猛毒の子守唄【改稿版】

了本 羊

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第5唄

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ヒイシはおよそ2歳の幼子とは思えないほどしっかりとした足取りで、とある一室に向かっていた。

その部屋の前まで来ると、優しげな声の歌が聞こえる。

傍に居てくれた乳母に扉を開けてもらうと、ヒイシは歌っていた本人に飛び付く勢いで駆け寄ってドレスの裾を掴む。



『母様!』



『ヒイシ、今日のお勉強は終わったの?』



『はい! 先生にほめていただきました!』



ヒイシの報告に嬉しそうに微笑んで、ヒイシの母親である皇太子妃はヒイシを膝にのせる。



『また重くなったわね。ヒイシが成長していく姿は、母様と父様の楽しみよ』



『えへへ。母様、さっきの歌っていた歌、また歌ってください』



『ヒイシは本当にこの歌が好きね』



『母様が歌ってくれるからすきなのです』



ヒイシの頭を撫でながら皇太子妃は歌い出す。

優しい旋律に次第にヒイシの目が微睡み始める。

乳母はお茶の用意をしながら、その光景を微笑ましそうに見守っている。

眠りに落ちていく感覚はとても心地が良く、きっともう少ししたら父様も来られて、乳母も交えてお茶が出来る。



ヒイシは幸せな気持ちで皇太子妃の胸元に顔を埋めた。











薄っすらと目を開けると、ここ数日で嫌でも見慣れてしまった美しい天井が見える。

水が飲みたくて目線を彷徨わせていると、交代で付き添ってくれている侍女がすかさず水の入った容器を取り、ヒイシの口元まで運ぶ。

水が乾いた喉を通り過ぎていく感覚が心地良い。そのままヒイシは再び目を閉じる。





あの悪夢よりも酷い出来事から、既に4日経過していた。

最初の日は身体中が痛くて息苦しくて気怠くて、眠る度にヒイシは悪夢に魘されてしまい、宮廷医や侍女達の献身のお陰で、今現在は何とか熱も下がり始めている。

しかし、凌辱の衝撃からか、ヒイシは異能を上手く制御出来ず、眠っていても異能のせいで悪夢や可笑しな夢ばかり見ては、息苦しさに時間帯関係なく目を開ける、ということを繰り返していた。



先程見ていた夢は、ヒイシが1番幸せで、まだ何も知らず、知ろうともしなかった頃の過去夢。

あれほど鮮明に思い出されるのは久方ぶりで、思わず舌打ちしそうになる。

それもこれも全部・・・。



「・・・・・・あの、バケモノ宰相・・・・・・ッ」



侍女達には聞こえない小声で、ヒイシは悪態を付かずのはいられない。

まあ、眠っていると魘されてばかりなので、そのせいだと思われるだろうけれど。

舌打ちも悪態も、ただ虚勢を張っているに過ぎない。そうでもしていないと、心身に刻み付けられた恐怖は這いずり回る一方だ。





落ち着こう。

ヒイシは何度も何度もそう心の中で呟きながら、制御出来ない異能のせいで起こる頭痛に眉を顰めながら再び目を閉じる。身体は休養を欲しているからか、すぐに思考は暗い中に落ちていった。











ヒイシがようやくベッドから起き上がれるようになったのは、寝込んでから2週間後のことだった。

いつの間にか王宮内にある医務室から部屋を移動しており、豪奢な部屋を眺めつつ、既に数えるのも億劫なほど吐いているため息を零す。

ため息の原因は、時間が経つににつれ、部屋の内装と中身が豪華になっていくこと。

最初はただの豪奢な部屋から、徐々に女性の住まう部屋へと内装が変化していき、クローゼットはドレスや装飾品で溢れ、見ていると目が痛くなる。それなのに、用意されていくドレスや装飾品はヒイシが好むデザインで統一されており、誰が用意させているのか、異能を使わずともわかるのがまた腹立たしい。





そんな部屋で、どんな神経をしていたらそれほど厚顔無恥になれるのか?、と思う穏やかな微笑みを浮かべ、ヒイシの対面に座ってお茶を飲んでいるのはミスラだ。

ヒイシは絶対にミスラとは目を合わせずに、侍女が用意してくれた苺とスパイスのフルーツティーを飲む。ジルべスタンは色々な産業が活発で、ヒイシが今まで見たことも聞いたこともない品物や道具、食べ物で溢れている。

ミスラが飲んでいるフルーツティーには入れられていないが、ヒイシが飲んでいるものには蜂蜜が入れられており、身体を壊さないように、という侍女達の配慮や思いやりがその一杯にだけでも見えてくる。

まあ、蜂蜜を入れるまでもなく、この味は子どもはあまり好まないだろう、とヒイシは思いつつ、食が細くなってしまっている身体にフルーツティーを流し込む。



カップをテーブルの上に置いて一息吐いた瞬間、ヒイシは急な眩暈に襲われて手をテーブルに突き、転倒を免れた。まだ身体が本調子ではないことを直接訴えてくるかのようで、ヒイシは額に手をおいて頭をを振ろうとする。

そんなヒイシをフワリ、と軽々と抱き上げ、そのまま隣室のベッドまで運ぼうとするのはミスラだ。

ヒイシは慌てて降りようとするが、ミスラの腕はビクともせず、また凌辱の記憶から身体が知らぬ間に震え、上手く動かすことが出来ない。

ミスラは隣室の扉を開け、ベッドにヒイシを寝かせると、侍女達に指示を出していく。



「どうやらまだ体調が安定していないようですから、このまま休んで下さい」



ミスラはヒイシの頭を撫でると、サッサと寝室から出て行ってしまう。

ヒイシは拍子抜けした表情で、ベッドに寝転んだ。

無意識に、先程ミスラが触れた頭を手で触る。





ヒイシの異能が全く効かず、ヒイシに恐怖と苦痛を味合わせた人間。

でも・・・・・・、大国の宰相として評価されているにも関わらず、『死』という誰もが持つ概念に過剰に反応を示すのは何故なのだろうか?

生まれ育ちに関係しているのか?



考えなくてもよいことを考えてしまう自分が嫌で、ヒイシは侍女に寝間儀に着替えさせられると、頭の上まで掛布を被り、目を閉じた。

飲んだフルーツティーのお陰か、すぐにヒイシは眠りの中へと落ちていった。













「閣下、2か月後に王宮内で催される市の開催での騎士の配置などを各部隊長達と考えてきましたので、目を通しておいて下さい」



執務室で大量の仕事を飄々とした顔で捌くミスラに、ナイが数枚の書類を差し出す。



「わかりました。その書類には今日中に目を通しておくので、そこに置いておいて下さい」



「それから、ヒイシ様のことについてなどを神殿にも通したいので、至急資料を作成したいのですが・・・」



ナイの言葉にミスラの仕事を捌く手がピタリ、と止まった。

すぐにミスラは手を動かすことを再開させるが、ナイは胡乱な目をミスラに向ける。



「・・・まさか、とは思いますが、ヒイシ様に何も言っていない・・・・・・、なんてことはないですよね?」



「・・・今日はヒイシの体調が思わしくなかったので」



ナイから目を逸らすミスラであったが、ナイはそんなことで容赦はしない。伊達に物心が付く前から兄弟で幼馴染としての関係を築いていないのだ。



「ゆっくりでもよいのでは?、という言葉を聞かずに早急に事を進めたのは誰なのでしょうか?! そもそもヒイシ様の体調が思わしくないのは閣下の暴走の責任ですよね?!?」



ミスラはナイの叱責を耳を塞ぐことでやり過ごしている。それでもナイは止まらない。



「重鎮の御歴々は大層な喜びようなんですよ!? まさかヒイシ様に了解を得ていない、なんてことを知ったらどれだけ落ち込まれるかっ!」



「・・・・・・ヒイシの体調が戻り次第、話します」



「あ・と・ま・わ・し・に・わ・し・な・い・で・く・だ・さ・い・ね・ッ!!」



どういしょうもない、という顔でミスラの処理が終わった仕事等を片付けるナイを眺めつつ、ミスラは両耳を手で労りながら、大声の余韻を消そうとしている。

不意に、壁から一羽の大きな鷹が飛び出した。

ナイは慣れたように左腕を掲げると、鷹は部屋の天井を旋回した後、ナイの左腕に留まる。



「いつ見ても、サイとナイの異能は便利そのものですねぇ」



ミスラの言葉に、ナイはため息を吐きつつ、鷹の頭を優しく撫でる。



「これが俺達兄弟の異能ですからね。でも、陛下や閣下、ヒイシ様の異能に比べたら大したことはありません」



ナイの腕に留まっていた鷹がその姿を掻き消していくと同時に、ナイは顔を引き攣らせて、両手で頭を抑え叫ぶ。



「ああ~~~!!! どうしてこの兄弟は・・・ッッ!!」



「どうかしましたか?」



頭を抱えつつ、ボソボソと話すナイの報告に、ミスラは口を自然と笑みの形にしていた。









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