僕だけの箱庭

田古みゆう

文字の大きさ
1 / 8

p.1

しおりを挟む
「あなた。ちょっと、そこのあなた」

 室内に響いた先生の声に顔を上げると、僕を見ている先生の視線と僕の視線がぶつかった。

 先生は時々こうして僕たちの中から、誰かを呼ぶのだが、決まって僕たちの名前を呼ぶことはない。きっと、先生には僕たちが皆同じに見えているのだろう。だから、名前を呼ばない。それか、僕たちの名前を知らないか。もしかしたらその両方かもしれない。

 先生の視線を受けつつ、僕は自分の鼻先をさし、自身が呼ばれているのかをジェスチャーで確認する。僕のそのしぐさに、先生は大きく頷くと手招きをしてみせた。

「そう。あなた、あなたです。私についていらっしゃい」

 皆の羨ましそうな視線の中を、先生のもとまでのそのそと歩いて行った僕の手を取ると、先生は、他の子たちには目もくれずに、僕の手を引いて部屋を出た。

 僕は物心ついた頃には既にあの部屋にいて、いつも皆と過ごしていた。一人になったことも、部屋から出たこともない。

 初めて出た部屋の外には、暗く長い道がひたすらに伸びていた。

 皆から引き離され一人きりにされた心細さと、暗く果ての見えない道への恐ろしさに、僕は体を震わせる。しかし先生は僕になど興味がないのか、事務的に話を始めた。

「この先をもう少し進むと、小さな部屋があります」
「部屋……ですか?」

 僕は、手を引く先生の顔を見上げる。先生は、ただ真っ直ぐに前だけを見ながら話を続けた。

「そうです。あなたには、その部屋でこれから箱庭の世話をしてもらいます」
「箱庭とは何ですか?」
「それは、後ほど、部屋の者に聞きなさい」
「……分かりました。それで、その箱庭の世話をするのは、僕だけなのですか? 他の子は?」
「今回の世話役は、あなただけです」
「今回?」
「部屋によっては、複数で世話を行うところもあるのです。あなたの部屋の右隣の部屋では、2人の者が世話をしています。左隣の部屋には世話役はおらず、時々私が様子を見ています」
「えっと……複数で世話をしているような物を、僕だけで世話するのですか?」

 不安の色を含んだ僕の言葉を、先生は意にも介さず切り捨てる。

「あなただけでやるのですよ」
「何故、僕だけなのですか?」

 僕の言葉に、先生は至極面倒くさそうに答えた。

「だって、あなたの箱庭だもの。あなたにしか世話はできないわ」
「僕の箱庭?」
「そうよ。あなた、自分の名前は言えるかしら?」
「……アース」
「そう。それがあなたの名であり、この部屋の名」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

青色のマグカップ

紅夢
児童書・童話
毎月の第一日曜日に開かれる蚤の市――“カーブーツセール”を練り歩くのが趣味の『私』は毎月必ずマグカップだけを見て歩く老人と知り合う。 彼はある思い出のマグカップを探していると話すが…… 薄れていく“思い出”という宝物のお話。

少年イシュタと夜空の少女 ~死なずの村 エリュシラーナ~

朔雲みう (さくもみう)
児童書・童話
イシュタは病の妹のため、誰も死なない村・エリュシラーナへと旅立つ。そして、夜空のような美しい少女・フェルルと出会い…… 「昔話をしてあげるわ――」 フェルルの口から語られる、村に隠された秘密とは……?  ☆…☆…☆  ※ 大人でも楽しめる児童文学として書きました。明確な記述は避けておりますので、大人になって読み返してみると、また違った風に感じられる……そんな物語かもしれません……♪  ※ イラストは、親友の朝美智晴さまに描いていただきました。

王さまとなぞの手紙

村崎けい子
児童書・童話
 ある国の王さまのもとに、なぞの手紙が とどきました。  そこに書かれていた もんだいを かいけつしようと、王さまは、三人の大臣(だいじん)たちに それぞれ うえ木ばちをわたすことにしました。 「にじ色の花をさかせてほしい」と―― *本作は、ミステリー風の童話です。本文及び上記紹介文中の漢字は、主に小学二年生までに学習するもののみを使用しています(それ以外は初出の際に振り仮名付)。子どもに読みやすく、大人にも読み辛くならないよう、心がけたものです。

瑠璃の姫君と鉄黒の騎士

石河 翠
児童書・童話
可愛いフェリシアはひとりぼっち。部屋の中に閉じ込められ、放置されています。彼女の楽しみは、窓の隙間から空を眺めながら歌うことだけ。 そんなある日フェリシアは、貧しい身なりの男の子にさらわれてしまいました。彼は本来自分が受け取るべきだった幸せを、フェリシアが台無しにしたのだと責め立てます。 突然のことに困惑しつつも、男の子のためにできることはないかと悩んだあげく、彼女は一本の羽を渡すことに決めました。 大好きな友達に似た男の子に笑ってほしい、ただその一心で。けれどそれは、彼女の命を削る行為で……。 記憶を失くしたヒロインと、幸せになりたいヒーローの物語。ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:249286)をお借りしています。

夏空、到来

楠木夢路
児童書・童話
大人も読める童話です。 なっちゃんは公園からの帰り道で、小さなビンを拾います。白い液体の入った小ビン。落とし主は何と雷様だったのです。

きたいの悪女は処刑されました

トネリコ
児童書・童話
 悪女は処刑されました。  国は益々栄えました。  おめでとう。おめでとう。  おしまい。

悪女の死んだ国

神々廻
児童書・童話
ある日、民から恨まれていた悪女が死んだ。しかし、悪女がいなくなってからすぐに国は植民地になってしまった。実は悪女は民を1番に考えていた。 悪女は何を思い生きたのか。悪女は後世に何を残したのか......... 2話完結 1/14に2話の内容を増やしました

「いっすん坊」てなんなんだ

こいちろう
児童書・童話
 ヨシキは中学一年生。毎年お盆は瀬戸内海の小さな島に帰省する。去年は帰れなかったから二年ぶりだ。石段を上った崖の上にお寺があって、書院の裏は狭い瀬戸を見下ろす絶壁だ。その崖にあった小さなセミ穴にいとこのユキちゃんと一緒に吸い込まれた。長い長い穴の底。そこにいたのがいっすん坊だ。ずっとこの島の歴史と、生きてきた全ての人の過去を記録しているという。ユキちゃんは神様だと信じているが、どうもうさんくさいやつだ。するといっすん坊が、「それなら、おまえの振り返りたい過去を三つだけ、再現してみせてやろう」という。  自分の過去の振り返りから、両親への愛を再認識するヨシキ・・・           

処理中です...