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第6唄
しおりを挟むヒイシの体調が万全に回復したのは、8日後のことだった。
回復したと言っても、ヒイシは広大な城の中で何かをすることはない。与えられた部屋で、ただ静かに過ごすことしか出来ないのだ。敗戦国の王族として異例の好待遇ではあるのだろうが、ヒイシにとっては命が長らえたことこそが罰のように思えてくる。
幽閉される以前から、身の回りの世話をしてくれるのは年老いた乳母しかいなかったヒイシは、必然的に身の回りのことを自分で行う術を身に付けていった。思えば、祖父は父が亡くなった時から、ヒイシがこうなる予感を覚えていたのかもしれない。
椅子に座って窓辺から外の景色をボンヤリと飽きもせずに眺め続けているヒイシの姿に、ヒイシに付き添って部屋で静かに佇んでいる副侍女長は何とも言えない気持ちにさせられてしまう。
この広大な城を管理する為に、経験を積んだ侍女長とそれを補佐する副侍女長、侍従長、副侍従長がおり、ミスラ達兄弟を幼い頃から見て、世話をしてきた。
それが、ミスラがあのような暴挙に出るとは想像だにしていなかった。
あの凌辱の日、部屋の前には騎士や侍女も何かあった時のために控えていた。部屋の中の異常に逸早く気付いたものの、主の許可なく入室することは出来ない。悲鳴や音で、何が起こっているのかを察知しても、傍観するしかなかった。
高熱からようやく完全な意識を取り戻したヒイシは当初、妊娠の可能性に気付き、震え上がっていた。
しかしそれはヒイシの部屋を訪れた侍従長により、寝込んでいる時に薬と一緒に避妊薬も飲まされていたことを告げられて安堵どころではなく、身体から力が抜けていたのを副侍女長も見ている。
実際、そこまで妊娠の可能性をを危惧する必要はないのだが、事情を知らないヒイシに伝えるべきことではない、と判断された。
ヒイシの看病には、侍女長の代わりに副侍女長が指揮を執っていたが、ヒイシのあまりに痛ましい姿に何も言葉が出てこず、仕事に専念することでしか気持ちの捌け口がない状態だった。
ようやくヒイシが回復したのも束の間、ミスラから告げられたことに、城で働いている者達だけでなく、重鎮達も茫然としたものだ。
そこから、ヒイシ付きにどの侍女を抜擢するかを長達と真剣に議論することとなった。侍女達が裏で熾烈な争いを繰り広げている為、難航を極めた。
そこに、副将軍の職に就いているナイ・アンサイクロから更に衝撃の知らせを受け、ヒイシが体調を回復させている間、城の中は混乱をきたした。
結果、選りすぐりの数人を選抜し、陛下が戻るまでは主に副侍女長がヒイシの主な世話をすることで話が纏まった。
外の景色を眺めながら、ただ椅子に座っているだけなのに、ヒイシはとても美しい。
着ている服はシンプルな部屋着用のドレスと大判のショールだけなのに、そこにいるだけで幻想的な世界が確立されているようで、副侍女長は改めて、侍女を厳選していて良かった、と思った。
ジルべスタンの王宮で働く者達は、家族構成から経歴、趣味に至るまで調べ尽くされ、とても厳しい審査を潜り抜けて働くことを許可される。今もって伴侶のいない国王兄弟やナイの兄である将軍のサイ・アンサイクロ目当ての人間を近寄らせないようにする為だ。
ナイは既に妻帯し、妻一筋の面を持っているので安心だが、残りの3人を怒らせた場合、後の始末が恐ろし過ぎる。
まあ、ヒイシの異能もわかった上で、ヒイシに忠実に仕えられる侍女達を選別したと自負しているので、早くミスラが肝心なことをヒイシに伝えてくれることを副侍女長は切に願っていた。
「ヒイシ様」
「・・・何か?」
「今日は王宮に花を届けに来る者がいるのですが、お会いになられませんか?」
「・・・・・・花?」
副侍女長の言葉に、ヒイシは首を傾げる。
「はい。ジルべスタン国の特産になっている花で、栽培方法の難しさから、国内でも極1部でしか栽培されていないのです。他国の王族や高位貴族にとても人気があるのです」
そう云えば、伯母と従妹がその花を加工して装飾品にした物を大層好んでいたな、とヒイシは思い出す。主にジルべスタン国内に優先される為に、出荷される数はとても少なかったはず。その花を求めて、他国から商人達が買い付けにくるほどだとか。
幽閉されているヒイシには、全く興味は湧かなかったけれど。
「栽培の総指揮を執っているのは、花を品種改良で栽培した方の娘さんです。王宮に収める花を納品してくれるのもその子で、とても良い子なんですよ」
副侍女長が自分を気遣ってくれていることを感じ、ヒイシは逡巡した後、頷いた。副侍女長はとても嬉しそうな表情でソソクサと部屋を出て行く。
思えば、人の中で生き辛い異能を持った自分に対して、あれだけ平然とした顔でよく仕えられるものだな、とヒイシは副侍女長の出て行った扉を見つめながら考えに耽る。
数刻の後、部屋の扉が叩かれ、副侍女長と少女が姿を現した。
少女は歳の頃、14~15歳ほどだろうか? フリルの付いた大きな帽子を被り、同じようにフリルがふんだんに使われた服を着ている。
少女はヒイシを見て、とても驚いたような顔をしている。そんな反応など慣れてしまっているヒイシであるが、少女を見て、瞠目しているのを何とか表情に出さないように必死で取り繕う。
「ヒイシ様、こちらは王宮に雪薔薇を納品しているバズ・テネレッツァです」
「は、初めまして! バズ・テネレッツァですっ!」
緊張しているバズを見て、ヒイシはクスリ、と笑った。その穏やかな微笑みにバズのみならず、副侍女長も見惚れてしまう。
「・・・珍しい名前ね。でも、ご両親がその名前を貴方に付けた気持ちはとても温かいものだわ」
「わっ、わたしの名前の意味をご存知なんですか?!」
「ええ。確か古語で【幸せ】を意味するのよね」
「はい! 亡くなった両親が付けてくれたんです!! それなのに名前のことで虐めてきたり、笑いものにしたりする人が多くて・・・ッ!」
頬を膨らませるバズはとても可愛らしく、大人から可愛がられる理由がよくわかる。
副侍女長の咳払いにハッ、とし、服装の乱れを直してシャキッ、とする姿もとても微笑ましい。
バズを見て、バスを揶揄ったり、虐めている人間の思考はわかりたくなくてもわかってしまう。
漆黒の髪と瞳は濡れたように艶やかで、肌は陶磁器のように白い。配置のバランスが良い相貌だが、髪をショートカットにしているせいか、幼い印象を抱かせ、無邪気さと天真爛漫さが雰囲気に表れている。服装から全体像を見れば、ビスクドールのようだ。それなのに、話していると幼い外見を裏切る聡さを見せる。
好きな子イジメ? 直接見たことがないのでわからないが、バズを見ていると男女問わずそんなことを仕出かしそうな容姿と雰囲気を兼ね備えているから、そういった目に頻繁に遭ってきたのであろう。内面は雰囲気を裏切るほど勝気そうだが。
そんなことをツラツラと考えていたヒイシの前に、副侍女長が籠にたくさん入った花から1本抜き取り、ヒイシに手渡す。
手渡された花は、見目は白薔薇によく似ているが、常に露を含んだような花びらに薄らと青い色がかかっている。これが【雪薔薇】と呼ばれている花か、とヒイシは花をシゲシゲと眺めていた。
そんなヒイシの姿に見惚れるバズはため息を零す。
「美しい」と賛美される雪薔薇の花を眺めているヒイシは完成された一幅の絵画よりも神秘的で、こんな女性が存在したのか、と思うほどである。
「テネレッツァ、今回の納品の代金と料理長からイチジクのジャムです」
ヒイシに見惚れるバズに構わず、簡潔に要件を伝え、代金とジャムが入った籠を手渡す副侍女長。
バズは慌ててその籠を受け取り、料理長へのお礼を副侍女長と話し合い始める。
そんな様子をチラリと横目で見ながら、ヒイシはバズを観察していた。
最初にバズを見て驚いたのは、その心の美しさから。
そして次に首を傾げたのは、ヒイシが今まで見てきた心の綺麗な人間とは違う、ということ。
ヒイシは心根の綺麗な人間を異能で何度か見たことがある。その誰もが、「清々しい風のような」、「晴れ晴れとした太陽のような」、「水の流れのように清浄な」、という印象をまず抱いた。
けれど、バズはそれに当て嵌まらない。
心は確かに綺麗だ。それなのに、その心の美しさに疑問を浮かべてしまうヒイシ自身がいる。
今まで出会った心の美しい人間とは何かが、何処かが違う。
それは何なのか、久しく抱かなかった興味という感情がヒイシの中に沸き起こっていく。
「バズ、また来てくれますか?」
ヒイシの問いかけに、副侍女長とバズは揃って驚いた表情を浮かべる。
しかし、バズは破顔して、嬉しさを隠しもしない声で返答する。
「はい! 絶対にまた来ます!!」
ヒイシとバズが微笑み合っている姿は、ヒイシの美しさに耐性が付きつつあった副侍女長ですら感嘆のため息を零してしまうほど麗しい光景であった。
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