15 / 18
14話
しおりを挟む
懐かしい青年の再会
屋敷の門を出て、久々に王都の街へ足を運ぼう——と考えた矢先、玄関で執事が私に告げた。
「お嬢様、門のところに騎士団の若者が訪ねてきております。身分証を確認したところ、いちおう“準男爵家の庶子”であり、正規の騎士の位を持っている様子。お嬢様に面会を求めておられますが、いかがいたしますか?」
「私に面会……? 騎士団の若者、ですって?」
そんな相手に心当たりはない。私は首を傾げながらも、一応応じることにした。怪しい人物ではなさそうだし、門前払いする理由もない。
そして、応接室に通されたのは、背が高く、鍛えられた体躯に騎士団の軽装甲をまとった青年。柔らかな茶色の髪を短くまとめ、少し日焼けした肌に、すっきりした顔立ち。真面目そうな瞳が印象的だ。
彼は私を目にすると、はっと息を飲んで、その場で膝をつきながら頭を下げた。
「ルージュ・ヴィオレット様……お久しぶりです。私のことを覚えておられますでしょうか。名を……セイル・フィッツと申します」
「セイル……フィッツ……?」
聞き覚えのない名。だが、その顔立ちにはかすかな既視感がある。少し考え込んでいると、彼のほうから言葉を継いだ。
「昔、貴女様に助けていただいたことがありました。まだ私が幼少の頃、貴族の馬車に轢かれそうになったところを、そちらに乗っていた貴女様が止めてくださったのです。あのとき……“大丈夫?”と声をかけてくださって……」
そこまで言われて、私はやっと思い出した。確か、ずっと以前……私はまだ十歳くらいだっただろうか。当時、父の用事で街外れを馬車で通りかかったとき、小さな子どもが走り出してきて危うく轢かれそうになった事件があった。
そのとき私は大声で御者を止めさせ、危機一髪で子どもを助けた。後に聞けば、彼は貧しい家の孤児同然の暮らしで、ろくな食べ物もなくフラフラしていたという。私は特に気負いもなく、「怪我はない?」と確認して、小さなパンを渡した程度だった。だが、その子どもにとっては大事件だったのだろう。
「——ああ、あのときの!」
私が小さく声を上げると、彼は安堵したように微笑んだ。
「やはり覚えていてくださったのですね。あのあと、私はいろいろあって準男爵家の血を引くとわかり、多少の教育を受け、そして王都の騎士団に入隊しました。今では正式に認められた身分を持っていますが、昔の私を救ってくれた恩人のことを、ずっと忘れたことはありません」
「そんな、大げさよ。あのときは私も子どもだったから……。あなたを助けたつもりというよりは、ただ馬車を止めさせた、というだけなんですけど」
少しばかり照れくさくて言い訳をする私に、セイルは真摯な表情を崩さず首を振る。
「いえ、あのとき貴女様がいなければ、私は確実に怪我をしていたでしょうし、下手をすれば命を落としていたかもしれません。その後も見捨てずに、私がしばらく食べるのに困らぬように手配してくださった。そのご恩を忘れたことはありません」
「そう言われると……確かに、父に少しお金を出してもらって、あなたの家の生活を助けるように言ったかもしれないわね。でも、それは当時の貴族として、当然の責任と思っていただけで……」
私の曖昧な記憶では、父が「子どもひとり見殺しにできんだろう」と言って、少額だが金銭的援助をしてくれたはずだ。私はただ、「放っておけない」と思っただけで、大層な慈善心があったわけではない。
それでも、セイルにとっては大きな恩義であり、あれから彼は努力を重ねて今の地位を築いたのだという。目の前の青年から漂う凛とした雰囲気は、おそらく相当な鍛錬を積んだ証拠だろう。
「でも、どうして今になって私に会いに……?」
そう問いかけると、セイルは意を決したように背筋を伸ばし、まっすぐ私の瞳を見つめてきた。その眼差しには、熱い決意めいたものが宿っている。
「私はずっと、貴女様にもう一度お礼が言いたかったのです。そして……その、できることならば、貴女様に恩返しをさせていただきたいと願っていました。長らく貴女様を探していましたが、最近になって“侯爵令嬢ルージュ”として王宮にいらしたと聞き及び、でもバタバタと大変なことがあったようで……」
「大変なこと……リオネル殿下のことかしら?」
私は苦い笑みを浮かべる。やはり噂はすでに広まっているのだろう。セイルは言葉を濁しながらもうなずき、「それで、もう王宮にはおられないと知り、こうして屋敷を訪ねました」と続ける。
「私としては、貴女様を守るお役に立ちたいのです。かつて私が守られたように、今度は私が貴女様をお支えしたい。もちろん、急にこんなことを言われても戸惑われるでしょうが……どうか、しばらくはこの街で活動しておりますので、いつでも呼んでいただければ参上いたします」
セイルの言葉は、あまりにも真っ直ぐで、冗談めかしや打算を感じさせなかった。私からすれば突然の告白じみたものだが、彼の瞳は純粋そのもの。どう反応していいか分からない。
とはいえ、私は心のどこかで、その申し出に魅かれるものを感じてもいた。かつてほんの短い邂逅だったはずなのに、彼の中で私という存在は大きな支えになっていたのだ。そんな思いを抱いてくれる人がいるというのは、悪い気はしない。
「守る……と言われても、私、そんな大それた存在じゃありません。むしろ王族との縁談も立ち消えになって、今はただの令嬢に戻っただけ」
「それでも、貴女様は私の恩人であり、憧れの方です。どうかお気持ちが変わったときには……呼んでください」
セイルはそう言って、深々と頭を下げる。私が何も返せずにいると、「急に押しかけて申し訳ありませんでした。それでは失礼します」と踵を返し、礼儀正しく応接室を去った。
去り際の背中は、どこか寂しげでもあり、また毅然とした決意が滲んでいるようにも見えた。
屋敷の門を出て、久々に王都の街へ足を運ぼう——と考えた矢先、玄関で執事が私に告げた。
「お嬢様、門のところに騎士団の若者が訪ねてきております。身分証を確認したところ、いちおう“準男爵家の庶子”であり、正規の騎士の位を持っている様子。お嬢様に面会を求めておられますが、いかがいたしますか?」
「私に面会……? 騎士団の若者、ですって?」
そんな相手に心当たりはない。私は首を傾げながらも、一応応じることにした。怪しい人物ではなさそうだし、門前払いする理由もない。
そして、応接室に通されたのは、背が高く、鍛えられた体躯に騎士団の軽装甲をまとった青年。柔らかな茶色の髪を短くまとめ、少し日焼けした肌に、すっきりした顔立ち。真面目そうな瞳が印象的だ。
彼は私を目にすると、はっと息を飲んで、その場で膝をつきながら頭を下げた。
「ルージュ・ヴィオレット様……お久しぶりです。私のことを覚えておられますでしょうか。名を……セイル・フィッツと申します」
「セイル……フィッツ……?」
聞き覚えのない名。だが、その顔立ちにはかすかな既視感がある。少し考え込んでいると、彼のほうから言葉を継いだ。
「昔、貴女様に助けていただいたことがありました。まだ私が幼少の頃、貴族の馬車に轢かれそうになったところを、そちらに乗っていた貴女様が止めてくださったのです。あのとき……“大丈夫?”と声をかけてくださって……」
そこまで言われて、私はやっと思い出した。確か、ずっと以前……私はまだ十歳くらいだっただろうか。当時、父の用事で街外れを馬車で通りかかったとき、小さな子どもが走り出してきて危うく轢かれそうになった事件があった。
そのとき私は大声で御者を止めさせ、危機一髪で子どもを助けた。後に聞けば、彼は貧しい家の孤児同然の暮らしで、ろくな食べ物もなくフラフラしていたという。私は特に気負いもなく、「怪我はない?」と確認して、小さなパンを渡した程度だった。だが、その子どもにとっては大事件だったのだろう。
「——ああ、あのときの!」
私が小さく声を上げると、彼は安堵したように微笑んだ。
「やはり覚えていてくださったのですね。あのあと、私はいろいろあって準男爵家の血を引くとわかり、多少の教育を受け、そして王都の騎士団に入隊しました。今では正式に認められた身分を持っていますが、昔の私を救ってくれた恩人のことを、ずっと忘れたことはありません」
「そんな、大げさよ。あのときは私も子どもだったから……。あなたを助けたつもりというよりは、ただ馬車を止めさせた、というだけなんですけど」
少しばかり照れくさくて言い訳をする私に、セイルは真摯な表情を崩さず首を振る。
「いえ、あのとき貴女様がいなければ、私は確実に怪我をしていたでしょうし、下手をすれば命を落としていたかもしれません。その後も見捨てずに、私がしばらく食べるのに困らぬように手配してくださった。そのご恩を忘れたことはありません」
「そう言われると……確かに、父に少しお金を出してもらって、あなたの家の生活を助けるように言ったかもしれないわね。でも、それは当時の貴族として、当然の責任と思っていただけで……」
私の曖昧な記憶では、父が「子どもひとり見殺しにできんだろう」と言って、少額だが金銭的援助をしてくれたはずだ。私はただ、「放っておけない」と思っただけで、大層な慈善心があったわけではない。
それでも、セイルにとっては大きな恩義であり、あれから彼は努力を重ねて今の地位を築いたのだという。目の前の青年から漂う凛とした雰囲気は、おそらく相当な鍛錬を積んだ証拠だろう。
「でも、どうして今になって私に会いに……?」
そう問いかけると、セイルは意を決したように背筋を伸ばし、まっすぐ私の瞳を見つめてきた。その眼差しには、熱い決意めいたものが宿っている。
「私はずっと、貴女様にもう一度お礼が言いたかったのです。そして……その、できることならば、貴女様に恩返しをさせていただきたいと願っていました。長らく貴女様を探していましたが、最近になって“侯爵令嬢ルージュ”として王宮にいらしたと聞き及び、でもバタバタと大変なことがあったようで……」
「大変なこと……リオネル殿下のことかしら?」
私は苦い笑みを浮かべる。やはり噂はすでに広まっているのだろう。セイルは言葉を濁しながらもうなずき、「それで、もう王宮にはおられないと知り、こうして屋敷を訪ねました」と続ける。
「私としては、貴女様を守るお役に立ちたいのです。かつて私が守られたように、今度は私が貴女様をお支えしたい。もちろん、急にこんなことを言われても戸惑われるでしょうが……どうか、しばらくはこの街で活動しておりますので、いつでも呼んでいただければ参上いたします」
セイルの言葉は、あまりにも真っ直ぐで、冗談めかしや打算を感じさせなかった。私からすれば突然の告白じみたものだが、彼の瞳は純粋そのもの。どう反応していいか分からない。
とはいえ、私は心のどこかで、その申し出に魅かれるものを感じてもいた。かつてほんの短い邂逅だったはずなのに、彼の中で私という存在は大きな支えになっていたのだ。そんな思いを抱いてくれる人がいるというのは、悪い気はしない。
「守る……と言われても、私、そんな大それた存在じゃありません。むしろ王族との縁談も立ち消えになって、今はただの令嬢に戻っただけ」
「それでも、貴女様は私の恩人であり、憧れの方です。どうかお気持ちが変わったときには……呼んでください」
セイルはそう言って、深々と頭を下げる。私が何も返せずにいると、「急に押しかけて申し訳ありませんでした。それでは失礼します」と踵を返し、礼儀正しく応接室を去った。
去り際の背中は、どこか寂しげでもあり、また毅然とした決意が滲んでいるようにも見えた。
13
あなたにおすすめの小説
「最高の縁談なのでしょう?なら、かわってあげたら喜んでくれますよね!」
みっちぇる。
恋愛
侯爵令嬢のリコリスは20歳。立派な嫁きおくれである。
というのも、義母がなかなかデビューさせてくれないのだ。
なにか意図を感じつつも、周りは義母の味方ばかり。
そん中、急にデビュタントの許可と婚約を告げられる。
何か裏がある――
相手の家がどういうものかを知り、何とかしようとするリコリス。
でも、非力なリコリスには何も手段がない。
しかし、そんな彼女にも救いの手が……?
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
「君は地味な裏方だ」と愛人を優遇するサイコパス気質の夫。〜私が去った後、商会の技術が全て私の手によるものだと気づいても、もう手遅れです〜
水上
恋愛
「君は地味だから裏方に徹しろ」
効率主義のサイコパス気質な夫は、妻であるクララの磨いた硝子を愛人の手柄にし、クララを工房に幽閉した。
彼女は感情を捨て、機械のように振る舞う。
だが、クララの成果を奪い取り、夫が愛人を壇上に上げた夜、クララの心は完全に凍りついた。
彼に残した書き置きは一通のみ。
クララが去った後、商会の製品はただの石ころに戻り、夫の計算は音を立てて狂い始める。
これは、深い絶望と、遅すぎた後悔の物語。
聞き分けよくしていたら婚約者が妹にばかり構うので、困らせてみることにした
今川幸乃
恋愛
カレン・ブライスとクライン・ガスターはどちらも公爵家の生まれで政略結婚のために婚約したが、お互い愛し合っていた……はずだった。
二人は貴族が通う学園の同級生で、クラスメイトたちにもその仲の良さは知られていた。
しかし、昨年クラインの妹、レイラが貴族が学園に入学してから状況が変わった。
元々人のいいところがあるクラインは、甘えがちな妹にばかり構う。
そのたびにカレンは聞き分けよく我慢せざるをえなかった。
が、ある日クラインがレイラのためにデートをすっぽかしてからカレンは決心する。
このまま聞き分けのいい婚約者をしていたところで状況は悪くなるだけだ、と。
※ざまぁというよりは改心系です。
※4/5【レイラ視点】【リーアム視点】の間に、入れ忘れていた【女友達視点】の話を追加しました。申し訳ありません。
『婚約破棄されたので王太子女となります。殿下より上位です』
鷹 綾
恋愛
「君は王太子妃に相応しくない」
その一言で、私は婚約を破棄されました。
理由は“真実の愛”。選ばれたのは、可憐な令嬢。
……ええ、どうぞご自由に。
私は泣きません。縋りません。
なぜなら——王家は、私を手放せないから。
婚約は解消。
けれど家格、支持、実務能力、そして民の信頼。
失ったのは殿下の隣の席だけ。
代わりに私は、王太子女として王政補佐の任を命じられます。
最初は誰もが疑いました。
若い、女だ、感情的だ、と。
ならば証明しましょう。
怒らず、怯えず、排除せず。
反対も忠誠も受け止めながら、国を揺らさずに保つことを。
派手な革命は起こしません。
大逆転も叫びません。
ただ、静かに積み上げます。
そして気づけば——
“殿下の元婚約者”ではなく、
“揺れない王”と呼ばれるようになるのです。
これは、婚約破棄から始まる静かな逆転譚。
王冠の重みを受け入れた一人の女性が、
国を、そして自分の立場を塗り替えていく物語です。
殿下の婚約者は、記憶喪失です。
有沢真尋
恋愛
王太子の婚約者である公爵令嬢アメリアは、いつも微笑みの影に疲労を蓄えているように見えた。
王太子リチャードは、アメリアがその献身を止めたら烈火の如く怒り狂うのは想像に難くない。自分の行動にアメリアが口を出すのも絶対に許さない。たとえば結婚前に派手な女遊びはやめて欲しい、という願いでさえも。
たとえ王太子妃になれるとしても、幸せとは無縁そうに見えたアメリア。
彼女は高熱にうなされた後、すべてを忘れてしまっていた。
※ざまあ要素はありません。
※表紙はかんたん表紙メーカーさま
あなたの幸せを、心からお祈りしています
たくわん
恋愛
「平民の娘ごときが、騎士の妻になれると思ったのか」
宮廷音楽家の娘リディアは、愛を誓い合った騎士エドゥアルトから、一方的に婚約破棄を告げられる。理由は「身分違い」。彼が選んだのは、爵位と持参金を持つ貴族令嬢だった。
傷ついた心を抱えながらも、リディアは決意する。
「音楽の道で、誰にも見下されない存在になってみせる」
革新的な合奏曲の創作、宮廷初の「音楽会」の開催、そして若き隣国王子との出会い——。
才能と努力だけを武器に、リディアは宮廷音楽界の頂点へと駆け上がっていく。
一方、妻の浪費と実家の圧力に苦しむエドゥアルトは、次第に転落の道を辿り始める。そして彼は気づくのだ。自分が何を失ったのかを。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる