或る紅月の世界に叛逆を

餡黒

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第一章

2.屍送り

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 悠はワイシャツとズボンを着終えると、一階に降りてリビングへと続くドアを開けた。

 台所には洗い物をしている亜紀がいた。付けっぱなしになっているテレビの音量は水仕事に合わせて少々大きい。

「ちゃんと起きてきて偉いです、兄さん。いま用意しますのでもう少々お待ちを」
「いいよ、後は自分でやる。お前まだ身支度してないだろ?」
「大丈夫です。大した手間でもないですし、兄さんはまだ病み上がりなんですから」

 洗い物を中断し、亜紀は悠の朝食の準備に取り掛かかった。
 二人の両親は供に海外で仕事をしていることもあり、家のことは兄妹で分担している。料理が趣味の亜紀は食事を担当。万年帰宅部で家にいることが多い悠は掃除洗濯と雑務を担当していた。
 味噌汁の入っている鍋を再び火にかけながら、亜紀は鼻歌交じりに台所で無駄なく動き始めた。
 魚焼きグリルから鮭の切り身を取り出し、魚皿に盛りつけていく。見事な焼き具合で、大根おろしも添えられていた。追加で冷蔵庫から卵を取り出すと、慣れた手つきで卵焼きを作り始める。
 まるで熟練された料理人のような手際の良さに、悠ができそうなことは何も見当たらない。大人しく彼女の言葉に甘えテーブルへと向かうことにした。

「亜紀。いつも朝飯作ってもらっている身でこんなこと言うのは大変烏滸おこがましいんだけどさ、朝飯なんてもっと簡単なものでいいんだぞ? 別に菓子パンとかシリアルでも構わないし」

 毎朝毎朝、亜紀が日の出よりも早く起きているのを悠は知っている。学生でありながら、まるで主婦のような生活だった。

「趣味でやっているだけですからお気になさらず」

 織笠亜紀。彼女はまことに良く出来過ぎた人間だ。
 悠には勿体無い妹、そう周囲から散々言われているが彼自身もそう思っていた。

 炊事洗濯掃除の家事全般。勉強にスポーツ。あらゆることを人並以上にこなす容姿端麗パーフェクト超人。それが織笠亜紀という人間だった。
 運動神経抜群で、中学時代は料理部所属にも関わらず体育では誰よりも目立っていたらしい。性格は少々男勝りなところがあるのだが、兄である悠からすれば可愛い妹だ。

「そういえば、お母さんからチャットがきていますよ」

 小皿にほうれん草のお浸しを盛りつけていた亜紀は、リビングに置きっぱなしになっているノートパソコンを指さした。

「……ああ、たしか今はアメリカだったか?」
「それは先週までです。今はドイツですよ」
「――、そういえば、そうだったな」

 仕事で海外にいることが多い二人の母親は、こうして頻繁にチャットやビデオ通話で生存報告をしてくるのである。

「お母さん、兄さんの身体のことを相変わらず心配していましたよ。それと、『お見舞いにくるような彼女の一人でもいないの?』だそうです」
「余計なお世話だ、クソババア、っと」

 亜紀のナレーション付きでメールに目を通していた悠はチャットに返事を書き込んだ。
 女手一つでここまで兄妹を育ててくれた唯一の肉親。常に二人のことを、家族を思っていてくれている。悠もこうして憎まれ口を叩いてはいるが、それはお互いを尊重しあっているからこそだ。

「次の帰国は……来週にはできそうなのか」
「ええ、お父さんの命日ですからね」

 水音に消えてしまいそうな小さな声で亜紀は呟いた。
 ちょうどニュースでは“とある厄災”の特集が流れていた。

屍送りしかばねおくり

 そう呼ばれている近代史最大の厄災があった。
 10年前、全世界でほぼ同時に発生した大規模な消失事件。場所によっては大地が抉れ、街まるごと消失した事例もあったという。自然現象、テロ、某国の核攻撃、地球外からの攻撃、天変地異。さまざまな説が流れたが、今もってその原因は不明とされ明確な解明には至っていない。わかっているのは、地球上から大量の人々が一斉にいなくなったことだけ。
 この厄災による行方不明者は3万人以上とも言われ、最悪の怪事件として人々の心に決して消えることのない傷を残した。
 二人の父親もこの厄災により行方不明となった。乗っていた旅客機は太平洋上で姿を消し、現在も見つかっていない。
 
 それから10年。世界大規模な大捜索が行われようとも、消えた人々は見つからなかった。悠たちの父親も、3年前に死亡者扱いとなったのである。

 暗い表情をしていた亜紀は兄に悟られまいと表情を正した。いつものキリっとした顔に戻ると、リビングのテーブルに朝食を運んでくる。

「食べ終わったら洗い物はお願いしますね。私は支度をしてきますから」

 エプロンを脱いで冷蔵庫のフックにかけると、亜紀は小走りでリビングを後にした。
 悠の視界の隅、リビングの隣にある和室の仏壇が目に留まる。

「亜紀のやつ、親父にべったりだったもんな……」

 10年。
 いくら月日が経とうと、突然奪われた大切な存在を埋めることなど永遠にできるわけがないのだ。
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