぁ、でもフィリスはそういう安全な男が良いのかも知れないな」
「あら、結婚するなら安全なのは必要よ。だって、大抵危険なタイプは、浮き名を流してるわ」
「ああ、ほら、着いた。私は後でここへ来るから………羽目を外さないように、今日のエスコート相手はアップルガース伯爵夫人に頼んであるから」
「もちろん分かってるわ、ちゃんと出来ます。フィリスもいるのだし」
「それでも、自分できちんとしないといけない。フィリスは………若い付き添い夫人だから。自分の相手も気を回さないといけないようだから」
ジョエルは、ちらりとフィリスに目を向けた。
アップルガース邸の舞踏会は、一言で言うなら華麗。
とはいっても、派手な訳ではない。
招待客は多すぎず少なすぎず、飾りつけは若い娘たちがうっとりする愛らしい雰囲気。軽食は食べやすい一口の料理が並び、飲み物はカクテルまで揃っていた。
デザートは、チョコレートやこれもまた一口のケーキ、それにフルーツ。
アップルガース夫人は今はロイヤルクラブの責任者でもあるから、社交界ではかなりの地位にあるといえる。
つまり、彼女に嫌われる事は社交界でやっていけなくなる、ということ。
でも、怖い人ではない。むしろ反対…………。
暖かみのある、優しげな婦人なのだ。
フィリスはトリクシーが挨拶を終えて、お辞儀をした。
夫人が選んだトリクシーのエスコート相手は、ヒューゴ・リッジウェイ カルヴァート伯爵の長男で24歳。
背が高く見え、顔立ちがしっかりと男らしい、笑顔がどこか少年の雰囲気があり、洗練されている、というよりはまだまだこれからと言った風だ。それでも、明るいトリクシーの相手にはなんとなくしっくりとする。
それから、なんと夫人は、フィリスにもエスコート役を用意していた。
「こちらは、ヒューゴ卿のご友人でブレイク伯爵。アイザックこちらはトリクシーの従姉妹でレディ フィリス・ザヴィアーよ」
「こんばんは、アイザック・デイヴィスです。ブレイクではなくアイザックと呼んで下さい。ブレイクと呼ばれると、まだ父が呼ばれているような気がしてしまうんです」
フィリスは彼にお辞儀をすると、
「困りますわ、伯爵夫人。わたくし、招待客ではなく付き添いですのに」
「こちらを助けると思って、この若い伯爵におばさんのエスコートをさせるの?それにホールにいる方がトリクシーが良く見えるわ。ヒューゴもアイザックもトリクシーをきちんとエスコート出来ますし、安心なさって」
ねっ、と有無を言わせぬ笑みを向けられて、フィリスは
「それでは………お言葉に甘えて、そうさせて頂きます」
「ええ、それでは是非、楽しんでいらして」
素敵な夫人。けれど、少し強引……。
「ごめんなさい、わたしのエスコートなんて」
ホールに入って、トリクシーと近くに立ちアイザックはフィリスに綺麗なオレンジ色のカクテルを差し出した。
「いえ、むしろあなたとお話したかったので、お願いしたのです」
アイザックはにっこりと微笑んでフィリスの方を軽く横を向いて言った。
「まさか、わたしをご存じないの?」
子供が産めなくて離婚された女なのだ。それはかなり噂になっているはず。
「いえ、知ってます。だからこそ、こうしてお近づきになり、私の事を前向きに考えてもらえないかと……。ああ、出会ったばかりでこんな事を言うなんて無粋だ」
フィリスの事情を知っていて、跡継ぎの必要な彼がどうして近付こうとするのか分からない。
それとも、後腐れない遊び相手を求めているの?
「なぜ?意味が分からないわ」
「私の母は、子供の頃に亡くなりました。今のブレイク家はもうずっと女主人が不在なのです。あなたは失礼ながら、つい最近まで伯爵夫人であられた。私は妻にするなら……あなたのように今すぐに切り盛りの出来る方がいい。それも……若くて美しいあなたなら」
ストレートな言葉にフィリスは目を見開いた。
「ブレイク伯爵……」
「アイザック、とお願いしたはずです」
「ではアイザック、それでもわたしは………」
「難しい事は考えないで下さい。先日踊っていたあなたの姿に、一目惚れしたただの求愛者です」
にこりと微笑んでアイザックは、鳴り出した音楽に反応してフィリスに手を差し出した。
「踊ってください」
「喜んで……」
世の中は………、思ってもいない事が起こり得たりするらしい。
目の前にいるアイザックは、アッシュブロンドの少しだけ長い髪を後ろにきれいに撫で付け、凛々しい眉の下の瞳は銀色のようにも見えるグレー。真っ直ぐな鼻筋に薄目の唇、すっきりとした顔立ちで生真面目な印象だった。背はごく平均的………何もかも申し分ない男性だ。
アイザックは、その夜ほとんどをフィリスの側で過ごし、話を交わした。それも他愛のない話、主にはリヴィングストンでの暮らしとか、フィリスの趣味だとか……。得意な事だとか……。
そうこうしているうちに、夜は更けて、ジョエルが姿を見せた。
「トリクシー………フィリス、そろそろ帰るか?」
「ええー?もう少しいてはいけない?」
「どう思う?フィリス」
「そろそろ帰った方がいいわ、さっきから少し飲みすぎてしまってるわ」
「そんな事ないもの」
「トリクシー、フィリスもこう言ってる。ヒューゴ、ブレイク今夜は私の従姉妹たちをありがとう、世話になった」
「いや、こちらこそ楽しませてもらった。………また、屋敷へお伺いさせて貰いたい」
ヒューゴが言い
「私もお誘いに参ります、レディ フィリス」
アイザックが手の甲にキスをした。
気まずい事に、やはり楽しくてはしゃいでいたトリクシーは、あながち間違いでもなく少しばかり飲みすぎていたらしく、くーくーと寝息をたてて寝てしまった。
馬車の中はトリクシーの、寝息だけが立てられ、あとは馬の蹄の音と馬車の車輪の音だった。
(早く……着いて)
「おやすみ、フィリス。私はトリクシーを部屋に連れていくよ」
馬車が着いて、ジョエルはトリクシーを抱き上げて階段を上がっていった。
その姿を見て、ほんの少しホッとして、それからそれ以外は……何も言われなかった事に少しだけ残念で、それから淋しく感じられた。
部屋に行き、ドレスを脱ぎ、夜だけれどお風呂を使おうとバスローブを羽織りバスルームへと入った。
それは運の悪いことに、少し先の方にヴィヴァース伯爵夫妻が立っていた事だった。
「ヴィヴァース」
「ソールズベリ」
二人は軽く帽子を上げて互いに挨拶を軽く交わす。フィリスも隣で軽く膝を折って挨拶をする。二人は同じ年頃であるから、顔馴染みなのは間違いない。
ブライアンの目が、ソールズベリとフィリスの間を行きつ戻りつする。
「君たちも美術鑑賞か?」
ソールズベリがありきたりの事を聞く。
そんなもの、答えを聞かなくても見ればわかるわ、とフィリスは心中で吐き捨て、フツフツと苛立ちがこみ上げる。
「フィリス、近いうちに………」
ジェラルディンの相変わらず優しげで暖かみのある茶色の瞳は、くっきりとフィリスを見つめていた。
「こんにちは、ヴィヴァース伯爵夫人」
話しかけられても答えたくなくて、彼女の言いかけた言葉を切り、挨拶だけを返す。まだ尚も言葉を続けそうなジェラルディンから、フィリスは顔をソールズベリに向けた。
「侯爵さま、わたしは睡蓮の絵が見たいのですがどこにあるのかご存知ですか?」
「ああ、あれは見事だよ。行こうか、…………では失礼」
足を動かして、彼らから遠ざかる。
「私といるのを見て驚いたようだね、ヴィヴァースは」
「ええ」
「ヴィヴァースは、陛下に何とか結婚の許可を頂いたらしいが君への対応に、酷くお怒りだったと聞く。世間は君の味方だ。ヴィヴァース夫妻は、ロイヤルクラブの会員資格を失った………不名誉な事だろうね」
ロイヤルクラブから、そっぽ向かれるとなると上流貴族としてはかなり苦しい事態だ。
「もう、およしになって」
「そうだね、止めよう」
間もなくして、壁にとても大きな睡蓮の絵が飾ってありそれが目を奪う。
「なんて素晴らしいの………!」
「気に入った?」
「ええ………とても……。いつまでも見ていられそうだわ。ご覧になって、本当に水が揺らいでいて夜になれば花が閉じそうな気がするわ……」
しばし、見惚れてそしてようやく他の絵へと足を進めた。
あの睡蓮を見るのが、ソールズベリではなくジョエルだったなら……。
彼を思い浮かべるだけで、彼の指が苛んだ蜜壺から、また愛液が溢れてしまいそうだった。
「……………、…………しませんか?」
「あっ…………ええ……」
つい、意識が記憶をさ迷い、ソールズベリの言葉を適当に返してしまった。
「それでは明日の朝に、お迎えに上がります」
朝、というと今自分は、散歩か乗馬の約束に同意してしまったのだろうか。
「ウィンスレットにはたくさんのいい馬が揃えてあるでしょうから、……もちろんあなたの腕を披露して下さることも楽しみにしています」
フィリスは、曖昧に微笑んだ。
今さら行けないとは断れない。
(どうしよう……)
こんなこと。
また、喜んで約束したなんて言われてしまったら……。
どうしよう……。
彼の香りまで鮮やかに思い出せる。
どうしよう……。
フィリスは、レティキュールをきつく握りしめた。
「期待なさらないで。あまり上手くありませんから」
ソールズベリは軽やかに笑い声を上げた。
「大丈夫ですよ、ロットンロウをゆっくりと回るくらいです」
「ええ」
いっそ、乗れないと言ってしまう?そうしたら、今度は散歩をと、言われる?
それに、本当は乗れるのだ。どこかで見つかって、平気な顔で居られるほど、肝は座っていない。
まさか、朝から予定があると言えるわけでもなし……。
「明日の天気も悪くは無さそうですし、楽しみですね」
まさか、朝に乗馬に出掛けるくらい……。
なんてことない、はず。
わざわざ、言わなければ良いのだから。
それに、フィリスはジョエルの何者でもないのだから。
ただの遠い親戚で、今は隣人に過ぎない。
それなのに……、彼の反応が………どうしても気になる。
結局、気もそぞろなフィリスは、あやふやな受け答えを続けてこれに懲りて、もう誘わないでくれればと思うくらいだった。
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―――その夜。
いつものように、トリクシーは夜会へと向かう。
エスコート役は、今夜はジョエルではないが、それでも今夜の会場のアップルガース伯爵家へは、ジョエルが送る事になっていて、三人は馬車に乗っていた。
ジョエルは今夜はブラッドフィールド家の夜会に行くのだ。
アップルガースの夜会は、招待客が若々しく、ブラッドフィールド家の方は、政治色が濃くなるらしい。
それで、今夜は別々の場所なのだ。一夜の間に舞踏会をはしごするのは、時に有る事なのだ。
「ねぇ、フィリス。今日はソールズベリ侯爵と美術館で明日の朝は乗馬に行くのでしょう?上手く行けば、フィリスは今度は侯爵夫人なのね!」
トリクシーに、ソールズベリと乗馬の事を言われてしまい、どきん、と鼓動が跳ねる。トリクシーはきっとルナから聞いたのだろう。
「きっと公爵さまが、わたしを誘うように言って下さってるだけ。先の事を考えるのなんてまだまだ先の事よ」
「でもね、そうなったら素敵だと私は思うの。ね、ジョエル」
「さぁ、どうかな。ソールズベリは誠実と言えば聞こえが良いが、あまり面白味がない。まぁ、でもフィリスはそういう安全な男が良いのかも知れないな」
「あら、結婚するなら安全なのは必要よ。だって、大抵危険なタイプは、浮き名を流してるわ」
「ああ、ほら、着いた。私は後でここへ来るから………羽目を外さないように、今日のエスコート相手はアップルガース伯爵夫人に頼んであるから」
「もちろん分かってるわ、ちゃんと出来ます。フィリスもいるのだし」
「それでも、自分できちんとしないといけない。フィリスは………若い付き添い夫人だから。自分の相手も気を回さないといけないようだから」
ジョエルは、ちらりとフィリスに目を向けた。
アップルガース邸の舞踏会は、一言で言うなら華麗。
とはいっても、派手な訳ではない。
招待客は多すぎず少なすぎず、飾りつけは若い娘たちがうっとりする愛らしい雰囲気。軽食は食べやすい一口の料理が並び、飲み物はカクテルまで揃っていた。
デザートは、チョコレートやこれもまた一口のケーキ、それにフルーツ。
アップルガース夫人は今はロイヤルクラブの責任者でもあるから、社交界ではかなりの地位にあるといえる。
つまり、彼女に嫌われる事は社交界でやっていけなくなる、ということ。
でも、怖い人ではない。むしろ反対…………。
暖かみのある、優しげな婦人なのだ。
フィリスはトリクシーが挨拶を終えて、お辞儀をした。
夫人が選んだトリクシーのエスコート相手は、ヒューゴ・リッジウェイ カルヴァート伯爵の長男で24歳。
背が高く見え、顔立ちがしっかりと男らしい、笑顔がどこか少年の雰囲気があり、洗練されている、というよりはまだまだこれからと言った風だ。それでも、明るいトリクシーの相手にはなんとなくしっくりとする。
それから、なんと夫人は、フィリスにもエスコート役を用意していた。
「こちらは、ヒューゴ卿のご友人でブレイク伯爵。アイザックこちらはトリクシーの従姉妹でレディ フィリス・ザヴィアーよ」
「こんばんは、アイザック・デイヴィスです。ブレイクではなくアイザックと呼んで下さい。ブレイクと呼ばれると、まだ父が呼ばれているような気がしてしまうんです」
フィリスは彼にお辞儀をすると、
「困りますわ、伯爵夫人。わたくし、招待客ではなく付き添いですのに」
「こちらを助けると思って、この若い伯爵におばさんのエスコートをさせるの?それにホールにいる方がトリクシーが良く見えるわ。ヒューゴもアイザックもトリクシーをきちんとエスコート出来ますし、安心なさって」
ねっ、と有無を言わせぬ笑みを向けられて、フィリスは
「それでは………お言葉に甘えて、そうさせて頂きます」
「ええ、それでは是非、楽しんでいらして」
素敵な夫人。けれど、少し強引……。
「ごめんなさい、わたしのエスコートなんて」
ホールに入って、トリクシーと近くに立ちアイザックはフィリスに綺麗なオレンジ色のカクテルを差し出した。
「いえ、むしろあなたとお話したかったので、お願いしたのです」
アイザックはにっこりと微笑んでフィリスの方を軽く横を向いて言った。
「まさか、わたしをご存じないの?」
子供が産めなくて離婚された女なのだ。それはかなり噂になっているはず。
「いえ、知ってます。だからこそ、こうしてお近づきになり、私の事を前向きに考えてもらえないかと……。ああ、出会ったばかりでこんな事を言うなんて無粋だ」
フィリスの事情を知っていて、跡継ぎの必要な彼がどうして近付こうとするのか分からない。
それとも、後腐れない遊び相手を求めているの?
「なぜ?意味が分からないわ」
「私の母は、子供の頃に亡くなりました。今のブレイク家はもうずっと女主人が不在なのです。あなたは失礼ながら、つい最近まで伯爵夫人であられた。私は妻にするなら……あなたのように今すぐに切り盛りの出来る方がいい。それも……若くて美しいあなたなら」
ストレートな言葉にフィリスは目を見開いた。
「ブレイク伯爵……」
「アイザック、とお願いしたはずです」
「ではアイザック、それでもわたしは………」
「難しい事は考えないで下さい。先日踊っていたあなたの姿に、一目惚れしたただの求愛者です」
にこりと微笑んでアイザックは、鳴り出した音楽に反応してフィリスに手を差し出した。
「踊ってください」
「喜んで……」
世の中は………、思ってもいない事が起こり得たりするらしい。
目の前にいるアイザックは、アッシュブロンドの少しだけ長い髪を後ろにきれいに撫で付け、凛々しい眉の下の瞳は銀色のようにも見えるグレー。真っ直ぐな鼻筋に薄目の唇、すっきりとした顔立ちで生真面目な印象だった。背はごく平均的………何もかも申し分ない男性だ。
アイザックは、その夜ほとんどをフィリスの側で過ごし、話を交わした。それも他愛のない話、主にはリヴィングストンでの暮らしとか、フィリスの趣味だとか……。得意な事だとか……。
そうこうしているうちに、夜は更けて、ジョエルが姿を見せた。
「トリクシー………フィリス、そろそろ帰るか?」
「ええー?もう少しいてはいけない?」
「どう思う?フィリス」
「そろそろ帰った方がいいわ、さっきから少し飲みすぎてしまってるわ」
「そんな事ないもの」
「トリクシー、フィリスもこう言ってる。ヒューゴ、ブレイク今夜は私の従姉妹たちをありがとう、世話になった」
「いや、こちらこそ楽しませてもらった。………また、屋敷へお伺いさせて貰いたい」
ヒューゴが言い
「私もお誘いに参ります、レディ フィリス」
アイザックが手の甲にキスをした。
気まずい事に、やはり楽しくてはしゃいでいたトリクシーは、あながち間違いでもなく少しばかり飲みすぎていたらしく、くーくーと寝息をたてて寝てしまった。
馬車の中はトリクシーの、寝息だけが立てられ、あとは馬の蹄の音と馬車の車輪の音だった。
(早く……着いて)
「おやすみ、フィリス。私はトリクシーを部屋に連れていくよ」
馬車が着いて、ジョエルはトリクシーを抱き上げて階段を上がっていった。
その姿を見て、ほんの少しホッとして、それからそれ以外は……何も言われなかった事に少しだけ残念で、それから淋しく感じられた。
部屋に行き、ドレスを脱ぎ、夜だけれどお風呂を使おうとバスローブを羽織りバスルームへと入った。
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