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30話 王の天秤
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30話 王の天秤
国王の前で通貨比価と新しい計算道具の説明をした翌日、王宮財務局の空気は、もう露骨に変わっていた。
昨日までは「妙に数字の速い地方の娘」だったものが、今日は「陛下の前に出た娘」になっている。
最悪である。
廊下を歩けば、前よりはっきり人が道を空ける。若い書記官は目を輝かせ、高官たちは今度はあからさまに値踏みしない代わりに、別の意味で見てくる。持ち上げる気配も、警戒する気配も、どちらも面倒だ。
キャル・キュレイションは、控え室代わりの小部屋へ入るなり、本気で疲れた顔をした。
「増えましたね」
机の上に置かれた紙束を見て、ぽつりと言う。
通貨の追加照合。
造幣局の鋳造量比較。
市場流通の再整理。
そして、見慣れない封蝋の紙が一通。
向かいで先に来ていたルネ・ベルティエが、少し気まずそうに頷いた。
「増えました」
「嫌ですね」
「ええ」
最近この会話しかしていない気がする。
だが事実なのだから仕方ない。
「それは?」
キャルが封蝋を指すと、ルネは一度だけ咳払いをした。
「予算審議会からです」
嫌な予感しかしない。
「予算審議会?」
「はい」
ルネは紙を手に取り、簡潔に言った。
「今期予算の再配分で、各貴族家と各局から要求が山ほど出ているそうです」
「そうですか」
「そうです」
「それで、なぜここへ」
「財務局内で、先に整理したいと」
つまり、また入口扱いである。
公爵家でもそうだった。王宮監査室でもそうなった。通貨の件でも、結局そうなっている。
こういうのは、彼女を通せ。
とうとう国家予算でもその流れが来たのかと思うと、頭が痛かった。
「……最悪ですね」
「同感です」
ルネの返しに一切の迷いがないあたり、彼ももう慣れてきたのだろう。嬉しくない変化だった。
そこへ扉が叩かれた。
「入ります」
返事を待たずに入ってきたのは、財務局長その人だった。普段は人を呼びつける側の男が自ら来る時点で、ろくでもない。
キャルは立ち上がり、一応頭を下げた。
「おはようございます」
「うむ」
局長はいつものように簡潔だったが、今日は少しだけ硬い顔をしている。
「キュレイション嬢、少し来てもらう」
「予算審議会ですか」
「察しがいいな」
「最近、嫌な予感の精度が上がっていますので」
それには局長も、ほんのわずかに口元を動かした。笑ったというより、否定しなかっただけだろう。
「本審議の前だ」
彼は短く続ける。
「各家の要求一覧を先に整理したい」
「……各家」
その一言の重さに、キャルは少しだけ言葉を失った。
公爵家や一部局の帳簿とは違う。各家ということは、大貴族たちがそれぞれの理屈で金を欲しがる紙が山になっている、という意味だ。
想像しただけで読みにくい。
そして、間違いなく面倒だ。
「行けば分かる」
局長はそう言って踵を返した。
結局拒否権はないらしい。
ルネと顔を見合わせる。
「帰れますかね」
キャルがぼそりと聞くと、ルネは少しだけ考えたあと、実に正直に答えた。
「難しいでしょうね」
やはり最悪だった。
通された部屋は、監査室とも造幣局絡みの会議室とも違っていた。もっと広く、もっと静かで、そしてもっと嫌な空気がこもっている。
机の上にはすでに紙の山が積まれていた。
王家親衛隊増員要求。
西方街道補修費増額。
北方港湾整備前倒し案。
王立学舎追加予算。
祭礼特別支出。
南部貴族連名の防備費要請。
そのどれもが、一目で「中身より言い分が多そう」な題名をしている。
机の周りには、財務局の高官が三人。さらに局長。みな顔が険しい。紙の前で怒っている人間の顔だ。
「来たか」
局長が言う。
「はい」
「見ろ」
説明が短いのはありがたいが、短いからといって楽とは限らない。
キャルは机へ近づき、一番上の紙から順に目を走らせた。
やっぱりな、と思う。
金額。
理由。
情勢。
体面。
必要性。
いろんな言葉が並んでいるが、要するに全部「もっと寄越せ」だ。
しかも、それぞれの紙で単位の揃え方が違う。年額で出している家もあれば、季節ごとに割っている家もある。現行予算との差額で書いているところもあれば、総額だけ示しているところもある。
ひどい。
かなりひどい。
「……読みにくいです」
思わず本音が漏れる。
高官の一人が、疲れた顔のまま言う。
「知っている」
「皆、自分の都合で書いていますね」
「それも知っている」
「なら、なぜ最初から揃えないんですか」
今度は別の高官が言う。
「揃えたら通しにくい要求もあるからだろう」
ああ、そういうことか、とキャルは思った。
つまり最初から、比較されると困る紙が混ざっているのだ。だから書き方をずらし、単位を崩し、読む側に余計な手間を押しつける。
人間は本当に、都合が悪くなると書類を読みにくくする。
ある意味で一貫していて感心する。
「それで」
局長が低く言う。
「どう見る」
キャルは紙の山を見下ろしたまま考えた。
全部を一度に追うのは無駄だ。こういう時はまず、同じ土俵へ並べる。年額換算。現行差額。継続費か単年費か。生活基盤か体面支出か。そこまで分ければ、紙の向こうにいる人間の本音が見える。
「紙をください」
局長が顎で示す。すぐに新しい紙束が置かれた。
キャルはまず、項目だけを書いた。
要求元。
名目。
現行予算。
追加要求額。
年額換算。
継続性。
緊急性。
その下へ、上から順に紙を落としていく。
王家親衛隊増員要求――継続費。人件費が後から膨らむ。
西方街道補修費増額――一部は必要。だが見積もりが甘い。
祭礼特別支出――体面寄り。しかも“臨時”を毎年やっている。
南部貴族連名の防備費要請――理由は分かるが、積み方が大きすぎる。
王立学舎追加予算――要求そのものは悪くないが、年度内消化の計画が雑。
紙の上に並べていくと、だんだん見えてくる。
必要なものもある。
だが、必要に見せかけて膨らませているものも多い。
「……なるほど」
思わず漏らす。
「何か見えたか」
高官が訊く。
「利権ですね」
その一言で、部屋が少し静まった。
キャルは平然と続ける。
「全部ではありませんけど」
「どこがそう見える」
「例えばこれです」
祭礼特別支出の紙を指す。
「臨時支出の形を取っていますが、前年もその前も似た名目で取っています」
「祭礼は毎年あるだろう」
「なら最初から定常費に入れるべきです」
キャルはきっぱり言った。
「臨時扱いにして、その年ごとに追加を取るから、比較しにくくなっています」
高官の一人が腕を組む。
「それだけで利権とは言い切れん」
「ええ」
キャルは頷く。
「でも、比較されにくい形で毎年取る仕組みにはなっています」
局長が紙を覗き込み、低く言う。
「……たしかに」
キャルは次の紙へ指を移した。
「こっちもです。親衛隊増員要求。人件費本体より、装備更新と特別手当を別立てにしてあります」
「何が悪い」
「悪くはありません」
キャルは冷静に答える。
「でも、これを別紙にするなら、その次の年に本体へ戻るか、別枠のまま積み上がるかを書かないと比較できません」
高官たちが黙る。
局長も黙っている。
この沈黙は分かりやすい。図星の時の沈黙だ。
キャルは淡々と紙を揃えた。
「つまり、皆さん」
一拍置く。
「見られると困る形で要求しています」
その言葉に、今度は高官の一人が本気で小さく笑った。
「痛いな」
もう一人も、疲れたように息を吐く。
「まったくだ」
局長だけは無表情のままだが、紙を見る目が少しだけ変わっていた。
「……整理表を作れ」
「もう作っています」
キャルは答えた。
「終わったら、それぞれを同じ単位で並べます」
「緊急性も」
「はい」
「必要性も」
「はい」
「体面費も見分けられるか」
キャルは少しだけ考えてから言った。
「全部は無理です」
「そうか」
「でも、“体面を必要性の顔で書いている紙”はだいたい分かります」
局長の口元が、ほんの少しだけ動いた。
それを笑いと呼んでいいか分からない程度の変化だったが、少なくとも不快ではなさそうだった。
ルネが横で整理表を受け取り、目を走らせる。
「……これは」
「何か」
「見やすい」
その感想に、キャルは少しだけ遠い目をした。
「そこへたどり着くまでが大変なんです」
「知っています」
「なら最初から皆さんが揃えてくだされば」
「それはたぶん、今後も難しいでしょうね」
やはり最悪だった。
作業を続けるうちに、紙の山は少しずつ意味のある列へ変わっていった。継続費。単年費。緊急。擬装された体面費。比較不能なまま出された要求。前年との差が大きすぎるもの。
こうして同じ土俵へ並べると、急に威張っていた要求ほどみすぼらしく見えることがある。
それが数字の面白いところで、同時に残酷なところでもあった。
夕方近くになった頃、局長が整理表を手に取り、長く息を吐いた。
「……これなら審議会で使える」
その一言が、ずしりと落ちた。
つまりこの紙は、ただの下書きでは終わらない。予算審議会の場に出る。大貴族たちの前に出る。要求を並べ、比較し、削るための紙になる。
キャルはそれを理解して、少しだけ頭が痛くなった。
「嫌そうだな」
局長が言う。
「嫌です」
キャルは即答した。
「ど真ん中に出る紙じゃないですか、これ」
「そうだな」
「最悪ですね」
「だが必要だ」
局長はそれ以上飾らなかった。
必要。
その一言で押し切られるのは、公爵アルフォンスと少し似ているな、とキャルは思った。
違うのは、こちらの“必要”には大貴族たちの利権が絡んでいることだ。
その分だけ、面倒も深い。
部屋を出たあと、ルネが小さく言った。
「予算審議会、たぶん荒れます」
「でしょうね」
キャルは疲れた声で答える。
「だって皆、見られたくない形で出しているんでしょう」
「そうですね」
「それを同じ単位で並べろって言うんですから」
「ええ」
「最悪です」
またそれか、と自分でも思った。
だが他に言いようもない。
王宮に来てから、ずっとそうだ。役に立つと分かるたび、紙が集まり、人が寄り、立場の差が濃くなり、そして自分はその中心に少しずつ引きずられていく。
これはきっと、王太子シリルが言っていた“面白い”の先にあるものなのだろう。
キャルとしては、少しも面白くなかったが。
国王の前で通貨比価と新しい計算道具の説明をした翌日、王宮財務局の空気は、もう露骨に変わっていた。
昨日までは「妙に数字の速い地方の娘」だったものが、今日は「陛下の前に出た娘」になっている。
最悪である。
廊下を歩けば、前よりはっきり人が道を空ける。若い書記官は目を輝かせ、高官たちは今度はあからさまに値踏みしない代わりに、別の意味で見てくる。持ち上げる気配も、警戒する気配も、どちらも面倒だ。
キャル・キュレイションは、控え室代わりの小部屋へ入るなり、本気で疲れた顔をした。
「増えましたね」
机の上に置かれた紙束を見て、ぽつりと言う。
通貨の追加照合。
造幣局の鋳造量比較。
市場流通の再整理。
そして、見慣れない封蝋の紙が一通。
向かいで先に来ていたルネ・ベルティエが、少し気まずそうに頷いた。
「増えました」
「嫌ですね」
「ええ」
最近この会話しかしていない気がする。
だが事実なのだから仕方ない。
「それは?」
キャルが封蝋を指すと、ルネは一度だけ咳払いをした。
「予算審議会からです」
嫌な予感しかしない。
「予算審議会?」
「はい」
ルネは紙を手に取り、簡潔に言った。
「今期予算の再配分で、各貴族家と各局から要求が山ほど出ているそうです」
「そうですか」
「そうです」
「それで、なぜここへ」
「財務局内で、先に整理したいと」
つまり、また入口扱いである。
公爵家でもそうだった。王宮監査室でもそうなった。通貨の件でも、結局そうなっている。
こういうのは、彼女を通せ。
とうとう国家予算でもその流れが来たのかと思うと、頭が痛かった。
「……最悪ですね」
「同感です」
ルネの返しに一切の迷いがないあたり、彼ももう慣れてきたのだろう。嬉しくない変化だった。
そこへ扉が叩かれた。
「入ります」
返事を待たずに入ってきたのは、財務局長その人だった。普段は人を呼びつける側の男が自ら来る時点で、ろくでもない。
キャルは立ち上がり、一応頭を下げた。
「おはようございます」
「うむ」
局長はいつものように簡潔だったが、今日は少しだけ硬い顔をしている。
「キュレイション嬢、少し来てもらう」
「予算審議会ですか」
「察しがいいな」
「最近、嫌な予感の精度が上がっていますので」
それには局長も、ほんのわずかに口元を動かした。笑ったというより、否定しなかっただけだろう。
「本審議の前だ」
彼は短く続ける。
「各家の要求一覧を先に整理したい」
「……各家」
その一言の重さに、キャルは少しだけ言葉を失った。
公爵家や一部局の帳簿とは違う。各家ということは、大貴族たちがそれぞれの理屈で金を欲しがる紙が山になっている、という意味だ。
想像しただけで読みにくい。
そして、間違いなく面倒だ。
「行けば分かる」
局長はそう言って踵を返した。
結局拒否権はないらしい。
ルネと顔を見合わせる。
「帰れますかね」
キャルがぼそりと聞くと、ルネは少しだけ考えたあと、実に正直に答えた。
「難しいでしょうね」
やはり最悪だった。
通された部屋は、監査室とも造幣局絡みの会議室とも違っていた。もっと広く、もっと静かで、そしてもっと嫌な空気がこもっている。
机の上にはすでに紙の山が積まれていた。
王家親衛隊増員要求。
西方街道補修費増額。
北方港湾整備前倒し案。
王立学舎追加予算。
祭礼特別支出。
南部貴族連名の防備費要請。
そのどれもが、一目で「中身より言い分が多そう」な題名をしている。
机の周りには、財務局の高官が三人。さらに局長。みな顔が険しい。紙の前で怒っている人間の顔だ。
「来たか」
局長が言う。
「はい」
「見ろ」
説明が短いのはありがたいが、短いからといって楽とは限らない。
キャルは机へ近づき、一番上の紙から順に目を走らせた。
やっぱりな、と思う。
金額。
理由。
情勢。
体面。
必要性。
いろんな言葉が並んでいるが、要するに全部「もっと寄越せ」だ。
しかも、それぞれの紙で単位の揃え方が違う。年額で出している家もあれば、季節ごとに割っている家もある。現行予算との差額で書いているところもあれば、総額だけ示しているところもある。
ひどい。
かなりひどい。
「……読みにくいです」
思わず本音が漏れる。
高官の一人が、疲れた顔のまま言う。
「知っている」
「皆、自分の都合で書いていますね」
「それも知っている」
「なら、なぜ最初から揃えないんですか」
今度は別の高官が言う。
「揃えたら通しにくい要求もあるからだろう」
ああ、そういうことか、とキャルは思った。
つまり最初から、比較されると困る紙が混ざっているのだ。だから書き方をずらし、単位を崩し、読む側に余計な手間を押しつける。
人間は本当に、都合が悪くなると書類を読みにくくする。
ある意味で一貫していて感心する。
「それで」
局長が低く言う。
「どう見る」
キャルは紙の山を見下ろしたまま考えた。
全部を一度に追うのは無駄だ。こういう時はまず、同じ土俵へ並べる。年額換算。現行差額。継続費か単年費か。生活基盤か体面支出か。そこまで分ければ、紙の向こうにいる人間の本音が見える。
「紙をください」
局長が顎で示す。すぐに新しい紙束が置かれた。
キャルはまず、項目だけを書いた。
要求元。
名目。
現行予算。
追加要求額。
年額換算。
継続性。
緊急性。
その下へ、上から順に紙を落としていく。
王家親衛隊増員要求――継続費。人件費が後から膨らむ。
西方街道補修費増額――一部は必要。だが見積もりが甘い。
祭礼特別支出――体面寄り。しかも“臨時”を毎年やっている。
南部貴族連名の防備費要請――理由は分かるが、積み方が大きすぎる。
王立学舎追加予算――要求そのものは悪くないが、年度内消化の計画が雑。
紙の上に並べていくと、だんだん見えてくる。
必要なものもある。
だが、必要に見せかけて膨らませているものも多い。
「……なるほど」
思わず漏らす。
「何か見えたか」
高官が訊く。
「利権ですね」
その一言で、部屋が少し静まった。
キャルは平然と続ける。
「全部ではありませんけど」
「どこがそう見える」
「例えばこれです」
祭礼特別支出の紙を指す。
「臨時支出の形を取っていますが、前年もその前も似た名目で取っています」
「祭礼は毎年あるだろう」
「なら最初から定常費に入れるべきです」
キャルはきっぱり言った。
「臨時扱いにして、その年ごとに追加を取るから、比較しにくくなっています」
高官の一人が腕を組む。
「それだけで利権とは言い切れん」
「ええ」
キャルは頷く。
「でも、比較されにくい形で毎年取る仕組みにはなっています」
局長が紙を覗き込み、低く言う。
「……たしかに」
キャルは次の紙へ指を移した。
「こっちもです。親衛隊増員要求。人件費本体より、装備更新と特別手当を別立てにしてあります」
「何が悪い」
「悪くはありません」
キャルは冷静に答える。
「でも、これを別紙にするなら、その次の年に本体へ戻るか、別枠のまま積み上がるかを書かないと比較できません」
高官たちが黙る。
局長も黙っている。
この沈黙は分かりやすい。図星の時の沈黙だ。
キャルは淡々と紙を揃えた。
「つまり、皆さん」
一拍置く。
「見られると困る形で要求しています」
その言葉に、今度は高官の一人が本気で小さく笑った。
「痛いな」
もう一人も、疲れたように息を吐く。
「まったくだ」
局長だけは無表情のままだが、紙を見る目が少しだけ変わっていた。
「……整理表を作れ」
「もう作っています」
キャルは答えた。
「終わったら、それぞれを同じ単位で並べます」
「緊急性も」
「はい」
「必要性も」
「はい」
「体面費も見分けられるか」
キャルは少しだけ考えてから言った。
「全部は無理です」
「そうか」
「でも、“体面を必要性の顔で書いている紙”はだいたい分かります」
局長の口元が、ほんの少しだけ動いた。
それを笑いと呼んでいいか分からない程度の変化だったが、少なくとも不快ではなさそうだった。
ルネが横で整理表を受け取り、目を走らせる。
「……これは」
「何か」
「見やすい」
その感想に、キャルは少しだけ遠い目をした。
「そこへたどり着くまでが大変なんです」
「知っています」
「なら最初から皆さんが揃えてくだされば」
「それはたぶん、今後も難しいでしょうね」
やはり最悪だった。
作業を続けるうちに、紙の山は少しずつ意味のある列へ変わっていった。継続費。単年費。緊急。擬装された体面費。比較不能なまま出された要求。前年との差が大きすぎるもの。
こうして同じ土俵へ並べると、急に威張っていた要求ほどみすぼらしく見えることがある。
それが数字の面白いところで、同時に残酷なところでもあった。
夕方近くになった頃、局長が整理表を手に取り、長く息を吐いた。
「……これなら審議会で使える」
その一言が、ずしりと落ちた。
つまりこの紙は、ただの下書きでは終わらない。予算審議会の場に出る。大貴族たちの前に出る。要求を並べ、比較し、削るための紙になる。
キャルはそれを理解して、少しだけ頭が痛くなった。
「嫌そうだな」
局長が言う。
「嫌です」
キャルは即答した。
「ど真ん中に出る紙じゃないですか、これ」
「そうだな」
「最悪ですね」
「だが必要だ」
局長はそれ以上飾らなかった。
必要。
その一言で押し切られるのは、公爵アルフォンスと少し似ているな、とキャルは思った。
違うのは、こちらの“必要”には大貴族たちの利権が絡んでいることだ。
その分だけ、面倒も深い。
部屋を出たあと、ルネが小さく言った。
「予算審議会、たぶん荒れます」
「でしょうね」
キャルは疲れた声で答える。
「だって皆、見られたくない形で出しているんでしょう」
「そうですね」
「それを同じ単位で並べろって言うんですから」
「ええ」
「最悪です」
またそれか、と自分でも思った。
だが他に言いようもない。
王宮に来てから、ずっとそうだ。役に立つと分かるたび、紙が集まり、人が寄り、立場の差が濃くなり、そして自分はその中心に少しずつ引きずられていく。
これはきっと、王太子シリルが言っていた“面白い”の先にあるものなのだろう。
キャルとしては、少しも面白くなかったが。
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