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第三章 歩く死体
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無言は、気まずい。
私は、隣で二個目のパンを袋から取り出す姫島屋先生をちらっと見たあと、沙賀城家家庭訪問の帰りに買ってきたサンドイッチにかぶりついた。
屋上で待ち合わせをして、顔を合わせたときに「お疲れ様です」と声をかけたきり、なんの会話もしていない。
うーん。
なんて話しかけたらいいんだろう。
つい一時間ほど前に、ミコ先生の一件があったばかりだ。
それでもお昼に誘っちゃう私は、姫島屋先生との関係を、気まずいままにしたくなかったからなんだけど。
このままじゃ、もっと気まずい雰囲気で時間が過ぎてしまう。
サンドイッチを食べ終えた私は、マグのお茶をひとくち飲んだあと、よし、と気合を入れた。
「せんせ――」
「休みの件だが」
目を見張った姫島屋先生と、顔を見合わせる。
かぶったあああ。
こんな時に限って、同じタイミングで話しかけちゃうなんて。
「なんだ?」
「えっ」
「何か言いかけただろう?」
どこまでも真面目な姫島屋先生は、言葉がかぶったことに笑うこともなく、淡々と聞く。気まずさは変わらずだが、優先して話を聞いてくれる優しさに、胸がぎゅっとなる。
「え、っと。あの、さっきのことなんですけど」
「さっき?」
首をかしげた姫島屋先生だったが、ああ、と納得がいったように目をすがめた。
「先生にあんなこと、言うつもりはなかったんです。ミコ先生が私を馬鹿にするようなことを言ったとき――」
「ようなこと、ではない。あれはきみを、馬鹿にしていたんだ!」
思いのほか強い口調で言われて、私は言葉を飲み込んだ。
「……すまない、強く言い過ぎた」
いつも堂々としている姫島屋先生らしくない、どこか気弱な表情をしている。私は、咄嗟に姫島屋先生の腕を掴んだ。
「謝らないでください。私、本当にあんなこと先生に言うつもりなかったんです。その、つい口から出ちゃったというか、本当はあのとき、先生にかばってもらったみたいで嬉しかったんです」
しどろもどろになりながら、説明をするけれど。
一体なにに対して言い訳をしているのかわからない。今冷静に考えると、ほかに言い方があったはずだ。
それでも。
どれだけ言葉を変えても、どれだけ冷静に対応していても、私はあのとき、ミコ先生側の立場をとっただろう。
私は中等部の教師で、ミコ先生を育てる立場にある人間で。
姫島屋先生は恋人だけれど、高等部の教師だ。ミコ先生の態度が悪かったにしても、彼女を傷つけたことに変わりはない。
だから、私が庇うのは当然のことだ。
「すまない」
ぱしん、と。
姫島屋先生が、私の手をはたいた。
息をつめる。
叩かれた手を見て、絶望に血の気が引いた。
終わった。
私が、ミコ先生をかばった発言をしたから、嫌われてしまったのだ。
「わかっている。きみはあのとき、ああいうしかなかった。むしろ、正しい在り方だろう。宝田先生は新任で、南野先生は生徒指導やまとめ役にはふさわしいかただが、正直、育て役には不十分だろう」
「え?」
泣きそうな顔で姫島屋先生をみると、姫島屋先生が苦笑した。
「なんて顔をしているんだ。きみは正しい」
「……嫌われたのかと」
「なぜそうなる」
姫島屋先生は、私の手をはたいた自分の手を握り締めて、手のひらを見つめた。
「格好悪いところを見せたな。あのとき、つい、カッとなって宝田先生に酷い言葉を言ってしまった。いや、言ったことに対して後悔はないんだが、あのあときみが言った言葉が、正論すぎてな。急に、恥ずかしくなった」
やはり姫島屋先生は、格好いい。
こんなふうに、自分の気持ちを言えるなんて私には出来ないことだ。つい今も、私は言い訳ばかり考えていたのに、姫島屋先生はただ真っ直ぐに、ぶつかってきてくれる。
もう一度、姫島屋先生の腕を掴んだ。
震える手に気づかれないようにしたけれど、震える私の手を見た先生は苦笑して、上から反対の手をかぶせてくれた。
ごつごつとした男性の、ぬくもりある手が心地よくて、涙があふれそうになる。
今度は、はたかれなかった。
そもそもさっきだって、はたかれたわけではないのかもしれない。
姫島屋先生は無口で、誤解を受けやすい人だ。口調が厳しいから、怒っていると勘違いされる人でもある。
わかっていたのに、自分がその役回りになると、姫島屋先生そのものが見えなくなってしまっていた。
嫌われたくないという思いで、突っ走ってしまうところだった。
私は、隣で二個目のパンを袋から取り出す姫島屋先生をちらっと見たあと、沙賀城家家庭訪問の帰りに買ってきたサンドイッチにかぶりついた。
屋上で待ち合わせをして、顔を合わせたときに「お疲れ様です」と声をかけたきり、なんの会話もしていない。
うーん。
なんて話しかけたらいいんだろう。
つい一時間ほど前に、ミコ先生の一件があったばかりだ。
それでもお昼に誘っちゃう私は、姫島屋先生との関係を、気まずいままにしたくなかったからなんだけど。
このままじゃ、もっと気まずい雰囲気で時間が過ぎてしまう。
サンドイッチを食べ終えた私は、マグのお茶をひとくち飲んだあと、よし、と気合を入れた。
「せんせ――」
「休みの件だが」
目を見張った姫島屋先生と、顔を見合わせる。
かぶったあああ。
こんな時に限って、同じタイミングで話しかけちゃうなんて。
「なんだ?」
「えっ」
「何か言いかけただろう?」
どこまでも真面目な姫島屋先生は、言葉がかぶったことに笑うこともなく、淡々と聞く。気まずさは変わらずだが、優先して話を聞いてくれる優しさに、胸がぎゅっとなる。
「え、っと。あの、さっきのことなんですけど」
「さっき?」
首をかしげた姫島屋先生だったが、ああ、と納得がいったように目をすがめた。
「先生にあんなこと、言うつもりはなかったんです。ミコ先生が私を馬鹿にするようなことを言ったとき――」
「ようなこと、ではない。あれはきみを、馬鹿にしていたんだ!」
思いのほか強い口調で言われて、私は言葉を飲み込んだ。
「……すまない、強く言い過ぎた」
いつも堂々としている姫島屋先生らしくない、どこか気弱な表情をしている。私は、咄嗟に姫島屋先生の腕を掴んだ。
「謝らないでください。私、本当にあんなこと先生に言うつもりなかったんです。その、つい口から出ちゃったというか、本当はあのとき、先生にかばってもらったみたいで嬉しかったんです」
しどろもどろになりながら、説明をするけれど。
一体なにに対して言い訳をしているのかわからない。今冷静に考えると、ほかに言い方があったはずだ。
それでも。
どれだけ言葉を変えても、どれだけ冷静に対応していても、私はあのとき、ミコ先生側の立場をとっただろう。
私は中等部の教師で、ミコ先生を育てる立場にある人間で。
姫島屋先生は恋人だけれど、高等部の教師だ。ミコ先生の態度が悪かったにしても、彼女を傷つけたことに変わりはない。
だから、私が庇うのは当然のことだ。
「すまない」
ぱしん、と。
姫島屋先生が、私の手をはたいた。
息をつめる。
叩かれた手を見て、絶望に血の気が引いた。
終わった。
私が、ミコ先生をかばった発言をしたから、嫌われてしまったのだ。
「わかっている。きみはあのとき、ああいうしかなかった。むしろ、正しい在り方だろう。宝田先生は新任で、南野先生は生徒指導やまとめ役にはふさわしいかただが、正直、育て役には不十分だろう」
「え?」
泣きそうな顔で姫島屋先生をみると、姫島屋先生が苦笑した。
「なんて顔をしているんだ。きみは正しい」
「……嫌われたのかと」
「なぜそうなる」
姫島屋先生は、私の手をはたいた自分の手を握り締めて、手のひらを見つめた。
「格好悪いところを見せたな。あのとき、つい、カッとなって宝田先生に酷い言葉を言ってしまった。いや、言ったことに対して後悔はないんだが、あのあときみが言った言葉が、正論すぎてな。急に、恥ずかしくなった」
やはり姫島屋先生は、格好いい。
こんなふうに、自分の気持ちを言えるなんて私には出来ないことだ。つい今も、私は言い訳ばかり考えていたのに、姫島屋先生はただ真っ直ぐに、ぶつかってきてくれる。
もう一度、姫島屋先生の腕を掴んだ。
震える手に気づかれないようにしたけれど、震える私の手を見た先生は苦笑して、上から反対の手をかぶせてくれた。
ごつごつとした男性の、ぬくもりある手が心地よくて、涙があふれそうになる。
今度は、はたかれなかった。
そもそもさっきだって、はたかれたわけではないのかもしれない。
姫島屋先生は無口で、誤解を受けやすい人だ。口調が厳しいから、怒っていると勘違いされる人でもある。
わかっていたのに、自分がその役回りになると、姫島屋先生そのものが見えなくなってしまっていた。
嫌われたくないという思いで、突っ走ってしまうところだった。
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