捨てられた令嬢と、選ばれなかった未来

鍛高譚

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第1章:婚約破棄と屈辱の夜

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 大舞踏会の華やかな音楽が一瞬途切れたかのように、会場が静寂に包まれる。直後に起こったのはざわめきの嵐。貴族たちは驚き、あるいは好奇の目を向け、あるいは心配そうにエミリアを見つめている。しかし、何よりもエミリア本人が一番驚いた。まさか、こんなに大勢の前で、正式に婚約破棄を言い渡されるなんて。

 あまりに一方的で、あまりに理不尽。アルバートの態度は、いったいいつからこんなに冷たくなったのか。――少なくとも、子どもの頃はもっと優しかった。彼女が病気で寝込んだときには見舞いに来てくれたし、初めての舞踏会でも恥をかかないようにとステップを教えてくれた。

 それが今では、公衆の面前で「地味で退屈な女」呼ばわりだ。それも王女という後ろ盾を得たからこそ、強気になっているのだろう。エミリアは唇を嚙みしめる。――もし、ここで素直に涙を流して取り乱すような態度を示したら、それこそ彼らの思うつぼだった。エミリアの矜持がそれを許さなかった。だが、あのまま何もせずに終わらせる気はない。

 「どうして、こんなに胸が痛むのに、涙が出ないのかしら……」

 彼女はただ静かに、自嘲気味につぶやいた。その言葉の裏には、怒りとも悲しみともつかない感情が渦巻いていた。アルバートとの思い出は決して虚偽ではない。少なくともエミリアにとっては、大切な記憶だった。しかし、それももう過去のものだと否応なしに突きつけられた今――彼女の心には大きな穴が開いてしまったのだ。

 けれど、ここで立ち止まってはいけない。公爵令嬢としての誇りも、ウィンスレット家の名誉もある。エミリアは自分のプライドをかき集めるようにして胸を張った。彼女にはまだ「戦う手段」があるのだ。少なくとも、公爵令嬢が簡単に踏みにじられるほど、この王国の貴族社会は甘くない。

 「アルバート様、今のは……本気でおっしゃっているのですか?」

 せめて本心かどうか確かめたい、という思いで彼女は問う。しかし、アルバートの答えは無情だった。

 「本気も本気だ。もうおまえとの婚約を続ける理由はない。……それどころか、国王陛下が近々、俺と王女殿下の結婚を承認するだろう。おまえみたいな女が貴族社会の華やかな場にいるのは、もう見飽きた。降りてもらおうか」

 あまりの言葉に、エミリアは怒りや悲しみを通り越して、自分がどういう表情をしているのかさえわからなくなっていた。しかし、このまま取り乱してはウィンスレット公爵家の名誉を汚すことになる。公爵家の長女であるという責任感が、ぎりぎりのところで彼女を支えていた。

 辺りを見渡すと、遠巻きに見ていた貴族たちの中には、明らかに面白がっている者もいれば、戸惑ってエミリアに同情の視線を向ける者もいる。特にリリアンは怒りで頬を紅潮させ、今にもアルバートへと詰め寄りそうな勢いだったが、エミリアは目で制した。

 (こんな場で争えば、余計に笑われるだけ――)

 彼女はゆっくりと息を吸い、深呼吸をする。王女の冷笑とアルバートの無情な言葉が突き刺さるようだったが、それでもここは毅然として振る舞うしかない。エミリアは静かに微笑みを作り、その場の人々に向けて軽く会釈をした。

 「……かしこまりました。では、その婚約破棄、喜んでお受けいたしますわ」

 驚愕の声があちこちから上がる。何しろ、侮辱されている当人が「喜んで受けます」と口にしたのだ。普通ならば泣き崩れるか、激昂して喚き散らすかしてもおかしくない。だが、エミリアはまるで何も痛痒を感じないかのように、優雅な微笑みを湛えている。

 その姿に、アルバートは面白くなさそうに眉をひそめる。王女クラリッサも少しばかり驚いたようだったが、やがて嘲るように口を開いた。

 「私としては、もう少し泣き叫んでくれた方が面白かったのだけれど。まあいいわ。あなたはここで身を引くのがお似合いよ、地味な公爵令嬢さん」

 クラリッサの言いように、エミリアの心中が掻き乱される。しかし、彼女は微笑みを崩さない。むしろ、これ以上ないほどの優雅さを保ったまま、そっと一礼し、呟いた。

 「――王女殿下のような眩しいお方を得られて、アルバート様はさぞお幸せでしょう。どうぞ末永くお幸せに」

 その言葉がかえって王女には尺に触ったのだろう。唇を歪め、鼻で笑うようにしていたが、エミリアはそんなことには構わず、踵を返すようにして人込みの中へと歩き出した。その姿は、周囲の貴族たちから見ても「恥をかいた令嬢」というよりは「凛として立ち去る淑女」に見えたに違いない。

 だが、立ち去った後、廊下の陰でエミリアは大きく息をつき、震える手をぎゅっと握りしめる。

 (――何という仕打ちでしょう。婚約破棄を通達されることは、ある程度予想していた。けれど、ここまで侮辱されるとは思わなかった)
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