選ばれ続ける場所で、私は決めない』

鍛高譚

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第三十八話 非決定が、規範になりかけた朝

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第三十八話 非決定が、規範になりかけた朝

 非決定は、便利だ。

 誰も傷つけず、
 責任を先送りでき、
 場を一時的に静かにする。

 だからこそ、
 “使いすぎる”と歪む。

 朝、執務室に届いた文書の束は、昨日より明らかに多かった。

 セドリックは、表情を曇らせる。

「……増えています」

「ええ」

「“判断しない”という選択肢を、
 最初から前提にしている案件が」

 私は、静かに書類をめくった。

 どれも似ている。
 期限が曖昧。
 責任者が書かれていない。

(……始まったわね)

 非決定が、逃げ道ではなく、
 “規範”になりかけている。

 昼前、若手官僚が、少し興奮した様子で言った。

「エリシア様なら、
 “決めなくていい”とおっしゃると思いまして」

 私は、書類から目を上げた。

「その前提は、どこから来ましたか?」

「……前回の」

「前回は、条件付きでした」

 声を荒げる必要はない。

「期限と、検討項目を提示しました。
 今回は、それがありません」

 官僚は、はっとした表情になる。

「……確かに」

「非決定は、判断の放棄ではありません」

 私は、静かに言葉を置く。

「判断に必要な材料が、
 まだ揃っていない、という宣言です」

 午後、同様の案件がもう一件来た。

 私は、同じ対応を繰り返した。

 ――期限を設定する。
 ――責任者名を明記する。
 ――検討不足の項目を列挙する。

 決定は、しない。
 だが、放置もしない。

 ジェラール殿下は、廊下で立ち止まり、低く言った。

「線を引き直したな」

「ええ」

「嫌われるぞ」

「覚悟しています」

 非決定は、優しい。
 だから、人は寄りかかる。

 だが、寄りかかれる場所は、
 増やしすぎてはいけない。

 夕刻、噂が少し変わった。

「彼女は、何でも許すわけじゃない」
「準備してないと、突き返される」

 それでいい。

 夜、手帳を開く。

 ――非決定の誤用、発生。
 ――対応:条件の再明示。
 ――周囲の反応:緊張回復。

 ペンを置き、考える。

 非決定は、規範になってはいけない。
 規範になった瞬間、
 それは“新しい圧力”になる。

 私は、決めない自由を示した。
 だが、考えない自由は、与えていない。

 窓の外、夜は静かだ。

 だが、静けさの質は、少し戻った。

 逃げ場ではなく、
 立ち止まる場所として。

 明日からは、
 “決めない”と“決められない”の違いを、
 誰もが意識し始めるだろう。

 それでいい。

 私は、規範にならない。

 規範にならないことを、
 意識的に、選び続ける。
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