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第一章
12.紅月
しおりを挟む――夢を見た。
それが夢であると理解できたのは、見ている景色に覚えがなかったから。
しかし、見覚えのない景色なのになぜか懐かしい気持ちにさせられる。
夜空に昇る月は紅く、眩しい。
紅く染まった大地は、満足に整備されておらず凸凹の砂利道をただ歩き続けた。周囲はボロボロの建物が乱立する廃墟。
体の自由は効かず、己の意思に関係なく足は歩を進めていく。
周囲に何かしらの気配はあるのだが、姿は見えない。闇に潜むモノからの視線だけが肌に刺さっている。
一歩一歩、細心の注意を払いながら前進していた。
しばらく慎重に進むと、廃墟の中心にある広場に到着した。周囲を見回すが、あるのは相変わらず瓦礫と化した建物だけだ。
「――一人で来て、とは言ったけど……本当に来てくれるとは思わなかった」
闇の中からした声へ、反射的に腰のホルスターにある銃へ手を伸ばして抜く。銃口はまっすぐ声のした暗闇に向けられている。
「ヤヤ、お前なのか?」
トリガーに指をかけたまま、声のした方へ意識を向けた。
問いに、しばらく反応がなかった。だが、影の中の気配が近づいてくる。
「久しぶりね」
闇の中から、黒衣に身を包んだ黒髪の少女が出てくる。
切り揃えられた前髪と、腰まである後ろ髪。整った顔立ちと、大きな紅い目。
短パンから伸びる太腿には、ナイフのホルスターが巻かれていた。
「お前……いったい今まで何処にいたんだ! 俺はあの時、殺されたとばかり……」
「……黙っていなくなったりして、ごめん」
「生きてたんならなんだっていい。今ならまだ戻ってこられる、上には俺たちから話をしてやる。だから」
銃口をゆっくり下ろし、少女に向かって手を差し伸べた。
「ヤヤ。お前が裏切ったなんて何かの間違いなんだろ?」
彼女の元へと少しずつ近づいていく。
あと五歩。紅い月明りと闇との境界に立つ少女まであと少しのところまで来た時だった。
「――今の私は、キミの知っている『ヤヤ』じゃないの」
「……え?」
――バリバリバリ
視界が一瞬不自然に蠢いたと思ったと同時、稲妻のような爆音が頭の中に響いた。
次の瞬間、さきほどまで目の前にいたはずの気配が消えていた。時間が切り取られたかのような違和感。だが気が付いた時にはもう手遅れ。
――ドスッ
「――なん、で」
殺意など皆無。反応すらできない不可避の一撃は胸を貫いた。
何が起こったのかを理解するよりも先に、体に衝撃があった。ワンテンポ遅れて左胸に激痛が走り視界はブラックアウトした。
「!」
――あまりのリアルな衝撃に、織笠悠の意識は覚醒した。
息は止まり、呼吸ができない。
「――――ッげほ、げほ!」
頭痛と眩暈、全身からは嫌な汗が吹き出している。無意識に左手は右胸を押さえていた。
今朝見た夢とまったく同じ。紅い月に、見たこともないはずの廃墟。そして、黒髪の少女に殺される。
「今のは……夢? それにしては、あまりにも」
本当に自分が体験した出来事のように、はっきりとした夢だった。
ブーツを通じ感じる砂利道の感触。頬に感じる風の冷たさ。ピリピリと緊張した空気感。そして胸の痛み。
どれもが、本物に思えた。
「てか――なんで、俺はこんなところにいるんだ?」
紅くもない、見慣れた白い月の下。夜闇の支配する路地裏に悠は制服のまま立っていた。駅前の雑居ビルが建っている、繁華街から少し離れた場所だろう。
いつからこんな所に立っていたのか、彼にはまったく記憶がなかった。
覚えているのは、疲れ果てて夕食後にそのままベッドに倒れた所まで。
眠った記憶は無かったが、出歩いた覚えもない。これではまるで夢遊病である。
路地裏は月明りが辛うじて入り込む程度で街灯もない。真夜中にこんな気味悪い道など誰も通らないだろう。
いつまでも頭に残っている悪夢を払い除けるように頭を振ると、悠は路地裏の闇に背を向け回れ右をした。
――その時だ。
何かの気配を背中に感じた。瞬時に研ぎ澄まされていく神経、毛穴が開き産毛が逆立った。
誰かに見られている。
不快な視線。全身へと悪寒が走る。それは昼間、路地裏で一瞬だけ感じた気配と同じだった。
気配がするのは路地裏の闇の先。何者も近づけさせないような、悪夢を思い起こさせるほどのプレッシャー。
「おい……誰か、いるのか?」
思わず振り返り、路地裏の方へ向き直った。車一台が通れる程の道の先は異様な雰囲気を放っている。
月明りさえ入らない闇の先に目を凝らすが何も見えない。それでも何かの気配だけが前方にあるのは確実。
「――……抹殺対象……捕捉」
闇の中から、声が、した。
ゆっくりと浮かび上がってくる人の形をした影を捉えた瞬間、悠の身体は奥底から震え始めた。彼の本能が、目の前に居る存在に恐怖している。
「あ……瑩?」
だが、暗さに慣れてきた悠の目が捉えたのはよく知るシルエットだった。
彼の目の前に現れたのは、幼馴染の華園瑩。
俯き気味で顔はしっかりと確認できないが、間違いなく彼女である。
気配の正体が瑩だと解った途端、力んで握りしめていた拳から力が抜けていった。力み過ぎていたのか、爪が皮膚に食い込み出血していた。
しかし、未だに恐怖心が拭えず足が固まって動けない。
「――瑩、お前」
――何故、こんな夜中にこんな辛気臭い場所にいる?
――隠しきれない禍々しいその殺気はなんなのか?
「――」
喉まで出掛かり飲み込んでしまった悠の言葉に、瑩からの返答は無い。彼女は顔を若干俯せたまま、ゆっくりと近づいてくる。
路地裏に反響する足音。一歩進むごとに、厚底のブーツが踏み締める重たい音がした。
そして、悠は気が付いた。気が付いてしまった。
彼女が身に纏っている黒いマントの下は、見覚えのない黒いセーラー服だった。中学高校と制服はブレザーなのでその制服は見たこともない。
それだけではない。彼女の細い腕や脚は仰々しい近未来的な謎装置で覆われ、口元にはガスマスクのようなものをつけている。
「なんだよ、その格好……」
幼馴染の異常な姿を完全に捉えた途端、
「――ツっ!」
不鮮明な映像が、一瞬だけ目に走った。
今見ている光景とは別物の、ノイズだけが脳内で断片的に再生される。
「頭が、ッ!」
しつこいまでの頭痛が悠を襲った。これまでの痛みの比ではない、今にも頭が爆発しそうな激痛。
悪夢で見た『死』と同等の苦痛に、立っていられなくなる。
近づいてくる瑩は、ゆっくりと右手を持ち上げた。その手には、夢で見た黒髪の少女が持っていた大型のナイフと同じような得物が握られていた。
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