「平民との恋愛を選んだ王子、後悔するが遅すぎる」

鍛高譚

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第1章:婚約破棄の屈辱と決意

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「なんだと……? 理由はなんだと言っている」
 マイラは淡々と経緯を説明した。ラウルが平民の娘リリアを愛していること、彼女と共に生きるために婚約を解消したいと告げられたこと。そして、近く正式に王家を通じて婚約破棄の手続きを進めると言われたこと。
 侯爵は終始無言で聞いていたが、やがて厳かな声音で口を開いた。
「なるほど、あの愚か者め。平民との恋愛自体を否定はせんが、王子という立場を忘れ、自分勝手に婚約を破棄するなど、許される行為ではない。ましてや私の大切な娘を傷つけて……黙ってはおれん」
「お父様……」
 マイラが顔を上げると、侯爵の瞳には激しい怒りが宿っていた。だが、それは娘を思うがゆえの怒りだとすぐにわかった。
「王家がどう言おうと、わがグランシェル侯爵家が正式に結んだ婚約を破棄するというのだ。相応の代償を払わせる。……ラウル殿下が平民の娘に執着するなら、それもよかろう。だが、その結果が国王や母后にどう影響するか、わかっているのか?」
 侯爵の言葉には、一家の長としての責任感と威厳がにじみ出ている。マイラはその気迫に押されそうになりながらも、ふと疑問を感じた。この件に関して、自分はどうしたいのだろうか?

「お父様。……私は、もうあの方との縁は必要ないと思っています」
 それがマイラの偽らざる本音だった。自分の存在を「息苦しい」と言い放ち、平民の娘との恋に溺れるような相手を、今さらどうして想うことができようか。どんなにショックだったとしても、その決断を翻してまで縋りつきたいとは思えない。
 父はその言葉を聞いてやや表情を和らげたように見える。
「そうか。ならば、お前の望む通りに事を進めよう。……もっとも、向こうが正式に申し出るというのなら、我々としても黙って飲むわけにはいかない。グランシェル家の名誉を傷つけるのであれば、それ相応の処置を求めねばならん」
 その言葉に、マイラは少し迷いながらもうなずいた。王家に対して賠償金を要求するなど、普通の貴族では考えられないことだ。だが、グランシェル侯爵家ほどの大貴族であれば、可能性はある。
「明日、私が王宮に出向き、国王陛下と話をする。……マイラ、お前はもう休め。今は疲れているだろう」
「……はい、ありがとうございます、お父様」

 侯爵は娘の肩にそっと手を置き、励ますように軽く叩いてから部屋を出て行った。その大きな背中を見送りながら、マイラの心には少しだけ安堵が広がる。婚約破棄を突然言い渡されても、こうして家族が自分を守ってくれるのだ、と。
 けれど、その安堵が大きく広がることはなかった。ラウルの言葉が、そして自分でも気づけなかった感情の壁が、どうしても頭から離れない。彼女は椅子から立ち上がり、ベッドへと向かった。今はとにかく休息をとり、心を落ち着かせたい。今夜は長い一日だったのだから。
 


しばらくして、扉の外からノックの音が響いた。
「マイラ、いるか?」
 聞き覚えのある男の声だ。マイラの父、デゼル・グランシェル侯爵である。娘が深夜に帰宅したことを知って、どうやら様子を見にきたらしい。
 マイラは少し迷ったが、「どうぞ」とだけ返事をする。すると父は重厚な扉を開け、一人で部屋に入ってきた。侯爵はすでに寝間着に近い軽装だったが、表情は気遣うように心配そうだ。
「やはりまだ起きていたか。……今日の舞踏会、何かあったな?」
 核心をつく問いかけに、マイラは言葉に詰まる。それでも嘘はつけない。彼女は短く深呼吸し、視線を落としたまま答えた。
「ラウル殿下から……婚約破棄を告げられました」
 侯爵は一瞬だけ目を見開き、それから低く息を吐く。怒りを抑え込んでいるのがわかる。もともとデゼル侯爵は理性的でありながらも、家族や部下に対してはとても温かい心を持った人物だ。愛娘がこんな仕打ちを受ければ、黙ってはいられないだろう。

翌朝、マイラが目を覚ますと、朝食の前に父がすでに王宮へ向かったと聞かされる。母は幼い頃に他界しているため、現在、屋敷には父と娘の二人暮らしだ。あとは使用人や侍従が数多く働いているが、家族らしい家族は父しかいない。
「お嬢様、体調はいかがですか? 顔色が少し優れないようですが……」
 侍女のアニスが心配そうに尋ねてくる。マイラは「大丈夫」と短く返すだけにした。昨夜の出来事を知っているのかどうかはわからないが、今日の侍女はいつもより気遣いが細やかだ。
 朝食はほとんど喉を通らなかった。それでも何も食べないわけにはいかないと、パンとスープを少しだけ口にする。侯爵家の当主が不在の中、マイラはこれからのことを考えようと執務室へと足を運んだ。
 そこでは使用人が整理をしていた書簡の数々が山積みになっており、領地の経営や各種行事の準備、取引先の商人とのやり取りなど、多岐にわたる仕事が待ち受けていた。マイラは本来、こうした事務的な業務をすべて任されているわけではないが、父を手伝うかたちで一部を担当することは珍しくなかった。
 今はむしろ、そのような雑務に没頭するほうが気が紛れるかもしれない。マイラはそう思い、書類に目を通しながら必要な指示を使用人に与えていく。やがて仕事がひと段落した頃、控えていた侍従が慌ただしい足取りで部屋にやってきた。

「お嬢様、今しがた速報が入りました。第二王子殿下が、王宮の執務室で国王陛下に正式に『婚約破棄の申し出』を提出されたとのことです。あわせて、平民の娘リリアとの結婚を希望しておられるとも……」
 やはり、ラウルは待ったなしで行動を起こしたらしい。マイラはまぶたを軽く閉じ、感情が揺れそうになるのを抑える。
「そう……。父はどう動くおつもりかしら」
「ただ今、侯爵様が王宮で国王陛下や宰相閣下とお話をしているところかと。詳細はまだわかりかねますが、王宮内は少々騒然としているようです」
 侍従の報告を聞いたマイラは、苦々しい思いで唇を噛んだ。王家にとってもこれは小さくないスキャンダルだ。第二王子という立場にありながら平民との恋愛を選び、かつ正式に婚約していた侯爵令嬢を振り捨てるなど、王族の身勝手さを世界に晒すようなもの。国王陛下がどこまで許容するのか、あるいはラウル自身がどんな代償を支払うのか。
 それでも、マイラは既に自分の意志を決めている。ラウルと続けるつもりはない。一方で、グランシェル家の立場を守るためにも、正式な婚約破棄となるならば、相応の賠償や条件を取りつけなければならない。
 その日、マイラは業務を続けながらも、ずっと落ち着かない気持ちのまま過ごすことになる。昼を過ぎても父は戻らず、王宮からの使者も来ない。午後になって、ようやくセレナが屋敷を訪れ、マイラに声をかけてきた。
「マイラ、ちょっと話してもいい?」
 セレナ・フォルトは伯爵令嬢で、幼い頃からマイラと親しい間柄にある。昨夜の舞踏会でもマイラの様子を心配してくれた友人だ。その彼女が、わざわざ馬車を走らせてここまで来たのだから、何か話を聞きつけているのだろう。
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