「白い結婚の終幕:冷たい約束と偽りの愛」

鍛高譚

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第二章:揺れる思惑

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息苦しさと決意

「アスカ様……。」

 応接室を出たところでリディアが申し訳なさそうに頭を下げた。おそらくリュミエール家に向けて何らかの報告をしたことを、アスカが責めるかもしれないと考えているのだろう。
 だが、アスカは責めるような視線を向けず、むしろ淡々とした調子で尋ねた。

「リディア、父と母はあなたに無理を言わなかった? 私のことを執拗に聞き出そうとしたりとか……。」
「はい……正直、少し厳しい口調で聞かれました。でも、私もアスカ様に不利になるようなことは申し上げておりません。そもそも、あなたがどんなに努力をされているか、私は知っていますから……。」
「そう。大丈夫ならいいの。むしろ、何か問題が起きたら早めに伝えてね。私も対処できるように準備したいし。」

 リディアの目には涙が浮かんでいた。親を含め、誰もアスカを真正面から助けようとはしていないのではないかと感じているのかもしれない。その気持ちはアスカ自身も同じだ。
 愛のない結婚、冷たい夫、敵意むき出しのセシリア、実家からの重圧……。息苦しさに押し潰されそうになるたび、何とか踏みとどまれるのは、ほんの少しの意地と、隣に寄り添ってくれるリディアの存在だけだった。

(私は“白い結婚”に囚われている。ただ、だからといって、このまま黙って従う気はない……。)

 自室へ戻る道すがら、アスカは自分の胸に再び誓う。公爵夫人としての務めを果たすということは、単におとなしく家のために尽くすことを意味しない。むしろ、自分の可能性を最大限に活かし、周囲を出し抜きながら最終的には自由を勝ち取る道を見つける――それこそが、彼女にとっての“生き残る術”だと確信し始めていた。

はじまる社交界への一歩

 翌日、アスカは執事や侍女たちと共に、数日後に迫る舞踏会への準備に着手した。リュミエール家にいた頃から、彼女は社交界の作法や舞踏を一通り学んでいる。しかし、公爵夫人として大勢の貴族の前に立つのはこれが初めてだ。
 舞踏会は侯爵家が主催で、王都の華やかな一角にある広間を貸し切って行われるという。多くの貴族が集まる場は、アスカにとって自分の存在を示せる数少ない機会だ。一方で、失敗すれば“公爵夫人失格”の烙印を押される危険もある。

(もしレイヴンが同行してくれれば、周囲からの目も違ってくるのに……。)

 淡い期待を抱きながら、アスカは思い切ってレイヴンの執事に面会を求めた。だが、帰ってきた返事は「公爵様は予定が詰まっており、おそらく舞踏会には顔を出せない」というもの。つまり、アスカは一人で出席するしかない。
 それでも引き下がるわけにはいかない。貴族社会の噂話は恐ろしいほど瞬く間に広がる。新婚の身で夫を伴わずに舞踏会に現れれば、その理由を憶測され、「公爵夫妻は既に不仲なのでは?」などと面白おかしく囃し立てられるだろう。それを逆手に取り、“公爵夫人の懐の深さ”を見せつけることができるかどうかが、アスカにとっての勝負となる。

「リディア、当日は私が失敗しないよう、念入りに支度をお願いね。衣装は少し派手なくらいでいいわ。存在感を示さなければ、すぐに噂の餌食になるだけ。」

 覚悟を決めるように、アスカの瞳には静かな炎が灯っていた。リディアは力強くうなずき、ドレス職人や髪結いなど、必要な手配を始める。
 同時に、アスカは社交界の動向を把握するため、手元にある情報をさらに精査した。どの貴族がどこと親交を持ち、誰が誰を敵視しているのか――そういったネットワークを把握するのは、これからの立ち回りに必須だからだ。

(レイヴンやセシリアがどんな顔をするかはわからないけど、私は私でやるべきことをやるだけ……。)

動き出す陰謀の気配

 舞踏会の準備を進めながら、アスカは同時に公爵家の財務問題にも少しずつ取り組んでいた。アーヴィング商会に対して支払われている莫大な金額、そしてその他の業者の冷遇――どれも気になる材料だ。
 そんなある日、アスカは使用人たちから奇妙な噂を耳にする。

「……最近、アーヴィング商会の手代がしばしば夜遅くに屋敷を訪れているらしい。公爵様が密談をしているとか、あるいは別の誰かと会っているとか……。」
「ひょっとすると、公爵様は裏で大きな投資か何かをしているんじゃないかって噂ですよ。セシリア様もその話に絡んでいるとか、いないとか……。」

 確証はない。ただの噂に踊らされるのも危険だが、それでも放っておけない内容だった。何しろ、アスカが抱いていた疑念と絶妙に符合する。それにセシリアの存在が絡むとなれば、一層きな臭い雰囲気が漂う。
 彼女は執事や秘書官にさりげなく探りを入れたが、皆一様に「私どもは存じ上げません」という答えしか返さない。あるいは、本当に何も知らないのかもしれない。
 だが、少なくともレイヴンとセシリアが何らかの“密かな計画”を共有している可能性は高まっている。アスカにとっては夫の動向以上に、自分の身に及ぶ影響を無視できない事態だ。

(私が社交界に顔を出すことと、この裏側で進む動き……もしかしたら、どこかで繋がっているのかもしれない。)

 公爵家という巨大な存在を舞台に、様々な思惑が交錯する。アスカが意図せず踏み込もうとしている領域は、単なる“家庭内の不和”ではなく、もっと大きな陰謀を孕んでいるのかもしれない。
 それが彼女の破滅をもたらすのか、それとも“ざまあ”と呼べる逆転劇のきっかけになるのか――いずれにせよ、もう後戻りはできないところまで来ている。

孤独を抱えながら

 夜、アスカは自室の灯りを落とし、窓際の椅子に腰掛けて外の景色を眺めていた。視線の先には、暗闇の中に沈む王都の街並みと、ちらほら灯る家々の明かりがある。
 彼女がここに来てから、既に一週間あまり。結婚式の日から振り返れば、華やかさとは程遠い、むしろ冷え切った時間を過ごしてきた。夫からはそっけない態度ばかり、愛人かもしれない女性が堂々と振る舞い、実家からは厳しい視線を注がれ……。
 それでも不思議と、彼女の心は完全に折れてはいなかった。むしろ、燃えるような闘志が少しずつ芽生えている。誰もが「ただの可哀想な人形嫁」と侮るなら、その油断を逆手に取ってやる――。

 リディアがそっと部屋に入ってきて、低い声で話しかける。
「アスカ様、明かりを落とされたままで何を……。」
「少し考えごとをしていたの。大丈夫よ。あなたももう休んで。」

 リディアは心配そうな顔をしたが、それ以上深く追及することはしなかった。ドアが閉まり、再び闇と静寂が部屋を包む。
 アスカは薄闇の中で瞼を閉じ、ゆっくりと息を整える。舞踏会まで、もうあまり日がない。そこでどう立ち回るかが、今後の道を左右すると言っても過言ではないだろう。
 同時に、レイヴンやセシリアの“裏の動き”を掴むためには、社交界で得られる情報が大いに役立つはずだ。もし彼女たちが策略を巡らせているなら、周囲の貴族や商人も何かしらの噂を知っているに違いない。

(私の知らないところで、何が動いているの……?)

 胸を掻きむしられるような不安に駆られながらも、アスカの決意は硬い。貴族社会であろうと、夫婦間であろうと、このまま翻弄されるだけの存在でいるつもりはないのだ。
 夜の静寂の中で、彼女は自分の中に湧き上がる意志を感じる。今はまだ小さな火かもしれない。だが、この火がいつか大きな炎となり、周囲の誰もが予想しない“ざまあ”へと繋がる時が来ると、彼女は信じてやまない。


---

 そうして訪れる舞踏会の当日まで、時間は刻一刻と進む。セシリアの存在感は増し、レイヴンは相変わらず不在がち。アスカの背後では実家の両親が苛立ちを募らせ、公爵家の使用人たちは二つの勢力――“公爵夫人”と“セシリア”の間でひそやかに揺れ動く。
 果たして、アスカは社交界という大海原でどのように立ち回り、公爵夫人としての地位を確立していくのか。そして、その裏で進む陰謀の正体は何なのか――。
 孤独と重圧を抱えながらも、彼女の足取りは止まらない。“白い結婚”の名に相応しい冷たい日々が続く中、すべての思惑は次なる幕へと向かっていく。

 薄曇りの朝、王都の街並みがかすかに白い霧に包まれている。光が明るさを取り戻す頃、アスカは一人、執務室の窓辺に立っていた。今日はいよいよ侯爵家主催の舞踏会が開かれる日だ。
 前回の舞踏会とは違い、アスカが“公爵夫人”として正式に社交界へデビューする場でもある。だが、肝心の夫であるレイヴンは、数日前から仕事だと言って屋敷を空けており、今のところまったく戻る気配がない。結局、アスカは単独での参加を余儀なくされていた。

(こんなにあからさまに放置されているのに、私はやはり一人で戦うしかないのか……。)

 窓の外を見つめるアスカの瞳には、一瞬悲しみの色が宿る。しかし、それをすぐさま消し去り、背筋を伸ばす。
 ここ最近、公爵夫人の地位と権限を行使しながら財務を調べ、複数の書類を確認してきたことで、彼女なりに状況がつかめてきた。レイヴンと“アーヴィング商会”の関係、セシリアの存在感、そして公爵家に滞在する使用人たちの微妙な空気――いずれもまだ断片的な情報しかないが、それらが確かに裏でつながっていることを直感している。
 今日の舞踏会は、華やかな社交の場であると同時に、貴族間の情報交換の場でもある。どんな噂が飛び交い、誰と誰がどう繋がっているのか――その一端を探るのは、アスカが自ら動くしかない。
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