睡恋―sui ren―

桜 詩

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20,悪戯 (Joel)

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 朝、ほとんど使っていないベッドに寝そべり、そして、軽く目を閉じた。

寝返りをうつと花の香りがした、金木犀の移り香だ。それはフィリスに似合う、どこか甘い香りだ。

夜ごと、二人で過ごし始めてまだいくらも経っていない。
それでも、自分がこの秘密の行為に溺れている、そんないつにない状態に、どこか危険なシグナルを感じていた。
欲に溺れ、理性を失い、まるで別の自分がいるかのようだ。

それにしても、ジョエルは自分のフィリスへの態度がやり過ぎている気がしていた。何といっても彼女はれっきとしたレディであり、本来なら………、あんな風に扱うべきじゃない。

フィリスと一線を越えた夜の、あの何か感情をぶつけ合ったあの記憶がそうさせている気もする。

だが、そんな事よりも彼女の蜜が、まるで麻薬の様にジョエルに作用する。触れて味わう度に、貪欲になる。

 そもそも、付き添い夫人が若くて綺麗な女性である事なんて本来ならなかなかあり得ない。半ば未婚の令嬢の引き立て役なのだから。
彼女はトリクシーの付き添い夫人シャペロンで、自分は従兄弟でエスコート役。だからそれで、近くにいる時間が多くなる。

フィリスを放っておけないのは、自分もしかり、ソールズベリ、ブレイク、それからヴィヴァースにしても………。

ジョエルはその理由の一つに、彼女の違和感にあると思っている。

 小づくりな顔立ちには、少女めいたあどけなささえ残っているのに、既婚者で、それも離婚したという瑕疵かしがある。
しかも、表向きには、悲嘆に暮れているようには見せず、一見何事も起こったことなどないように、ともすればぼんやり振る舞うが、どこかに強さが見え隠れする。
 ジョエルにはその仄かな強さの奥に、彼女が誰にも見せたくない脆く弱い部分があると知っている。
 若く綺麗なのに、地味な装いをして、目立たないように振る舞う。そして、望めるであろう再婚も、普通の女性なら、それを幸せだとされている暮らしを諦めている。

 そのアンバランスさ、それが見る人に違和感を与え、目を留めさせるのだ。今は特にヴィヴァースのフィリスを見る目が気にくわない。

彼の目はまだ、自分の妻だと言いたげな目だ。

彼女を痩せ細るほど悩ませた……、それが彼の目で見て分かるだろうから、それで彼女の心が自分にあると、そう思うのだろう。
しかし、もう、お前のものじゃないと、思い知るべきだ。

過去を忘れていないのは、だが、自分も同じだ。

彼女……レナはジョエルを選ばず、ヴィクターを選んだ。
分かっているのに、まだ彼女を見る度に幸せを願うのに。
やはり想いを断ち切るのは容易くはない。

今でも、自分の物にしたいと心のどこかにあるのか、それに彼女の想う相手がヴィクターでなければ強引に奪うことを躊躇わなかったかも知れない。
二人は、幼なじみでずっと小さな頃に結婚を約束していたからだ。その想い合う絆はジョエルが思う以上に強かったらしい。

 フィリスは、彼女を思いながら抱いているのかと聞いてきたが、むしろそんな事を思いはしなかった。
フィリスとの間にある事をレナと同じ事をする、それは考えられない。お互いに、体の欲に反応をしてるとわかるから、こそだ。

だからと言って欲望を満たすのは、誰でも良かった訳じゃない。
フィリス・ザヴィアーだから、そうなった。

ジョエルにとっては、冷静に考えてみれば、都合が良すぎる相手。ウィンスレットの血族ではないが近い親族。既婚者で、裕福で、若くて美人で、もしかしたら妊娠を気にしなくてもいい。そんなことを計算したつもりはないが………ジョエルは咄嗟に自分はその事を、計算に入れて初めの時、たがを外さなかったかと、自問する。

 現在の当主、兄のフェリクスは堅物だ。
もしもばれたら。――――大事な、守るべき一族の女性になんて事をしたのかときっとこっぴどく怒られるだろう。別に怒られる事はなんでもない。ただ、信用を無くされ軽蔑でもされたら……。

レナとフィリス。
比べるべき事じゃないかも知れないが……。

レナは頼りなげに見えて、その芯はしなやかで強い。
フィリスは、ほんわかと何もかもあるがままに、しなやかに受け止めているようで、その芯は傷つき弱っている。
レナは幸せで、何もかも順調で、フィリスは幸せを諦め、誰かがついていないといけない……そしてその事を理解しているのが自分だと思っている。

だから、自分は彼女を放ってはおけない。
その方法の一つに、セックスがあるだけだ。
そう、考えて最低な気分になりそうだった。


****


 いつものウィンスレット家の朝食。
この日、トリクシーは朝寝をしているのかおらず、珍しくルナも部屋で朝食を摂っており、フェリクスとジョエルだけのがらんとしたテーブルだった。

「旦那さま、ソールズベリ様がフィリス様を連れて帰ってこられましたが、フィリス様の具合が悪いそうです」

執事の言葉にジョエルは顔を上げて、
「私も行く。兄上はソールズベリを、私はフィリスを部屋に」
「ああ、そうしてくれると助かる」

玄関ホールに行くと、外から入ってきたソールズベリがフィリスを椅子に座らせる所だった。
紅茶色の乗馬ドレスのフィリスは、ソールズベリに帽子を外され、小さな顔を露にしていた。
その顔は、朝日の下で青ざめて見えた。

「フィリス、大丈夫か?医師を呼ぶか?」
フェリクスが問うとフィリスは首を振った。
「体調が良くないのに、お誘いして申し訳なかった」
ソールズベリがフェリクスに謝る。

そのやり取りを聞きながら、ジョエルは側に近づき軽く膝をついた。
「フィリス、部屋へ連れていく」
そう言うとフィリスは弱々しく頷き、伸ばした腕の中に収まった。
「頼んだ、ジョエル」
「ああ、これくらい何でもない」
歩き出したジョエルの背で、ソールズベリとフェリクスは向かい合っていた。

「いや、こちらこそ助かった。軽く食事とお茶でもどうだ?ソールズベリ」
「では、少しだけ」
ソールズベリとフェリクスは連れだって朝食室へ入っていった。

この国の女性は、ドレスとワンセットになっているコルセットの為にか倒れる事は珍しくない。
だから、フェリクスもソールズベリもそれほど心配はしていないのかもしれない。
だが、ジョエルは彼女が満足に食べられない事を知っていた。おまけに自分のせいで近頃は寝不足なはずだった。

 二階フロアにある彼女の部屋は、すでに整えられ今朝まで居たはずのジョエルの痕跡などどこにもない。
居室と続き部屋の寝室へ運びベッドに乗せた所で、フィリスの手がするりと首に回り、不意打ちであった為に首はあっさりと彼女に近づいて唇が触れ合い、舌がジョエルの下唇を舐める。

「フィリス、今は」
朝で、使用人たちもそして家人もいつやって来るかわからない。

「誰もわたしたちを疑ってなんていないわ」
紫色の瞳に覗きこむジョエルを映している。それが分かるほどに顔が近い。

「倒れたんだろ」
「………あなたのせいよ」
フィリスが軽く唇を甘く噛んできて、そこが少しだけジンっとする。

「夕べ………あんなに意地悪な事をするから」
非難のこもった声だが、そこには少しだけ色っぽさもあった。
「フィリス、止めろ」
「止めない」
舌と舌を絡めるキスをして、軽く互いの息が乱れる。

「誰か来たわ……、残念」
そっとジョエルの首から手を離し、フィリスはベッドに大人しく横たわる。ジョエルは、フィリスの背から手を抜いて、ベッドから体を起こし、身なりを整えた所でルナがやって来た。

「フィリス、大丈夫なの?」
「ええ、少しだけ休めば大丈夫です」

「確かに、今の顔色は悪くないわ。少しはよくなったみたいで良かったわ、それでも一応お医者様は呼んだ方がいいのじゃないかしら?」
「いいえ、もう随分良くなってきましたから、少しだけ眩暈がしてしまって……久しぶりの乗馬に緊張したんです、きっと」
フィリスは何でもない風に微笑んだ。

「そう、ならここへ朝の食事を運ばせるわ、気分は本当に大丈夫なのね?」
「はい、ありがとうございます、公爵夫人」

ルナがそのまま部屋を出ていったその後、ジョエルは乗馬ドレスの前をゆるめてあるそこに唇を寄せて、僅かに覗く胸の谷間に跡を付けた。
「いたずらのお返しだ」
唇の跡は夜のドレスだと見えるか見えないか、ギリギリの場所だった。
「……ひどいわ、見えてしまいそう」
「何とでも」

ジョエルはメイドと入れ替わりに部屋を出ていった。

いけない事だが………、この秘密にしないといけない、というのは何故か異様に気分が高まるものだった。そして今もその状況を楽しんだと言っても良かった。
人はだから、危険を冒すものなのかも知れない…。
その、危うさがぞくぞくと神経を高ぶらせる。
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