40 / 76
第三章 歩く死体
7-2
しおりを挟む
「震えている。ほんとうに、すまなかった」
「先生は、私を嫌いになったり、しない」
「ああ。当たり前だ」
自分に言い聞かせるための呟きに、姫島屋先生は律儀に返事をくれる。
「今さっき、手をはたいたのは?」
「……震えているのを、知られたくなかった。はぁ、あのな、神崎。私も男なんだ。格好悪いところを見せたくない」
「先生は格好いいです」
「きみは私を、過大評価しすぎている」
ぶんぶんと首を横にふる。
重ねられた手を、ぎゅっと握りしめた。
「こうして話をしている今も、きみに嫌われるのではないかとびくびくしているんだ。格好悪いところばかり、見られてしまったからな」
「格好悪い先生も格好いいと思うので、つまり、どんな先生も格好いいんです」
言い切った私をみて、姫島屋先生は破顔した。
こんなにはっきりとした笑顔を見たのは、初めてかもしれない。無邪気さと照れが混ざった笑顔は少年のようで、新しい先生の一面を知れたことに感激した。
好きだ。
やっぱり、姫島屋先生が好き。
まるで学生時代に戻ったかのように、胸が高鳴る。
心も体も、大人になったのに。
「と、ところで」
さっ、と姫島屋先生が手を放した。去っていく熱が名残惜しく、退けられた手を見つめてしまう。
こほん、と露骨な咳ばらいを挟んで、赤くなった頬を隠すようにそっぽを向いた姫島屋先生が、言葉をつづけた。
「ゴールデンウィークなんだが、ありきたりだがドライブなどどうだ」
「ドライブ! いいですね」
思いのほか、といったら失礼かもしれないが、嬉しい提案に、私の表情もほころぶ。
ドライブということは、ふたりきりということだ。少し緊張するけれど、一緒にいれて嬉しくないはずがない。
「目的地は、海のほうでいいか? 海岸沿いを車で走って、停車できる場所があれば、少し海を眺めるのもいい……と、思う。それとも海岸があるほうがいいか?」
「いいえ。海岸といえば、この時期は潮干狩りです。めちゃくちゃ混みますよ。それよりも、姫島屋先生とふたりで、海岸沿いをドライブするほうが嬉しいです」
「本当にいいのか?」
「はい!」
「……きみは若いのだし、もっと他に行きたいところがあるんじゃないか?」
「へ?」
思わず間抜けな声が漏れた。
「若いって、先生だってまだ四十にもなってないじゃないですか」
元教師と生徒とはいえ、歳の差は八歳だ。当時は物凄く年上に思えたが、この歳になるとさして気にならない年齢差でもある。
姫島屋先生は唸って、腕を組むと、また唸った。
「無理をして、私に合わせていないか?」
「いいえ」
「……随分とはっきり言い切るな」
「本当のことですから。先生といると、私、自然体でいられるんです。だから先生も、嫌なこととか腹の立つことがあったら、遠慮せずに言ってくださいね。無理して抱え込んでも、ろくなことになりませんし」
「わかった、肝に銘じよう」
ふ、とどこかニヒルな笑いを見せる姫島屋先生。
屋上へきた当初の、ギクシャクした雰囲気は霧散した。
むしろ、いい雰囲気じゃない?
このまま、もう少し先へ進めるかも。手も重ねて握り合ったし、そう、もう一歩先。例えば、姫島屋先生の、あの薄い唇に――。
「な、なーんてね!」
勢いよく立ち上がった私は、無意味に屋上をうろうろした。
姫島屋先生から見ると奇行に見えるだろうに、黙って見守ってくれている。もしかしたら、先生のなかの私は、突然歩き回る変人と認定済みなのかもしれない。
っていうか、ここ学校だから。
学校でイチャイチャとか、ないから。
自分の考えに、頬が熱い。
少し風に当たろうと、フェンス側へ寄った。
「……あれ?」
沈め池に、何かが見える。
美咲の私物は回収したから、もう彼女の私物である「赤」は見えない。私が見たのは、彼女の私物ではなくて――池の、真ん中。
「あの、池に何かが浮かんでる? っぽいんですけど」
「……また何か、見つけたのか」
露骨に、やれやれといった声音で答えた姫島屋先生に、私は唇を尖らせた。
見えちゃったものは、仕方がないじゃないですか。
「先生は、私を嫌いになったり、しない」
「ああ。当たり前だ」
自分に言い聞かせるための呟きに、姫島屋先生は律儀に返事をくれる。
「今さっき、手をはたいたのは?」
「……震えているのを、知られたくなかった。はぁ、あのな、神崎。私も男なんだ。格好悪いところを見せたくない」
「先生は格好いいです」
「きみは私を、過大評価しすぎている」
ぶんぶんと首を横にふる。
重ねられた手を、ぎゅっと握りしめた。
「こうして話をしている今も、きみに嫌われるのではないかとびくびくしているんだ。格好悪いところばかり、見られてしまったからな」
「格好悪い先生も格好いいと思うので、つまり、どんな先生も格好いいんです」
言い切った私をみて、姫島屋先生は破顔した。
こんなにはっきりとした笑顔を見たのは、初めてかもしれない。無邪気さと照れが混ざった笑顔は少年のようで、新しい先生の一面を知れたことに感激した。
好きだ。
やっぱり、姫島屋先生が好き。
まるで学生時代に戻ったかのように、胸が高鳴る。
心も体も、大人になったのに。
「と、ところで」
さっ、と姫島屋先生が手を放した。去っていく熱が名残惜しく、退けられた手を見つめてしまう。
こほん、と露骨な咳ばらいを挟んで、赤くなった頬を隠すようにそっぽを向いた姫島屋先生が、言葉をつづけた。
「ゴールデンウィークなんだが、ありきたりだがドライブなどどうだ」
「ドライブ! いいですね」
思いのほか、といったら失礼かもしれないが、嬉しい提案に、私の表情もほころぶ。
ドライブということは、ふたりきりということだ。少し緊張するけれど、一緒にいれて嬉しくないはずがない。
「目的地は、海のほうでいいか? 海岸沿いを車で走って、停車できる場所があれば、少し海を眺めるのもいい……と、思う。それとも海岸があるほうがいいか?」
「いいえ。海岸といえば、この時期は潮干狩りです。めちゃくちゃ混みますよ。それよりも、姫島屋先生とふたりで、海岸沿いをドライブするほうが嬉しいです」
「本当にいいのか?」
「はい!」
「……きみは若いのだし、もっと他に行きたいところがあるんじゃないか?」
「へ?」
思わず間抜けな声が漏れた。
「若いって、先生だってまだ四十にもなってないじゃないですか」
元教師と生徒とはいえ、歳の差は八歳だ。当時は物凄く年上に思えたが、この歳になるとさして気にならない年齢差でもある。
姫島屋先生は唸って、腕を組むと、また唸った。
「無理をして、私に合わせていないか?」
「いいえ」
「……随分とはっきり言い切るな」
「本当のことですから。先生といると、私、自然体でいられるんです。だから先生も、嫌なこととか腹の立つことがあったら、遠慮せずに言ってくださいね。無理して抱え込んでも、ろくなことになりませんし」
「わかった、肝に銘じよう」
ふ、とどこかニヒルな笑いを見せる姫島屋先生。
屋上へきた当初の、ギクシャクした雰囲気は霧散した。
むしろ、いい雰囲気じゃない?
このまま、もう少し先へ進めるかも。手も重ねて握り合ったし、そう、もう一歩先。例えば、姫島屋先生の、あの薄い唇に――。
「な、なーんてね!」
勢いよく立ち上がった私は、無意味に屋上をうろうろした。
姫島屋先生から見ると奇行に見えるだろうに、黙って見守ってくれている。もしかしたら、先生のなかの私は、突然歩き回る変人と認定済みなのかもしれない。
っていうか、ここ学校だから。
学校でイチャイチャとか、ないから。
自分の考えに、頬が熱い。
少し風に当たろうと、フェンス側へ寄った。
「……あれ?」
沈め池に、何かが見える。
美咲の私物は回収したから、もう彼女の私物である「赤」は見えない。私が見たのは、彼女の私物ではなくて――池の、真ん中。
「あの、池に何かが浮かんでる? っぽいんですけど」
「……また何か、見つけたのか」
露骨に、やれやれといった声音で答えた姫島屋先生に、私は唇を尖らせた。
見えちゃったものは、仕方がないじゃないですか。
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
翡翠の歌姫-皇帝が封じた声-サスペンス×中華×切ない恋
雪城 冴 (ゆきしろ さえ)
キャラ文芸
宮廷歌姫の“声”は、かつて皇帝が封じた禁断の力? 翠蓮は孤児と蔑まれるが、才能で皇子や皇后の目を引き、後宮の争いや命の危機に引きずり込まれていく。
『強情な歌姫』翠蓮(スイレン)は、その出自ゆえか素直に甘えられず、守られるとついつい罪悪感を抱いてしまう。
そんな彼女は、田舎から歌姫を目指して宮廷の門を叩く。しかし、さっそく罠にかかり、いわれのない濡れ衣を着せられる。
翠蓮に近づくのは、真逆のタイプの二人の皇子。
優しく寄り添う“学”の皇子・蒼瑛(ソウエイ)と、危険な香りをまとう“武”の皇子・炎辰(エンシン)。
嘘をついているのは誰なのか――
声に導かれ、三人は王家が隠し続けてきた運命へと引き寄せられていく。
【中華サスペンス×切ない恋】
ミステリー要素あり/ドロドロな重い話あり/身分違いの恋あり
行き遅れた私は、今日も幼なじみの皇帝を足蹴にする
九條葉月
キャラ文芸
「皇帝になったら、迎えに来る」幼なじみとのそんな約束を律儀に守っているうちに結婚適齢期を逃してしまった私。彼は無事皇帝になったみたいだけど、五年経っても迎えに来てくれる様子はない。今度会ったらぶん殴ろうと思う。皇帝陛下に会う機会なんてそうないだろうけど。嘆いていてもしょうがないので結婚はすっぱり諦めて、“神仙術士”として生きていくことに決めました。……だというのに。皇帝陛下。今さら私の前に現れて、一体何のご用ですか?
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
後宮の偽花妃 国を追われた巫女見習いは宦官になる
gari@七柚カリン
キャラ文芸
旧題:国を追われた巫女見習いは、隣国の後宮で二重に花開く
☆4月上旬に書籍発売です。たくさんの応援をありがとうございました!☆ 植物を慈しむ巫女見習いの凛月には、二つの秘密がある。それは、『植物の心がわかること』『見目が変化すること』。
そんな凛月は、次期巫女を侮辱した罪を着せられ国外追放されてしまう。
心機一転、紹介状を手に向かったのは隣国の都。そこで偶然知り合ったのは、高官の峰風だった。
峰風の取次ぎで紹介先の人物との対面を果たすが、提案されたのは後宮内での二つの仕事。ある時は引きこもり後宮妃(欣怡)として巫女の務めを果たし、またある時は、少年宦官(子墨)として庭園管理の仕事をする、忙しくも楽しい二重生活が始まった。
仕事中に秘密の能力を活かし活躍したことで、子墨は女嫌いの峰風の助手に抜擢される。女であること・巫女であることを隠しつつ助手の仕事に邁進するが、これがきっかけとなり、宮廷内の様々な騒動に巻き込まれていく。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる