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第一章

第三話 暑い夏のあの日

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 ジリジリと焼け付くアスファルトの上を、やや下向きながら歩いていた。

 いつも通り図書館で時間を潰したとはいえ、まだ16時を回ったくらいの時間。

 暑いという言葉以外何も出ては来ない。

 明日から始まる夏休みをどう乗り切るか。

 毎日、家と図書館の往復はさすがに考えてしまう。


「はぁ……」


 こういう時、帰宅部というのは考え物だ。

 あの子と被りたくない一心で帰宅部にしたけど、家にも帰りたくないからこれはこれで失敗ね。

 受験まではあと一年あり、本格的に勉強を始めるには早く、かといって家にも私の居場所はない。

 友達もろくにいない私には、長い休みは苦痛でしかない。


「どうしたものかな」


 汗が、頬を伝う。

 まるで涙のようなその汗を、持っていたタオルで拭った。

 いつ変わるとも分からない田舎の長い信号は、余計に気を滅入らせた。


「姉ぇさーん。今日はずいぶん遅かったんだねぇ」


 ふいに後から声をかけられた。

 振り向かなくても、誰かは分かっている。

 同じ時間に帰らないようにしていたのに、今日は本当に運が悪い。


「ねぇ、無視しなでよぅ~」


 やや上ずって、甘えたような声。

 他人から言わせると、この声もすごく似ているのだという。

 ただ、しゃべり方や抑揚が全く違うだけで。


「別に無視しているわけじゃないけど」

「でもなんか冷たいしぃ。なんか、怒ってるのー?」

「怒ってはないわ。ただ、姉さんと呼ぶのをやめてって、何度も言っているよね」

「やっだぁ。なんだ、そんなこと。まだそんなこと言っているの? 戸籍上は唯花ゆいかが長女なのだから別にいいじゃない」

「そういう問題じゃないでしょ」

「えー。何それ。じゃぁ、どーいう問題なのょ」


 小馬鹿にしたように、妹の唯奈ゆいなは鼻で笑った。

 睨みつけるように後ろを振り返ると、そこには私となんら変わりない顔がある。

 姉・妹と言っても、私たちは双子なのだ。

 一卵性双生児。

 顔も声も、背の高さもほとんど同じ。

 この子にあって私にないものはなんだろう。

 私はいつも鏡を覗いてはそんなことばかり考えていた。

 髪型など同じにしてしまえば、親でも見分けはつかない。

 それなのに友達もほとんどいない帰宅部の私と、活発でテニス部の唯奈。

 同じようでそのすべてが全く違う。

 別に羨ましいわけではない。

 そう、羨ましくなんてない。

 私は、私がしたいように生きているのだから。

 いつものように、そう言い聞かせた。


「ねぇ、夏休みはどーするの? また図書館?」

「別になんだっていいでしょ」

「何だって良くないよー、わたしたち家族なんだしぃ。そぅそぅお母さんが、今年は花火が見える旅館に泊まりた~いって言っていたの知ってるぅ?」

「……」

「あれぇ? 母さん、姉ぇさんに言うのを忘れちゃったのかなぁ。もう1ヶ月くらい前からずっと言っていたのにぃ」


 クスクスと笑う唯奈の声に、かばんを持つ手に力が入った。

 それでも、絶対に表情は変えない。

 この16年で覚えたことだ。

 どんなに嫌なことであっても、悲しいことであっても、表情を変えれば惨めになるのは自分だから。

 弱みを見せたらダメ。

 責めさせるポイントを持ってはダメ。

 もう二度と繰り返さないためにも。


「そう……」


 私は何も言われていない。

 お母さんに誘われることも、予定を尋ねられることもなくなったのはいつの頃からだろうか。

 当時はあまりの悲しさに、よく隠れて泣いていた。

 そんな時期すらも通り越してしまえば、なんとも思わなくなるのだ。

 私は家族の中の空気でしかない。

 ただ、そこにいるだけ。

 それでもタダで居させてもらっているのだから、文句を言うわけにはいかない。

 高校を卒業するまでは。

 成績がいくら良くても大学まで行く気はない。

 元より興味がない私の進路など、両親は気にすることはないだろう。

 だからこそ高校を出たら家を出て働くつもりだ。

 そうすれば、やっと解放される。

 それまであと少し……あと少し我慢すればいい。


「あ、青になったよー。早く渡っちゃぉ~よ~」


 ややうつむいて、ぼんやり考え事をしていた私に唯奈が声をかけた。

 先ほどの問など、もうどうでもいいようなにこやかな声で。


「やだぁ、雨降ってきたしー。傘持ってきてないのに、最悪ぅ」


 信号を渡り始めたあたりで、ぽつぽつと雨が降ってきた。

 先ほどまでせわしなく鳴いていた蝉の声は消え、アスファルトから雨の匂いが立ち込める。


「もー、急がないと」


 唯奈が小走りで信号を渡り出す。

 つられるように走り出した私の目に、横から来るトラックが見えた。

 向こうの側の信号はまだ赤だ。

 それなのに携帯か何かに気を取られているのか、トラックがスピードを緩める気配はない。

 嫌な予感と共に、自分の周りのすべてがスローモーションで進みだした。

 トラックに気付かず、ただ後ろを振り返る唯奈。

 その唯奈の手を必死に掴み、引き寄せた。

 唯奈はいきなりの行動に文句を言うように、ただ顔をしかめる。

 しかし私はそれを無視して唯奈を抱き止めた。

 ドスーンという大きな音と、これまで感じたことないような衝撃が全身を襲う。

 目の前が一瞬真っ暗になり、濡れたアスファルトに接している背中が冷たい。

 その逆に抱き抱える唯奈は温かかったが、ぴくりとも動かない。

 ぼんやりとする意識が、その冷たい地面に溶け込んで行くようだった。

 唯奈を助けることが出来たのか、助けられなかったのか。

 今の私にはそれすら確認することは出来ない。

 体は痛いという感覚を通り越し、もう何も分からないのだから。


「……なんで……」


 誰の声か、もう私には確認することは出来ない。

 これは何に対する疑問だろうか。

 もし私が助けたコトなのだとしたら。

 そんなこと、私が知りたい。

 そして全てが、暗闇の中に飲まれていった。
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