悪 ―愚かな女王―

如月あこ

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第二章

1、

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 じゃら、と重い鎖が音をたてる。

 深夜の王城で、セフィリアは「散歩」を楽しんでいた。地下牢付近の見張り兵は下がらせたし、今、この近辺には誰もいない。

 セフィリアは握り締めた鎖を辿るように、その先で四つん這いになって犬のように這う男を見つめた。

 鎖は首に繋がっており、両腕と両足には枷がある。自由の利かない身体なので、這うのも大変そうだ。しかも、彼は全裸。無理やり這わせているので、枷が肌に食い込んで血が流れている。

 ユリウスを投獄して数日が経つが、ユリウスは相変わらず従順だ。床を舐めろと言えば舐める。けれど、セフィリアに対する憎悪の眼差しは揺るがない。

「犬って、マーキングするんだよな」

 セフィリアが言う。ユリウスの顔を覗き込めば、彼はまた射殺すような視線をセフィリアに向けてくる。

 ややのち、ユリウスは顔をしかめて、マーキングをした。

 全裸で這ったまま放尿するユリウスを見て、セフィリアは笑う。愚かで滑稽すぎて、面白い。

(犬って、他になにをするんだったか)

 そんなことを考えながら、セフィリアはユリウスの身体を蹴りつける。拘束で不安定だった体躯は倒れ、仰向けになったために局部が露わになる。セフィリアは男根を踏んだ。

 男の象徴を踏まれる屈辱は半端ないはずだ。ユリウスには虐げられて悦ぶ性癖などないのだから。

 けれど、ユリウスは何の反応も見せない。睨みつけてさえこないのは、ぐたりとした体勢が苦しいのかもしれなかった。

 これは、面白くない。

 ただ屈辱を与えればいいというものではないらしい。

 セフィリアは足を退けて、鎖を引く。今日の散歩は終わりだ、そろそろ地下牢へ戻ろう。

 セフィリアは、先にユリウスを進ませる。決して自分の背後には置かない。

 ユリウスは、強い。ただでさえ男女の力差があるのに、彼は国一番の騎士だ。セフィリアを殺せば彼の目的は達成され、取引さえ関係なくなる。これだけ拘束していても、いつユリウスがセフィリアを殺そうとするかわからないのだ。

 地下牢へ戻り、ユリウスを元の壁に座らせて鎖で固定する。

 最近は常に全裸だった。服を着せるのも面倒くさい。

 セフィリアは、つつ、とユリウスの胸板に指を這わせる。そして、懐から小瓶を取り出した。中には赤い液体が入っている。

 小瓶の蓋を開けて、ユリウスの口元へもっていく。

「……なんだ、これは」

「死にはしない」

 ユリウスは激しく顔をしかめながらも、口をひらく。とろりとした赤い液体が彼の口へ入り、嚥下される。

 ややのち、ユリウスは歯を食いしばる。

「どんな感じだ? 悪くないだろう」

 毒薬でも麻薬でもない。

 ただの、媚薬。性的に興奮する類のもの。その効力は強く、本人の意志とは関係なく身体は熱を持つ。

 セフィリアは、再びユリウスの胸を指先で撫でた。

 それだけで、彼はびくりと反応を示す。胸の突起をいじって刺激を与えると、食いしばった歯の間から吐息がもれる。その吐息が、ただ堪えるというよりも、心地よさを得た響きを伴っていたので、軽く笑う。

 ただ他者を殺すより、こうして屈辱を与えるほうが楽しい。

 セフィリアはユリウスの上半身を撫でて胸の突起に刺激を与え続ける。触れてもいないのに反り立っている男根には、一切触れない。

「触ってほしいか?」

 意地悪く問えば、ユリウスは視線を下げるだけで何も答えない。……睨みつけてさえこない。

 軽く苛立って、男根を握り締めた。

 すでに先走りで濡れていたそれは、触れると熱くて硬い。びくびく震えるそれを扱くと、ユリウスが小さな声を漏らす。嬌声を堪えているのだろうが、すべてを堪えきれないらしい。それがなんとも卑猥で煽情的に思え、セフィリアは心地よさを覚えた。

 これはセフィリアが「欲しているもの」ではないけれど、これはこれで面白い。

「っ、あっ、くっ」

「声が漏れてるぞ。気持ちいいんだろ」

 さらに強く扱くと、ユリウスの身体が跳ねる。

「やめ、ろっ」

 先端を指でぐりっと抑えた瞬間、ユリウスの身体が引きつり、勢いよく白濁が飛び散った。独特の匂いが牢獄内に広がった。

 ユリウスを投獄してから、何度か性的に虐げてみたけれど。イカせたのは、今日が初めてだ。彼もいい歳だから枯れているかと思ったが、吐き出された白濁の量はかなりのもので、男は所詮男なのだろう。

 なのに、媚薬のせいか男根はまだ萎えていない。

「いい歳なのに、頑張るな」

 そう言ってユリウスの顎を持ち上げ、見下ろした。

 ユリウスは真っ直ぐにセフィリアを見つめたが、その瞳は静かだった。射るような鋭い視線でも、憎悪の眼差しでもない。

 眉を顰めたセフィリアに対して、ユリウスが口をひらく。

「お前は誰も愛せないのだな」

「は?」

「他者を見下し、誰も、何も、信じていない。お前が信じているのは、他者から向けられる憎しみだけだ」

「……何を言ってるんだ」

「愛を信じられないから、唯一信じられる憎しみを求めている。他者から憎まれることで、お前は自分の価値を実感している。哀れだな」

 哀れ。

 その言葉に、セフィリアは目を見張った。

 ユリウスの頬を拳で何度も殴りつける。多少の護身術は身につけているけれど、強靭な軍人を殴り殺すだけの力はない。

 ユリウスの静かな双眸は変わらない、むしろ、哀れなものを見るような目でセフィリアを見てくる。

 セフィリアは殴るのを辞めて、踵を返した。

「また明日くる」

 そう言い残し、格子の鍵をしめ、自室に戻った。

 ソファに腰を下ろし、ふと笑う。

 何を自分は苛立っているのだろう。改めて考えれば、ユリウスの言葉はただの負け犬の遠吠えに過ぎない。

「……でも、間違ってないな」

 哀れという部分は頷けないが、ユリウスの言葉は正しいように思う。

 セフィリアは、愛を信じない。多くの者に愛されている実感はあるけれど、嬉しいとは思わないし、どうせ態度を変えれば皆離れていく。愛に絶対はない。所詮、幻想のうえに成り立つまやかしの感情でしかないのだ。

 それに比べて、憎しみの感情は強い。人が他者に向ける感情のなかで、憎悪はもっとも強く確実なものなのだろう。

 セフィリアは、胸の奥にまた不思議な感覚を覚える。

 近づいている気がする、かつて欲しいと思ったものに。

「……そうか、私は恨まれたいんだな」

 自らの呟きに、頷く。

 今はまだ、セフィリアは多くの貴族や民から支持を得ている。けれど、いずれそのすべてから恨まれる存在になるだろう。村を焼くのにも飽きてきたし、そろそろ城下の広場に処刑台をたてて、民を一人ずつ公開処刑していこうかと考えていたところだ。

 そんな愚行を続ければ、セフィリアは憎悪の対象になる。どんな感情より強い感情を、大勢から向けられるのだ。そして王座を負われ、憎まれたままセフィリアは処刑されるだろう。

 死して尚、セフィリアは歴史に名を遺す。

 史上最悪の愚王として、延々と語り継がれ、時を経ても憎まれ続ける。

 それを想像すると、無性に心がざわざわと落ち着かなくなった。

 ふいに、ドアを叩く音がした。

 こんな夜中に、と顔をしかめるけれど、この乱れたノックには聞き覚えがある。ため息をつきながら、セフィリアは「入れ」と告げた。

 飛び込んできたのは、今年六歳になった息子のジェルマだ。父親に似て、やたら整った顔立ちをしている。そしてジェルマに続いて静かに入ってきたのは、義妹である元王女マリアンヌだった。

「夜分に失礼します。明かりが見えたので、起きてるんじゃないかと思って」

 マリアンヌは控えめに告げた。

 大方、ジェルマがどうしてもセフィリアに会いたいと我儘を言い、渋々連れてきたといったところだろう。

「構わねぇよ。何か用か」

「母上!」

 ジェルマがセフィリアの前に立ち、満面の笑みで見上げてくる。

「今の季節、ラル地方の花畑がすごく綺麗らしいんです。僕、見に行ってきてもいいですか?」

「観光か。お前は王子だ、軽率な行動は慎めよ」

 途端に、ジェルマがむっと頬を膨らませる。

 そこへ、マリアンヌが助け舟を出した。

「殿下は最近、勉強を頑張ってるの。少しだけ、お休みを貰えないかしら。夫のジャスティンが一緒に行ってくれるから、護衛も心配ないし」

 マリアンヌの言葉に、セフィリアはため息をついた。

 マリアンヌには一人娘がいたが、「不慮の事故」で失ってからジェルマの母親代わりになってくれている。セフィリアは多忙でジェルマに構ってやれないし、そもそも興味すらない。

 二人から、お願い、と言われて、セフィリアは仕方なく折れることにした。

「わかった。くれぐれも気をつけろよ」

 この二人とジャスティンが不在になろうとさして問題はない。ただ、王家の血を引いているのは、ジェルマとマリアンヌだけとなったので、この二人には生きていて貰わないと困るのだ。

 王家の血筋の人間は邪魔でもあるが、使いようによっては優れた道具にもなるから。喜ぶジェルマとマリアンヌが退室し、セフィリアは改めて先ほどの「理想」を思い描く。

 ケイドが戻ってきたら、早速準備に取り掛かろう。

 いきなり愚行をさらしては、恨まれる前に粛清されてしまう。ユリウスが狙ってきたように。気づかれずに愚行を繰り返し、引き返せないところまできて正体をさらし、それでも人々が従い続けるようにしなければ。

 抑制された人々の憎悪はいつか爆発し、セフィリアを飲み込むだろう。

 そのときこそ。

「欲しかったもの」の正体を知れる気がした。

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