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九、すべての命の幸せ
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馬から下りた白鬼は、そのままずんずんと鬢櫛の元まで歩み寄りました。そして刀が届くか届かないかぐらいの位置で、ぴたりと足を止めます。
鬢櫛は白鬼の顔を見て、眉をひそめました。
「お前は晴山の息子、真人だな? まさかこんなところまでひとりで、しかも無傷で突っ込んでくるとは。以前のお前なら、こんな無茶な戦い方をしなかったと思うが? そういえば、数ヶ月ほど行方不明になっていたという話を聞いたが……」
鬢櫛の問いに、白鬼は何も答えませんでした。代わりに、別のことを口に出します。
「鬢櫛殿、俺にはあなたの首を取るつもりはありません。今すぐ撤退し、二度と山都に手を出さないと誓ってくれることを望みます」
鬢櫛は鋭い眼光を、白鬼に向けて飛ばしました。
「旗印を倒して置いて、どういうつもりだ。本気で言っているのではあるまいな?」
「本気です。だってこんな戦に、意味はないでしょう? 人が徒に死ぬだけです」
「意味がないだと?」
鬢櫛が目を吊り上げました。
「意味ならある。領地を広げ、領民の生活を豊かにする」
「領地なんて広げなくても、民を守ることはできます。仮に広げるにしても、こんな武力に頼らず、話し合いで双方の納得できる落としどころを探すべです」
「それが成らんから、こうして戦っている。勝った方が領地を広げられる。分かりやすいだろう?」
「分かりません!」
白鬼の叫びが、鬢櫛の本陣に響き渡りました。鬢櫛は小さく息を吐きました。
「小僧、綺麗事では国を治めることなんぞ、到底無理だ。そんなのは、白昼に見る夢のようなものだ。現に今、俺とお前は分かり合えていない。俺もお前も、己の言い分を変える気はない。己の持っている願いこそが、正義だと頑なに信じている。だから争いが起きるのだ。争いを起こしたくないなら、お前が国を俺に譲ることだ」
「それは……」
「できないだろう?」
鬢櫛は高らかに笑いました。白鬼の額に、じわりと冷や汗が滲み出ます。
その時、背後からたくさんの馬の足音が聞こえてきました。鬢櫛が、小さく舌打ちをします。
「どうやらお前を追いかけて、晴山の部隊がもうここまで来たらしい」
そう言うと鬢櫛は、右手を挙げました。するとどこからともなく現れた男が、その首をすっぱりと撥ねてしまいました。
首を撥ねたのは、鬢櫛の部下のようでした。彼は首を拾うと、それを抱えて一目散に逃げていきました。
白鬼は目を皿のように大きくして、それを呆然と見ているしかできませんでした。
日が暮れる頃、城に戻った白鬼は自室にいました。その襖はぴっちりと閉められています。明かりを灯していない部屋の中で、白鬼はあぐらをかいたままぴくりとも動きません。
その襖が、遠慮がちに叩かれました。
「ミタマ、いるのよね?」
声は魂美のものでした。白鬼は何も答えませんでした。
しばらくすると、音を立てずに襖が開かれました。魂美の持つ行燈が、暗く冷え切った真人の部屋に光と熱を灯しました。
白鬼は彼女を一瞥しただけで、すぐに視線を床に落としました。魂美はそんな彼を見て、眉間に皺を寄せました。襖を閉め直すと、白鬼の前に腰を下ろします。
「聞いたわよ。あなた、鬢櫛の本陣にまで乗り込んでおきながら、首級を挙げられなかったそうじゃない。目の前で首を奪われたとか。それで父上に怒られて、しばらく謹慎なんですって?」
白鬼は何も答えません。魂美は口をへの字に曲げました。
「どうして首を取ってこなかったのよ。それだけじゃないわ。誰も殺さなかったんですって? まさかあなた、本気で戦を止めるつもりだったの? 鬢櫛のところまで行って、和睦を申し出たの?」
「ああ、その通りだ」
ギリ、と白鬼が歯を噛みしめました。そんな彼を前にして、魂美は言葉を詰まらせました。
「戦なんて大嫌いだ。だから俺は、戦のない世界を作りたい。だけど鬢櫛は、俺の申し出を断った。そして自ら命を絶った。俺が本陣まで行かなければ、あいつは命を落とさなかった」
白鬼は拳を強く握りました。魂美は品定めをするように、じっと白鬼を見つめます。
「悔しいの? それとも、怒ってる?」
「……どっちもだ。俺の言うことを理解せず、自ら命を絶った鬢櫛には怒りが湧く。だけど、俺だってもっと上手く立ち回れたんじゃないかと思う。もっと別の方法があったのかもしれない。そしたら、鬢櫛は命を落とさずに済んだかもしれない」
「そうね、ミタマ。その通りよ。そうやって、もっと怒りや後悔を露わにしなさい」
魂美はそっと白鬼に近づくと、その体を抱きしめました。彼女からはスミレに似た匂いがしました。白鬼は息を飲みました。
「人に欲がある限り、戦いは終わらない。終わらせるなら、あなたがすべての国を打ち負かし、統合させて、その絶対的な力で新たに作った国を治めるしかないわ。そう、天下統一よ。その願いを叶えるためならば、その間に起こる犠牲には目をつぶりなさい。そんなものは、あなたの偉大な願いの前では、塵に等しいんだから」
夢見心地で魂美の言葉を聞いていた白鬼でしたが、一度目を閉じた後、ゆっくりと魂美から離れました。魂美はきょとんとした様子で白鬼を見ています。
「それは違う。いや、そうするのがいちばん早いのは、分かってる。それでも俺は、どんな犠牲もなく、この世に在るすべての命が幸せになってほしいという願いをやめられない。だから、そのやり方はできない」
魂美は大きく目を見開きました。その白い額には、じわりと冷や汗がにじみ始めました。
「なんで? なんで、さっきまで怒っていたじゃない? 悔しがっていたじゃない! それで魂が黒くなりかけていたのに、なんで……」
そこで魂美は、はっとした様子で言葉を切りました。そして体を小さく震わせ始めました。
「あなたの魂が真っ白なままの理由、分かったわ。経験や感情に乏しいからだと思ってたけど、違うのね。あなたの魂は、ただ白いんじゃない。白く光っているんだわ。その光が、全ての色を弾いてしまうのよ」
魂美の菫色の目に、困惑と恐れの色が浮かんでいるのが見えました。それに気づいた白鬼の胸が、針でちくちくと刺されているかのように痛みます。
魂美は顔を青くしたまま勢いよく立ち上がると、逃げるようにして白鬼の部屋を後にしました。
静寂がうるさい部屋で、白鬼は小さくため息を落としました。
鬢櫛は白鬼の顔を見て、眉をひそめました。
「お前は晴山の息子、真人だな? まさかこんなところまでひとりで、しかも無傷で突っ込んでくるとは。以前のお前なら、こんな無茶な戦い方をしなかったと思うが? そういえば、数ヶ月ほど行方不明になっていたという話を聞いたが……」
鬢櫛の問いに、白鬼は何も答えませんでした。代わりに、別のことを口に出します。
「鬢櫛殿、俺にはあなたの首を取るつもりはありません。今すぐ撤退し、二度と山都に手を出さないと誓ってくれることを望みます」
鬢櫛は鋭い眼光を、白鬼に向けて飛ばしました。
「旗印を倒して置いて、どういうつもりだ。本気で言っているのではあるまいな?」
「本気です。だってこんな戦に、意味はないでしょう? 人が徒に死ぬだけです」
「意味がないだと?」
鬢櫛が目を吊り上げました。
「意味ならある。領地を広げ、領民の生活を豊かにする」
「領地なんて広げなくても、民を守ることはできます。仮に広げるにしても、こんな武力に頼らず、話し合いで双方の納得できる落としどころを探すべです」
「それが成らんから、こうして戦っている。勝った方が領地を広げられる。分かりやすいだろう?」
「分かりません!」
白鬼の叫びが、鬢櫛の本陣に響き渡りました。鬢櫛は小さく息を吐きました。
「小僧、綺麗事では国を治めることなんぞ、到底無理だ。そんなのは、白昼に見る夢のようなものだ。現に今、俺とお前は分かり合えていない。俺もお前も、己の言い分を変える気はない。己の持っている願いこそが、正義だと頑なに信じている。だから争いが起きるのだ。争いを起こしたくないなら、お前が国を俺に譲ることだ」
「それは……」
「できないだろう?」
鬢櫛は高らかに笑いました。白鬼の額に、じわりと冷や汗が滲み出ます。
その時、背後からたくさんの馬の足音が聞こえてきました。鬢櫛が、小さく舌打ちをします。
「どうやらお前を追いかけて、晴山の部隊がもうここまで来たらしい」
そう言うと鬢櫛は、右手を挙げました。するとどこからともなく現れた男が、その首をすっぱりと撥ねてしまいました。
首を撥ねたのは、鬢櫛の部下のようでした。彼は首を拾うと、それを抱えて一目散に逃げていきました。
白鬼は目を皿のように大きくして、それを呆然と見ているしかできませんでした。
日が暮れる頃、城に戻った白鬼は自室にいました。その襖はぴっちりと閉められています。明かりを灯していない部屋の中で、白鬼はあぐらをかいたままぴくりとも動きません。
その襖が、遠慮がちに叩かれました。
「ミタマ、いるのよね?」
声は魂美のものでした。白鬼は何も答えませんでした。
しばらくすると、音を立てずに襖が開かれました。魂美の持つ行燈が、暗く冷え切った真人の部屋に光と熱を灯しました。
白鬼は彼女を一瞥しただけで、すぐに視線を床に落としました。魂美はそんな彼を見て、眉間に皺を寄せました。襖を閉め直すと、白鬼の前に腰を下ろします。
「聞いたわよ。あなた、鬢櫛の本陣にまで乗り込んでおきながら、首級を挙げられなかったそうじゃない。目の前で首を奪われたとか。それで父上に怒られて、しばらく謹慎なんですって?」
白鬼は何も答えません。魂美は口をへの字に曲げました。
「どうして首を取ってこなかったのよ。それだけじゃないわ。誰も殺さなかったんですって? まさかあなた、本気で戦を止めるつもりだったの? 鬢櫛のところまで行って、和睦を申し出たの?」
「ああ、その通りだ」
ギリ、と白鬼が歯を噛みしめました。そんな彼を前にして、魂美は言葉を詰まらせました。
「戦なんて大嫌いだ。だから俺は、戦のない世界を作りたい。だけど鬢櫛は、俺の申し出を断った。そして自ら命を絶った。俺が本陣まで行かなければ、あいつは命を落とさなかった」
白鬼は拳を強く握りました。魂美は品定めをするように、じっと白鬼を見つめます。
「悔しいの? それとも、怒ってる?」
「……どっちもだ。俺の言うことを理解せず、自ら命を絶った鬢櫛には怒りが湧く。だけど、俺だってもっと上手く立ち回れたんじゃないかと思う。もっと別の方法があったのかもしれない。そしたら、鬢櫛は命を落とさずに済んだかもしれない」
「そうね、ミタマ。その通りよ。そうやって、もっと怒りや後悔を露わにしなさい」
魂美はそっと白鬼に近づくと、その体を抱きしめました。彼女からはスミレに似た匂いがしました。白鬼は息を飲みました。
「人に欲がある限り、戦いは終わらない。終わらせるなら、あなたがすべての国を打ち負かし、統合させて、その絶対的な力で新たに作った国を治めるしかないわ。そう、天下統一よ。その願いを叶えるためならば、その間に起こる犠牲には目をつぶりなさい。そんなものは、あなたの偉大な願いの前では、塵に等しいんだから」
夢見心地で魂美の言葉を聞いていた白鬼でしたが、一度目を閉じた後、ゆっくりと魂美から離れました。魂美はきょとんとした様子で白鬼を見ています。
「それは違う。いや、そうするのがいちばん早いのは、分かってる。それでも俺は、どんな犠牲もなく、この世に在るすべての命が幸せになってほしいという願いをやめられない。だから、そのやり方はできない」
魂美は大きく目を見開きました。その白い額には、じわりと冷や汗がにじみ始めました。
「なんで? なんで、さっきまで怒っていたじゃない? 悔しがっていたじゃない! それで魂が黒くなりかけていたのに、なんで……」
そこで魂美は、はっとした様子で言葉を切りました。そして体を小さく震わせ始めました。
「あなたの魂が真っ白なままの理由、分かったわ。経験や感情に乏しいからだと思ってたけど、違うのね。あなたの魂は、ただ白いんじゃない。白く光っているんだわ。その光が、全ての色を弾いてしまうのよ」
魂美の菫色の目に、困惑と恐れの色が浮かんでいるのが見えました。それに気づいた白鬼の胸が、針でちくちくと刺されているかのように痛みます。
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