シェリ 私の愛する人

碧 貴子

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番外

ファビアン②

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 ダンスを終えて飲み物を取りに行った息子の背中を見送って、私は感慨に浸っていた。
 本当、いつの間にこんなに大きくなっていたのか。
 既に次男のファビアンも、私達が結婚したのと同じ歳だ。
 誰よりも甘えん坊で寂しがり屋だったこの次男坊は、一緒に寝てくれないと嫌だとよく駄々をこねたものだ。
 一人が嫌で、兄のミッシェルについて回り、弟妹が生まれてからは必ず彼等の誰かと一緒に居たほどの寂しがり屋だ。

 そんな彼も今では立派に成人し、来年から本格的に私の実家を継ぐことになる。
 私の生まれた国の大学に通い始めて既に4年。
 最初は、寂しがりの彼が一人で外国に出ることを心配したものだが、息子は私の心配をよそに、向こうで立派に務めているという。
 しかしやはり彼は、寂しがり屋で甘えたがりの可愛い可愛い私の息子モン プティ シューだ。
 いつの間にか口が悪くなってしまって、以前のようにママンと呼んではくれなくなってしまったが、もしかしたらそんな甘えたがりの自分を隠すために、わざと乱暴な口をきいているのかもしれない。
 思わず口元が綻ぶ。

 その時、背後から見知らぬ若い男性が、私に声を掛けてきた。

「……ミセス、よろしいですか?」

 振り返れば、にこやかに微笑む端正な顔立ちの子が。
 歳の頃はファビアンと同じくらいだろうか。
 わざわざ母国語で話し掛けてくるということは、私と同郷であると言いたいのだろう。
 こちらの国の人間になってもう20年以上が経つが、やはり纏う空気が違うのだという。

「私は、ダニエル・フリードマンと言います。先程ミセスが踊られていた、ファビアンの学友です」
「まあ! ファビーの!?」
「はい」

 驚く私に、ダニエル君がニコリと笑う。
 ファビアンの大学の友人に会うのは初めてだ。

「よろしければ是非、一曲」
「よろこんで」

 差し出された手に、微笑んで手を重ねる。
 休暇中にわざわざこちらの国に来るということは、きっとファビアンと相当親しいに違いない。
 ということは、その内家にもやって来ることだろう。
 あちらでの息子の様子を知りたい私は、喜んでダンスの誘いに応じた。

「……それで。ファビーは、学校ではどんななのかしら?」

 息子の友人と話をするということに、ワクワクしながら聞いてみる。
 するとそんな私に、ダニエル君が綺麗な笑みを向けてきた。

「ミセスは、余程彼が可愛いと見えますね」
「ふふふふ。そうね」
「はは。本当に、彼が羨ましい。……こんなにも美しい女性に思われているのですから」
「まあ、お上手ね。でも、こんなオバさんにお世辞を言っても、何もでなくってよ?」

 きっと友人の母ということで、気を遣ってくれているのだろう。
 苦笑する私に、ダニエル君が再び綺麗な笑みを浮かべた。

「……そうですね……。大学での彼は、とても人気者ですよ。常に人の輪の中心に居るかんじですね」
「ふふ、そうなのね」
「こちらの国の人にしては珍しく、気さくでざっくばらんな性格ですから。彼は誰からでも好かれます」

 ファビアンの容姿は私に似たため、向こうの国でも馴染みやすいのだろう。
 それに、彼の性格は私の父譲りだ。
 甘えん坊で寂しがり屋な所も、気さくで誰からも好かれるところも、私の父そっくりなのだ。

「……私からすると、彼が羨ましい限りです」
「そう? でも、ダニエル君も人気者なんじゃないかしら? 特に、女の子にモテそうだわ」

 朗らかに、笑って言う。
 対するダニエル君は、相変わらず完璧な微笑みだ。
 しかし私はそんな彼の笑みに、小さな違和感を感じ始めていた。

「はは、そうですね。……でも、本当に好かれたい方にはどうなのでしょう……」

 意味深に流し目を送られて、思わず戸惑ってしまう。
 さらに、ホールドを狭めてダニエル君が体を寄せてきた。

「……ミセス。是非、この後もお付き合いを……私にも彼と同じように、あなたに情けを掛けて頂きたいものです……」

 引き寄せられ、手に口付けられる。
 漸くそこで、彼が勘違いをしていることに私は気が付いた。

「…………あの、多分誤解し-------」

 戸惑い、彼の誤解を解こうと口を開きかけたその時。
 私を守るかのように、私とダニエル君の間に割って入る背中があった。

「……おい。お前、何してんだ」

 押し殺した低い声でそう言うのは、息子のファビアンだ。
 私がダニエル君に迫られていると思ったのだろう。

「なんだい、ファビアン。無粋なことはやめてくれよ」
「……無粋はどっちだ」
「もしかして嫉妬かい? まあ、素敵な女性ひとを自分のものだけにしておきたい気持ちはわからなくもないがね」

 どうにも剣呑な雰囲気だ。
 せせら笑うかのようなダニエル君の物言いに驚くと同時に、私はなるほどと納得してしまった。
 大学の同級である彼をファビアンが今日まで私達に紹介しなかった理由、まあ、そういうことだ。
 ただどちらかといえば、ダニエル君がファビアンに思うところがある様に見える。
 そこにあるのは、コンプレックス、だろうか。

「は? 何言ってんだ、お前」
「だってそうだろう? そちらのミセスは、君の、なんだろう?」

 そう言って、ちらりと私に視線をよこす。
 思った通り、私を若い子を囲って愉しむ、よくあるそういった趣味のマダムと勘違いをしているのだ。

「貴様っ……!」

 私が止める間もなく、ファビアンがダニエル君の胸倉を掴む。
 一気に物騒な雰囲気になった二人に、周囲も何だと一斉に注目する。
 慌てた私は、二人を止めるべく、急いでファビアンとダニエル君の間に入った。

「ファビーダメよっ! その手を離しなさいっ!」
「……っ!」
「いいから離しなさいっ! ママンの言うことが聞けないのっ!?」

 私の言葉に、ようやくファビアンが渋々といった様子で掴んでいた手を離す。
 一触即発の危機を免れたことにホッと息を吐くと、叱責されて少しは冷静になったのだろう、ファビアンがバツが悪そうに私を見てきた。

「……お袋、さすがにもう子供じゃないんだから……」
「あら。子供じゃないのに、こんな人前で喧嘩なんかするの?」

 腰に手を当ててたしなめるように言うと、ファビアンがますますバツが悪そうな顔になる。
 思わず私は可笑しくなってしまった。
 そんな様子は、いたずらを叱られて項垂れていた子供の頃と何ら変わりがない。
 小さな頃そのままの、私の可愛い次男坊だ。
 しかしその時、すぐ後から聞こえてきたにこやかな声に、私とファビアンが同時に竦み上がった。

「……キャス、ファビー。これは一体、どういう状況だい?」

 振り返れば、笑みを浮かべたミシェルが。
 だが、瞳は全く笑っていない。
 冷たく光るアクアマリンの瞳に見詰められて、知らず内に私は息を飲んだ。


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