婚約破棄されたので頑張るのをやめました 〜昼寝と紅茶だけの公爵令嬢なのに、なぜか全部うまくいきます〜あ

鍛高譚

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8話

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夕暮れ時、試作品の瓶が木箱に詰められ、馬車へ積み込まれる。行き先は王都の高級レストラン〈ル・グラン・ロワ〉。シェフに試飲してもらうためだ。
 シャルは満足げに見送り、温室のベンチへ戻る。長い一日を振り返り、ふわぁと欠伸。

「ふむ……今日は頑張りすぎましたわね。明日は昼まで寝坊しなくちゃ」

 マルグリットが苦笑しつつ毛布をかける。
「お嬢様、実験だけでなく名称、流通ルートまで……“頑張らない”はずが」

「これは趣味ですもの。頑張ったわけではなく、楽しんだだけ」

 そう言い、シャルは葡萄ジュースの残りを一口。優しい甘さが喉を滑り、体に溶ける。

「ねえマルグリット。ワインで乾杯する人たちの横で、妊婦さんや子どもたちも同じグラスで“乾杯”できたら……素敵ですわよね」

「……はい。とても」

 侍女長の目尻に、ほんのり涙が浮かぶ。シャルは照れ隠しに視線を逸らし、夕焼け色の温室天井を見上げた。

「ま、宣伝効果も抜群でしょうし?」

 悪戯っぽく笑ったその横顔を、マルグリットは誇らしげに見つめる。
 こうして生まれた“アルベール・レザン・ロワイヤル”は、後に“王妃の御前ジュース”として王都を席巻し、ワインと並ぶ看板商品へ成長する。けれど今はまだ、温室に甘い香りと笑い声が残るだけ。

 シャルは毛布にくるまり、満足そうに目を閉じた。
 夕闇の中、ランプの灯が揺らめき、ぶどうの葉影が天井に踊る。
 彼女の小さな“趣味”は、静かに、けれど確実に世界を甘く塗り替え始めていた。

 王都随一の高級レストラン〈ル・グラン・ロワ〉――。
 夜の帳が降りる頃、そのファサードに掲げられた金獅子の紋章は、通りを行き交う馬車のランタンを映して煌々と輝いていた。宮廷料理長経験者であるギヨーム・ド・ラフィットが腕を振るう店内は、いつもなら予約半年待ちの貴族たちでぎゅうぎゅうだが、今夜はさらに熱気が違う。
 理由はただ一つ。
 「アルベール領から届いた“謎の新作ワイン”が試飲できるらしい」
 ――そんな噂が昼過ぎに飛び交い、瞬く間に王都じゅうのグルメマダムたちを騒然とさせたのだ。

 「お待たせいたしました。本日の特別セレクション、ヴィーニュ・ド・ネージュ ’89・試験醸造ロットでございます」
 ギヨームがそう告げると、シャンデリアの光を集めた深紅の液体が、まるで宝石のようにグラスへ注がれる。鼻を近づけた瞬間、花束を抱え込んだかのような芳香が弾け、客たちは息を呑んだ。
 「……ローズとヴァイオレット、それに完熟プラム。なのに余韻は柑橘のように軽やか」
 「樽香が主張しすぎない。酸とタンニンがこれほど優しく共存するなんて……」
 熱心なワイン通たちが矢継ぎ早にテイスティングノートを囁く。ギヨームは満足げに頷き、ひそかに胸を張った。自分の舌が確かであったことを確信したからだ。

 そこへ、王宮の給仕頭が血相を変えて駆け込んで来た。
 「そのワイン、今夜の宮廷晩餐会に出したい! 至急、数ケース分けてくれ!」
 ギヨームは「数ケース!? 試験ロットゆえ在庫は十数本しか……」と慌てたが、給仕頭は食い下がらない。結局、店が保有するボトルの半分が王宮へ搬入されることになった。
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