婚約破棄されたので頑張るのをやめました 〜昼寝と紅茶だけの公爵令嬢なのに、なぜか全部うまくいきます〜あ

鍛高譚

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15話

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同じ頃、公爵邸。
 クッション山の頂で寝返りを打ったシャル・ド・ネ・アルベールは、ぼんやり瞼を開けた。
 「……何か、面白い夢を見ていた気がしますわ」
 枕元には最新号の《エレガント・タイムズ》。侍女が「焚き付け用に」と置いていったものだ。シャルはぱらりと見出しを眺め、首を傾げる。

 『危険なワイン』――?
 「ふふ……ワインに嫉妬するなんて、人間って可愛いですわね」

 そう呟き、彼女は新聞を折り畳んで目隠しにし、再び眠りの海へ身を委ねた。
 その背後で、月光が静かに揺れ、遠く王宮の塔の上空で雷雲がうごめいている。
 けれどアルベール領の夜空は、相変わらず星が瞬き、穏やかな夢の子守歌を奏でていた。

 午後三時。
 公爵邸のサロンは、窓から差し込む柔らかな陽光と、バターと砂糖が溶け合った甘い香りで満たされていた。
 レースのカーテン越しに揺れる若葉を眺めながら、シャル・ド・ネ・アルベールは山のように積んだクッションの頂上に寝そべり、片手でスコーンをひとかじり。クロテッドクリームと苺ジャムがふわりと混ざり合い、口いっぱいに幸福が広がる。

「――はぁ、今日も世界は平和ですわね」

 頬を緩ませた瞬間、サロンの扉が勢いよく開いた。
 「お嬢様! 大変でございますっ!!」
 息せき切って飛び込んできたのは、いつもの領地管理官ロベール。手には新聞の号外と分厚い書類束を抱え、額には汗がにじんでいる。
 続いて執事ジャンと侍女長マルグリットも入室。二人は相変わらず落ち着いていたが、その背後でメイドたちが「今日は何パーセント増かしら」と小声で賭けをしている。

 シャルは首だけ動かし、ロベールを見下ろした。
 「ロベール、サロンは室内ですわ。走ると汗が落ちてカーペットが汚れます」
 「し、失礼……ですがご覧ください!」

 バサッと号外を広げる。見出しには《王太子殿下、偽記事騒動で陛下の雷》と大きく躍り、その横に“情報操作失敗”や“編集長逮捕”といった刺激的な文字が並んでいた。

 シャルはスコーンをもう一口。
 「まぁ、大変ですわね。――それより、このスコーン、今日はレモンピールが多めでとても良い感じですわ。マルグリット、あとで厨房を褒めておいて」
 「かしこまりました」
 侍女長が優雅に一礼する横で、ロベールが紙を震わせた。

 「お、お嬢様!? 殿下が陛下から叱責を――」
 「叱責は健康に良いそうですわよ? 血行が良くなるとか」
 「……そんな医学聞いたことありません!」

 悲鳴じみた声に、シャルは肩をすくめる。
 「では、わたくしのワインとジュースが危険だという記事は、嘘だったと広まったわけですわね?」
 「は、はい! それで――」
 ロベールは新たな書類束を掲げた。
 「王宮から正式に、ワイン二千ケースとジュース三千ケースの追加発注が! 納期は『最優先で』とのことです!」

 サロンがざわついた。メイドたちは口元を押さえて歓声を堪え、ジャンは「なるほど」と眼鏡を押し上げる。
 シャルは紅茶を啜り、ふむと小さく頷いた。

 「では、今期の売上はさらに跳ね上がりますわね。――ロベール、私の“昼寝予算”はどのくらい増えます?」
 「ひ、昼寝予算……でございますか?」
 「ええ。より良い眠りのために、シルクのパジャマを新調したいですの。ついでに枕もグースダウンの特注品に」
 「し、シルクとグースダウン……っ!」
 ロベールは気絶寸前の顔色で帳簿をめくる。そこへジャンが静かに助け舟を出した。

 「お嬢様、利益剰余金から充分に賄えます。寄付予定分を差し引いても、余裕がございます」
 「まぁ素敵。では寄付も予定通り、孤児院と療養院へ半分ずつ」
 「承知いたしました」
 ジャンがペンを走らせるたび、ロベールの口から魂が抜けていく。

 シャルはクッションの山をずり下り、テーブルの前に腰を下ろした。
 「ロベール、大変な数字仕事ばかりでお疲れでしょう? スコーンをどうぞ」
 「い、いえ私は……」
 「遠慮は体に毒ですわよ」
 にこりと微笑まれ、ロベールは観念したように一つ手に取った。サクッという軽快な音とともに、バターとレモンの香りが弾ける。

 「……う、旨い」
 硬派な管理官の頬がとろけ、メイドたちが「やっぱりね」と微笑を交わす。
 シャルは満足げにうなずき、ティーカップを掲げた。

 「世界がどれだけ騒いでも、紅茶とスコーンがあれば平和ですわね」
 「まったくでございます」
 ジャンが穏やかに相槌を打ち、マルグリットがポットに湯を足す。サロンには湯気と甘い香りと、さざ波のような笑い声。

 窓の外では夕陽が金色から茜へと色を変え、葡萄畑の稜線を静かに染めていく。
 ――王太子の悲鳴も、宮廷顧問の逮捕劇も、この場所までは届かない。届くのは、遠く鐘楼から聞こえる時の音と、暖炉で弾ける薪のパチパチという囁きだけ。

 シャルはそっと目を細めた。
 「ねぇロベール。今夜は星が綺麗そうですわ。帳簿は明日にして、少し空を眺めてはいかが?」
 「は、はい……お嬢様のお言葉、胸に刻みます」
 「刻むほどのことではありませんわ。――だって、頑張りすぎは体に毒ですもの」

 ロベールが深く息を吐き、肩の力を抜いた。マルグリットはそんな彼にもう一つスコーンを勧め、ジャンは新しい茶葉の缶を開ける。
 サロンの空気は、甘く、温かく、やわらかい。

 ティーカップがカチリと皿に戻る小さな音。
 その背後で、夕陽が最後の光を落とし、紫紺の夜がそっと幕を引く。

 世界は勝手にざまぁへ転がり続ける。
 けれどシャル・ド・ネ・アルベールは、今日も変わらず紅茶を啜り、スコーンを齧り、怠惰で優雅な微笑みを浮かべていた。
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