『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚

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第9話:もっと近くにいてほしい

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第9話:もっと近くにいてほしい 

西園寺蓮と二人きりで食事をした夜から、数日が経った。
けれど、その夜の光景――静かなレストラン、いつもより柔らかい瞳、こぼれた孤独の告白――は、結衣の胸にまだ鮮明に残っていた。

冷徹で完璧な上司。
そう思っていたはずの蓮が、ほんの少し見せた弱さ。
それを思い出すたび、結衣の胸は知らぬ間に温かく、あるいは苦しく締めつけられた。

――私はいま、何を感じているんだろう?

答えはまだ出ない。ただ、蓮が以前とは違って見える。
その変化が、ひどく怖くて、でもどこか嬉しかった。


---

◆ 急な呼び出し

その日の午後。秘書課で大量の資料を整理していると、内線が鳴った。

「相沢。社長室まで来てくれ。」

蓮の深い声。
結衣は無意識に背筋を伸ばし、手帳を抱えて社長室へ向かった。

ドアをノックして入ると、蓮は窓際で静かに立ち、街を見下ろしていた。背中から伝わる空気が、いつもと違う。

「失礼します。相沢結衣、参りました。」

振り返った蓮の表情は、厳しさよりもむしろ……迷いを含んだ陰影があった。

「資料は後でいい。今日は――話をしたい。」

「……はい。」

結衣は胸の鼓動を抑えながら、蓮の正面の椅子に座った。


---

◆ 「無理をするな」と言う理由

蓮は手を組み、しばし沈黙した。
その沈黙が重く、けれどなぜか心地よくもあった。

「最近の仕事はどうだ?」

結衣は慎重に答える。

「少しずつですが慣れてきました。まだ至らない点が多くて……」

「相沢。」

蓮は言葉を切り、低く続けた。

「お前は十分やっている。だがな、無理をするなと言ったのは……お前が倒れでもしたら困るからだ。」

結衣は一瞬、時間が止まったように感じた。

「わ、私……そんなに無理して見えますか?」

「見える。」

即答だった。
蓮は目を伏せて小さく息を吐いた。

「誰より真面目で、誰より努力する。だからこそ、危うい。」

胸が、じんわり熱くなる。

怒られているわけじゃない。
心配……されている?

そんな実感が、くすぐったくて、少しだけ涙が出そうだった。


---

◆ 「お前がいると、楽になる」

しばらくの沈黙のあと、蓮は窓の外を見つめたまま言った。

「……相沢、お前がいてくれると少しだけ楽になる。」

結衣の心臓が跳ねた。

「っ……社長……?」

蓮はゆっくりと結衣に視線を戻し、その黒い瞳でまっすぐ彼女を射抜く。

「俺は、西園寺グループの後継として期待も重圧も全て背負っている。常に判断を誤れず、弱さを見せられない。だから……孤独だ。」

結衣は息をのむ。
蓮が自分の弱さを語るなんて、想像さえしたことがなかった。

「だが……」

蓮は机に置いた指を軽く握りしめた。

「お前がそばにいると、それが少しだけ消えるんだ。」

胸に、熱いものが込み上げた。
自分の存在が、蓮の支えになっている――
そう言われたことが、どうしようもなく嬉しい。


---

◆ 「もっと……近くにいてほしい」

そして。

蓮はゆっくりと椅子にもたれ、低い声で言った。

「相沢。……もっと近くにいてほしい。」

結衣の呼吸が止まった。

言葉の意味が曖昧で、怖いほど甘い。
仕事として? それとも――?

蓮の視線は真剣そのものだった。

「俺の仕事を支えるだけじゃない。……俺自身を支えてほしいと思う瞬間がある。」

まるで告白に近い言葉。
結衣の手が震えた。

「わ、私でよければ……その……精一杯努めます……!」

声が少し裏返り、結衣は慌てて視線を落とした。顔が火のように熱い。

蓮はそんな結衣を見て、わずかに微笑んだ。

「お前はそのままでいい。変わる必要はない。」

その柔らかな声が、胸の奥まで染み込む。


---

◆ 社長室を出たあと

結衣は社長室を出てからも、身体が熱くて仕方がなかった。

(もっと近くにいてほしい……って……どういう意味?
 もしかして……私……特別に思われてる……?)

疑問と期待と不安が入り混じり、足取りはふわふわと落ち着かない。

すれ違う同僚に「大丈夫?」と心配されるほど、表情に出ていた。


---

◆ 家で一人、眠れない夜

その夜。
結衣は布団の中で大きくため息をついた。

「……寝れない……」

蓮の声が、表情が、距離の近さが、頭から離れない。

(社長のこと……どう思ってるの? 私……)

答えの出ない問いが胸に渦巻き、心臓はいつもより速く脈打つ。
まるで恋の始まりを告げるように。

結衣はその鼓動を抑えようと胸に手を当てたが、余計に高鳴った。

「……こんなの、どうしたらいいの……?」

けれど、自分の心が蓮へと傾き始めている。それだけは、もう隠しようがなかった。
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