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第十八話 報告 ―ソード―
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ソードは、昼の休憩時間にミーツディ酒場を目指して王城を出た。
途中、昨夜の様子を思い出して軽く笑う。
昨夜、ソードはファルマール伯爵夫妻に、リーゼロッテとの離婚を申し出た。
青くなった彼らに対して、ソードは正直に気持ちを告げた。
近衛隊副隊長の地位を得て身分が欲しいと思ったけれど、身分以上に欲しいものが出来た、と。
そしてその欲しいものとはフィリアであり、彼女との再婚を望んだ。
ファルマール伯爵は青い顔をほっとさせ、フィリアに対して使用人同様の態度をとっていたというのに「フィリアは私どもの可愛がっている娘で」などと言い始めたことにはさすがに呆れたが、夫人がリーゼロッテの身を心配していたことに対して、フィリアが表情を和らげていたので、ソードは何も言わなかった。
リーゼロッテにはあらかじめ事情を話し、彼女からも離婚を望んでもらった。
離婚に関しては快諾したリーゼロッテだったが、フィリアとの再婚に関してはずっと渋い顔をしており、未だに納得していないようだ。
フィリアのためにも、リーゼロッテにも結婚に賛同してもらいたいと思っている。
あれだけリーゼロッテに冷たく当たっておいて、今更都合が良過ぎるとは思うが、フィリアが少しでも喜んでくれるのならば叶えてやりたい。
ミーツディ酒場についたソードは、カウンターにテオスバードの姿を見つけた。
テオスバードは、店主であるリマと話している。
やたら親密そうに話している姿に、眉をひそめた。
そういえば、ソードをミーツディ酒場に最初に連れてきたのはテオスバードだった。
テオスバードは、どうやってこの酒場を知ったのだろう。
ソードに気づいたリマが、テオスバードに何かを言う。テオスバードが振り返って、無駄に煌びやかな笑みを浮かべて手を上げた。
ソードはテオスバードの隣に座り、いつもの甘露茶を注文した。
「さて、詳しく聞こうじゃないか」
テオスバードがニヤニヤしながら、ソードに問う。
もとよりテオスバードには報告するつもりだったが、こうも露骨にニヤつかれると憮然となる。
「ここ数日機嫌がいいみたいだけど、今朝は特別にいいようだ。今日こそ話してくれるんだよねぇ? 私はずっと心配してたのに、何度聞いても話してくれないし」
「……お前には、決まってから話すつもりだった」
店主であるリマが、甘露茶を差し出す。
それを受け取り、湯気のたった暖かい甘露茶に口をつけた。
「大事な話なら、上の部屋を使うかい?」
リマが促してくれるけれど、ソードは断った。
別に他者に聞かれて困る話ではないし、どのみち近々公になることだ。テオスバードも、ぱたぱたと手を振って拒否をする。
「絶対にごめんだねぇ。私は、男と個室で二人きりになる趣味はないよ」
「おや。泊まりのときはどうしてるんだい? 近衛兵なんて、夜勤の仕事もあるだろうに」
「仕事と私情は別だからね。今は、私情。ところソード、決まるって何が? 結局最後までできたの?」
甘露茶を、ごふっと噴き出した。
気管に入り、咽るソードに、テオスバードが「大丈夫?」とひきつり気味の声で聞いた。
まともに甘露茶を衣類に浴びたリマが苦笑した。
「大丈夫かい?」
「す、すまない」
「あはは、大丈夫だよ。それじゃあ、僕は向こうに行くから。邪魔だろうしね」
布巾で服を拭きながら踵を返そうとしたリマの腕を、テオスバードが掴んだ。
「待てリマ。逃げるな、今日こそはちゃんと話をしないと――」
「断る。テオスバード、何度も言わせないでほしいな。ほら、ソード殿と大事な話があるんだろう?」
「……ソードとは話をする。でも、リマとも話をする。だから、ソードの話が終わるまで離さない」
リマは苦笑を浮かべてため息をつき、再び、こちらへ身体を向けた。
「わかったから。ここにいるから、手は放してくれ。僕はお前に掴まれても嬉しくないんだ」
肩をすくめて言うリマに、テオスバードは露骨に傷ついた顔をした。
リマはそんなテオスバードを無視して、ソードへ問う。
「僕がいても平気かい?」
「ああ、問題ない」
テオスバードはむすっとした、まるで子どものような表情のままソードに視線だけを寄越した。
「で、結局最後まででき――」
「それはいい。それはいいんだが」
「いやいや、よくないよ。私があげた本、役に立ったでしょ?」
「……それは少し置いておこう」
「ちょっとソード」
「もっと大事な話がある。実は、フィリア――ファルマール家の次女と結婚することにしたんだ」
テオスバードとリマが固まった。
こうして見ると、この二人はよく似ている。
驚いたときの目の見張り方や、カップを持ち上げたときの仕草などが。
顔はそれほど似てはいないけれど、どことなく纏う雰囲気が近しい気もする。
「待て。お前、リーゼロッテ嬢と結婚済みだろう。一夫多妻制じゃないよ、この国は。陛下じゃあるまいし。まさか、妻の妹を妾にするの?」
「違う。リーゼロッテとは離婚して、フィリアと正式に結婚する」
「……というかソード、リーゼロッテ嬢に妹はいないって言ってなかったっけ。ほら、最初にファルマール家に行ったとき。私の調べでは、確かに次女がいたんだけど間違ってたのかなぁって話したよね」
「したな。だがあれは間違いだった。ファルマール家の使用人だと思っていた娘――この近辺ではミルと名乗っている娘が、ファルマール伯爵家の次女フィリアだった」
テオスバードは、肩をすくめた。
その仕草からして、話の途中のほうでフィリアがミルであることは予想していたのだろう。
何しろソードがミルに惚れていることをテオスバードは知っているのだから。
「決まった、っていうのは、その話のことなの? ファルマール伯爵にも了解済みってこと?」
「ああ。リーゼロッテとも話し合った」
「ふぅん」
テオスバードはニヤリと意味深な笑みを浮かべ、つと、視線をリマに向けた。
つられてリマへ視線を向けたソードは、真っ青なリマの顔を見て、目を瞬く。
「だってさ、姉上。振られちゃったねぇ」
「……だまれ、姉上と呼ぶなと言ったはずだ」
リマの押し殺した声音は、普段柔和な彼女からは想像もできない低いものだった。
リマの豹変に等しい態度も気になるが、それよりも。
「……姉上、ということは、まさか」
「リマは私の異母姉だよ。男を愛せないからって理由で勝手に家を出て、こんなところで酒場を開いちゃって」
テオスバードは、ため息を一つ落とす。
「父が帰ってこいってうるさいのに無視し続けるから、近くに勤めている私のほうに催促がくるんだよ。リマを説得して早く連れ戻せ、ってね」
だから、テオスバードはこの酒場に頻繁に足を運んでいたのか。
納得したとき、殺気を感じて椅子から飛び降りる。思わず腰に帯びた剣に手を伸ばしたところで、殺気を向けてきた相手がリマであることを知り、唖然とした。
「俺が、気に障ることをしたのか」
「……今の会話聞いてて、わからなかったのかい? 頭のなかが花畑になっちゃのかな、ソード殿は。キンタマ潰されたいらしいね」
「リマ、下品だよ。で、どうするの? ファルマール家程度の娘なら、我が家に戻った暁に父に頼んだら、貰ってきてくれると思うよ。妾にして、愛せばいい」
リマの発言にぞっとしたあと、テオスバードの言葉にぎょっとした。
我ながら忙しないと思いながら、ふらふらと体勢を戻す。
「おい、なんの話だ」
「ミルちゃんをリマの妾にしちゃおう作戦の話」
「フィリアは俺と結婚するんだ!」
「権力の前に、愛は無力だよ」
やれやれと首を振るテオスバードの胸倉を掴んで強引に揺さぶっていると、ふと、名前を呼ばれて振り返る。
こちらに向かって歩いてくるフィリア、そしてその後ろにはリーゼロッテもいた。
フィリアのドレスは相変わらず使用人のものだが、リーゼロッテのドレスは令嬢のそれで、上に羽織り物をして隠している。
令嬢とメイド、といった印象を受けた。
フィリアは近くまでくると、ソードを見上げて微笑んだ。
「お会いできて嬉しいです」
「ああ。……ちょうど今、お前との結婚について報告していたんだ」
フィリアはぱっと花開くような笑みを浮かべた。
フィリアはもともと可愛いと思っていたが、最近、益々可愛くなっていく。
それどころか女らしい色気が備わってきて、こうして外にいても彼女の衣類の隙間から見える白い肌に欲情してしまいそうだ。
恋だと自覚する前は、ただただフィリアが欲しくて、この酒場の二階で肌を合わせたりもしたが、今思うと申し訳なさでひらすら悔やまれる。
けれど、フィリアの後ろにいるリーゼロッテの色香は相変わらず気持ち悪いと思うのだから、自分の女嫌いは健在なのだろう。
フィリアが頬を染めながら、テオスバードとリマを見つめた。
「あの、私結婚することになりました!」
「うん、今聞いたよ。本当にこいつでいいの? こいつは経験値が低いから、経験豊富な私やリマにしておいたほうがいいんじゃない?」
リマがテオスバードの頭を拳で殴った。
口元を抑えて驚くフィリアに向かって、リマがにっこりと微笑み、そして、おもむろに手を伸ばしてきた。
ソードは、リマの手がフィリアの頭を撫でるのを睨みつけるが、フィリアは気づかない。
リマは気づいているだろうが、ソードなどいないかのようにひらすらフィリアを見つめていた。
「おめでとう、ミル」
「ありがとう、リマ。リマとリーゼロッテ様のおかげよ」
「あはは、僕は何もしてないよ」
「ずっと、味方でいてくれたもの。誕生日も祝ってくれたわ。本当に、嬉しかったの」
リマは目を眇めて、そっとフィリアから手を退けた。
リマはリーゼロッテを見て、カウンターの椅子をすすめた。
「いらっしゃい、リーゼロッテ嬢。今日もリンゴ酒でいいかな」
「は、はい。あの……」
リーゼロッテは口ごもり、フィリアを見て、それからソードを睨みつけた。
嫌われているのはわかっているが、これほど露骨に毛嫌いされても対応に困る。
とりあえず、見なかったことにした。
「大丈夫だよ。僕は、ミルが――フィリアが、幸せになるのが嬉しいんだ」
リマの言葉に、フィリアとリーゼロッテ、そしてテオスバードまでもが彼女を見る。
視線を受けたリマは苦笑して、再びフィリアに微笑んだ。
「愛する人と幸せにおなり。僕はいつでもここにいる。ミルの傍にいるから、何かあると頼ってほしい」
(ああ、そうか)
リマは、フィリアのことを愛しているのか。
今更ながら気づいたソードは、気まずさから居心地が悪くなってきたが、ここで挙動不審になるのは矜持が許さない。
堂々と胸を張る。
リマには負けたくなかった。
テオスバードの姉ならば家柄ゆえの権力が絶大だろうけれど、それでもフィリアは渡さない。絶対に。
「あぁ、結論出ちゃった。私はまた父に怒られるねぇ」
「怒られてろ。……そこの副隊長殿、僕に殺気飛ばすの止めてもらえるかな。引っこ抜くよ」
「だから、下品だってば」
フィリアとリーゼロッテが並んで椅子に座るのを見届けてから、ソードはテオスバードの隣に座り直す。
テオスバードの逆隣にフィリアがいるのが納得できないが、それを言うと嫉妬深い男に思われるかもしれないから、言わない。
(……フィリアの隣に座りたかった)
「隣がよかったなぁ、って顔してるよ、ソード」
「黙れ」
「図星だね、わかりやすいなぁ。……あ、そろそろ行かないと」
テオスバードが時計を見て、慌てたように残りのジョッキを傾けた。
テオスバードは来るたびに違うものを注文するので、今こいつが何を飲んでいるのかはわからない。一応、休憩時間とはいえ勤務中なので、酒ではないと思いたいけれど。
「じゃあ、私は先に戻るから」
「俺も行く」
「まだ少し時間あるでしょ、ソードは」
「いや、少し早めに戻る。午後からの訓練に備えて準備をしておきたいから、元々早めに戻るつもりだったんだ」
フィリアと会うとは思っていなかったので、ここで離れるのは寂しいけれど。
帰宅したらまた沢山話そうと決めて、名残惜しく視線を投げる。
フィリアと視線が合い、「いってらっしゃいませ、頑張ってくださいね」と言われたので、午後からもかなり頑張れそうだ。
ミーツディ酒場を出て、王城へ戻る道すがら、ふと、テオスバードに問われる。
「……それで?」
「何がだ」
「最後までヤッたの?」
「……正式に妻にするまでは手を出さないと決めた」
「へぇ、男気あるねぇ。それで毎晩頭のなかでミルちゃんを犯してるのか、うん、それはそれでどうかと思うね」
「ほっとけ」
「……否定はしないんだ。絶倫だね、本当に」
テオスバードの言葉に、顔をしかめた。
毎晩犯しているのは確かだが、それはあくまで練習だ。
妄想で繰り返し行動を思い浮かべて、自信をつけて、実戦に挑む。
その辺りは、武道や剣術に通じるものがある。
とは思うものの、早くフィリアを抱きたい。
結婚したら、たくさん可愛がってやるのだ。
もう、自分たちを隔てるものは何もないのだから。
ソードはそのときを思い、そっと笑みを浮かべた。
途中、昨夜の様子を思い出して軽く笑う。
昨夜、ソードはファルマール伯爵夫妻に、リーゼロッテとの離婚を申し出た。
青くなった彼らに対して、ソードは正直に気持ちを告げた。
近衛隊副隊長の地位を得て身分が欲しいと思ったけれど、身分以上に欲しいものが出来た、と。
そしてその欲しいものとはフィリアであり、彼女との再婚を望んだ。
ファルマール伯爵は青い顔をほっとさせ、フィリアに対して使用人同様の態度をとっていたというのに「フィリアは私どもの可愛がっている娘で」などと言い始めたことにはさすがに呆れたが、夫人がリーゼロッテの身を心配していたことに対して、フィリアが表情を和らげていたので、ソードは何も言わなかった。
リーゼロッテにはあらかじめ事情を話し、彼女からも離婚を望んでもらった。
離婚に関しては快諾したリーゼロッテだったが、フィリアとの再婚に関してはずっと渋い顔をしており、未だに納得していないようだ。
フィリアのためにも、リーゼロッテにも結婚に賛同してもらいたいと思っている。
あれだけリーゼロッテに冷たく当たっておいて、今更都合が良過ぎるとは思うが、フィリアが少しでも喜んでくれるのならば叶えてやりたい。
ミーツディ酒場についたソードは、カウンターにテオスバードの姿を見つけた。
テオスバードは、店主であるリマと話している。
やたら親密そうに話している姿に、眉をひそめた。
そういえば、ソードをミーツディ酒場に最初に連れてきたのはテオスバードだった。
テオスバードは、どうやってこの酒場を知ったのだろう。
ソードに気づいたリマが、テオスバードに何かを言う。テオスバードが振り返って、無駄に煌びやかな笑みを浮かべて手を上げた。
ソードはテオスバードの隣に座り、いつもの甘露茶を注文した。
「さて、詳しく聞こうじゃないか」
テオスバードがニヤニヤしながら、ソードに問う。
もとよりテオスバードには報告するつもりだったが、こうも露骨にニヤつかれると憮然となる。
「ここ数日機嫌がいいみたいだけど、今朝は特別にいいようだ。今日こそ話してくれるんだよねぇ? 私はずっと心配してたのに、何度聞いても話してくれないし」
「……お前には、決まってから話すつもりだった」
店主であるリマが、甘露茶を差し出す。
それを受け取り、湯気のたった暖かい甘露茶に口をつけた。
「大事な話なら、上の部屋を使うかい?」
リマが促してくれるけれど、ソードは断った。
別に他者に聞かれて困る話ではないし、どのみち近々公になることだ。テオスバードも、ぱたぱたと手を振って拒否をする。
「絶対にごめんだねぇ。私は、男と個室で二人きりになる趣味はないよ」
「おや。泊まりのときはどうしてるんだい? 近衛兵なんて、夜勤の仕事もあるだろうに」
「仕事と私情は別だからね。今は、私情。ところソード、決まるって何が? 結局最後までできたの?」
甘露茶を、ごふっと噴き出した。
気管に入り、咽るソードに、テオスバードが「大丈夫?」とひきつり気味の声で聞いた。
まともに甘露茶を衣類に浴びたリマが苦笑した。
「大丈夫かい?」
「す、すまない」
「あはは、大丈夫だよ。それじゃあ、僕は向こうに行くから。邪魔だろうしね」
布巾で服を拭きながら踵を返そうとしたリマの腕を、テオスバードが掴んだ。
「待てリマ。逃げるな、今日こそはちゃんと話をしないと――」
「断る。テオスバード、何度も言わせないでほしいな。ほら、ソード殿と大事な話があるんだろう?」
「……ソードとは話をする。でも、リマとも話をする。だから、ソードの話が終わるまで離さない」
リマは苦笑を浮かべてため息をつき、再び、こちらへ身体を向けた。
「わかったから。ここにいるから、手は放してくれ。僕はお前に掴まれても嬉しくないんだ」
肩をすくめて言うリマに、テオスバードは露骨に傷ついた顔をした。
リマはそんなテオスバードを無視して、ソードへ問う。
「僕がいても平気かい?」
「ああ、問題ない」
テオスバードはむすっとした、まるで子どものような表情のままソードに視線だけを寄越した。
「で、結局最後まででき――」
「それはいい。それはいいんだが」
「いやいや、よくないよ。私があげた本、役に立ったでしょ?」
「……それは少し置いておこう」
「ちょっとソード」
「もっと大事な話がある。実は、フィリア――ファルマール家の次女と結婚することにしたんだ」
テオスバードとリマが固まった。
こうして見ると、この二人はよく似ている。
驚いたときの目の見張り方や、カップを持ち上げたときの仕草などが。
顔はそれほど似てはいないけれど、どことなく纏う雰囲気が近しい気もする。
「待て。お前、リーゼロッテ嬢と結婚済みだろう。一夫多妻制じゃないよ、この国は。陛下じゃあるまいし。まさか、妻の妹を妾にするの?」
「違う。リーゼロッテとは離婚して、フィリアと正式に結婚する」
「……というかソード、リーゼロッテ嬢に妹はいないって言ってなかったっけ。ほら、最初にファルマール家に行ったとき。私の調べでは、確かに次女がいたんだけど間違ってたのかなぁって話したよね」
「したな。だがあれは間違いだった。ファルマール家の使用人だと思っていた娘――この近辺ではミルと名乗っている娘が、ファルマール伯爵家の次女フィリアだった」
テオスバードは、肩をすくめた。
その仕草からして、話の途中のほうでフィリアがミルであることは予想していたのだろう。
何しろソードがミルに惚れていることをテオスバードは知っているのだから。
「決まった、っていうのは、その話のことなの? ファルマール伯爵にも了解済みってこと?」
「ああ。リーゼロッテとも話し合った」
「ふぅん」
テオスバードはニヤリと意味深な笑みを浮かべ、つと、視線をリマに向けた。
つられてリマへ視線を向けたソードは、真っ青なリマの顔を見て、目を瞬く。
「だってさ、姉上。振られちゃったねぇ」
「……だまれ、姉上と呼ぶなと言ったはずだ」
リマの押し殺した声音は、普段柔和な彼女からは想像もできない低いものだった。
リマの豹変に等しい態度も気になるが、それよりも。
「……姉上、ということは、まさか」
「リマは私の異母姉だよ。男を愛せないからって理由で勝手に家を出て、こんなところで酒場を開いちゃって」
テオスバードは、ため息を一つ落とす。
「父が帰ってこいってうるさいのに無視し続けるから、近くに勤めている私のほうに催促がくるんだよ。リマを説得して早く連れ戻せ、ってね」
だから、テオスバードはこの酒場に頻繁に足を運んでいたのか。
納得したとき、殺気を感じて椅子から飛び降りる。思わず腰に帯びた剣に手を伸ばしたところで、殺気を向けてきた相手がリマであることを知り、唖然とした。
「俺が、気に障ることをしたのか」
「……今の会話聞いてて、わからなかったのかい? 頭のなかが花畑になっちゃのかな、ソード殿は。キンタマ潰されたいらしいね」
「リマ、下品だよ。で、どうするの? ファルマール家程度の娘なら、我が家に戻った暁に父に頼んだら、貰ってきてくれると思うよ。妾にして、愛せばいい」
リマの発言にぞっとしたあと、テオスバードの言葉にぎょっとした。
我ながら忙しないと思いながら、ふらふらと体勢を戻す。
「おい、なんの話だ」
「ミルちゃんをリマの妾にしちゃおう作戦の話」
「フィリアは俺と結婚するんだ!」
「権力の前に、愛は無力だよ」
やれやれと首を振るテオスバードの胸倉を掴んで強引に揺さぶっていると、ふと、名前を呼ばれて振り返る。
こちらに向かって歩いてくるフィリア、そしてその後ろにはリーゼロッテもいた。
フィリアのドレスは相変わらず使用人のものだが、リーゼロッテのドレスは令嬢のそれで、上に羽織り物をして隠している。
令嬢とメイド、といった印象を受けた。
フィリアは近くまでくると、ソードを見上げて微笑んだ。
「お会いできて嬉しいです」
「ああ。……ちょうど今、お前との結婚について報告していたんだ」
フィリアはぱっと花開くような笑みを浮かべた。
フィリアはもともと可愛いと思っていたが、最近、益々可愛くなっていく。
それどころか女らしい色気が備わってきて、こうして外にいても彼女の衣類の隙間から見える白い肌に欲情してしまいそうだ。
恋だと自覚する前は、ただただフィリアが欲しくて、この酒場の二階で肌を合わせたりもしたが、今思うと申し訳なさでひらすら悔やまれる。
けれど、フィリアの後ろにいるリーゼロッテの色香は相変わらず気持ち悪いと思うのだから、自分の女嫌いは健在なのだろう。
フィリアが頬を染めながら、テオスバードとリマを見つめた。
「あの、私結婚することになりました!」
「うん、今聞いたよ。本当にこいつでいいの? こいつは経験値が低いから、経験豊富な私やリマにしておいたほうがいいんじゃない?」
リマがテオスバードの頭を拳で殴った。
口元を抑えて驚くフィリアに向かって、リマがにっこりと微笑み、そして、おもむろに手を伸ばしてきた。
ソードは、リマの手がフィリアの頭を撫でるのを睨みつけるが、フィリアは気づかない。
リマは気づいているだろうが、ソードなどいないかのようにひらすらフィリアを見つめていた。
「おめでとう、ミル」
「ありがとう、リマ。リマとリーゼロッテ様のおかげよ」
「あはは、僕は何もしてないよ」
「ずっと、味方でいてくれたもの。誕生日も祝ってくれたわ。本当に、嬉しかったの」
リマは目を眇めて、そっとフィリアから手を退けた。
リマはリーゼロッテを見て、カウンターの椅子をすすめた。
「いらっしゃい、リーゼロッテ嬢。今日もリンゴ酒でいいかな」
「は、はい。あの……」
リーゼロッテは口ごもり、フィリアを見て、それからソードを睨みつけた。
嫌われているのはわかっているが、これほど露骨に毛嫌いされても対応に困る。
とりあえず、見なかったことにした。
「大丈夫だよ。僕は、ミルが――フィリアが、幸せになるのが嬉しいんだ」
リマの言葉に、フィリアとリーゼロッテ、そしてテオスバードまでもが彼女を見る。
視線を受けたリマは苦笑して、再びフィリアに微笑んだ。
「愛する人と幸せにおなり。僕はいつでもここにいる。ミルの傍にいるから、何かあると頼ってほしい」
(ああ、そうか)
リマは、フィリアのことを愛しているのか。
今更ながら気づいたソードは、気まずさから居心地が悪くなってきたが、ここで挙動不審になるのは矜持が許さない。
堂々と胸を張る。
リマには負けたくなかった。
テオスバードの姉ならば家柄ゆえの権力が絶大だろうけれど、それでもフィリアは渡さない。絶対に。
「あぁ、結論出ちゃった。私はまた父に怒られるねぇ」
「怒られてろ。……そこの副隊長殿、僕に殺気飛ばすの止めてもらえるかな。引っこ抜くよ」
「だから、下品だってば」
フィリアとリーゼロッテが並んで椅子に座るのを見届けてから、ソードはテオスバードの隣に座り直す。
テオスバードの逆隣にフィリアがいるのが納得できないが、それを言うと嫉妬深い男に思われるかもしれないから、言わない。
(……フィリアの隣に座りたかった)
「隣がよかったなぁ、って顔してるよ、ソード」
「黙れ」
「図星だね、わかりやすいなぁ。……あ、そろそろ行かないと」
テオスバードが時計を見て、慌てたように残りのジョッキを傾けた。
テオスバードは来るたびに違うものを注文するので、今こいつが何を飲んでいるのかはわからない。一応、休憩時間とはいえ勤務中なので、酒ではないと思いたいけれど。
「じゃあ、私は先に戻るから」
「俺も行く」
「まだ少し時間あるでしょ、ソードは」
「いや、少し早めに戻る。午後からの訓練に備えて準備をしておきたいから、元々早めに戻るつもりだったんだ」
フィリアと会うとは思っていなかったので、ここで離れるのは寂しいけれど。
帰宅したらまた沢山話そうと決めて、名残惜しく視線を投げる。
フィリアと視線が合い、「いってらっしゃいませ、頑張ってくださいね」と言われたので、午後からもかなり頑張れそうだ。
ミーツディ酒場を出て、王城へ戻る道すがら、ふと、テオスバードに問われる。
「……それで?」
「何がだ」
「最後までヤッたの?」
「……正式に妻にするまでは手を出さないと決めた」
「へぇ、男気あるねぇ。それで毎晩頭のなかでミルちゃんを犯してるのか、うん、それはそれでどうかと思うね」
「ほっとけ」
「……否定はしないんだ。絶倫だね、本当に」
テオスバードの言葉に、顔をしかめた。
毎晩犯しているのは確かだが、それはあくまで練習だ。
妄想で繰り返し行動を思い浮かべて、自信をつけて、実戦に挑む。
その辺りは、武道や剣術に通じるものがある。
とは思うものの、早くフィリアを抱きたい。
結婚したら、たくさん可愛がってやるのだ。
もう、自分たちを隔てるものは何もないのだから。
ソードはそのときを思い、そっと笑みを浮かべた。
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