悪 ―愚かな女王―

如月あこ

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第一章

1、

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 セフィリアは、ふと顔をあげた。

 すぐ近くにあった鏡に映った自分の顔を見て、微笑む。今年、セフィリアは三十になった。早いものだ。目ばかり大きい童顔なので年相応には見られないが、あと数年もすれば皺が増えてくるだろう。

 王位について、二年が経った。

 王位についたとき、セフィリアは期待していた達成感を覚えなかった。長かった道のりなのに、高揚するものは何一つなかったのだ。

 セフィリアは、二十代半ばで、セフィリアをただの侍女であると思っていた実弟リュンヴェルと結婚した。リュンヴェルの父であるバロック伯爵が死亡したことがきっかけだった。翌年、リュンヴェルもまた、セフィリアがバロック伯爵を殺害したと知らぬまま、事故で亡くなった。

 セフィリアを哀れに思った王子の側室となり、男児を出産。

 そして「運よく」国王と王子が死去した。

 すべて、セフィリアの努力の賜物だった。「女」を殺したあと、セフィリアは必至で知識を吸収したから。

 あらゆる分野を学んだのは、知識は武器になるからだった。

 知識を得ることによって「他者を理解できる」ことも多いと知り、特に他者の感情や接し方、心に寄り添う方法や魅了する方法など、対人関係の書物は片っ端から読み漁った。そして、試行錯誤を繰り返しながらも、セフィリアはずっと「皆が望むセフィリア」を演じて続けることに成功した。

 寡黙なリュンヴェルは理解者を欲しがっていたし、平民上がりで変わった趣向を持つケイドは友人を欲しがっていた。市井の母を持つ美しい王子はすべてを認めて自分を肯定してくれる者を欲していた。

セフィリアは、彼らの「望む娘」を演じた。

 誰も、たかだか平民の使用人が、しかも「馬鹿っぽい娘」が、謀反を企んでいるなど思わないだろう。

 それらが成功し、使い捨て、セフィリアは王座についた。

 七歳のころ望んだ「目的」を達成して二年が経つのに、あのとき覚えた不思議な感覚は得られない。

 セフィリアはため息をついて、鏡から手元に視線を戻した。

 友人に手紙を書いているのだが、この時間だけはなぜか自然と笑みがこぼれた。書いているのは、差しさわりのないことばかり。たまに、本当にたまに、本心を書いたりもする。

 さりげなく滑り込ませたその本心に、この友人は目ざとく気づいて、掘り下げた返事をくれるから、返事が楽しみでもあった。

 手紙を書き終えると、セフィリアは立ち上がった。

 部屋の隅に拘束している、二十歳ほどの青年に歩み寄る。青年は恐怖で目を見開くが、セフィリアは構わず歩み寄って拳で頬を殴った。

 血が絨毯に飛び散った。

 汚い。

 セフィリアはため息をついて、首を傾げる。

 わからない。あの「女」を殺したときと似たような立場なのに、こうして従者を何人痛めつけて殺しても、全然楽しくない。

 この青年も「駄目」だ。

 とっとと始末して、新しい従者を連れてこよう。

 そう決めたとき、ドアを叩く音がした。

 セフィリアは「どうぞ」と返事をする。

 入ってきたのは、右手に大きな包みを持った、ひょろりと背の高い男だった。長い前髪で片目を隠しており、もう片方の瞳は漆黒色をしている。ケイド・ティラミックという名の彼は、聖騎士第二位という大層な地位にいるくせに、瞳の色同様に暗く、憂鬱で気持ち悪い雰囲気をまとっている。

 聖騎士とは、公爵家に匹敵する――いや、それよりさらに、栄えある地位だ。多くの軍人のなかで五人だけ選ばれる彼らはすべてにおいて優秀で、国王へ忠誠を誓っている。軍事は勿論国政に介入する権力、王の代行者としての権力をも持ち、王が特権を与えれば貴族を動かすことさえできた。

 ただ、最近の聖騎士は実力が低迷している。

 かつて聖騎士第二位であったリュンヴェル、そして聖騎士第三位であったカインという男がいた。リュンヴェルは「不慮の事故」で亡くなり、カインはある娘と恋に落ちて騎士位を返上。

 この二人が短期間に抜けた穴は大きく、繰り上げで聖騎士となった者が半数近くいるのが現状である。ケイドもまた繰り上げて聖騎士第二位の地位についた男で、剣の個人技には長けているが、部下からの信頼や統率力は過去の聖騎士たちを比べると遥かに劣ると言われていた。

 ケイドはセフィリアを見て、騎士としての敬礼をした。

 セフィリアは拘束したままの青年を見下ろし、傍に置いてあったナイフを取り上げる。恐怖で唸る青年の喉に突き刺し、ぐりっと回す。血しぶきでドレスが真紅に染まり、噴き出る血を眺めつつ、ナイフを引き抜いた。

 血まみれのナイフを手の中で弄びながら、ケイドへ歩み寄る。

「……とどめは刺さないの?」

 ケイドの声は、いつも小さくて聞き取りにくい。面倒くさい男だと思う。

「お前には関係ないだろ」

 セフィリアは笑い、ソファに座った。

「で? 例の村はやっぱり私が言った通り『伝染病』だっただろ?」

 今年に入り、セフィリアは演技を辞めた。

 目的だった王座を得ても、本当に欲しいのはわからないまま。ならば、いつまでも演技をしている必要もない。また、自分自身が求めているものが何なのかを、探すだけ。

 きっと、「女」を殺したあのときの状況が関係あるのだろう。

 だから、セフィリアは「殺めること」を繰り返す。

 ケイドはセフィリアの言葉にやや沈黙したのち、堪えるように眉をひそめて「うん」と頷いた。

 そして、右手に持っていた大きな包みを床に広げた。

 転がり落ちたのは、数多の眼球たち。皆殺しにした村人の証拠。

「気持ち悪い」

 セフィリアは嘲笑して、足元に転がってきた眼球を踏み潰した。

「次は、南方にある村だな。確か、ながったらしい名前だった――ビスモーティルス村、だったか。あそこも、伝染病が流行ってるよな。……村ごと消す必要があると思わないか、ケイド」

 ケイドは視線を落とし、拳を握り締めた。

「どうした、ケイド。私たちは友人だろ、言いたいことがあれば言えばいい」

「……何もない。行ってくるよ。少し遠出になるから、いつもより多めに物資を持っていく」

「好きにしろ」

 ケイドは再び敬礼をして、部屋を出て行った。

 ケイドが出て行ってすぐに、ゴト、と音がした。何かと思って振り返ると、青年が拘束された状態で背後の壁にぶつかったのだ。先ほどより絨毯は血に染まり、青年はこと切れている。

(存在、忘れてたな。代わりを用意させないと)

 手の中のナイフを何気なく持ち上げたとき、またドアが叩く音がした。

 ケイドが戻ってきたのだろうか、と一瞬思ったけれど、ケイドの控えめなノックの音とは違う。ドアの叩き方には人柄が出るために、大体誰が来たのか見当をつけることができる。けれど、この叩き方は知らない。

 セフィリアは警戒して、持っていたナイフを袖口に隠した。

 入れ、と告げると、現れたのは初老の男だった。警戒して正解だ、とセフィリアは胸中でほくそ笑む。

 彼の名は、ユリウス・ファウスト。背は男にしてはやや低めで、年齢は五十八歳。ファウスト公爵家の三男坊だった男で、先王――セフィリアの夫であった王子の父に当たる人物の、旧友でもある。

 そして、この歳で尚、聖騎士第一位の地位に君臨する猛者だ。

 ユリウスは至上最強の聖騎士といわれており、個人の実力は勿論のこと、咄嗟の判断力や指揮官能力に長け、人望に厚い。

 先王派を主張する過激派貴族らは始末し、王位についたセフィリアは国民の支持もあり、すでに絶対的権力がある。不満な貴族も多いが、過激派を粛清したことで彼らは態度を変えた。

 現状として、皆が皆、セフィリアにゴマを擦ってくる。

 セフィリアは国政に手を抜かない。常に民を思う政策を心掛けているため、支持は落ちない。その反面、密かに無実の村を焼く。惨殺や暗殺の証拠も残さない。何か疑いがかかれば、身代わりをたてるだけ。

 セフィリアに絶対的権力を得ているのだ。

 つと、セフィリアはユリウスを見る。

 この男だけは、油断ならない。先王過激派ではないが、彼の影響力と人望を考えて消したほうがいいと判断し、何度も暗殺を企んだ。しかし、しぶとく生き残っており、なかなか処分できないでいる。

 反乱分子として無理やり罪をでっちあげる手もあるが、ユリウスは、かつて他国の侵略を防いだ「英雄」として国民からも慕われていた。加えて軍部を掌握するほどの人望がある。権力者でいうとセフィリア側についた者のほうが多いが、軍部はユリウスが率いていると言ってもいい。

 国民の支持を落とし、軍部まで敵にするなど、失うものが多すぎる。

 まだ、セフィリアは失脚するわけにはいかない。

 欲しいものを、見つけていないのだから。

「何か用か、ファウスト卿」

 告げると、ユリウスは突然しゃがみ込んだ。右足首の辺りにキラリと光るものが見えて、セフィリアは咄嗟に立ち上がる。

 先ほどまで手紙を書いていた机に寄りかかった瞬間、ユリウスは裾に隠していた短剣をセフィリアに振り下ろした。短剣は、鏡を投げつけながらユリウスの懐へ飛び込んだセフィリアの首筋をかする。

 ぬちゃ、という音がして、セフィリアの握り締めたナイフがユリウスの右目に刺さった。それでも尚セフィリアへ短剣を向けるユリウスに腕を掴まれて、「誰かこい!」と悲鳴をあげながら身を捩る。短剣は左腕に刺さり、痛みに顔を歪めながらナイフを引き抜く。ユリウスの眼球が落ちかけたとき、僅かに彼の手が緩んだ。

 腕に刺さったままの短剣ごと身を引き、距離を取る。

 そのとき、複数人のセフィリアの私兵が駆けつけてきて、ユリウスを捕らえた。ユリウスは、片目でセフィリアを睨みつけてくる。

 セフィリアは息を詰めた。

 あの「女」を殺したときに得た不思議な心地と、似通ったものを感じる。

「陛下、すぐに治療を――」

 青くなって駆けつけてきた忠実な侍従長を手で制し、セフィリアは鎖でがんじがらめにされたユリウスに歩み寄った。

 すぐ傍で彼の厳しい顔を見つめて、にやりと笑う。

「地下牢へ閉じ込めておけ」

 ユリウスは部屋を去る瞬間まで、セフィリアから視線を外さなかった。

(面白い)

 閉じ込めて、しばらくアレで遊ぼう。

 何をして遊ぼうか。

(そうだ、私が飼ってやろう)

 いいことを思いついた、と手を打とうとして左腕が上がらないことに気づく。セフィリアは冷めた目で自らの左腕を見て、短剣を引き抜いて捨てた。

 侍従長が手早く止血し、すぐに医師を呼びに行く。

 セフィリアはソファに座ると、止血帯が真紅に滲んでいくさまを見つめながら鼻歌を歌った。

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