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ある昼下がりの電話

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関東近郊のマンション管理を担うこの部署には昼休みをひきづったゆったりとした空気が流れている。安倍は昼の電話当番だったから、ずれた時間に1人サンドイッチを齧っていた。休憩室のテレビではワイドショーが流れていて、いつものようにコメンテーターが騒ぎ立てている。

・・・先の突発的な線状降水帯による被害が大きかった三森県ですが、その山中から発見された白骨遺体は損傷が激しく、DNA鑑定を待つ状態です。身元を判別するものはまだ見つかっておらず、今も捜索が続けられています。ただ現在発見されている骨から、遺体は若い女性である可能性が高いとの事が捜査関係者への取材で判明しております。以上現場からでした。・・・

「物騒だこと。」

そう呟きながら、テレビを消し、飲みかけのコーヒーを持ってデスクに戻る。今日は楽しみにしていた漫画の最新巻が発売される。仕事が終わったら早速買いに行こうと考えていたから、何としても残業は避けなければ。そう思いながらメールチェックに取り掛かると、デスクに戻ってくるのを待っていましたと言わんばかりのタイミングで電話が鳴る。

プルルルルル・・・

「はい。施設管理、安部です。はい、物件で騒音?はい。大丈夫です。電話回してください。...お電話お待たせしました。施設管理の安部と申します。騒音でしょうか?...はい。...ついさっきお隣が壁を大きく叩いて物が落ちた?...はい。...えっとマンション名と棟はどちらか教えていただけますか?...クフリード6号棟、川西の?...はい。部屋番号をお願いします。...はい、605号室。...はい。分かりました。少々お待ちください...お待たせしました。はい、特に同じような情報は寄せられてはいなさそうですね。...はい。分かりました。ご連絡ありがとうございます。失礼します。」

ガチャリと受話器を置くとため息をついた。騒音はマンション管理において神経を使う問題で、そして頻繁に起こる。それぞれが安住の地としている自宅が脅かされるとなると、それはもう攻撃的になるものだ。気持ちは十分に分かる。私も以前同じマンションで夜中に叫び出す人がいて、警察に近隣住民として話を聞かれた事がある口だ。

だが、その電話を受ける側となると話は変わってくる。壁を叩く・・・か。この場合は大抵通報してきている側がまず何か音を立てていて、それに腹を立てた隣の家の住民が殴り込むのではなく、壁を叩いて怒りを示すのだ。かつては近所付き合いもあり、お互いにやんわりと牽制しあったり、今ほど過敏ではなかったからこの手の苦情は少なかった。ない事はないが、それでもここ数年は本当に軽微な物が多く、そしてその深刻さは深みを極めている。安部はこの仕事を始めてもう6年目だが、それでもやはりとても繊細な問題故に、必ず部署内で問題は共有する事にしている。顔を上げて誰かいないかとキョロキョロしていると部長と目が合った。

「高梨部長。川西のクフリード6号棟605号室にお住まいの方から騒音案件です。」
「騒音か、電話口はどんな感じでしたか?すぐにでも対応が必要そう?」
「そうですね・・・難しいですが。一度気になってしまうと、それまで気にならなかったような音さえ気になってしまったりしますし。」
「音の出所は特定出来てるのかな?どっち側とか言ってた?」
「はい。玄関から向かって右側の壁だって言ってました。」
「よし、じゃあクフリードの図面引っ張ってきて、その605号室の隣の部屋確認してみて。605のその音が聞こえたと思われる場所はその問題の部屋だと何の部屋に当たるのかと、住人の有無確認してくれる?」
「分かりました。確認してみます。」
「できれば今日中に概略だけでもまとめてくれるかな?怒り心頭で警察を呼べばまだいいけど、住人同士の直接のトラブルになると困るから。」

安倍はため息を吐きながら、手元の資料を探るが、この物件の詳細はデスクに座ったままでは手に入らない事を悟る。昼食後で眠くなりつつあった頭を強制起動され、そしてそれは微睡に戻る事は許さず、渋々と対応記録の作成に取り掛かるのだった。
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