不機嫌な先生は、恋人のために謎を解く

如月あこ

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第三章 歩く死体

7-2

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「震えている。ほんとうに、すまなかった」
「先生は、私を嫌いになったり、しない」
「ああ。当たり前だ」
 自分に言い聞かせるための呟きに、姫島屋先生は律儀に返事をくれる。
「今さっき、手をはたいたのは?」
「……震えているのを、知られたくなかった。はぁ、あのな、神崎。私も男なんだ。格好悪いところを見せたくない」
「先生は格好いいです」
「きみは私を、過大評価しすぎている」
 ぶんぶんと首を横にふる。
 重ねられた手を、ぎゅっと握りしめた。
「こうして話をしている今も、きみに嫌われるのではないかとびくびくしているんだ。格好悪いところばかり、見られてしまったからな」
「格好悪い先生も格好いいと思うので、つまり、どんな先生も格好いいんです」
 言い切った私をみて、姫島屋先生は破顔した。
 こんなにはっきりとした笑顔を見たのは、初めてかもしれない。無邪気さと照れが混ざった笑顔は少年のようで、新しい先生の一面を知れたことに感激した。
 好きだ。
 やっぱり、姫島屋先生が好き。
 まるで学生時代に戻ったかのように、胸が高鳴る。
 心も体も、大人になったのに。
「と、ところで」
 さっ、と姫島屋先生が手を放した。去っていく熱が名残惜しく、退けられた手を見つめてしまう。
 こほん、と露骨な咳ばらいを挟んで、赤くなった頬を隠すようにそっぽを向いた姫島屋先生が、言葉をつづけた。
「ゴールデンウィークなんだが、ありきたりだがドライブなどどうだ」
「ドライブ! いいですね」
 思いのほか、といったら失礼かもしれないが、嬉しい提案に、私の表情もほころぶ。
 ドライブということは、ふたりきりということだ。少し緊張するけれど、一緒にいれて嬉しくないはずがない。
「目的地は、海のほうでいいか? 海岸沿いを車で走って、停車できる場所があれば、少し海を眺めるのもいい……と、思う。それとも海岸があるほうがいいか?」
「いいえ。海岸といえば、この時期は潮干狩りです。めちゃくちゃ混みますよ。それよりも、姫島屋先生とふたりで、海岸沿いをドライブするほうが嬉しいです」
「本当にいいのか?」
「はい!」
「……きみは若いのだし、もっと他に行きたいところがあるんじゃないか?」
「へ?」
 思わず間抜けな声が漏れた。
「若いって、先生だってまだ四十にもなってないじゃないですか」
 元教師と生徒とはいえ、歳の差は八歳だ。当時は物凄く年上に思えたが、この歳になるとさして気にならない年齢差でもある。
 姫島屋先生は唸って、腕を組むと、また唸った。
「無理をして、私に合わせていないか?」
「いいえ」
「……随分とはっきり言い切るな」
「本当のことですから。先生といると、私、自然体でいられるんです。だから先生も、嫌なこととか腹の立つことがあったら、遠慮せずに言ってくださいね。無理して抱え込んでも、ろくなことになりませんし」
「わかった、肝に銘じよう」
 ふ、とどこかニヒルな笑いを見せる姫島屋先生。
 屋上へきた当初の、ギクシャクした雰囲気は霧散した。
 むしろ、いい雰囲気じゃない?
 このまま、もう少し先へ進めるかも。手も重ねて握り合ったし、そう、もう一歩先。例えば、姫島屋先生の、あの薄い唇に――。
「な、なーんてね!」
 勢いよく立ち上がった私は、無意味に屋上をうろうろした。
 姫島屋先生から見ると奇行に見えるだろうに、黙って見守ってくれている。もしかしたら、先生のなかの私は、突然歩き回る変人と認定済みなのかもしれない。
 っていうか、ここ学校だから。
 学校でイチャイチャとか、ないから。
 自分の考えに、頬が熱い。
 少し風に当たろうと、フェンス側へ寄った。
「……あれ?」
 沈め池に、何かが見える。
 美咲の私物は回収したから、もう彼女の私物である「赤」は見えない。私が見たのは、彼女の私物ではなくて――池の、真ん中。
「あの、池に何かが浮かんでる? っぽいんですけど」
「……また何か、見つけたのか」
 露骨に、やれやれといった声音で答えた姫島屋先生に、私は唇を尖らせた。
 見えちゃったものは、仕方がないじゃないですか。

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