あなたの狂気に囚われたい

碧 貴子

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本編

5.それは穏やかで幸せな、仮初めの日々

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 海峡を越えた隣国は、気候も人も何もかもが違った。
 それでも、母一人、子一人で生きていくには、大変なことは変わりなく。
 ただ幸い、ここには私を知る人間はいないため、私は妊娠中に夫に先立たれた哀れな寡婦として暮らしている。
 そして意外にも、穏やかで満ち足りた時間がそこにはあった。
 生まれた子供は、ウィリアムに瓜二つの男の子。
 心配した障害もなく、健やかに育っている。
 ここでの私は、普通の母親だ。そして息子も、ここではただの子供だ。
 我が子がこんなにも可愛いものだと、私は産んで初めて知った。
 この子の為なら、私は何でもするだろう。
 そう、何でも。

 しかし、そんな生活は、呆気なく唐突に終わった。
 玄関に立ち尽くす私を見て、来訪者、ウィリアムが何とも嬉しそうに笑って抱きしめてきた。

「……姉上、やっと会えた……」
「ウィル……」

 最後に会った時よりも、更に背が高くなっている。
 体つきも、もうすっかり大人の男だ。
 広い胸にすっぽりと私を閉じ込めて、弟が耳元で囁いてきた。

「さすが、姉上ですね。この私をまんまと出し抜くとは。お陰であなたを探し出すのに、4年も掛かってしまいましたよ」
「……ウィル、あなた学校は……」
「飛び級、という制度をご存知ですか? ご安心ください、早くあなたと一緒になりたくて、大学はこの春卒業しました」
「……そう」
「もう、離しませんよ?」
「……」

 トロリと笑う群青の瞳には、狂気が垣間見える。
 壊れた人間の瞳は、異常に澄むのだということを、私は知った。


「……その子が?」
「ええ。……アルバート、あなたの叔父様よ?」

 初めて見る人間に、アルバートは警戒した様子で乳母ナニーの後ろに隠れている。
 息子の名前を聞いて、ウィリアムがすっと瞳を細めた。

「……アルバート、……ですか……」
「そうよ」
「……ああ、あと姉上、“叔父”ではなく、“父”です。それに、既に養子の手続きは済んでいます」

 いつの間に。
 ということは、父が了承したのか。
 そして、乳母が私の国の言葉を知らなくてよかった。
 きっと彼女は、ウィリアムがアルバートの父親であることに気が付いている。
 二人に血の繋がりがあることは、誰の眼にも明らかだ。
 叔父と甥だから、という以上に。
 それに先程からの弟の私に対する振る舞い。
 これでは隠しようがない。

『奥様、大丈夫です。色々ご事情がおありなのでしょう?』
『ナンシー……』
『奥様は逃げておいでなすったんだと気付いておりました。……あの方から、逃げていらしたんですね』

 この短時間で、私と弟の間に漂う空気から、色々察したのだろう。
 彼女にはこの4年間、本当に助けられてきた。
 だからこそ、敬虔な彼女には、私達が実の姉弟であることを知られたくない。

 弟がやってきた次の日、私達は穏やかで平穏な日々を過ごした家を発つことになった。
 どちらにしろ、ウィリアムをこの村の人間に見られるのはまずい。
 早朝、まだ未明に、連れ去られるように馬車に乗せられた私とアルバートを、乳母のナンシーはいつまでも見送ってくれた。

「姉上。折角ですししばらくの間、親子3人水入らずで旅行でもしませんか?」
「……そうね」
「この国でなら、我々は普通の夫婦として振る舞える」

 私達を知る人間がいないこの国で、一時夢を見るのもいいかもしれない。
 私と弟の血の繋がりを忘れて。
 もしそれが本当であったのなら、どんなに良かったか。
 いや、違うか。
 もし血の繋がりがなかったら、私と弟はこんな関係になってはいなかっただろう。

「……いいわね。じゃあ、“姉上”呼びは止めてもらわなくてはね」
「はは! そうでした。……では、リジー、私の妻、最愛の人。愛してます……」

 弟が、愛おしそうに見つめて、眠る息子を抱える私に口付ける。
 その口付けを受け入れて、私は弟に体を預けた。
 結局、私も弟を愛しているのだから。
 既に憎しみは、ない。
 ここでなら、私は彼を、愛せる。

 息子はすぐに弟に懐いた。
 弟は息子が可愛くてしょうがない様子だ。
 幼い息子には、弟が叔父であり、父であることはまだ良くわかっていない。
 ただ、なんとも嬉しそうにウィリアムを“お父様”と呼ぶ息子を見ていると、ずっとこのまま夢を見ていたくなってしまう。
 このままここで、普通の親子として暮らしていく。
 だが、そんなことが出来ようはずもない。

 息子が眠った後で成される愛の行為は蕩ける程に幸せで。
 普通の夫婦として愛し合う行為が、こんなにも心満たされるものだと、私は初めて知った。
 最初の数日こそは抱き潰されたが、さすがに今は弟も手加減してくれる。
 何より、後々息子に気付かれるようなことがあってはならない。
 国に帰れば、私達は姉弟なのだから。



「……それにしても姉上、見事でしたね。こんなにも完璧に足跡を消すとは」
「そう? でも、すぐに見つかってしまったわ」
「それは、父上に白状させたからですよ。そうでなかったら、見つけられなかった」

 一体どうやって脅したのか。
 まあ、この先結婚する気はないとでも言ったのだろうが。
 そうなったら、アルバートが我が家の後継だ。
 父も認めざるを得なかったのだろう。

「残念でしたね、姉上。もう少しで私から逃げおおせたというのに」
 昔にはなかった、歪な微笑みを浮かべる。
 深く、深く、傷ついたことがわかる微笑み。

 この顔をする時、弟は私を手酷く扱う。
 昔はあんなにも弟を傷つけ、壊したいと思っていたというのに、それが叶った今、弟の傷ついた顔を見る度に苦しくてたまらない。
 今更なのはわかっているが、少しでも弟の傷が癒されるのならばと、私は喜んでその身を差し出す。

「ああっ、……あ、あなた、から、逃げたかったわけじゃ、ないの……」
「……はっ、……では、何から、逃げたかったんです?」
「あの、……家、から……、はあっ……」
「……」
「……ウィル、あなたには、幸せに、なって、欲しくて……」

 本当だ。
 あのまま私と爛れた関係を続けるより、弟にはまっとうな結婚をして、幸せになって欲しかったのだ。
 あの時私が姿を消すことで、弟は人生をやり直すことが出来た。
 そして私も。
 さすがに人並みの幸せは無理だろうが、それでもあの家を去ることで、誰かを憎むこともなく、父に愛されない自分に惨めな思いを抱くこともなく、穏やかに暮らせただろう。

「姉上が居ない人生などっ! 幸せになど、なれるわけがないっ!」
「ああっ、ああっ、ウィルっ」
「姉上っ、姉上っ、私の、姉上っ……」


 私は再び弟の子供を身籠った。
 さすがにウィリアムと一緒の旅行中に、腹の大きくなった私の姿を息子に見せるわけにもいかず、安定期に入ってすぐに私達は国に戻ることになった。
 無事出産を終えるまでは、息子とは会えない。
 身を切られるような思いで息子を弟に預け、私は一人湖の別荘に籠った。
 週末にウィリアムが訪れる以外、誰が来るわけでもない別荘で、私は日がな一日湖を眺めて過ごした。
 かつての母のように。


 死産だった。
 血が、濃すぎたのだろう。
 アルバートが普通に生まれたため、すっかり安心していたのだ。
 この出産で、私は二度と子供を産めない体になった。
 しかし、これでよかったのかもしれない。
 これ以上、禁忌の子を増やしてはならない。
 子供は、女の子だった。

 産褥に苦しむ私の下を訪れた父は、めっきりと老け込んでいた。
 しかし、くすみはしたものの、かつての美貌はそのままで。
 熱で朦朧とする私を苦しそうに見遣った後、父が私を抱きしめた。
 すまなかった、と小さく呟かれて、私は泣いた。

 息子の名前のアルバートは、父の名だ。


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