「平民との恋愛を選んだ王子、後悔するが遅すぎる」

鍛高譚

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第1章:婚約破棄の屈辱と決意

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「どうぞ。ちょうど休憩をとろうと思っていたところよ」
 マイラは執務室を抜け、奥の小さなサロンへと案内する。そこは客間ほど正式な場所ではなく、友人や家族とくつろぐためのプライベートな空間だ。彼女がソファを勧めると、セレナは心配そうな顔で腰を下ろした。
「やっぱり……本当だったのね。ラウル殿下が婚約破棄を申し出たって噂が、王宮で飛び交っているわ。あなたがどんなに辛い思いをしているかと思うと、いてもたってもいられなくて」
 セレナの言葉には真っ直ぐな友情が込められている。マイラは初めて「辛い」とはっきり言われ、胸が熱くなるのを感じた。
「ありがとう、セレナ。……でも、私は不思議とあまり泣くことができないの。婚約破棄を告げられた瞬間はショックだったけど、今はただ虚しいだけで」
「そう……」
 セレナはマイラの手を握りしめる。しばらく言葉が出ないようで、そのまま沈黙が降りた。しかし、やがて意を決したようにセレナが口を開く。

「ねえ、マイラ。あなたはどうしたいの? ラウル殿下が戻ってきて『やっぱり君が必要だ』なんて言ってきたら、それを受け入れる気はあるの?」
 直球の問いかけだった。マイラは短く息を飲む。
「受け入れたくはないわ。……ラウル殿下は平民の娘リリアと一緒になりたいとまで言い切ったの。私には息苦しさしか感じないとも言われた。そんな相手に、今さらどんな感情を向ければいいの?」
 答えながら、マイラは自分の本心がはっきりしていることに気づく。ラウルをもう一度好きになれるかと問われたら、答えは「ノー」だ。
「そうよね。……あなたはあなただし、あなたが自分らしくいられないような相手とは、一緒にいても幸せになれないわ。私はそう思う。いろいろ大変なことになるだろうけど、あなたは必ず新しい幸せを見つけられるはずよ」
「セレナ……」
 友人の言葉に、マイラはようやく少しだけ微笑む。彼女の胸の奥にある閉塞感が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。

 その後も二人はしばらく談笑し、マイラはセレナに対して昨夜の出来事の詳細を話した。セレナは憤慨しながらも、「あなたにとってはいい転機かもしれない」と励ましてくれる。確かに、今までマイラは「王子の婚約者」という立場に甘んじ、積極的に自分の未来を切り開こうとしなかった部分があるかもしれない。
 セレナが帰った後、マイラは少しだけ気持ちを切り替え、また執務室へと戻った。だが、夕刻になっても父の帰りはなく、王宮からも連絡がないままだ。
 そこへ、再び屋敷の外が慌ただしくなったのは、ちょうど日が沈む頃だった。玄関で応対していた侍従が血相を変えてマイラを呼びに来る。
「お嬢様、大変です。侯爵様が、王宮からお戻りになりましたが……とてもお怒りのご様子で」
「お父様が?」
 マイラはすぐに立ち上がり、玄関に向かった。すると、そこには激昂した面持ちのデゼル侯爵の姿があった。すぐに一礼する使用人たちに構わず、侯爵はマイラの姿を認めると駆け寄ってくる。

「マイラ、話がある。書斎へ来なさい」
 短い言葉の中にも押し殺した怒りが滲んでいる。マイラは緊張を覚えつつ、後に続いた。書斎の扉を閉めると、侯爵はマイラに向き直り、深い溜息をつく。
「どうやら、ラウル殿下は本気で平民の娘と結婚すると言い張っているようだ。国王陛下も困惑していたが、王家としても事を荒立てたくないらしい。……その結果、私に『最低限の補償金』を提示してきた」
「最低限、ですか……。具体的にはどの程度を?」
 マイラの問いに、侯爵は苦々しげに首を振る。
「グランシェル侯爵家にとっては雀の涙だよ。あんなものを提示して、はいそうですかと受け入れるわけにはいかない。そもそも、王族が正式に婚約をしていた貴族令嬢を一方的に捨てるなど前代未聞だ。私は断固として抗議したが、宰相と国王陛下は『ラウルは次期国王ではないし、これ以上騒ぎを大きくしたくない』という態度だった」
 つまり、王家の姿勢としては、ラウルの行動を半ば容認する方向に傾いているのだろう。第二王子であるラウルには、もともと大きな期待がかけられていなかった。第一王子がすでに王位継承の有力候補であるため、次弟であるラウルの行動を無理に抑え込んで国王家のイメージを損なうよりも、穏便に片付けたいという思惑が見える。
「……なるほど。それで、お父様はどうなさるおつもりですか?」
 マイラは恐る恐る尋ねる。すると侯爵は険しい表情のまま、「まずは時間をかけて交渉を続ける」と言い切った。

「こんな屈辱を、我が家は甘受しない。ラウル殿下が平民を選ぶのは自由だろうが、その代わりグランシェル侯爵家の名誉を踏みにじった責は免れない。私は王家に対し、より強い補償と公式の謝罪を要求するつもりだ」
「……わかりました」
 マイラは静かにうなずく。心の中では、もうラウルのことなどどうでもいいという思いが渦巻いていた。むしろ問題は、グランシェル家がこれまで築き上げてきた名声をどう守るかだ。王子の婚約者という立場に期待を寄せていた人々も多いし、それを裏切られた形になれば、家の威信が揺らぐ恐れもある。
「お前はもう何も心配するな。ラウル殿下のような男に執着する必要はない。近いうちに改めて社交界に出る機会があるだろう。その時に、今回の真相を堂々と示せばよい。お前は被害者なのだからな」
「はい……。ありがとうございます、お父様」
 父の力強い言葉を聞いて、マイラは少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。婚約破棄によるショックは残っているが、自分は一人きりではない。そして何より、王子という存在に縛られていた時間から解放されたのだ──そう考えると、不思議なほどに気持ちが軽くなる気がする。

 書斎を出た後、マイラはもう一度サロンに立ち寄って、窓の外を見やる。冬の気配を帯びた冷たい風が庭の木々を揺らし、夜には雪でも降りそうな雲行きだ。
 (ラウル殿下……あなたは、私のことなど眼中になかったのでしょう。それでも、これは終わりじゃない。私は私の道を歩むわ。あなたに捨てられたからこそ、私はもっと強くなれるはず)
 マイラの瞳には今、小さな炎のような決意が宿っている。「氷の美姫」と呼ばれた彼女の内部には、確かに熱い感情が芽生え始めていた。それは、ずっと押さえつけてきた自分らしさを解放するための、最初の一歩なのかもしれない。
 このとき、彼女はまだ知らない。ラウル王子が選んだ平民の娘リリアとの恋が、この先どれほど大きな波紋を呼び、結果としてラウル自身がどれだけの後悔を味わうことになるのかを。そして、マイラが自分の力で未来を切り開き、幸せを掴み取るまでの壮大な逆転劇が、今まさに始まろうとしていることを──。
第1章:婚約破棄の屈辱と決意
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