2 / 18
第1章:婚約破棄と屈辱の夜
1-2
しおりを挟むエミリアは苦しみをぐっと押し殺し、遠巻きにその様子を見つめるしかなかった。無理に割り込んで踊り相手を奪い返すなどという、みっともない行動は取れない。相手は王女だ。しかも王族を軽んじる行為など、ウィンスレット公爵家の名に泥を塗ることにしかならない。
せめて一言でいいから、アルバートの口から事情を聞きたい。そんな思いがエミリアを苛立たせる。だが、王宮の夜会は形式的にも規律が厳しく、軽々しく人を呼び止めたり、問い詰めたりできる場ではない。彼女は胸の内をもてあましながら、一人用の椅子に腰を落とした。
そのとき、場内の大きな扉から皇太子アレクシス・ヴァレンタインが入場してきたとの知らせが走る。急遽、王族の予定が変わったのか、少し遅れて到着したようだ。皇太子は身長も高く、漆黒の髪と碧眼が印象的な青年だが、王女クラリッサとは腹違いのきょうだいに当たる。エミリアは皇太子とも面識はあるものの、そこまで親しいわけではなかった。だが、幼い頃の小さな記憶――まだ皇太子が王太子教育に入る前に、何度か宮廷で言葉を交わした覚えはある。
皇太子の到着により、場内の空気はさらに高揚し、人々の注目は一気にアレクシスへと向かう。だがエミリアの意識は、いまだ踊り続けるアルバートと王女へと注がれていた。もし皇太子が到着したことで、王女がアルバートと離れ、皇太子のもとへ行ってくれるなら――一時的にでも話せる機会ができるかもしれない。そんな淡い期待を抱きつつ、エミリアはタイミングを図るように視線をやり繰りしている。
しかし、王女クラリッサはまるでアルバートを離す気などない様子だ。皇太子アレクシスが入場してきても、軽く会釈を送っただけで、再びアルバートとの踊りに戻ってしまう。まるで自分が選んだ相手はアルバートであると、見せつけるようにも見えた。
――やがて曲が一段落し、フロアにいた男女が互いに礼を交わす。その間を見計らい、エミリアは思いきってアルバートのもとへ近づいた。王女が踊り相手を替える間、せめて一言だけでも話しかけられるかもしれない。アルバートは背中をこちらに向けている。彼が振り返る前に、エミリアは静かに声をかけた。
「アルバート様、ご挨拶が遅れてしまいました。今晩は――」
瞬間、振り向いたアルバートの表情は、驚くほど冷淡だった。以前の優しい微笑みはどこにもなく、まるで他人を見るような目をしている。エミリアが声をつまらせたそのとき、王女クラリッサも小首を傾げながらエミリアを見た。
「まあ、あなたが公爵令嬢のエミリアですの?」
王女の軽薄そうな笑みには、どこか人を見下したような色があった。エミリアの胸に不快感が募るが、ここは王族相手。礼儀を尽くさなければウィンスレット公爵家の恥となる。彼女は丁寧に一礼し、爽やかな微笑みを浮かべた。
「はい、ウィンスレット公爵家の長女、エミリア・ウィンスレットと申します。王女殿下にお目にかかれて光栄ですわ」
「ふぅん……確かに美しい方ね。でも、思っていたほどの迫力はないみたい。アルバート、先ほどは『王女殿下と並ぶとエミリアなど地味に見える』って言っていたわよね?」
唐突に王女が口にした言葉は、まるでエミリアへの挑発そのものだった。さらに、その言葉に堂々とうなずくアルバートの姿に、場の空気が凍る。周囲にいた貴族たちも思わず耳をそばだてる。
「ええ、そうです。エミリアは悪い子ではありませんが、いかんせん平凡ですから。王女殿下のように華やかな女性がやはり相応しいと、改めて感じました」
場の空気がざわめいた。なにしろ婚約者であるアルバートが、エミリアを面と向かって「平凡」呼ばわりしているのだから。しかもその場に王女まで同席している。エミリアは自分の耳を疑った。これが幼い頃からともに育ち、いつか夫婦になるはずだったアルバートの言葉だろうか。衝撃というよりも、あまりのことに悲しみすら湧いてこない。
意を決して、エミリアはアルバートに問いかける。
「アルバート様……。どうしたというのですか? 私が何かをしてしまったのでしょうか?」
「別に何も。おまえはもともと地味で、俺には不釣り合いだったというだけだ。気づくのが遅かっただけだよ。王女殿下のように美しく、尊貴な存在を知ってしまったら……もうおまえのような退屈な女とは一緒にいられない」
憐みすら感じさせるアルバートの視線。ふと見ると、王女クラリッサは楽しそうに口元に扇子をあて、クスクスと笑いをこぼしている。その様子はまるで「エミリアに恥をかかせて楽しんでいる」ようであり、周囲の貴族も何か大きな事件の前触れのように息を呑んで見守っていた。
すると、アルバートは会場を見回し、わざとらしく大きめの声で宣言し始めた。
「聞いてくれ、皆の者! 俺、アルバート・ロンズデールは、この場をもってエミリア・ウィンスレットとの婚約を破棄する!」
95
あなたにおすすめの小説
婚約破棄されたので、戻らない選択をしました
ふわふわ
恋愛
王太子アルトゥールの婚約者として生きてきた
貴族令嬢ミディア・バイエルン。
だが、偽りの聖女シエナに心を奪われた王太子から、
彼女は一方的に婚約を破棄される。
「戻る場所は、もうありませんわ」
そう告げて向かった先は、
王都から遠く離れたアルツハイム辺境伯領。
権力も、評価も、比較もない土地で、
ミディアは“誰かに選ばれる人生”を静かに手放していく。
指示しない。
介入しない。
評価しない。
それでも、人は動き、街は回り、
日常は確かに続いていく。
一方、王都では――
彼女を失った王太子と王政が、
少しずつ立ち行かなくなっていき……?
派手な復讐も、涙の和解もない。
あるのは、「戻らない」という選択と、
終わらせない日常だけ。
婚約破棄ですか?構いませんわ。ですがその契約、すべて我が家のものです
ふわふわ
恋愛
王太子ユリウスは、王立学園の卒業舞踏会で突然宣言した。
「カリスタ・ヴァレリオンとの婚約を破棄する!」
隣には涙を流す義妹ルミレア。
彼女は「姉に虐げられてきた可哀想な令嬢」を演じ、王太子はそれを信じてしまう。
だが――王太子は知らなかった。
ヴァレリオン公爵家が
王国銀行の資金、港湾会社の株式、商人組合の信用保証――
王国経済の中枢を支える契約のほとんどを握っていたことを。
婚約破棄と同時に、カリスタは静かに言った。
「では契約を終了いたします」
その瞬間、王国の歯車は止まり始める。
港は停止。
銀行は資金不足。
商人は取引停止。
そしてついに――
王宮大広間で王太子の公開断罪が始まる。
「私は悪くない!」
「騙されたんだ!」
見苦しく喚き暴れる王太子は、衛兵に取り押さえられ、床を引きずられるようにして連行されていく。
王太子、義妹、義父母。
すべてが破滅したとき、カリスタはただ静かに告げる。
「契約は終わりました」
婚約破棄されましたが、私はもう必要ありませんので
ふわふわ
恋愛
「婚約破棄?
……そうですか。では、私の役目は終わりですね」
王太子ロイド・ヴァルシュタインの婚約者として、
国と王宮を“滞りなく回す存在”であり続けてきた令嬢
マルグリット・フォン・ルーヴェン。
感情を表に出さず、
功績を誇らず、
ただ淡々と、最善だけを積み重ねてきた彼女に突きつけられたのは――
偽りの奇跡を振りかざす“聖女”による、突然の婚約破棄だった。
だが、マルグリットは嘆かない。
怒りもしない。
復讐すら、望まない。
彼女が選んだのは、
すべてを「仕組み」と「基準」に引き渡し、静かに前線から降りること。
彼女がいなくなっても、領地は回る。
判断は滞らず、人々は困らない。
それこそが、彼女が築いた“完成形”だった。
一方で、
彼女を切り捨てた王太子と偽聖女は、
「彼女がいない世界」で初めて、自分たちの無力さと向き合うことになる。
――必要とされない価値。
――前に出ない強さ。
――名前を呼ばれない完成。
これは、
騒がず、縋らず、静かに去った令嬢が、
最後にすべてを置き去りにして手に入れる“自由”の物語。
ざまぁは静かに、
恋は後半に、
そして物語は、凛と終わる。
アルファポリス女子読者向け
「大人の婚約破棄ざまぁ恋愛」、ここに完結。
婚約破棄された令嬢は、“神の寵愛”で皇帝に溺愛される 〜私を笑った全員、ひざまずけ〜
夜桜
恋愛
「お前のような女と結婚するくらいなら、平民の娘を選ぶ!」
婚約者である第一王子・レオンに公衆の面前で婚約破棄を宣言された侯爵令嬢セレナ。
彼女は涙を見せず、静かに笑った。
──なぜなら、彼女の中には“神の声”が響いていたから。
「そなたに、我が祝福を授けよう」
神より授かった“聖なる加護”によって、セレナは瞬く間に癒しと浄化の力を得る。
だがその力を恐れた王国は、彼女を「魔女」と呼び追放した。
──そして半年後。
隣国の皇帝・ユリウスが病に倒れ、どんな祈りも届かぬ中、
ただ一人セレナの手だけが彼の命を繋ぎ止めた。
「……この命、お前に捧げよう」
「私を嘲った者たちが、どうなるか見ていなさい」
かつて彼女を追放した王国が、今や彼女に跪く。
──これは、“神に選ばれた令嬢”の華麗なるざまぁと、
“氷の皇帝”の甘すぎる寵愛の物語。
婚約破棄された侯爵令嬢ですが、帝国の次席秘書官になりました ――王の隣ではなく、判断を誤らせない場所へ
ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として王宮に仕える侯爵令嬢ゼクレテァ。
彼女は華やかな場に立つことはなく、ただ静かに、しかし確実に政務と外交を支えていた。
――その役割が、突然奪われるまでは。
公の場で告げられた一方的な婚約破棄。
理由はただひとつ、「愛している相手がいるから」。
ゼクレテァは感情を見せることなく、その決定を受け入れる。
だが彼女が王宮を去った後、王国には小さな歪みが生じ始めた。
些細な行き違い、遅れる判断、噛み合わない政策。
それらはやがて、国家全体を揺るがす事態へと発展していく。
一方、行き場を失ったゼクレテァの前に、思いもよらぬ「選択肢」が差し出される。
求められたのは、身分でも立場でもない。
彼女自身の能力だった。
婚約破棄から始まる、
静かで冷静な逆転劇。
王の隣に立つことを拒んだ令嬢は、
やがて「世界を動かす場所」へと歩み出す――。
-
婚約者チェンジ? 義理の妹は公爵令嬢の地位もチェンジされました』 ~三日で破談、家ごと褫奪の末路です~
ふわふわ
恋愛
「お姉様の婚約者、私がいただきますわ。だって“公爵令嬢”ですもの」
義理の妹コンキュはそう言って、王太子との婚約を奪いました。
父はそれを容認し、私は静かに受け入れます。
けれど――
公爵令嬢とは“地位”ではなく、“責任”の継承者。
王宮で礼儀も実務も拒み、「未来の王太子妃」を名乗った義妹は、わずか三日で婚約破棄。
さらに王家への不敬と統治能力の欠如が問題視され、父の監督責任が問われます。
そして下されたのは――家ごとの褫奪。
一方で私は、領地を守り、帳簿を整え、静かに家を支え続ける。
欲しがったのは肩書。
継いだのは責任。
正統は叫びません。
ただ、残るだけ。
これは、婚約を奪われた公爵令嬢が
“本当に継がれるべきもの”を証明する物語。
婚約破棄したその場から、ざまぁは始まっていました
ふわふわ
恋愛
王国随一の名門、アルファルド公爵家の令嬢シャウラは、
ある日、第一王子アセルスから一方的に婚約を破棄される。
理由はただ一つ――
「平民出身の聖女と婚約するため」。
だが、その“婚約破棄したその場”で、ざまぁはすでに始まっていた。
シャウラは泣かず、怒らず、抗議もしない。
ただ静かに席を立っただけ。
それだけで――
王国最大派閥アルファルド派は王子への支持を撤回し、
王国最大の商会は資金提供を打ち切り、
王太子候補だったアセルスは、政治と経済の両方を失っていく。
一方シャウラは、何もしていない。
復讐もしない。断罪もしない。
平穏な日常を送りながら、無自覚のまま派閥の結束を保ち続ける。
そして王国は、
“王太子を立てない”という前代未聞の選択をし、
聡明な第一王女マリーが女王として即位する――。
誰かを裁くことなく、
誰かを蹴落とすことなく、
ただ「席を立った」者だけが、最後まで穏やかでいられた。
これは、
婚約破棄から始まる――
静かで、上品で、取り返しのつかないざまぁの物語。
「私は何もしていませんわ」
それが、最強の勝利だった。
侯爵令嬢の四十日間 ――均衡が国を変えるまで
ふわふわ
恋愛
婚約を解かれた侯爵令嬢。
けれど彼女は、泣きもしなければ争いもしなかった。
王都から距離を置いたその日から、国の流れはわずかに変わり始める。
事故が増え、交易は滞り、民の不安は静かに積もる。
崩壊ではない。
革命でもない。
ただ――“均衡”が失われただけ。
一方、北の地で彼女は何も奪わず、何も誇らず、ただ整える。
望まぬ中心。
求めぬ王冠。
それでも四十日後、国は気づく。
中心とは座る場所ではなく、
支える位置なのだと。
これは、復讐の物語ではない。
叫ばぬざまあ。
静かに国を変えた、侯爵令嬢の四十日間の記録。
---
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる