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その後の話
中編
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レックスの家は灯りが落とされ、静まり返っていた。
セディルは、到着するなり呼び鈴を無視して、ドアを開こうとしたが、鍵がかかっていることに気づき、力いっぱい蹴りつけた。
二度、三度と蹴りつけるとドアにヒビが入り、先に蝶番が降参したようで留め具が外れ、ドアが傾く。
「おいっ、身体は商売道具だろう!? 無茶なことはしないでくれ!」
叫んだのは、セディルを追いかけてきたフィダだった。フィダは腕に赤子を抱きかかえ、フィダの後ろをミナルもついてきている。
「ドアがいくら高価だとしても、アイナ以上に価値のあるものはない」
「その通りよ!」
「いや、違うって。きみの身体のことだよ、今後も先生を養っていくのなら、身体を大事にって……聞いてる!?」
セディルは、ドアを強引に取り除いて、玄関へ入ると、そのまま居間へ抜けた。ぱたぱたとあとを着いてくる足音は、ミナルのものだ。
「アイナッ、アイナ、どこなの!?」
叫びながら、ミナルが更に奥の部屋に走って行った。
ため息をつきながら最後に居間へ入ってきたフィダは、やみくもに叫ぶミナルに肩を竦めたあと、居間を見渡していたセディルに声をかけた。
「何かわかるの?」
「アイナの形跡がないか、探している」
「手がかり探しってわけか」
セディルは、居間を見たあと、他の部屋もくまなく探したが、アイナの私物や痕跡といったものは一切見られなかった。
歯を噛みしめて、壁を殴る。殴った場所に穴が開き、ぱらぱらと漆喰の破片が落ちていく。
アイナはどこだ。
レックスが関わっていると考えたことが間違いだったのか。あの、ミナルの言葉さえ虚偽だったのではないか。
ぐるぐると考えていると、「ちょっときて」とフィダに呼ばれた。
振り返ると、フィダが呆れたような顔で立っている。どうやら壁を殴った音に驚いてやってきたらしい。
「こっち、ちょっと気になるものがあるんだ」
踵を返すフィダに、やや距離を取りながらついていく。何が起こっているのかわからない今、セディルは誰も信用できない。
セディルが本当の意味で信用できるのは、アイナだけだ。
彼女に救われた日から、すべてにおいて、アイナはセディルの特別なのだから。
居間まで戻ってくると、しゃがみ込むミナルがいた。演技とは思えない呆然とした姿をしており、フィダの足音に反応して、ゆっくりと顔をあげたが、それだけだった。
フィダは、居間にあるソファを通り過ぎて、食卓だろう机のほうへ向かうと、セディルを手招く。
「ここに、高級なワインがある。それも、開封済みでコルクもされていない。飲みかけだね。グラスも二つ、置きっぱなしだ」
「……何が言いたい?」
フィダが、真っ直ぐにセディルを見た。
反発的なセディルに肩眉をあげたあと、フィダは僅かな沈黙ののちに、ゆっくりと口をひらいた。
「僕もミナルと一緒に、レックスから先生が風邪で体調を崩してるって聞いてたんだ。でも、きみいわく、先生は自宅に居ない。そうだろ?」
「ああ」
「きみが看病しているって話も、嘘だった」
「俺は、泊りの仕事で、さっき帰ったばかりだ」
フィダは頷く。
「今のところ誰より怪しいのはレックスだ。だからきみはレックスの家へ真っ先に来た」
「そうだ」
「……でも、先生はいない。レックス本人は勿論、ショーンもいなくなっているのは不自然だ」
ショーン。
確か、フィダとミナルの子どもだったはずだが、なぜレックスの家にいたのだろう。そんな疑問を抱いたが、今はアイナのことが先決だった。
「いいかい? つまり、だ。レックスによって、先生とショーンが連れ去られたという線が強いってことだよ」
「お前たちが嘘をついている可能性もある」
「……疑うのは自由だけど、ミナルは心から先生へ好意を寄せているし、僕も先生には感謝しているんだ。事件に巻き込まれたのなら、助けたい」
フィダは、そう言って微笑んだ。
「信じる信じないも、きみの自由だけどね」
セディルは視線を落とす。今すぐにでもアイナの元へ駆けつけたいのに、どこにいるのかわからない。無事という確証もなく、今のセディルほど無力な者はいないだろう。
そのことを、セディルはよく理解している。
セディルが心から信じることができるのはアイナだけだが、無力さを噛みしめ続けるよりも、彼らの協力を仰ぎ、そのなかで自分なりの考えをもつほうが賢明だと判断する。
「わかった。それで、アイナはどこにいると考えている?」
フィダは一つ頷いて、彼の推測を話し始めた。
「まず、アイナ医師が無断で一言も伝言なく姿を消すとは考えにくい。つまり何者か――一番怪しいのはレックスだ――に、攫われたことになる。けれど、レックス一人で医師とショーンの二人を連れ去ることが出来たとは考えにくいんだ。いくら大人の男とはいえ、人ひとり運ぶのでも困難なんだから」
「回りくどい説明はいらないわ、結論だけちょうだい」
ミナルが怒った口調で言う。
フィダはもう一度頷いた。
「つまり、可能性は二つ。アイナ医師とショーンが協力的に行動を共にしたか――これだと、何か伝言を残すはずだから、可能性としてはかなり低い――、もしくは、レックスに協力者がいるという線だ」
そう言って、机の上に置いたままのワインを手に取った。
「珍しいワインだ。客人が土産に持ってきたのかもしれない」
「それで、アイナはどこなの?」
「僕にもわからないさ。でも、調べる方法はいくつか考えられる。レックスが迎えたと思しき客を調べるんだ。これだけ高価なワインを持参する大物なら、情報がかなり得られるかもしれない。それから、人二人を攫うのには馬車が必要だ。レックスが手配した馬車がないか、また、馬車の目撃者がいないか、調べよう」
つまり、謎の客人が関係のある場所と、馬車が移動した先で、交わる箇所があれば、そこが怪しいということか。
セディルは頷くが、ミナルはよくわかっていないようだった。
その後、手分けして探すことになった。
かなり地道な工程を経て、やっとアイナの居場所らしき場所がわかったのは、ひと月近くが過ぎたあとだった。
アイナをさらった者の名は、ワックステイド。
王都に屋敷を構える公爵家の人間で、レックスの父方の伯父に当たる者らしい。
セディルは、その名を知っていた。
この街にきて、ミナルの口から聞いた名だった。
いつか、女々しいと思われようとアイナに聞こうと思っていたため、セディルが忘れるはずがない。
ワックステイド。
それは、アイナが貴族だった頃。
正式に婚約していた、元婚約の男の名前だ。
◇
アイナは、ため息をついた。
見知らぬ屋敷へ連れてこられて、ひと月が過ぎた。
ショーンは、例の流行り病ではなかったが感染の恐れがある疾患だったため、暫くは療養していた。今は熱もさがり、アイナと共に屋敷で暮らしている。
ソファで腕を組み、どうしたものかと考えていたアイナは、ドアを叩いて入ってきた男を睨みつけた。
「ん、どうした? 何か必要なものが出来たか? 買ってきてやるよ」
レックスはそう言うと、アイナの向かい側のソファに座る。アイナはまた、ため息をついた。
「手紙を書かせて」
レックスはすまなそうに眉を潜めると、ゆっくりと首を横に振った。
「他のことにしてくれよ、悪い」
「……じゃあ、甘いものが食べたい。ショーンの分も」
「わかった、次持ってくる」
レックスは、生活に必要な品がそろっているか確認すると、軽く手を挙げて出て行った。
(これって、監禁ってやつよねぇ)
あの日、レックスに乞われて往診に出向いた先で倒れているショーンの診察をした。診察に夢中で、背後から忍び寄ってきた第三者に気づかなかったのだ。
殴られて意識を失ったアイナが、目を覚ましたのは馬車のなかだった。
痛む頭を冷やしながら、すぐにショーンの看病や投薬を始めて――アイナとショーンは、この屋敷に連れてこられた。
潮の匂いがするので、海が近いのだろうが、詳しい場所はわからない。
今のところ害をなすつもりはないようで、衣食住にも不自由はなかった。
だが、街へ置いてきたショーンの家族や、セディルは大丈夫だろうか。セディルはアイナのことで周りが見えなくなることがあるから、無茶をしていないといいけれど。
「先生」
呼ばれて振り返ると、ショーンが目をこすりながら居間へとやってくるところだった。いつものチュニックよりも上等な被服を着ているのは、彼が用意した衣類が彼の価値観によって集められたものだからだった。
かつてのアイナならば、当然と受け止めた贅沢も、今では違和感を覚える。
(私、平民の生活の方があってるのかも)
苦笑しながら立ち上がり、ショーンを食卓へ促した。
「おはよう、ショーン。朝食出来てるから、用意するわ」
「おはよう、先生」
ショーンはとても小柄で、六、七歳ほどに見えるけれど、実際は九歳だという。ジルがどれだけ早くミナルの元を去ったのか知って、ジルに対して改めて怒りを抱く。
心の底から腐ったどうしようもない男だったのだ。むしろ、アイナのようにミナルまで殺傷されずによかったと思うべきか。
てきぱきと机に朝食を並べると、ショーンはそわそわした様子でアイナを見ている。自宅では手伝うのが当たり前のようで、こうして「されるだけ」なのは性に合わないらしい。
ショーンは、口数こそ少ないけれど、随分と気の利く性分だ。
顔立ちも男前だし、さぞモテるだろう。
二人で朝食を食べ終えると、ショーンが食器を片付けてくれた。
その後、空いた時間を活用して、ショーンへアイナの知る医学の知識を教えている。年齢が若いのと、やる気があるからか、ショーンは字の読み書きをすぐに覚えた。
(笑った顔、ミナルに似てて可愛いなぁ)
ショーンは、褒めるととても喜ぶ。頑張りすぎるところがあるから、適度に声をかけて休憩を促す。
九歳――アイナも当時結婚していれば、ショーンのような子がいたのだろうか。
居間のドアを叩く音がして、ショーンは読んでいた本から顔をあげた。医学入門の本で、レックスに買ってきて貰った。アイナが一読して覚えやすい順位ごとに印をつけており、ショーンは素直にアイナに指示されるまま、順番に医学書を読んでいる。
ドアが開いて、入ってきたのは五十歳手前とは思えないほどに老けた、白髪の男だった。
「おかえりなさい! ワックステイド様!」
ショーンはぱっと笑顔で、男――ワックステイドに、駆け寄った。
ワックステイドはショーンが読んでいた本を一瞥したあと、朗らかな笑顔で、ショーンの頭を撫でた。
「ただいま。勉強は頑張っているかね」
「はい。先生が、すごくわかりやすく教えてくれるんです」
「そうか、偉いな」
むふふん、と笑ったショーンは、すぐに紅茶を入れて、アイナと、ワックステイドの分を机に置くと、本を持って部屋に引っ込んだ。「休憩してきます」と一言残して。
「ふぅむ、あの歳で気のつく子だ。アイナの息子であれば、養子にしたいのだがなぁ」
「お断りしますからね?」
「はは、きみには断らえてばかりだ」
ワックステイドは、アイナの向かい側に座ると、ショーンの煎れた紅茶を飲む。
「……美味いな。きみの煎れる紅茶によく似ている」
そう言って微笑むと、彼は、唐突にその話を切り出した。
「きみの未来の夫が、近くまで来ているらしい」
はっ、とアイナは顔をあげる。
「私――」
「このまま、帰るといい。失った夢を、本来得ていたかもしれない夢を、見ることができたこと。きみには感謝している」
「ワ、ワックステイド様」
「ミナルといったか、きみの侍女は。彼女もいるそうだ」
「あのっ、わ、私」
「アイナ、殴ってすまなかった。死んだと思っていたきみが生きていたと知って、逃がしたくなかった。私を見た瞬間逃げ出すだろうと思ったら……気づいたら、殴ってしまっていた」
「それは……痛かったですけど」
ワックステイドは、くすりと笑う。
「さぁお行き。長い間、閉じ込めてすまなかったね」
アイナは頭をさげたあと、自分の荷物をまとめた。ショーンに着替えるように声をかけて、アイナもここへ来たときのドレスに着替える。
アイナは最後にもう一度、ワックステイドに頭をさげると、屋敷をあとにした。
途中ですれ違ったレックスは、肩をすくめただけで何も言わなかった。
「荷物、持とうか?」
ショーンがアイナに言う。
大丈夫、と首を横にふると、ショーンは子どもらしく拗ねた顔をした。
「僕だって、持てるよ」
「頼もしいわね。ショーンは本当に、いい男になるわ」
ショーンは、はにかんで俯く。
耳が赤くて、照れている姿も愛らしい。
屋敷の前には、なだらかな傾斜が続いていた。下り坂を降りていると、突き当りを角を曲がった途端に、目の前に海が広がる。
昼の陽光で輝く海は、とても綺麗だ。
「大きな水たまり!」
「あれは、海よ」
「うみ?」
「そう。塩やお豆腐を作るにがりも、海から……海水からとれるの」
「美味しい水なんだね」
「それはもう美味しいわよ。近くの市場には、新鮮な魚が売ってると思うわ。珍しいものもきっとあるはず」
「先生は物知りだなぁ」
そう言って微笑むショーン。
彼は、ワックステイドの別荘の一つに閉じ込められていたことが、苦痛ではなかったのだろうか。もともとレックスに預けられていたようだし、レックスが毎日顔を出してくれていたため、安心していたのかもしれない。
「セディルとミナルが、近くまで来てるんですって。探して合流しましょう」
そう言った瞬間、ショーンの表情が曇った。
触れてはいけなかったようだが、この歳の子が抱えるにしては大きすぎる悩みだろうことも察していたため、あえて、アイナは続ける。
「心配事でもあるの?」
「ううん。でも」
「でも?」
「楽しかったなぁって」
そう、とだけ返事を返した。
ほんの少しだけ、ほっとする。
ミナルやフィダが、ショーンに対してあまりよい関わりをもっていないのではないかと思っていた。実際、そういう部分もあるだろうけれど、ショーン自身は、彼らを嫌っているわけではないらしい。
家族だからこそ、うまくいかない場合もある。
アイナだって両親を憎んだ時期があったが、今はただ、健康に穏やかに過ごしてくれればいいと思っていた。けれど、もう二度と、かつてのように微笑み合うことはできないだろうとも思っている。
「ねぇ、ショーン」
「ん?」
「よかったら、たまにでいいから、うちに手伝いにこない?」
ショーンが、目を見張った。
「助手が欲しかったの。勿論、子どもを働かせることは違法だし、給料はあげられない。お手伝いのお礼として、昼食をご馳走したり、勉強を見たりしてあげる」
「いいの!? すごく嬉しい!」
「ミナルとフィダが許可したらね」
いつだったか、患者の一人が言っていた。
両親と不仲だったが、結婚して所帯を持ち、距離をおくことで初めて愛せるようになったと。
今、ミナルとフィダは常に一緒にいる。
おそらくだが、それが苦しくなってレックスへ預けられたり、しているのだろう。
ミナルの不器用さは、今も変わらないようだった。ショーンをどうして愛したらいいのかわからない。あの男と同じ髪色をした、あの男の血を引く子だ。ショーンに落ち度はなくても、忌んでしまうのだろう。
結果、ショーンのほうも、ミナルの望む行動を取るようになり、ショーン自身の世界がとても狭くなっている。九歳ならば、もっと友達と遊んでもいい年頃だ。
アイナの助手として手伝いくることで、ショーンはこれまで知らなかった様々なことを知るだろう。
ミナルもまた、そんなショーンを見て、考えが変わって行くかもしれない。
何より――助手がいれば、アイナがとてつもなく助かる。
ふと、名前を呼ばれた気がして、顔を向けた。
こちらに走ってくるセディルがいた。少し遅れてミナルが、これまで見たことのない形相で全力疾走している。さらに後方に、ゆったりと歩いているフィダがいた。
セディルは、到着するなり呼び鈴を無視して、ドアを開こうとしたが、鍵がかかっていることに気づき、力いっぱい蹴りつけた。
二度、三度と蹴りつけるとドアにヒビが入り、先に蝶番が降参したようで留め具が外れ、ドアが傾く。
「おいっ、身体は商売道具だろう!? 無茶なことはしないでくれ!」
叫んだのは、セディルを追いかけてきたフィダだった。フィダは腕に赤子を抱きかかえ、フィダの後ろをミナルもついてきている。
「ドアがいくら高価だとしても、アイナ以上に価値のあるものはない」
「その通りよ!」
「いや、違うって。きみの身体のことだよ、今後も先生を養っていくのなら、身体を大事にって……聞いてる!?」
セディルは、ドアを強引に取り除いて、玄関へ入ると、そのまま居間へ抜けた。ぱたぱたとあとを着いてくる足音は、ミナルのものだ。
「アイナッ、アイナ、どこなの!?」
叫びながら、ミナルが更に奥の部屋に走って行った。
ため息をつきながら最後に居間へ入ってきたフィダは、やみくもに叫ぶミナルに肩を竦めたあと、居間を見渡していたセディルに声をかけた。
「何かわかるの?」
「アイナの形跡がないか、探している」
「手がかり探しってわけか」
セディルは、居間を見たあと、他の部屋もくまなく探したが、アイナの私物や痕跡といったものは一切見られなかった。
歯を噛みしめて、壁を殴る。殴った場所に穴が開き、ぱらぱらと漆喰の破片が落ちていく。
アイナはどこだ。
レックスが関わっていると考えたことが間違いだったのか。あの、ミナルの言葉さえ虚偽だったのではないか。
ぐるぐると考えていると、「ちょっときて」とフィダに呼ばれた。
振り返ると、フィダが呆れたような顔で立っている。どうやら壁を殴った音に驚いてやってきたらしい。
「こっち、ちょっと気になるものがあるんだ」
踵を返すフィダに、やや距離を取りながらついていく。何が起こっているのかわからない今、セディルは誰も信用できない。
セディルが本当の意味で信用できるのは、アイナだけだ。
彼女に救われた日から、すべてにおいて、アイナはセディルの特別なのだから。
居間まで戻ってくると、しゃがみ込むミナルがいた。演技とは思えない呆然とした姿をしており、フィダの足音に反応して、ゆっくりと顔をあげたが、それだけだった。
フィダは、居間にあるソファを通り過ぎて、食卓だろう机のほうへ向かうと、セディルを手招く。
「ここに、高級なワインがある。それも、開封済みでコルクもされていない。飲みかけだね。グラスも二つ、置きっぱなしだ」
「……何が言いたい?」
フィダが、真っ直ぐにセディルを見た。
反発的なセディルに肩眉をあげたあと、フィダは僅かな沈黙ののちに、ゆっくりと口をひらいた。
「僕もミナルと一緒に、レックスから先生が風邪で体調を崩してるって聞いてたんだ。でも、きみいわく、先生は自宅に居ない。そうだろ?」
「ああ」
「きみが看病しているって話も、嘘だった」
「俺は、泊りの仕事で、さっき帰ったばかりだ」
フィダは頷く。
「今のところ誰より怪しいのはレックスだ。だからきみはレックスの家へ真っ先に来た」
「そうだ」
「……でも、先生はいない。レックス本人は勿論、ショーンもいなくなっているのは不自然だ」
ショーン。
確か、フィダとミナルの子どもだったはずだが、なぜレックスの家にいたのだろう。そんな疑問を抱いたが、今はアイナのことが先決だった。
「いいかい? つまり、だ。レックスによって、先生とショーンが連れ去られたという線が強いってことだよ」
「お前たちが嘘をついている可能性もある」
「……疑うのは自由だけど、ミナルは心から先生へ好意を寄せているし、僕も先生には感謝しているんだ。事件に巻き込まれたのなら、助けたい」
フィダは、そう言って微笑んだ。
「信じる信じないも、きみの自由だけどね」
セディルは視線を落とす。今すぐにでもアイナの元へ駆けつけたいのに、どこにいるのかわからない。無事という確証もなく、今のセディルほど無力な者はいないだろう。
そのことを、セディルはよく理解している。
セディルが心から信じることができるのはアイナだけだが、無力さを噛みしめ続けるよりも、彼らの協力を仰ぎ、そのなかで自分なりの考えをもつほうが賢明だと判断する。
「わかった。それで、アイナはどこにいると考えている?」
フィダは一つ頷いて、彼の推測を話し始めた。
「まず、アイナ医師が無断で一言も伝言なく姿を消すとは考えにくい。つまり何者か――一番怪しいのはレックスだ――に、攫われたことになる。けれど、レックス一人で医師とショーンの二人を連れ去ることが出来たとは考えにくいんだ。いくら大人の男とはいえ、人ひとり運ぶのでも困難なんだから」
「回りくどい説明はいらないわ、結論だけちょうだい」
ミナルが怒った口調で言う。
フィダはもう一度頷いた。
「つまり、可能性は二つ。アイナ医師とショーンが協力的に行動を共にしたか――これだと、何か伝言を残すはずだから、可能性としてはかなり低い――、もしくは、レックスに協力者がいるという線だ」
そう言って、机の上に置いたままのワインを手に取った。
「珍しいワインだ。客人が土産に持ってきたのかもしれない」
「それで、アイナはどこなの?」
「僕にもわからないさ。でも、調べる方法はいくつか考えられる。レックスが迎えたと思しき客を調べるんだ。これだけ高価なワインを持参する大物なら、情報がかなり得られるかもしれない。それから、人二人を攫うのには馬車が必要だ。レックスが手配した馬車がないか、また、馬車の目撃者がいないか、調べよう」
つまり、謎の客人が関係のある場所と、馬車が移動した先で、交わる箇所があれば、そこが怪しいということか。
セディルは頷くが、ミナルはよくわかっていないようだった。
その後、手分けして探すことになった。
かなり地道な工程を経て、やっとアイナの居場所らしき場所がわかったのは、ひと月近くが過ぎたあとだった。
アイナをさらった者の名は、ワックステイド。
王都に屋敷を構える公爵家の人間で、レックスの父方の伯父に当たる者らしい。
セディルは、その名を知っていた。
この街にきて、ミナルの口から聞いた名だった。
いつか、女々しいと思われようとアイナに聞こうと思っていたため、セディルが忘れるはずがない。
ワックステイド。
それは、アイナが貴族だった頃。
正式に婚約していた、元婚約の男の名前だ。
◇
アイナは、ため息をついた。
見知らぬ屋敷へ連れてこられて、ひと月が過ぎた。
ショーンは、例の流行り病ではなかったが感染の恐れがある疾患だったため、暫くは療養していた。今は熱もさがり、アイナと共に屋敷で暮らしている。
ソファで腕を組み、どうしたものかと考えていたアイナは、ドアを叩いて入ってきた男を睨みつけた。
「ん、どうした? 何か必要なものが出来たか? 買ってきてやるよ」
レックスはそう言うと、アイナの向かい側のソファに座る。アイナはまた、ため息をついた。
「手紙を書かせて」
レックスはすまなそうに眉を潜めると、ゆっくりと首を横に振った。
「他のことにしてくれよ、悪い」
「……じゃあ、甘いものが食べたい。ショーンの分も」
「わかった、次持ってくる」
レックスは、生活に必要な品がそろっているか確認すると、軽く手を挙げて出て行った。
(これって、監禁ってやつよねぇ)
あの日、レックスに乞われて往診に出向いた先で倒れているショーンの診察をした。診察に夢中で、背後から忍び寄ってきた第三者に気づかなかったのだ。
殴られて意識を失ったアイナが、目を覚ましたのは馬車のなかだった。
痛む頭を冷やしながら、すぐにショーンの看病や投薬を始めて――アイナとショーンは、この屋敷に連れてこられた。
潮の匂いがするので、海が近いのだろうが、詳しい場所はわからない。
今のところ害をなすつもりはないようで、衣食住にも不自由はなかった。
だが、街へ置いてきたショーンの家族や、セディルは大丈夫だろうか。セディルはアイナのことで周りが見えなくなることがあるから、無茶をしていないといいけれど。
「先生」
呼ばれて振り返ると、ショーンが目をこすりながら居間へとやってくるところだった。いつものチュニックよりも上等な被服を着ているのは、彼が用意した衣類が彼の価値観によって集められたものだからだった。
かつてのアイナならば、当然と受け止めた贅沢も、今では違和感を覚える。
(私、平民の生活の方があってるのかも)
苦笑しながら立ち上がり、ショーンを食卓へ促した。
「おはよう、ショーン。朝食出来てるから、用意するわ」
「おはよう、先生」
ショーンはとても小柄で、六、七歳ほどに見えるけれど、実際は九歳だという。ジルがどれだけ早くミナルの元を去ったのか知って、ジルに対して改めて怒りを抱く。
心の底から腐ったどうしようもない男だったのだ。むしろ、アイナのようにミナルまで殺傷されずによかったと思うべきか。
てきぱきと机に朝食を並べると、ショーンはそわそわした様子でアイナを見ている。自宅では手伝うのが当たり前のようで、こうして「されるだけ」なのは性に合わないらしい。
ショーンは、口数こそ少ないけれど、随分と気の利く性分だ。
顔立ちも男前だし、さぞモテるだろう。
二人で朝食を食べ終えると、ショーンが食器を片付けてくれた。
その後、空いた時間を活用して、ショーンへアイナの知る医学の知識を教えている。年齢が若いのと、やる気があるからか、ショーンは字の読み書きをすぐに覚えた。
(笑った顔、ミナルに似てて可愛いなぁ)
ショーンは、褒めるととても喜ぶ。頑張りすぎるところがあるから、適度に声をかけて休憩を促す。
九歳――アイナも当時結婚していれば、ショーンのような子がいたのだろうか。
居間のドアを叩く音がして、ショーンは読んでいた本から顔をあげた。医学入門の本で、レックスに買ってきて貰った。アイナが一読して覚えやすい順位ごとに印をつけており、ショーンは素直にアイナに指示されるまま、順番に医学書を読んでいる。
ドアが開いて、入ってきたのは五十歳手前とは思えないほどに老けた、白髪の男だった。
「おかえりなさい! ワックステイド様!」
ショーンはぱっと笑顔で、男――ワックステイドに、駆け寄った。
ワックステイドはショーンが読んでいた本を一瞥したあと、朗らかな笑顔で、ショーンの頭を撫でた。
「ただいま。勉強は頑張っているかね」
「はい。先生が、すごくわかりやすく教えてくれるんです」
「そうか、偉いな」
むふふん、と笑ったショーンは、すぐに紅茶を入れて、アイナと、ワックステイドの分を机に置くと、本を持って部屋に引っ込んだ。「休憩してきます」と一言残して。
「ふぅむ、あの歳で気のつく子だ。アイナの息子であれば、養子にしたいのだがなぁ」
「お断りしますからね?」
「はは、きみには断らえてばかりだ」
ワックステイドは、アイナの向かい側に座ると、ショーンの煎れた紅茶を飲む。
「……美味いな。きみの煎れる紅茶によく似ている」
そう言って微笑むと、彼は、唐突にその話を切り出した。
「きみの未来の夫が、近くまで来ているらしい」
はっ、とアイナは顔をあげる。
「私――」
「このまま、帰るといい。失った夢を、本来得ていたかもしれない夢を、見ることができたこと。きみには感謝している」
「ワ、ワックステイド様」
「ミナルといったか、きみの侍女は。彼女もいるそうだ」
「あのっ、わ、私」
「アイナ、殴ってすまなかった。死んだと思っていたきみが生きていたと知って、逃がしたくなかった。私を見た瞬間逃げ出すだろうと思ったら……気づいたら、殴ってしまっていた」
「それは……痛かったですけど」
ワックステイドは、くすりと笑う。
「さぁお行き。長い間、閉じ込めてすまなかったね」
アイナは頭をさげたあと、自分の荷物をまとめた。ショーンに着替えるように声をかけて、アイナもここへ来たときのドレスに着替える。
アイナは最後にもう一度、ワックステイドに頭をさげると、屋敷をあとにした。
途中ですれ違ったレックスは、肩をすくめただけで何も言わなかった。
「荷物、持とうか?」
ショーンがアイナに言う。
大丈夫、と首を横にふると、ショーンは子どもらしく拗ねた顔をした。
「僕だって、持てるよ」
「頼もしいわね。ショーンは本当に、いい男になるわ」
ショーンは、はにかんで俯く。
耳が赤くて、照れている姿も愛らしい。
屋敷の前には、なだらかな傾斜が続いていた。下り坂を降りていると、突き当りを角を曲がった途端に、目の前に海が広がる。
昼の陽光で輝く海は、とても綺麗だ。
「大きな水たまり!」
「あれは、海よ」
「うみ?」
「そう。塩やお豆腐を作るにがりも、海から……海水からとれるの」
「美味しい水なんだね」
「それはもう美味しいわよ。近くの市場には、新鮮な魚が売ってると思うわ。珍しいものもきっとあるはず」
「先生は物知りだなぁ」
そう言って微笑むショーン。
彼は、ワックステイドの別荘の一つに閉じ込められていたことが、苦痛ではなかったのだろうか。もともとレックスに預けられていたようだし、レックスが毎日顔を出してくれていたため、安心していたのかもしれない。
「セディルとミナルが、近くまで来てるんですって。探して合流しましょう」
そう言った瞬間、ショーンの表情が曇った。
触れてはいけなかったようだが、この歳の子が抱えるにしては大きすぎる悩みだろうことも察していたため、あえて、アイナは続ける。
「心配事でもあるの?」
「ううん。でも」
「でも?」
「楽しかったなぁって」
そう、とだけ返事を返した。
ほんの少しだけ、ほっとする。
ミナルやフィダが、ショーンに対してあまりよい関わりをもっていないのではないかと思っていた。実際、そういう部分もあるだろうけれど、ショーン自身は、彼らを嫌っているわけではないらしい。
家族だからこそ、うまくいかない場合もある。
アイナだって両親を憎んだ時期があったが、今はただ、健康に穏やかに過ごしてくれればいいと思っていた。けれど、もう二度と、かつてのように微笑み合うことはできないだろうとも思っている。
「ねぇ、ショーン」
「ん?」
「よかったら、たまにでいいから、うちに手伝いにこない?」
ショーンが、目を見張った。
「助手が欲しかったの。勿論、子どもを働かせることは違法だし、給料はあげられない。お手伝いのお礼として、昼食をご馳走したり、勉強を見たりしてあげる」
「いいの!? すごく嬉しい!」
「ミナルとフィダが許可したらね」
いつだったか、患者の一人が言っていた。
両親と不仲だったが、結婚して所帯を持ち、距離をおくことで初めて愛せるようになったと。
今、ミナルとフィダは常に一緒にいる。
おそらくだが、それが苦しくなってレックスへ預けられたり、しているのだろう。
ミナルの不器用さは、今も変わらないようだった。ショーンをどうして愛したらいいのかわからない。あの男と同じ髪色をした、あの男の血を引く子だ。ショーンに落ち度はなくても、忌んでしまうのだろう。
結果、ショーンのほうも、ミナルの望む行動を取るようになり、ショーン自身の世界がとても狭くなっている。九歳ならば、もっと友達と遊んでもいい年頃だ。
アイナの助手として手伝いくることで、ショーンはこれまで知らなかった様々なことを知るだろう。
ミナルもまた、そんなショーンを見て、考えが変わって行くかもしれない。
何より――助手がいれば、アイナがとてつもなく助かる。
ふと、名前を呼ばれた気がして、顔を向けた。
こちらに走ってくるセディルがいた。少し遅れてミナルが、これまで見たことのない形相で全力疾走している。さらに後方に、ゆったりと歩いているフィダがいた。
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