【原版】猛毒の子守唄

了本 羊

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第十六話

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木の葉のざわめく音で、ヒイシは目を覚ました。
 「あれ……私……?」
つい先程まで、アトリアとミスラ、ロウヒと自分の四人で地下の隠し部屋に居たはずなのに……。
 霞がかった思考で何とか辺りを見回そうとすると、先程聞いた、懐かしい歌が耳に聞こえた。
ロウヒの歌声ではないが、美しい旋律にそちらのほうを向いたヒイシは驚きに目を瞠ってしまった。

ヒイシが佇んでいるのは、ジルベスタンの王宮の離宮の庭園。
しかし、此処が自分が生きている時間よりも過去の風景であることを歌声の人物が物語っている。
つい先程地下の隠し部屋で見た、棺の中に眠る女性ドーチェが、花を見ながら歌を口ずさんでいた。
 棺の中を見た時からとても強い誰かの思念を感じていた。
けれど、その思念の形は今までヒイシが感じたことのない類のもので、まるでその思念に引き摺られるように、小瓶に手を触れていたのだ。
ハッキリしたのが、あの強い思念はアトリアとミスラの亡き母親のものであったということ。
 十九年間生きてきて、死者の生前の思念を感じとれたのは初めてである。
ドーチェは黒髪にエメラルドの瞳の美しい女性だ。アトリアとミスラは母親似の容姿なのだろう。ドーチェは庭園の脇道に咲いている小さな花を摘もうか否か、迷っているようだった。
 「ドーチェ」
 「ナキメ様!」
 不意に男性の声が聞こえ、ドーチェがとても嬉しそうに振り返る。
 国王の服を纏ったナキメは、とても威厳のある美丈夫だ。アトリアとミスラの髪と瞳の色は父親譲りなのだとわかった。
ナキメの登場で、ようやくヒイシは合点がいく。
 過去の残像にまで引き摺りこまれるほどの思念はドーチェだけではなく、ナキメの思念も絡み合っていたためだ。
ナキメはドーチェのすぐ傍までやって来ると、ドーチェの髪に一輪の花を挿し込む。
 「ナキメ様、私の髪に花を挿しては花がっ」
 「大丈夫だ」
ドーチェの言葉を遮り、ナキメは暫くの間、花を挿し込んだままにしていた。
 「……枯れない?」
ドーチェが心底不思議そうに髪に挿し込まれた花を抜き取る。
 「ドーチェは花を直に触れても、身に付けることが出来ないことを残念がっていただろう? 古くからの知り合いに、花の改良などをしている者がいるから、頼み込んでようやく品種改良に成功したんだ」
 「……ありがとうございますっ」
とても幸せな思念が流れ込んできて、ヒイシは自分でも気付かない内に口元に微笑みが浮かんでいた。
ふと、ナキメが贈った花を見て、アッと声を上げてしまう。
ジルベスタンに来てから見慣れた花、雪薔薇だった。
ということは、ナキメの古い知り合いとはバズの亡き父親のことであろう。
こんな巡り巡るような縁もあるのか、と考える。
ナキメとドーチェは気付いていないが、ドーチェのお腹の中には、既に新しい命、アトリアとミスラが宿っているのだ。
 突然、ヒイシは自分の亡くなった父と母の記憶を呼び覚ます。
いつも幸せそうだった。
 母の心が壊れていく中でも、二人が共に寄り添い合っているのを見ている時だけは、不安も和らいだ。

 『ヒイシが生まれてきてくれて、母様も父様も幸せよ』



 「……シ! ヒイシ!」
 目の前にアトリアの顔がボンヤリと浮かび上がり、自分が思念の記憶から戻ってきたことをまだ頭が上手く回らずともわかった。
 「ヒイシ様! どこか具合でも悪いのですか!?」
ロウヒの焦ったような声に首を軽く振って答えを返すと、何かが細工の施された床にポタポタと落ちる。それが自分の涙なのだと、目元を触ってようやくヒイシは気付く。
 「長く此処に留まるのは、今は得策ではないな。ミスラ、私はヒイシを抱えるから、戸締まりをしてくれ」
 「わかった」
アトリアに抱え上げられ、大人しく執務室までヒイシは運ばれた。
 執務室に四人で戻った後は、気つけの代わりというジュースが手渡された。
 少し黒い赤い液体を飲むと、キツメの酸味が口内に広がる。
ブラッドオレンジジュースというものらしく、病気の時や気つけなどに良いのだとか。
 酸味が強いが、嫌いな味ではないとヒイシは思った。
 初めての味に咽ながらも飲み続けているロウヒも同じらしい。
……それよりも、現状の体勢のほうが問題ではなかろうかとヒイシは思う。
 執務室に戻った後、何故かソファにそれぞれの伴侶同士の組み合わせで座り、ヒイシもロウヒも、アトリアとミスラに腰をガッチリと抱き込まれている。
 「それにしても、父上の愛は偉大だな~。今もってヒイシが見通せるほどの思念が遺ってるなんて」
 「父上は昔から母上一筋なのだから良いことだ」
 会話は和やかだが、その会話をしている兄弟の伴侶に選ばれた女性のヒイシとロウヒは、早く部屋から退室して休みたい気持ちに駆られていた。
 「……ヒイシ様。本当にもう体調は大丈夫ですか?」
 「大丈夫です。ご心配をおかえしました」
ロウヒの気遣いにお礼を述べると、ロウヒがふと、目線を机に置かれたままの『射ち落とされた怪物』の本に向ける。
 「そういえば……バズから聞いたのですが、本と劇では、このお話の終わりは完全に違うものになっているそうです」
 「え?」
 「その通りだ。何故かはわからないが」
 「う~ん。元々の終わりは、魔獣になってしまった男を女が銀の剣で刺し貫くんだけど、最後に約束を交わすんだ。「来世では、私を選んで下さい」って」
 「観劇では、女を連れ去り、女の恋人に銀の剣で退治される」
それはまあ何とも大きな違いのある終わり方である。
 「私は元々の終わり方のほうが好きです……」
ロウヒの言葉は、大抵の人間の総意に近いだろう。
しかし、アトリアとミスラは違うようだ。
 「でも、来世の約束なんて、どうなるかわかったもんじゃないし、手に入れたいと願っている存在が他の誰かの傍で笑ってるなんて、ボクは嫌だ」
 「同感だな」
ヒイシとロウヒは思わず顔を見合わせて、目線で会話をしてしまう。
この二人はとても仲の良い兄弟で、嗜好も考え方も似通っているが、一般水準とは逸脱している。
 「……私、よく住んでいた教会でこの歌を歌っていましたが、よくわからない部分があるんです」
ロウヒが開いた本のページをヒイシは覗き込む。
 其処には歌の歌詞が書かれている。
 「どうして「お聞きなさい、かたりなさい」と繰り返しているのに、最後は「忘れなさい」と云うのでしょう」
ヒイシもそれには首を傾げるしか答えはない。
 原作と劇が大衆に知られているのに、此処まで大きく話の内容が違うものも珍しい。
 「……何となくはわかるな」
アトリアの一言に、視線が集中する。
 「恋愛で一番知られたくないのは、自分の醜態だ。羞恥を隠しておきたい人間は多々存在する」
 「そうだねぇ。恋は身勝手で求めるものだけど、愛は温かくて残酷な思い込みか、強くて優しい本物とに分かれるしね」
まさかこの兄弟からそんな言葉がでてくるなんて、とヒイシとロウヒは目を見開く。
そんな二人の様子にアトリアとミスラはそっくりの笑いかたをする。
 「人間なんて、羞恥というものは最も隠しておきたい感情の一つだろう? 悲しみや苦しみ、痛みは完全に忘れ去ることが出来なくとも、時間が風化させてくれる。逆に憎悪は時間を止める」
 「人間の感情で一番厄介なのが執着だね。それでいうと、ボクやアトリアがロウヒとヒイシに抱いている感情は執着って言葉がピッタリなのかな?」
ギョッとするヒイシとロウヒを気にせずに、兄弟は会話を交わす。
 「そうだろうな。しかし、今回の面倒事は本当に煩わしかった。ヒイシとロウヒの命を狙ってくる輩ばかりで辟易したぞ」
 「だよね。二人に触れないで命も狙わないのならば、他は見逃してあげることも出来たのに」
アトリアとミスラの話す内容に、違和感を感じて、ヒイシはアトリアを見上げる。
それに気付いたアトリアが何気なく、けれど、ヒイシとロウヒにとっては弓矢になることをサラリと続ける。
 「二人の気持ちをついて嵌めるのならば、弱みが握れて生涯縛れる事態を誘導した」
 「うん。何でそこまでの頭がないのか理解に苦しむ」
 理解に苦しむのはこちらのほうだ! 
そう声を上げたかったが、ヒイシとロウヒはジュースを飲んで嚥下することで、何とか気持ちを抑えようとする。
アトリアとミスラはお互いが定めた伴侶であるヒイシとロウヒを一欠けらも信頼も信用もしていないのだ。
あんな形で選択を絶たれてしまえば当人たちは致し方ないと思うしかないのだが、二人はそれ以上の縛る鎖を求める。
その希求には果てがない。
この時、ヒイシは確信した。

アトリアとミスラは、正しく「毒姫」の子どもなのだ。

 身体には受け継がなかったが、思考や性格のすべてが猛毒そのもの。

ヒイシとロウヒは下を向きながらも同じことを願っていた。
 自室に戻りたい……。




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