紅葉かつ散る

月並

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十三、白鬼

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 部屋の襖がからりと開いた。お兄ちゃんが、その隙間から顔を覗かせる。

「小林君が来ていますよ」
「……帰ってもらって」

 お兄ちゃんは何も言わず、襖を閉めた。私は再び独りになった。

 やっぱり私に、街での生活は、無理だったんだ。
 私にはしろちゃんしかいなかった。しろちゃんが、世界の全てだった。それを失った私は、どうして生きているのだろう。
 あの時、殺してくれれば良かったのに。

「しろちゃん」

 呟いた名前は、空しく部屋に響いただけだった。


 襖の向こうから足音が聞こえた。お兄ちゃんのじゃない、軽い足音。
 足音は、部屋の前で止まる。

「この間は、母が失礼なことを言って、ごめん」

 小林君の声だった。帰ってもらったはずなのに、どうして。

「それと、最初に田辺さんの家に行ったとき、僕、嬉々として鬼の話をしてたよね。あれが田辺さんの気に障ったんだよね? 何も知らないくせに、色々喋る僕が煩わしかったんじゃないかな。ごめんね」

 どうして小林君は謝ってくるのだろう。私のことなんか、放っておけばいいのに。家族でも何でもないのだから。
 分からない。分からないことが増えていく。このままでは、頭が混乱してしまう。

 襖の向こうで、小林君が立ち上がる気配がした。

「ごめんね田辺さん。僕は帰るよ。また寺子屋に来てね」

 小林君が帰ってしまう。そう思って、慌てて襖を開けた。
 小林君は、驚いた顔をして私を見ていた。私も正直、自分の行動に驚いている。
 ごくりと唾を呑み込んだ。

「なんで、なんで小林君は、私を放っておかないの」

 小林君は呆気に取られていたようだ。やがて、くすりと笑いをこぼした。

「なんでって、仲良くしたいからだよ」
「どうして……」
「それは、うーん、困ったな。理由なんて、ないよ」

 小林君は優し気に微笑んだ。

「最初は、田辺さんも病弱なのかなって思って。あんまり寺子屋に来ないし、来ても誰とも喋らないし、何かに脅えているみたいだったし。病気を持つ気持ちなら僕にもわかるし、僕も友達いなかったし。田辺さんとなら、友達になれるかなって思って」

 私をまっすぐに見る小林君の視線には、敵意も殺意も好奇心も、何もなかった。
 それは最初から分かっていたことだ。分かっていたけど、目をそらしていた。そんな人、いるわけがないって。

 認めた今なら、小林君になら、しろちゃんのことを話していいかもしれないと、そう思えた。

「小林君、私ね、鬼と暮らしていたの。真っ白な髪に紫色の目、髪と同じくらい真っ白な刀を持っている鬼と、江戸に来る前まで。私はしろちゃんって呼んでいたの。けどね、しろちゃんはもういない。私が、殺しちゃった」

 そうだ、しろちゃんは、私が殺した。私を拾わなければ、しろちゃんはまだ生きていたはずなのに。
 じわりと視界が滲んだ。

「殺したって? 田辺さんが?」
「しろちゃんが私を襲ってきたから、私を守るために、お兄ちゃんが、しろちゃんを刺したの」

 小林君が、何かを考え込むように腕をこまねいた。

「田辺さん、僕の家には、たくさん本があるんだ。その中に、古今東西の鬼についてまとめた本がある。田辺さんが一緒に暮らしていた鬼は、白鬼じゃない?」

 思わず私は何度も頷いた。
 そんな本があるのか。お兄ちゃんの書庫にはなかった。あったら絶対、手を伸ばしている。

「白鬼はね、刺されたぐらいじゃ死なないと思う」

 耳を疑った。何を言っているのか、理解できなかった。

「白鬼の血には、治癒効果があるんだ。塗ればたちどころに怪我が治ってしまう。白鬼は不死身ではないけれど、その血の特性で、ほぼ不死に近い存在だって、本にそう書いてあった」

 左頬に手を当てた。べとりとした血の感触を思い出す。付けられた傷が、気づけばなくなっていたことも。
 小林くんの言ったとおりなら、合点がいく。左頬の傷も、ふもとの人に潰された左目も、どっちもしろちゃんが治してくれたんだ。

「……じゃあ、しろちゃんは」
「多分、生きている」

 涙が溢れる。
 小林君は、何も言わずに小さな手拭いを渡してくれた。それで涙を拭う。

「私、しろちゃんを、探す」

 お兄ちゃんにそう伝えようと、部屋を飛び出そうとした。けれど小林君が「待って」と引き止める。

「僕も連れていってくれないかな」
「え、でも、遠いよ。何日もかかるよ。それに、小林君のお母さんが許すかどうか……」
「なんとか説得してみせるから! 僕、田辺さんが育った山を、見てみたい!」

 小林君の頬が、うっすら赤らんでいる。興奮しているのだろうか。
 鬼が好きなら、鬼が住んでいた山を見たいと思うのは、当然かもしれない。

「わかった」

 頷くと、小林君の顔が一気にほころんだ。
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