婚約破棄されたので頑張るのをやめました 〜昼寝と紅茶だけの公爵令嬢なのに、なぜか全部うまくいきます〜あ

鍛高譚

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9話

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 夜八時、王宮大晩餐室。
 天井画を飾る黄金の天使たちの下、国王グスタフ三世がグラスを掲げる。赤紫の液面が燭台の炎を映し、ゆらりと揺れた。
 「ほう……香りだけで酔いそうだな」
 囁くように言ってから一口。重厚な王の眉が、ふわりとほどけた。
 「……これは、我が人生で最高のワインだ」
 その一言が爆弾だった。参列していた大公、侯爵、そして各国の大使たちが一斉にソムリエを呼び止め、銘柄を尋ねる。
 「アルベール公爵領産……? 聞いたことがないが」
 「確保しろ、全樽だ! いや、畑ごと買収するか!?」
 ――情報戦が始まる。が、その裏で震える人物が一人。王太子アルフォンスだ。

 彼はグラスのラベルに刻まれた雪の紋様を見た瞬間、顔から血の気が引いた。
 (アルベール領……まさか、シャルの?)
 気のせいだと思いたい。しかし口に含めば否応なく悟る。シャルがよく「花の香りが足りませんわね」と評していた、あの未完成の若いワイン――それが完全体となって眼前にある。
 (逃した魚は……鯨だったか)
 胸がきゅっと痛む。隣席のレミィ・ブランシュが「殿下、顔色が」と心配そうに覗き込むが、アルフォンスは作り笑いで誤魔化すしかなかった。


 一方その頃、王妃付きの控え室。
 身重の王妃と、子ども連れの貴族夫人たちのテーブルには、赤ワインと同じボトル形状ながら、透き通った紫色の液体が並んでいた。
 「まあ、ぶどうジュース? でも香りが尋常ではないわ」
 王妃が恐る恐る口をつけ、瞳を丸くする。
 「……果実をまるごと飲んでいるみたい!」
 子どもたちは「おいしい!」「もう一杯!」と大はしゃぎ。妊婦も子どもも、王族も平民も隔てなく楽しめる――そのコンセプトは瞬時に王妃の心を射抜いた。

 「製造元はどこ?」
 「アルベール公爵領とのことです」
 「追加で取り寄せなさい。王宮の常備品にします」
 その場で“王妃御前ジュース”の称号が決定。これが翌日の新聞に踊り、さらに王都を沸かせるのだが、今はまだ静かな胎動に過ぎない。


晩餐会終了後、王太子は給仕頭を捕まえ、必死に問いただした。
 「このワイン、正真正銘アルベール領産なのか?」
 「は、はい。公爵令嬢シャル・ド・ネ・アルベール様の個人レシピと伺っております」
 答えを聞いた瞬間、アルフォンスの胃がきゅうっと攣った。後悔の念が津波のように押し寄せる。レミィが袖を引くが、彼は気付かない。
 (俺は“真実の愛”を選んだ? 馬鹿な……!)
 王太子は急ぎ自室へ戻り、胃薬を探した。けれど侍医に処方されたばかりの白い錠剤は、もう底をついている。


翌朝の王都。
 新聞の号外には《国王陛下絶賛! 新星ワイン、アルベール領から》と太字の見出し。別紙では《妊婦も子どもも乾杯! 王妃御前ジュース誕生》が躍る。
 街の酒商は開店前から行列、ティーサロンでは「シャル令嬢は失意どころか天才醸造家だったらしいわよ」と話題沸騰。
 かくして“王都バズり事件”は、瞬く間に全土を席巻した。
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