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第十話 リーゼロッテからの質問
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身体を清めて屋敷へ帰る途中、フィリアの脳裏を占めるのはなぜかソードの姿だった。
自分より幾分も年上の男が、最後に甘えたように身体を摺り寄せ、優しいキスをしてきた姿が脳裏に焼きついて離れない。
彼はフィリアに対してあんなに恥ずかしいことをしておきながらも、終わってからは色々と気遣い、湯浴みの湯を持ってきてくれた。
あれほど見られた裸体なのに、なぜか、なるべく見ないようにしながら振る舞っていた。
その姿がなんだかおかしくて、無性に恥ずかしい。
やはり、優しい人……なのだろう。
屋敷についてからも、ソードのことばかり考えていた。
きっと初めてあんな経験をしたため印象に強く残っているのだろう。
それだけだ。
それだけでなければ、ならない。
その日の午後、リーゼロッテに呼ばれて、彼女の部屋へ行く途中。
廊下に置かれた姿見に映った自分の姿を見て、足を止めた。
これまで姿見の前で自分の姿をまじまじと見る機会なんてなかったが、改めて見ると身体も貧相で見た目も十人前。
胸は普通くらいあるけれど、くびれはあまりないし、お尻にかけての曲線も男好きからはほど遠い貧相さだ。
目だけは大きめだから年齢より若くみられがちだけれど、特別可愛いというわけでもない。
着ている服も、平民と同じ生地のものを着ている。
金銭的に余裕が出来た今なら、貴族の使用人らしくそれなりに設えた衣類を着用してもいいのだが、自分がそんな高価なものをまとうことに抵抗があった。
リーゼロッテの結婚式の際、一着だけ質の良い使用人服を購入したため、客人をもてなす際はそれを使えばいいだろう。
乾いた笑いが漏れる。
自分は、本当にみすぼらしい。
ソードにも、リーゼロッテにも釣り合わない。
ぎゅ、と服を握り締めた。
現実を見たくなくて、姿見から視線を反らすと急いでリーゼロッテの部屋へ向かった。
リーゼロッテは、昨日とは打って変わって、暗い表情をしていた。
暗い、という表現は違うかもしれない。
そう、何かを思い詰めている、ような気がする。
「あの、リーゼロッテ様。何かございましたか」
「関係ないでしょ。それより、ドレスはまだなの? 気に入ってるドレス、クローゼットにないわ」
「あっ、昨日のドレスですね。すぐにお持ち致します」
いつもならとっくに洗濯物を取り込んでいる時間だったために、リーゼロッテに無駄な苛立ちを起こさせてしまった自分を悔やんだ。
慌てて洗濯物を取り込み、畳み、リーゼロッテの分を優先的に彼女の元へ持っていく。リーゼロッテは、やはり沈んだ表情をしていた。
心配だったが、フィリアは「失礼致します」と告げて退室しようとした。
ここで何があったのかと聞けるほど、フィリアの立場はえらくない。
「ねぇ、フィリア」
名前を呼ばれて、勢いよく振り返る。
「はい!」
「……大声ださないで。頭が痛いから」
「あの。お薬をお持ちします」
「お願いするわ。それよりも、あなた街に頻繁に出かけてるんでしょう? 買い出しとかで」
「はい。あっ、ちゃんと、ミルという偽名を使って使用人として買い出ししてるので、ファルマール家の名に傷は――」
「どうでもいいわ、そんなこと」
リーゼロッテはため息をつくと、長い髪を鬱陶しげに掻き上げる。
「王都の近くに、酒場があるでしょう。確か、名前はミーツディ酒場」
フィリアの身体が硬直した。
それに気づかずに、リーゼロッテは話を進める。
「あなた、あそこには行ったことがあるの?」
「え、っと。……はい、何度か」
正直に告げると、リーゼロッテはただ「そう」とだけ告げた。
「あの、なぜリーゼロッテ様が、あの酒場をご存じなのですか」
「……ソード様の職場近くに、何度か足を運んでみたの。そのときに見つけたのよ」
息を呑む。
リーゼロッテの、ソードに対する愛の深さを見た気がした。
彼が男色家で、仮面夫婦を望んでいても、リーゼロッテの心はソードにあるのだ。知っていた。だから幸せになってほしいと願っていた。
今も願っている。
だから、この胸に苦しみには気づきたくない。
「ソード様、は」
「彼には会えていないし、私が職場近くまで足を運んでるのも言ってないわ。ああ、フィリアも言わないでね。私、まるでストーカーみたいだから。……でも」
ふとリーゼロッテは言葉を途切れさせ、盛大なため息をついた。
「もういいわ、今の話は忘れてちょうだい」
「あ、は、はい」
「薬は忘れないでよ。さぁ、下がって」
フィリアは退室の言葉を述べると、リーゼロッテの部屋から出た。
頭痛薬を用意してリーゼロッテに渡し、洗濯物の片づけの続きを行い、夕食の支度に入る。
その間も、フィリアの胸中はずっと靄がかかったようだった。
ぼうっと心許なくて、迷子になってしまったような不安で押しつぶされそうだ。
リーゼロッテのことを考えても、ソードのことを考えても、胸が苦しい。
なのに、ふとしたときに無意識に考えてしまうのは、この二人のことなのだ。
リーゼロッテはソードを愛していて、ソードもおそらくリーゼロッテのことを前向きに考えている。
二人が幸せになれば、フィリアも幸せになれると思っていた。
なのに、どうしてこんなに辛いのか。
リーゼロッテの笑みがソードに、ソードの笑みがリーゼロッテに向けられる。
それを想うだけで、胸の奥がぐちゃぐちゃにつぶされたような錯覚すら覚える。
(私は、最低だ)
大切な人が幸せになることを望まなければならないのに。
自分の立場も弁えず、自分のことばかり考えてしまっている。
繰り返し、フィリアは思った。
本当に自分は最低だ、と。
自分より幾分も年上の男が、最後に甘えたように身体を摺り寄せ、優しいキスをしてきた姿が脳裏に焼きついて離れない。
彼はフィリアに対してあんなに恥ずかしいことをしておきながらも、終わってからは色々と気遣い、湯浴みの湯を持ってきてくれた。
あれほど見られた裸体なのに、なぜか、なるべく見ないようにしながら振る舞っていた。
その姿がなんだかおかしくて、無性に恥ずかしい。
やはり、優しい人……なのだろう。
屋敷についてからも、ソードのことばかり考えていた。
きっと初めてあんな経験をしたため印象に強く残っているのだろう。
それだけだ。
それだけでなければ、ならない。
その日の午後、リーゼロッテに呼ばれて、彼女の部屋へ行く途中。
廊下に置かれた姿見に映った自分の姿を見て、足を止めた。
これまで姿見の前で自分の姿をまじまじと見る機会なんてなかったが、改めて見ると身体も貧相で見た目も十人前。
胸は普通くらいあるけれど、くびれはあまりないし、お尻にかけての曲線も男好きからはほど遠い貧相さだ。
目だけは大きめだから年齢より若くみられがちだけれど、特別可愛いというわけでもない。
着ている服も、平民と同じ生地のものを着ている。
金銭的に余裕が出来た今なら、貴族の使用人らしくそれなりに設えた衣類を着用してもいいのだが、自分がそんな高価なものをまとうことに抵抗があった。
リーゼロッテの結婚式の際、一着だけ質の良い使用人服を購入したため、客人をもてなす際はそれを使えばいいだろう。
乾いた笑いが漏れる。
自分は、本当にみすぼらしい。
ソードにも、リーゼロッテにも釣り合わない。
ぎゅ、と服を握り締めた。
現実を見たくなくて、姿見から視線を反らすと急いでリーゼロッテの部屋へ向かった。
リーゼロッテは、昨日とは打って変わって、暗い表情をしていた。
暗い、という表現は違うかもしれない。
そう、何かを思い詰めている、ような気がする。
「あの、リーゼロッテ様。何かございましたか」
「関係ないでしょ。それより、ドレスはまだなの? 気に入ってるドレス、クローゼットにないわ」
「あっ、昨日のドレスですね。すぐにお持ち致します」
いつもならとっくに洗濯物を取り込んでいる時間だったために、リーゼロッテに無駄な苛立ちを起こさせてしまった自分を悔やんだ。
慌てて洗濯物を取り込み、畳み、リーゼロッテの分を優先的に彼女の元へ持っていく。リーゼロッテは、やはり沈んだ表情をしていた。
心配だったが、フィリアは「失礼致します」と告げて退室しようとした。
ここで何があったのかと聞けるほど、フィリアの立場はえらくない。
「ねぇ、フィリア」
名前を呼ばれて、勢いよく振り返る。
「はい!」
「……大声ださないで。頭が痛いから」
「あの。お薬をお持ちします」
「お願いするわ。それよりも、あなた街に頻繁に出かけてるんでしょう? 買い出しとかで」
「はい。あっ、ちゃんと、ミルという偽名を使って使用人として買い出ししてるので、ファルマール家の名に傷は――」
「どうでもいいわ、そんなこと」
リーゼロッテはため息をつくと、長い髪を鬱陶しげに掻き上げる。
「王都の近くに、酒場があるでしょう。確か、名前はミーツディ酒場」
フィリアの身体が硬直した。
それに気づかずに、リーゼロッテは話を進める。
「あなた、あそこには行ったことがあるの?」
「え、っと。……はい、何度か」
正直に告げると、リーゼロッテはただ「そう」とだけ告げた。
「あの、なぜリーゼロッテ様が、あの酒場をご存じなのですか」
「……ソード様の職場近くに、何度か足を運んでみたの。そのときに見つけたのよ」
息を呑む。
リーゼロッテの、ソードに対する愛の深さを見た気がした。
彼が男色家で、仮面夫婦を望んでいても、リーゼロッテの心はソードにあるのだ。知っていた。だから幸せになってほしいと願っていた。
今も願っている。
だから、この胸に苦しみには気づきたくない。
「ソード様、は」
「彼には会えていないし、私が職場近くまで足を運んでるのも言ってないわ。ああ、フィリアも言わないでね。私、まるでストーカーみたいだから。……でも」
ふとリーゼロッテは言葉を途切れさせ、盛大なため息をついた。
「もういいわ、今の話は忘れてちょうだい」
「あ、は、はい」
「薬は忘れないでよ。さぁ、下がって」
フィリアは退室の言葉を述べると、リーゼロッテの部屋から出た。
頭痛薬を用意してリーゼロッテに渡し、洗濯物の片づけの続きを行い、夕食の支度に入る。
その間も、フィリアの胸中はずっと靄がかかったようだった。
ぼうっと心許なくて、迷子になってしまったような不安で押しつぶされそうだ。
リーゼロッテのことを考えても、ソードのことを考えても、胸が苦しい。
なのに、ふとしたときに無意識に考えてしまうのは、この二人のことなのだ。
リーゼロッテはソードを愛していて、ソードもおそらくリーゼロッテのことを前向きに考えている。
二人が幸せになれば、フィリアも幸せになれると思っていた。
なのに、どうしてこんなに辛いのか。
リーゼロッテの笑みがソードに、ソードの笑みがリーゼロッテに向けられる。
それを想うだけで、胸の奥がぐちゃぐちゃにつぶされたような錯覚すら覚える。
(私は、最低だ)
大切な人が幸せになることを望まなければならないのに。
自分の立場も弁えず、自分のことばかり考えてしまっている。
繰り返し、フィリアは思った。
本当に自分は最低だ、と。
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