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【16】予感
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ふわりとよい香りが鼻孔をくすぐって、アリアドネは顔をあげた。
ステュアートが新しく雇った使用人のノーラが、紅茶をいれてくれたのだ。
「ありがとう、ノーラ」
傍にトレーごと置くのを待ってから、アリアドネは笑顔で伝えた。
大神官は使用人を雇うことができる。
誰を雇用するかは比較的自由に選べるため、外部から連れてきても問題はない。
つまり、絶対に神官や巫女から選ばなければならないというわけではないのだ。
ノーラは、ステュアートが厳選に厳選を重ねて選んだ、元巫女である。
彼女は二十年前に巫女を引退して大神官の妻の一人となったが、子に恵まれなかった。
大神官の妻になって聖力を持つ子を産んだ女は高位の巫女位を与えられるのだが、ノーラのように聖力を持つ子を産めなかった妻は、夫である大神官が死亡後、巫女に戻ることもできずにフューリア教団から出て行くことになるのだ。
ノーラの夫は、五年前に殉職した。
当時すでにノーラは夫から妻として扱われておらず、彼女はやがてフューリア教団を出て生活していくときのために、与えられる宝石や貴金属を換金しておいたという。
それらの貯蓄と、職業斡旋所で得たパンの販売員の仕事で日々を過ごしていたところを、使用人としてスカウトしたのだそうだ。
他にも使用人候補はいたそうだが、最終的にステュアートが選んだのはノーラだった。
「ノーラも一緒に休憩しましょう?」
「ありがとうございます、奥様」
ノーラは嬉しそうに微笑むと、すぐに厨房から自分の分の紅茶を持ってきた。
アリアドネがステュアートの屋敷で暮らし始めて、一カ月。
ノーラが雇われたのは、アリアドネがここにやってきた三日後なので、彼女もここにきて概ね一カ月になる。
最初こそお互いにギクシャクしていて距離感が掴めないでいたが、今では共に紅茶を飲む仲になっていた。
「勉強はいかがでございますか?」
「とても面白いわ」
汚さないように机の端へ避けた本を見ながら、アリアドネは微笑む。
「ワリュデリン聖国やフューリア教の歴史や法律、戒律、どれもとても興味深いの。こんなすごい知識を、ワリュデリン聖国の人々は皆、無償で受けることができるなんてすごいわね」
ワリュデリン聖国には、聖国運営の学校がある。
六歳から十歳まで無償で通うことが出来るため、よほどの理由がない限り、国民のほとんどが学校で知識を得るのだ。
カーン帝国では字の読み書きが出来ない者も多いことを考えると、ワリュデリン聖国で暮らす国民の教養の高さが伺える。
「学校で学ぶのは、もっと基礎的な知識でございますよ。浅く広く、生きていくための基礎や倫理といったものです」
ノーラは視線をアリアドネが使っている分厚い本に向けた。
「奥様が勉強されていたこちらの本は、大学で学ぶ内容でございます」
「そうなの?」
無償学校を卒業後、知識を高めたければ有償の学校に進学することもできる。
小、中、大、という順番に進級していく体制となっており、進級すればするほど難しい勉強を学ぶことができるのだ。
ただ、多額の学費と、勉強についていけるだけの頭脳や技能が必要になってくるため、通える生徒は限られてくるという。
アリアドネは、驚きを顕に借りた教材を見た。
「知らなかったわ、こんなに勉強させて貰えて贅沢だと思ってたけど……大学の勉強だったなんて」
つまり、学費を払うことなく知識を与えてもらっているのだ。
これほど贅沢なことはないだろう。
「奥様は、本当に優秀であられるのですね。わたくし、誇らしく思いますわ」
ノーラがうっとりとしながら言う。
「わたくしなんて、こちらの本は表紙の文字すら読めませんの」
「え……?」
首を傾げる。
アリアドネの文字に関する知識は牧師に教わった分と、ここに来てから読み進めてきた諸々の本だけだ。
確かに今ここにある分厚い本は、カーン帝国にいたころには解読すら出来なかっただろうけれど、簡単な本から読み進めていくといつの間にか読めるようになっていた。
無意識に翻訳や解読をしながら読む習慣がついたのである。
だから、皆がそういうものだと思いこんでいたのだ。
ステュアートもアランも、わからないところがあればどんな分野でもサクッと教えてくれるし。
(ステュアート様やアランさんは、とてつもなく優秀なのね)
「わたくしにもっと才能がございましたら、もっとお役に立つことができますのに」
ほう、とノーラの切ないため息に、アリアドネは微笑んだ。
「ノーラには充分すぎるほどたくさん貰ってるわ」
実際、ノーラからは、フューリア教本部内での常識や、暗黙の了解。さらに、大神官の妻としての在り方などを教わってる。
ステュアートがノーラを使用人に選んだのは、そういった生活面で、アリアドネに寄り添ってくれる人材を重要視したからだろう。
ゆったりとした紅茶休憩を終えると、アリアドネは少しだけ勉強をしてから、ノーラと共に夕食作りをする。
そうして夕方となり、ステュアートの帰宅する時間になった。
彼はとても忙しいようで、朝に屋敷を出ていき、帰ってくるのは夕方頃なのである。
アリアドネはステュアートを出迎える準備をして待っていた。
しかし、なぜか今日はステュアートの帰りが遅い。
そういう日もあるとわかっている。
けれど、帰宅時間を過ぎても会えないと理解するなり、少しだけ寂しくなった。
◇
ステュアートの馬車の音が聞こえたのは、帰宅時間を一時間ほど過ぎた頃だった。
アリアドネは玄関へ出迎えに出て、帰宅したステュアートと抱擁を交わす。
「おかえりなさい、ステュアート様」
「ただいま帰りました。帰宅が遅れてしまい、申し訳ございません」
護衛の二人はそのまま交代で玄関の見張りに立ち、ステュアートに付き添っているアランは、抱えていた荷物を持ってリビングに向かった。
ちなみにステュアートの屋敷にはアラン専用の部屋兼書斎もあって、彼は必要に応じてそこで寝泊まりすることもあるらしい。
「……あの、何かありましたか?」
ステュアートの雰囲気に違和感を覚えて、そっと尋ねる。
「わかりますか? 実はまた、遠征に行くことが決まりまして」
「遠征……遠いのですか?」
「カーン帝国ほどではありませんが、帰宅まで、早くて一週間はかかるでしょう」
一週間。
その間、ステュアートと会えないのだ。
さすがに共に行くことは許されないので、アリアドネはひたすらステュアートの帰りを待つことになる。
大神官に回ってくる仕事は、命がけのものが多いらしい。
ノーラの夫だった大神官も遠征先で殉職したというから、心配になってしまう。
その後、ステュアート、それからアランも誘って夕食を摂った。
夕食は、野菜が沢山入ったスープと白いパン、エビとバジルを使ったグラタンである。
食事を終えると、ノーラが片付けに下がる。
彼女はこのあと今日の仕事を終えるとそのまま上がることになっているため、アリアドネは彼女にお礼とおやすみの挨拶をした。
「では、俺も帰りますんで」
アランが立ち上がると、ステュアートが引き止めた。
「――遠征なのですが、明後日の早朝に出立します」
「予定なら俺も知ってますよ」
「あなたは優秀ですからね。ですが今回は、世話係に、レオを連れていきます」
アランが固まった。
アリアドネは、アランとステュアートを見比べながら、そっと問う。
「あの、レオさんというのはどなたですか?」
「神官ですよ。自然に宿る異形と会話ができるという、希有な力をもっていまして。今回、彼の力が必要なのです」
「そうなのですね。あの、アランさんも遠征にご一緒される……の、ですよね?」
「いいえ」
清々しいほどの笑顔で、ステュアートが言い切った。
アランの顔色が青くなっている。
「アランは最も信用出来る者ですから、ここに残してあなたのことを頼もうと思っています」
ハッ、とアランが顔をあげた。
彼はまじまじとステュアートを見たあと、ぐったりと脱力して、椅子に深く座り込んだ。
「てっきり解雇されるのかと思ったじゃないですか、勘弁してくださいよ」
まさか、と笑ったあと、ステュアートは真剣な顔をした。
アランは表情を改めて、アリアドネも背筋を伸ばす。
食事のときではなくノーラがいなくなってから話すということは、他の誰かに聞かれては困るような、重要な話なのだろう。
「今回の遠征、なんだか違和感を覚えるのです。予定になかったことですし」
「緊急性のある遠征はいつも唐突じゃないですか」
「基本はそうですね。ですが……」
ステュアートは言葉を呑み込むと、それ以上は続けなかった。
仕切り直すようにゆっくりと瞬きをして、いつも通りの柔らかな微笑を浮かべた。
「アリアドネさんのことをくれぐれもよろしくお願い致します。私が遠征に出掛けている間、ベリザードにも気に掛けて貰えるよう頼んでおきましたので」
「ベリザード大神官様にですか!?」
大神官、という呼び方に、アリアドネはぎょっとする。
ステュアート以外にも大神官はいると聞いていたが、深く聞いてはならないような雰囲気を感じ取っていたのだ。
だから、てっきり大神官同士、もしくはステュアートが他の大神官と仲がよくないのだと思い込んでいた。
「あの、ベリザード大神官様、という方は一体……?」
「私の他に二人しかいない、後天的に聖力を得た大神官の一人です。それなりに強いですからご安心ください」
アリアドネは口を開きかけて止め、大人しく頷く。
大神官にアリアドネを頼むなど、よほどのことに違いない。
神殿内の勢力争いか、それとも彼の妻の座を巡ってのトラブル予防だろうか。
けれど、それよりもステュアートのことが気がかりだ。
「あの、ステュアート様は大丈夫なんですか? 次の遠征に、違和感を覚えておいでなのですよね」
「私は大丈夫ですよ。これでも腕に自信がありますから」
それからは、遠征の準備や遠征中に関する諸々について話し合った。
夜も遅くなってしまったのでアランにはこのまま屋敷で泊まって貰うことになり、ステュアートは仕上げなければならない書類があるらしく、話し合いが終わるなり書斎に閉じこもった。
アリアドネは一人でベッドに潜り込み、必死に不安を飲み下す。
ステュアートはアリアドネを心配しているが、命がけの遠征に出掛けるステュアートのほうが危険ではないのか。
(……大丈夫、よね。ステュアート様、大丈夫だっておっしゃってたもの)
そっと、ブレスレットのお守りに触れる。
貰って以後、入浴するとき以外はいつも着けていた。
「あら?」
アリアドネは首を傾げて、じっとお守りの石を見る。
記憶にあるお守りはもっと濃いピンク色だったような気がするのだが、気のせいだろうか。
(……部屋が暗いから、錯覚よね)
特に深く考えることはせずに、アリアドネはやってきた睡魔に身を委ねる。
(明日は、ステュアート様の遠征の準備をするためにも早く起きなきゃ)
妻として、夫を支えるのだ――。
アリアドネは、そう心に決めた。
ステュアートが新しく雇った使用人のノーラが、紅茶をいれてくれたのだ。
「ありがとう、ノーラ」
傍にトレーごと置くのを待ってから、アリアドネは笑顔で伝えた。
大神官は使用人を雇うことができる。
誰を雇用するかは比較的自由に選べるため、外部から連れてきても問題はない。
つまり、絶対に神官や巫女から選ばなければならないというわけではないのだ。
ノーラは、ステュアートが厳選に厳選を重ねて選んだ、元巫女である。
彼女は二十年前に巫女を引退して大神官の妻の一人となったが、子に恵まれなかった。
大神官の妻になって聖力を持つ子を産んだ女は高位の巫女位を与えられるのだが、ノーラのように聖力を持つ子を産めなかった妻は、夫である大神官が死亡後、巫女に戻ることもできずにフューリア教団から出て行くことになるのだ。
ノーラの夫は、五年前に殉職した。
当時すでにノーラは夫から妻として扱われておらず、彼女はやがてフューリア教団を出て生活していくときのために、与えられる宝石や貴金属を換金しておいたという。
それらの貯蓄と、職業斡旋所で得たパンの販売員の仕事で日々を過ごしていたところを、使用人としてスカウトしたのだそうだ。
他にも使用人候補はいたそうだが、最終的にステュアートが選んだのはノーラだった。
「ノーラも一緒に休憩しましょう?」
「ありがとうございます、奥様」
ノーラは嬉しそうに微笑むと、すぐに厨房から自分の分の紅茶を持ってきた。
アリアドネがステュアートの屋敷で暮らし始めて、一カ月。
ノーラが雇われたのは、アリアドネがここにやってきた三日後なので、彼女もここにきて概ね一カ月になる。
最初こそお互いにギクシャクしていて距離感が掴めないでいたが、今では共に紅茶を飲む仲になっていた。
「勉強はいかがでございますか?」
「とても面白いわ」
汚さないように机の端へ避けた本を見ながら、アリアドネは微笑む。
「ワリュデリン聖国やフューリア教の歴史や法律、戒律、どれもとても興味深いの。こんなすごい知識を、ワリュデリン聖国の人々は皆、無償で受けることができるなんてすごいわね」
ワリュデリン聖国には、聖国運営の学校がある。
六歳から十歳まで無償で通うことが出来るため、よほどの理由がない限り、国民のほとんどが学校で知識を得るのだ。
カーン帝国では字の読み書きが出来ない者も多いことを考えると、ワリュデリン聖国で暮らす国民の教養の高さが伺える。
「学校で学ぶのは、もっと基礎的な知識でございますよ。浅く広く、生きていくための基礎や倫理といったものです」
ノーラは視線をアリアドネが使っている分厚い本に向けた。
「奥様が勉強されていたこちらの本は、大学で学ぶ内容でございます」
「そうなの?」
無償学校を卒業後、知識を高めたければ有償の学校に進学することもできる。
小、中、大、という順番に進級していく体制となっており、進級すればするほど難しい勉強を学ぶことができるのだ。
ただ、多額の学費と、勉強についていけるだけの頭脳や技能が必要になってくるため、通える生徒は限られてくるという。
アリアドネは、驚きを顕に借りた教材を見た。
「知らなかったわ、こんなに勉強させて貰えて贅沢だと思ってたけど……大学の勉強だったなんて」
つまり、学費を払うことなく知識を与えてもらっているのだ。
これほど贅沢なことはないだろう。
「奥様は、本当に優秀であられるのですね。わたくし、誇らしく思いますわ」
ノーラがうっとりとしながら言う。
「わたくしなんて、こちらの本は表紙の文字すら読めませんの」
「え……?」
首を傾げる。
アリアドネの文字に関する知識は牧師に教わった分と、ここに来てから読み進めてきた諸々の本だけだ。
確かに今ここにある分厚い本は、カーン帝国にいたころには解読すら出来なかっただろうけれど、簡単な本から読み進めていくといつの間にか読めるようになっていた。
無意識に翻訳や解読をしながら読む習慣がついたのである。
だから、皆がそういうものだと思いこんでいたのだ。
ステュアートもアランも、わからないところがあればどんな分野でもサクッと教えてくれるし。
(ステュアート様やアランさんは、とてつもなく優秀なのね)
「わたくしにもっと才能がございましたら、もっとお役に立つことができますのに」
ほう、とノーラの切ないため息に、アリアドネは微笑んだ。
「ノーラには充分すぎるほどたくさん貰ってるわ」
実際、ノーラからは、フューリア教本部内での常識や、暗黙の了解。さらに、大神官の妻としての在り方などを教わってる。
ステュアートがノーラを使用人に選んだのは、そういった生活面で、アリアドネに寄り添ってくれる人材を重要視したからだろう。
ゆったりとした紅茶休憩を終えると、アリアドネは少しだけ勉強をしてから、ノーラと共に夕食作りをする。
そうして夕方となり、ステュアートの帰宅する時間になった。
彼はとても忙しいようで、朝に屋敷を出ていき、帰ってくるのは夕方頃なのである。
アリアドネはステュアートを出迎える準備をして待っていた。
しかし、なぜか今日はステュアートの帰りが遅い。
そういう日もあるとわかっている。
けれど、帰宅時間を過ぎても会えないと理解するなり、少しだけ寂しくなった。
◇
ステュアートの馬車の音が聞こえたのは、帰宅時間を一時間ほど過ぎた頃だった。
アリアドネは玄関へ出迎えに出て、帰宅したステュアートと抱擁を交わす。
「おかえりなさい、ステュアート様」
「ただいま帰りました。帰宅が遅れてしまい、申し訳ございません」
護衛の二人はそのまま交代で玄関の見張りに立ち、ステュアートに付き添っているアランは、抱えていた荷物を持ってリビングに向かった。
ちなみにステュアートの屋敷にはアラン専用の部屋兼書斎もあって、彼は必要に応じてそこで寝泊まりすることもあるらしい。
「……あの、何かありましたか?」
ステュアートの雰囲気に違和感を覚えて、そっと尋ねる。
「わかりますか? 実はまた、遠征に行くことが決まりまして」
「遠征……遠いのですか?」
「カーン帝国ほどではありませんが、帰宅まで、早くて一週間はかかるでしょう」
一週間。
その間、ステュアートと会えないのだ。
さすがに共に行くことは許されないので、アリアドネはひたすらステュアートの帰りを待つことになる。
大神官に回ってくる仕事は、命がけのものが多いらしい。
ノーラの夫だった大神官も遠征先で殉職したというから、心配になってしまう。
その後、ステュアート、それからアランも誘って夕食を摂った。
夕食は、野菜が沢山入ったスープと白いパン、エビとバジルを使ったグラタンである。
食事を終えると、ノーラが片付けに下がる。
彼女はこのあと今日の仕事を終えるとそのまま上がることになっているため、アリアドネは彼女にお礼とおやすみの挨拶をした。
「では、俺も帰りますんで」
アランが立ち上がると、ステュアートが引き止めた。
「――遠征なのですが、明後日の早朝に出立します」
「予定なら俺も知ってますよ」
「あなたは優秀ですからね。ですが今回は、世話係に、レオを連れていきます」
アランが固まった。
アリアドネは、アランとステュアートを見比べながら、そっと問う。
「あの、レオさんというのはどなたですか?」
「神官ですよ。自然に宿る異形と会話ができるという、希有な力をもっていまして。今回、彼の力が必要なのです」
「そうなのですね。あの、アランさんも遠征にご一緒される……の、ですよね?」
「いいえ」
清々しいほどの笑顔で、ステュアートが言い切った。
アランの顔色が青くなっている。
「アランは最も信用出来る者ですから、ここに残してあなたのことを頼もうと思っています」
ハッ、とアランが顔をあげた。
彼はまじまじとステュアートを見たあと、ぐったりと脱力して、椅子に深く座り込んだ。
「てっきり解雇されるのかと思ったじゃないですか、勘弁してくださいよ」
まさか、と笑ったあと、ステュアートは真剣な顔をした。
アランは表情を改めて、アリアドネも背筋を伸ばす。
食事のときではなくノーラがいなくなってから話すということは、他の誰かに聞かれては困るような、重要な話なのだろう。
「今回の遠征、なんだか違和感を覚えるのです。予定になかったことですし」
「緊急性のある遠征はいつも唐突じゃないですか」
「基本はそうですね。ですが……」
ステュアートは言葉を呑み込むと、それ以上は続けなかった。
仕切り直すようにゆっくりと瞬きをして、いつも通りの柔らかな微笑を浮かべた。
「アリアドネさんのことをくれぐれもよろしくお願い致します。私が遠征に出掛けている間、ベリザードにも気に掛けて貰えるよう頼んでおきましたので」
「ベリザード大神官様にですか!?」
大神官、という呼び方に、アリアドネはぎょっとする。
ステュアート以外にも大神官はいると聞いていたが、深く聞いてはならないような雰囲気を感じ取っていたのだ。
だから、てっきり大神官同士、もしくはステュアートが他の大神官と仲がよくないのだと思い込んでいた。
「あの、ベリザード大神官様、という方は一体……?」
「私の他に二人しかいない、後天的に聖力を得た大神官の一人です。それなりに強いですからご安心ください」
アリアドネは口を開きかけて止め、大人しく頷く。
大神官にアリアドネを頼むなど、よほどのことに違いない。
神殿内の勢力争いか、それとも彼の妻の座を巡ってのトラブル予防だろうか。
けれど、それよりもステュアートのことが気がかりだ。
「あの、ステュアート様は大丈夫なんですか? 次の遠征に、違和感を覚えておいでなのですよね」
「私は大丈夫ですよ。これでも腕に自信がありますから」
それからは、遠征の準備や遠征中に関する諸々について話し合った。
夜も遅くなってしまったのでアランにはこのまま屋敷で泊まって貰うことになり、ステュアートは仕上げなければならない書類があるらしく、話し合いが終わるなり書斎に閉じこもった。
アリアドネは一人でベッドに潜り込み、必死に不安を飲み下す。
ステュアートはアリアドネを心配しているが、命がけの遠征に出掛けるステュアートのほうが危険ではないのか。
(……大丈夫、よね。ステュアート様、大丈夫だっておっしゃってたもの)
そっと、ブレスレットのお守りに触れる。
貰って以後、入浴するとき以外はいつも着けていた。
「あら?」
アリアドネは首を傾げて、じっとお守りの石を見る。
記憶にあるお守りはもっと濃いピンク色だったような気がするのだが、気のせいだろうか。
(……部屋が暗いから、錯覚よね)
特に深く考えることはせずに、アリアドネはやってきた睡魔に身を委ねる。
(明日は、ステュアート様の遠征の準備をするためにも早く起きなきゃ)
妻として、夫を支えるのだ――。
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