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第2話 “祝福”の裏で凍える心
しおりを挟むステラリア家の婚約発表の日。
夜明け前の屋敷は、まるで戦場前の軍営のようにざわついていた。
侍女長は剣呑な顔で廊下を進み、侍女たちは走り回り、下働きの男たちは大量の荷物を運び込む。
(……お祭りでも始まるの?)
そんな場違いな感想が頭をよぎるくらいには、カリナの心はどこか遠くにあった。
寝台から半ば引きずり起こされ、ぼんやりと窓辺に腰掛ける。
「お嬢様、本日は大切な日です。お支度へ参りましょう」
「……はい」
“大切な日”――
そう言われる度に胸がひやりとする。
本来なら、ドレスに心を弾ませるはずなのに、今日の陽光は薄く見えた。
どこか、自分だけ別世界に閉じ込められているような気さえする。
◆純白のドレスは、美しすぎる檻
支度部屋に入ると、すでに侍女たちと仕立て職人がずらりと並んでいた。
「お嬢様、お時間がありません!さあ、こちらへ!」
父が“外聞のため”に取り寄せた純白のドレスは、金糸と真珠が贅沢に散りばめられ、ひと目で高価とわかる一着だ。
侍女長はうっとりとため息を漏らし、
「まさに伯爵令嬢のためのドレスですわ……」
と目を細める。
だが、鏡に映るカリナは笑わない。
豪華な衣装を纏うほど、心が空っぽになるような気がした。
(人形に着せ替えされてるみたい……)
子どもの頃から何度も感じてきた“あの感覚”が、今日はさらに強い。
周囲は喜びの言葉を口にしているのに、カリナにとっては息苦しさしかない。
◆“祝福の庭”なのに、何も感じない
準備が終わると庭で待つよう命じられた。
石造りのアーチをくぐり抜け、テラスへ出る。
初夏の風が淡い金髪を揺らした。
満開のバラ。
歌う小鳥たち。
上機嫌な陽光。
いつもなら絵筆を取らずにはいられない風景なのに、色が全部褪せて見える。
「本日のお天気はお嬢様を祝福しているようですわね」
「……ええ、ありがとうございます」
微笑んだつもりが、頬がうまく動かない。
◆豪華な大広間、そして“鉄の貴公子”
やがて執事がやってきて、婚約発表のため大広間へ案内すると告げた。
すでに多くの招待客が集まっている。
きらびやかな衣装、宝石の光、華やかな香水。
「おめでとうございます」「お美しいですわ」
そんな言葉の嵐に、カリナは仮面の微笑みを貼り付けて応える。
だが、心の奥は凍ったままだ。
ふと、ひときわ目立つ黒いタキシードの青年を見つけた。
エドリック・ヴェイル。
今日から“婚約者”と呼ばれる人物。
完璧な立ち居振る舞い、切れ味のいい横顔。
噂に違わず美しい――けれど、その眼差しは冷たい氷のようだった。
カリナに視線を向けた彼の瞳は、
“ああ、そこにいたのか”
とでも言うように淡々としていた。
胸が少しだけ痛む。
◆“発表”は、まるで契約書の朗読
司会役が声を張り上げる。
「これより、婚約発表を行います!」
注目が集まる中、エドリックとともに壇上に立つ。
花とリボンに囲まれた舞台は、絵のように華やかだった。
父が胸を張り、よく通る声で宣言する。
「カリナ・ステラリアとエドリック・ヴェイル様は、正式に婚約する運びとなりました!」
拍手が波のように押し寄せる。
(……これが、私の未来)
目の前が少しだけ霞んだ。
続いてエドリックが事務的な口調で挨拶する。
「両家の発展に努めてまいります。本日はありがとうございました」
――政略結婚。
――愛など介在しない。
――必要なのは“家の結びつき”。
その全てを象徴するような言葉だった。
◆宴の影で、にじむ“現実”
発表が終わると宴が始まる。
豪華な料理。
金細工の器。
音楽隊の調べ。
人々の笑い声。
皆が祝福を口にし、未来を語る。
……そのくせ、誰も“カリナ本人の気持ち”には興味を持たない。
「おめでとうございます、カリナ様」
「まあ、なんて美しい!」
彼らの言葉が刺すように心を削っていく。
そんな中、視線の端に真紅のドレスの女性が映った。
エドリックの隣に寄り添うように立ち、妖艶に笑う女性。
噂に聞いた“愛人”だ。
彼女はちらりとカリナを見て、
“勝者の余裕”
とも言える視線を投げつけた。
胸が焼けるように痛む。
(……やっぱり。私が必要なのは“血筋”だけ)
拳を握るしかなかった。
◆深い夜、閉じ込められた夢
宴が終わり、部屋に戻る。
ドレスを脱ぐと、重りが外れたように疲労が押し寄せた。
机の上のスケッチブックに視線が吸い寄せられる。
指先でそっとなぞる。
だが、筆は握れない。
(この夢……消えてしまうの?)
答えは出ないまま、ベッドに腰掛ける。
父も屋敷の誰も、
祝福をくれた人々も、
婚約者のエドリックさえも、
カリナの“気持ち”を見てはいない。
今日という日は伯爵令嬢としては最高の栄誉。
しかしカリナにとっては、“自由を閉じ込められた最悪の日”でもあった。
……それでも。
胸の奥で、小さな火種のような反抗心が、かすかに灯り続けていた。
――その光が、やがて彼女の運命を揺るがすとは、誰も知らない。
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