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第3章:王太子妃となる日はあっさりと、しかし盛大に訪れましたわ
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王宮の廊下は夜間モードでやや照明が落とされ、静寂が漂っている。扉の前には近衛兵が立っているが、わたくしとソフィアの姿を見ると、敬礼して通してくれた。
コンコン、とノックをすると、中からおずおずとリリア様の声がした。
「はい……。どなたでしょうか?」
「わたくしよ、リリア様。ルチアーナです。少しお話ししてもかまいませんか?」
「あ、ルチアーナ様……! もちろんです。どうぞお入りください」
扉を開けると、そこには質素ながらも綺麗に整えられた部屋があった。床に敷かれたカーペット、必要最低限の調度品、そしてベッドが一つ。もともと客人用の部屋らしく、豪華すぎず地味すぎず、程よい感じだ。
リリア様は部屋着姿で、椅子に座ったまま読書をしていたようだ。机の上にはランプが灯り、傍には簡素な茶器が置いてある。
「遅くにごめんなさいね。挙式と祝宴が無事に終わったから、ちょっとだけ報告に来たの。あなたに教えてあげたくて」
「いえ、そんな……! わたしこそ、こんな時間に申し訳ありません。わざわざ来てくださって嬉しいです。挙式、本当におめでとうございます……!」
リリア様は椅子を立ち上がり、深々と頭を下げた。その目には安堵や祝福の色がにじんでいる。彼女からすると、自分が原因で式が台無しになったり、トラブルが起きたりしないか心配していたのだろう。
「ありがとう。さすがに人前に立ち続けて疲れたけれど、大きな問題はなく終えられたわ。リリア様が教えてくださった件も、何とか対処できたようだし……」
「本当によかった……。わたしはルチアーナ様が恥をかかされるのではないかって、とても気が気ではなくて。何かお手伝いしたくても、わたしがうろつくと余計に事態がこじれるかもしれないし……」
「ふふ、大丈夫よ。むしろリリア様が情報をくれたおかげで、わたくしも備えができたわ。ありがとうね」
そう言って微笑むと、リリア様も少し照れくさそうに頷く。彼女の純真な表情を見ていると、やはり「この方を憎む理由など、どこにもないな」と改めて感じた。
そのまま何気なく彼女の机に目を向けると、見慣れた書物が置いてある。先日、わたくしが彼女に貸した“紅茶に関する基礎知識”をまとめた本だ。どうやら熱心に読み進めているらしく、付箋がたくさん貼られているのが見えた。
「あら……その本、ちゃんと読んでくれているのね」
「はい……! とても興味深くて、知らないことばかりでワクワクしながら読んでいます。茶葉の種類から淹れ方、保存方法に至るまで、こんなにも奥が深いなんて……」
「でしょう? わたくしも最初は覚えることが多すぎて大変だったけれど、その分いろいろ試す楽しみがあるわ。挙式が終わったから、そのうちゆっくり一緒にお茶会を開きましょう」
「ぜひお願いします……! ルチアーナ様と紅茶を味わうのが楽しみで……」
リリア様は嬉しそうに微笑む。わたくしもその笑顔を見ていると、疲れがほんの少し和らぐような気持ちになる。もしこのまま、わたくしが真の意味で“アルベルト様の妻”になることを望んでいたら、この状況は耐えがたい嫉妬の炎に身を焼かれていたかもしれない。
しかし、現実は違う。わたくしは自分が“自由”を求めていて、アルベルト様もわたくしに強い愛情を求めていない。そしてリリア様も心の底からアルベルト様を慕っている。三者の想いは奇妙に噛み合っていて、今のところ誰も傷つく必要がない。
(もちろん、世の中そう甘いことばかりじゃない。いつか外部の攻撃や、アルベルト様の心変わりなど、予想外の波乱があるかもしれない。でも、少なくともいまはこの関係で、みんなが平和にやっていけるのなら、それが一番よね)
そんな考えを巡らせながら、わたくしはリリア様と少しだけ談笑を続けた。いつか本格的に「白い結婚」の話をリリア様に包み隠さず説明するかどうかは、まだ判断できない。彼女を戸惑わせるだけかもしれないし、下手に話すと誤解を招く恐れもある。
ただ、わたくしが彼女を大切な友人だと思っていることは、いずれしっかり伝えたい。アルベルト様の愛人という枠を超えて、わたくしはリリア様に興味を抱いているし、友情を育みたいと心から願っているのだから。
「それでは、遅いから今夜はこれで失礼するわね。また改めてゆっくりお茶でもしましょう。わたくしのほうは、挙式後の雑務でしばらく忙しいかもしれないけれど……落ち着いたらすぐに誘うわ」
「わかりました。楽しみにしています……! 今日も本当におめでとうございます」
リリア様の祝福の言葉を背に受け、わたくしは部屋を後にする。ソフィアとともに廊下を歩きながら、ようやく今日という一日を丸ごと思い返した。盛大な結婚式、祝宴、わたくしを陥れようとする者の存在、そして新しく生まれた絆……。
実に波瀾万丈な一日だった。王太子妃としての務めを全うしたこと自体、まだどこか実感がわかない部分もある。けれど、現実は確かに動いている。明日から、わたくしは“この王宮”で“王太子妃”として生活を始めるのだから。
クタクタに疲れた身体を引きずって自室へ戻り、ベッドに潜り込んだ。頭の中では「白い結婚」というワードが浮かんでいる。アルベルト様からすれば、形式的にわたくしを妻としながら、リリア様を真に愛する……そんな道を選んだわけだが、わたくしからしてみれば、それも悪くない選択肢だと思う。
なにしろ、わたくしも“真の夫婦関係”を望んでいるわけではない。王太子妃の地位を手に入れた今こそ、自由と優雅さを追求したいのだ。余計なしがらみや恋愛感情など、むしろ邪魔なだけ。アルベルト様がリリア様を愛しているなら、どうぞご勝手に、というのが本音だ。わたくしはわたくしの道を行く。
「はあ……やっと終わったのね、この大騒ぎ。面倒はまだ続きそうだけど、なんとかなるわ。わたくしは一応、王太子妃ですもの」
誰に聞かせるでもなくつぶやいたあと、重い瞼を閉じる。今日は本当に疲れ果てた。クラリッサ令嬢が仕掛けてきた嫌味も、何とか回避できたし、よしとしよう。
やがて意識が薄れていく中、わたくしはぼんやりと「明日はどんな本を読もうかしら。リリア様と飲むなら、どの茶葉を用意しよう……」などと考えていた。いまや、夫婦生活の行方より、そうした些細なプランのほうがずっと楽しみで仕方がない。
こうして長い一日を終え、わたくしは正式に“王太子妃”となった。これから先、いったいどんな波乱が待ち受けているのかはわからない。けれど、少なくとも今夜は心地よい眠りにつくことができそうだ。
リリア様と新しく育みはじめた友情、そしてうまくかわし続ける政治的駆け引き——わたくしの“白い結婚生活”は、まだまだ始まったばかりなのである。
コンコン、とノックをすると、中からおずおずとリリア様の声がした。
「はい……。どなたでしょうか?」
「わたくしよ、リリア様。ルチアーナです。少しお話ししてもかまいませんか?」
「あ、ルチアーナ様……! もちろんです。どうぞお入りください」
扉を開けると、そこには質素ながらも綺麗に整えられた部屋があった。床に敷かれたカーペット、必要最低限の調度品、そしてベッドが一つ。もともと客人用の部屋らしく、豪華すぎず地味すぎず、程よい感じだ。
リリア様は部屋着姿で、椅子に座ったまま読書をしていたようだ。机の上にはランプが灯り、傍には簡素な茶器が置いてある。
「遅くにごめんなさいね。挙式と祝宴が無事に終わったから、ちょっとだけ報告に来たの。あなたに教えてあげたくて」
「いえ、そんな……! わたしこそ、こんな時間に申し訳ありません。わざわざ来てくださって嬉しいです。挙式、本当におめでとうございます……!」
リリア様は椅子を立ち上がり、深々と頭を下げた。その目には安堵や祝福の色がにじんでいる。彼女からすると、自分が原因で式が台無しになったり、トラブルが起きたりしないか心配していたのだろう。
「ありがとう。さすがに人前に立ち続けて疲れたけれど、大きな問題はなく終えられたわ。リリア様が教えてくださった件も、何とか対処できたようだし……」
「本当によかった……。わたしはルチアーナ様が恥をかかされるのではないかって、とても気が気ではなくて。何かお手伝いしたくても、わたしがうろつくと余計に事態がこじれるかもしれないし……」
「ふふ、大丈夫よ。むしろリリア様が情報をくれたおかげで、わたくしも備えができたわ。ありがとうね」
そう言って微笑むと、リリア様も少し照れくさそうに頷く。彼女の純真な表情を見ていると、やはり「この方を憎む理由など、どこにもないな」と改めて感じた。
そのまま何気なく彼女の机に目を向けると、見慣れた書物が置いてある。先日、わたくしが彼女に貸した“紅茶に関する基礎知識”をまとめた本だ。どうやら熱心に読み進めているらしく、付箋がたくさん貼られているのが見えた。
「あら……その本、ちゃんと読んでくれているのね」
「はい……! とても興味深くて、知らないことばかりでワクワクしながら読んでいます。茶葉の種類から淹れ方、保存方法に至るまで、こんなにも奥が深いなんて……」
「でしょう? わたくしも最初は覚えることが多すぎて大変だったけれど、その分いろいろ試す楽しみがあるわ。挙式が終わったから、そのうちゆっくり一緒にお茶会を開きましょう」
「ぜひお願いします……! ルチアーナ様と紅茶を味わうのが楽しみで……」
リリア様は嬉しそうに微笑む。わたくしもその笑顔を見ていると、疲れがほんの少し和らぐような気持ちになる。もしこのまま、わたくしが真の意味で“アルベルト様の妻”になることを望んでいたら、この状況は耐えがたい嫉妬の炎に身を焼かれていたかもしれない。
しかし、現実は違う。わたくしは自分が“自由”を求めていて、アルベルト様もわたくしに強い愛情を求めていない。そしてリリア様も心の底からアルベルト様を慕っている。三者の想いは奇妙に噛み合っていて、今のところ誰も傷つく必要がない。
(もちろん、世の中そう甘いことばかりじゃない。いつか外部の攻撃や、アルベルト様の心変わりなど、予想外の波乱があるかもしれない。でも、少なくともいまはこの関係で、みんなが平和にやっていけるのなら、それが一番よね)
そんな考えを巡らせながら、わたくしはリリア様と少しだけ談笑を続けた。いつか本格的に「白い結婚」の話をリリア様に包み隠さず説明するかどうかは、まだ判断できない。彼女を戸惑わせるだけかもしれないし、下手に話すと誤解を招く恐れもある。
ただ、わたくしが彼女を大切な友人だと思っていることは、いずれしっかり伝えたい。アルベルト様の愛人という枠を超えて、わたくしはリリア様に興味を抱いているし、友情を育みたいと心から願っているのだから。
「それでは、遅いから今夜はこれで失礼するわね。また改めてゆっくりお茶でもしましょう。わたくしのほうは、挙式後の雑務でしばらく忙しいかもしれないけれど……落ち着いたらすぐに誘うわ」
「わかりました。楽しみにしています……! 今日も本当におめでとうございます」
リリア様の祝福の言葉を背に受け、わたくしは部屋を後にする。ソフィアとともに廊下を歩きながら、ようやく今日という一日を丸ごと思い返した。盛大な結婚式、祝宴、わたくしを陥れようとする者の存在、そして新しく生まれた絆……。
実に波瀾万丈な一日だった。王太子妃としての務めを全うしたこと自体、まだどこか実感がわかない部分もある。けれど、現実は確かに動いている。明日から、わたくしは“この王宮”で“王太子妃”として生活を始めるのだから。
クタクタに疲れた身体を引きずって自室へ戻り、ベッドに潜り込んだ。頭の中では「白い結婚」というワードが浮かんでいる。アルベルト様からすれば、形式的にわたくしを妻としながら、リリア様を真に愛する……そんな道を選んだわけだが、わたくしからしてみれば、それも悪くない選択肢だと思う。
なにしろ、わたくしも“真の夫婦関係”を望んでいるわけではない。王太子妃の地位を手に入れた今こそ、自由と優雅さを追求したいのだ。余計なしがらみや恋愛感情など、むしろ邪魔なだけ。アルベルト様がリリア様を愛しているなら、どうぞご勝手に、というのが本音だ。わたくしはわたくしの道を行く。
「はあ……やっと終わったのね、この大騒ぎ。面倒はまだ続きそうだけど、なんとかなるわ。わたくしは一応、王太子妃ですもの」
誰に聞かせるでもなくつぶやいたあと、重い瞼を閉じる。今日は本当に疲れ果てた。クラリッサ令嬢が仕掛けてきた嫌味も、何とか回避できたし、よしとしよう。
やがて意識が薄れていく中、わたくしはぼんやりと「明日はどんな本を読もうかしら。リリア様と飲むなら、どの茶葉を用意しよう……」などと考えていた。いまや、夫婦生活の行方より、そうした些細なプランのほうがずっと楽しみで仕方がない。
こうして長い一日を終え、わたくしは正式に“王太子妃”となった。これから先、いったいどんな波乱が待ち受けているのかはわからない。けれど、少なくとも今夜は心地よい眠りにつくことができそうだ。
リリア様と新しく育みはじめた友情、そしてうまくかわし続ける政治的駆け引き——わたくしの“白い結婚生活”は、まだまだ始まったばかりなのである。
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