【原版】猛毒の子守唄

了本 羊

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第十七話

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「……それじゃあ」
ようやく話が終わるのかとホっと安心したのも束の間、ヒイシはアトリアに抱き抱えられ、ロウヒはミスラに抱き抱えられていた。
 「えっ?」
 「えっ?」
「ようやく工事が終わって、私とミスラの妃の部屋が出来たので見せたいと思ってな」
 見たくない。
 行きたくない。
そう思いはしても、口に出すことなど出来ない。ロウヒはあからさまに口の中でため息を噛み殺しているようだ。
 抱き抱えられたまま、執務室から通じる扉を開いてアトリアとミスラは歩を進める。
 一際大きな扉を開くと、眩しさにヒイシは目を眇めた。
 庭園を一望出来るサンルーフが広がっている。ガラス張りの天井は日差しを反射し、室内にも植物がたくさん配置され、水場も設けられている。サンルーフの一角には真っ白なソファや椅子、テーブルが置かれ、華美さもそこまで際立たず、清廉さのほうが印象に残るだろう。
 思わず見入ってしまっているヒイシとロウヒの様子に満足しながら、アトリアとミスラはサンルーフに続く奥部屋の扉を開ける。
 室内は真っ暗で、ミスラが照明を付けてようやく目を瞬かせながら、室内に目を向けたヒイシはものの見事に固まった。

あれはなんだろう……?

わかるのだが、如何せん、常識が邪魔をして肯定したくはないと訴えている。
 「あ、あの……。あれは……?」
 恐る恐る指差す先を見て、ヒイシと同じようにロウヒも硬直している。
ヒイシが指差す先には、数人でも横になれそうな天蓋付きの大きなベッドが鎮座している。
その意味するところは、既にこの相手から逃げることは不可能だと察しているため諦めた。
それはいいのだ。 
 問題なのは、まったく同じベッドが二つ、ピッタリと並んで置かれていること。
 白く薄いカーテンだけが二つのベッドを遮るものだ。
 「私達の眠る場所だが?」
 何を当たり前なことを、という口調で言われ、本当に眩暈がする。
 「何故、二つ並んでいるのですか!?」
 「もう一つはミスラ達のものだ」
そんなことが聞きたいのではなく!
 「まさか、ミスラ様やロウヒ様の寝所と同室なのですか!?」
 「そうだが?」
 「別に兄弟なんだし、恥ずかしがることは何もないと思うけど」
 「私達は違います!」
 硬直から解けたロウヒが声を上げる。
 一体どんな神経をしているのだ、この兄弟は!?
 同じ家に暮らしていても夫婦の寝所は別物だ。
 「せめて、隣室にもう一部屋設けて下さい!」
ロウヒの抗議は至極真っ当だ。
しかし、アトリアとミスラにはどうあっても伝わらない。
 「もう造ってしまったんだし、諦めて」
そのままベッドに歩いて行く二人に焦燥が募る。
 「待って下さい!」
 「待って下さい!」
 「聞けない。聞かない。聞きたくない」
 「聞けない。聞かない。聞きたくない」
この兄弟を本当にどうにかしてほしい!
ベッドに投げ込まれ、柔らかすぎるために沈み込み、思うように動けない。
 「それじゃあ、ミスラ」
 「明日の朝に、またね。アトリア」
 二人はカーテン越しに顔を出し、ごく自然に唇を合わせる。
まるで、親が子に対する親愛の証のように。
その光景に、思わずヒイシはもがくのを止め、言葉を失くしてしまう。ロウヒも同様のようだ。
この兄弟は、本当にお互いしか支え合えるものがいなかったのだろう。幼馴染のサイは居てくれても、子ども時分には大した力にはなれない。
そんな風に気を取られている隙に、アトリアがヒイシに覆い被さってくる。
 不味い、幾ら何でもこれだけは許容出来ない。
こんな隣り合わせで誰かに閨での声を聞かれるなんて冗談ではない。
 「絶対に嫌です!!」
 「絶対に嫌です!!」
 何度目か分からないが、ロウヒと声が重なり合う。
アトリアはヒイシの顔を見つめ、不意に自分の身体をヒイシの上からどかせると、ベッドから降り立つ。
 「そうだな。まだ陽も高いし」
ミスラのほうも同様にベッドから降りたらしい。
この兄弟からは想像も出来ないほどの呆気なさに、身体を何とか起こしても警戒を解けないでいる。
そんなヒイシの姿にアトリアは含みを持たせた笑い方をすると、ヒイシをベッドから降ろして、また執務室へと四人で今度は歩いて戻った。



そんなやり取りを昼間にしたヒイシは、夕食を終えてお風呂に入る頃には精神も身体もクタクタになっていた。
 早々に眠ってしまおうとベッドに入ろうとした矢先、扉がノックされ、侍女が顔を出す。
ロウヒがヒイシを呼んでいると言われ、何かあったのだろうか? と思いながら、案内された一室へと通される。
 部屋には既にロウヒの姿があった。
 侍女が退室し、足音が一定以上遠ざかるのを聞き届け、ヒイシはロウヒに向き直る。
 「……それで、ロウヒ様。私を呼ばれた理由は何ですか? 何かありましたか?」
 「え? ヒイシ様が私を呼ばれたのですよね?」
 「え? いいえ」
ヒイシとロウヒは困惑した様子でお互いの顔を見つめ合う。
ロウヒが自分を呼んでいると聞いたから来たのに、ロウヒは自分に呼ばれたという。
 言いしれない不安がヒイシを襲う。
わからないけれど、此処に長居をしては不味い。
そう感じて取り敢えず一緒に部屋を出ることを伝えようとしたヒイシは口を開きかけるが、残念ながらそれは言葉にならなかった。
 咄嗟にロウヒの手を掴み辺りを見回し、入ってきた扉とは別の扉の前に立って様子を窺う。
 「ヒイシ様?」
ロウヒの訝る声に、自身の唇に人差し指をあてて、首を振る。
それだけで何かを察知したロウヒは片手で口を覆い、音をたてずに扉を開けて前進するヒイシの後に続く。
 何部屋かを通り、奥まった部屋の扉の前に辿り着いた時、ヒイシが感じ取った思念はハッキリと声になってロウヒにも聞こえた。
 「……大丈夫、大丈夫……」
まるで呪文のように言い聞かせる声は、ヒイシとロウヒが聞き慣れた声で、隣からは別の声も聞こえる。
 「すまないな。君にはヒイシ様とロウヒ様の侍女になるに辺り……いや、陛下と閣下の我儘で君を迎えたいと打診しているのだが、こういったことに少しでも慣れておかなければ、侍女にはなれなくてね」
 「で、ですよね……」
バズと共に話をしているのは、アトリアとミスラの幼馴染である将軍のサイだ。
ヒイシがロウヒの手を強く握り、サイの思念を見通そうとした時、高い嬌声が上がった。
そこで初めて、誰かが睦み合っていることを音で察したロウヒは顔を真っ赤に染め、俯いてしまう。
 艶やかで扇情的な嬌声は、何故かヒイシやロウヒの下腹さえ重くするような感覚がして、どうにも気持ちが悪い。
 確かに侍女になるにはこういったことを見なかったことすることは必須だろうが、何も今それを実践しなくても。
そう思ったヒイシは、次の瞬間、感じ取った思念に顔面を強張らせた。
ロウヒにはヒイシの顔は見えないが、手に込められる力の強さに、何かあったのだと悟る。
 扉を勢いよく開け、サイに目隠しをされたままのバズを無理矢理外にロウヒと共に引き摺って連れ出す。サイは追いかけてはこなかった。
 「ヒ、ヒイシ様っ!? ロウヒ様! こんな所で何をされていらっしゃるのですか?!」
 「バズこそ、どうして此処に? いつもならとっくに家に帰っている時間だよね?」
バズとロウヒを駆け足で連れ去ったヒイシは、肩で息をきらせていた。
そんなヒイシに代わり、ロウヒが疑問に思っていることを訊ねる。
 「あ、わたしは侍従長様に昼間に呼ばれて、今日は残っていたんです。ヒイシ様とロウヒ様がご結婚されたら、正式に侍女に迎え入れたいと。そのための勉強を色々と学んでいて、最終的な勉強がああいった……」
 言葉を詰まらせて真っ赤になるバズに、ロウヒもつられて頬を真っ赤に染める。
 傍から見ていたらとても目の保養となる光景であるが、二人とは対極的に、ヒイシの顔は青褪めて白くさえなっていた。
それでも笑顔を顔に貼り付けると、バズとロウヒに向き直って声をかける。
 「バズ、気持ちは嬉しいけれど、もう遅いから帰りなさい。侍女の件は、バズの気持ち次第で大丈夫だから」
 「は、はい! ……ヒイシ様、顔色があまり宜しくないようですが?」
 「ここ数日、色々あって疲れているだけよ。ロウヒ様とお話ししたら、すぐに自室に戻ります」
 「そうですか? 十分に休まれて下さいね? それでは、またお伺い致します」
ペコリと頭を下げて礼儀正しく帰っていくバズの姿を眺め、その姿が見えなくなった時、ヒイシはズルズルと床に崩れ落ちてしまう。
 「ヒイシ様!?」
 慌てたロウヒが手を貸し、近くの客間に入るとヒイシを椅子に座らせてくれる。
 「顔色が本当に悪いです。誰か呼んで……」
 部屋を出ようとしたロウヒの腕を掴んで、ヒイシは何も言わず、真剣な表情で首を振る。
その様子に何かを感じ取ったロウヒはヒイシの隣の椅子に腰かけて、ヒイシの背中を擦りながら、ヒイシが喋れるようになるまで待っていた。
 今はそんなささやかな気遣いが無性に嬉しい。
これからヒイシはロウヒにあることを告げねばならないのだ。本当は口にするのも厭わしい。
けれど、告げなければ今度は確実に実行される。
 「ロウヒ様……」
ヒイシは自分がここまで弱弱しい声をだせることに、客観的な心でとても驚いていた。




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