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第3章
5、二度目の
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「案内ですか?」
メッセに使徒がいる場所までの案内を頼むと、渋い顔をされた。
どうやら不満らしい。
「メッセさんは、やっぱりお兄さんと対立するのは嫌なのね」
ソフィに対する自分自身の気持ちと重ねながら言う。
けれど、メッセは心底うんざりするような表情をした。
「使徒のことですか? 冗談でもやめてください。謀反を起こそうとして堕天した者ですよ、粒子の一部まで消滅してしかるべき存在です。……案内については、できなくもないのですが」
メッセは、ざっと室内を見回した。
何もない空間に目を凝らしながら。
「つい今、結界が張られたんですよ」
ヴィオレッタもつられて空間を見つめるけれど、何も見えない。
結界。つまり、見えない壁のようなものだろうか。そんな想像をしながらヴィオレッタは聞く。
「では、私たちはここから出ることができないの?」
「結界といっても、閉じ込められたわけではありません。力を無効化させるもので……今、俺は天使の力を一切使えない状態です」
力が使えなくなるのは堕天使である使徒も同様なのに、どうして。
そう呟くメッセに、エリクが言った。
「ああ、それならインテックス様から聞いているよ。僕とジョージが乗り込むタイミングで、結界を張ってくれるって」
「えっ、俺聞いてませんけど!」
「まぁ、極秘任務のようなものだったから」
エリクは肩をすくめて、インテックスと話した内容を皆に伝えた。
彼は創世神のあとを引き継ぎ『世界を統べる神』という座についた。
その座についた瞬間から、あらゆる誓約を守らなければならなくなり、容易に人やその他の生き物に介入できなくなったという。
例えば、メッセに対してもそうだ。
兄として弟を可愛がりたいのはやまやまだけれど、神の座についたからには特別視することは許されない。
『世界を統べる神』というものは、万能な存在ゆえに、鎖に雁字搦めにされるが如く数多の誓約に縛られている。そのため、力があってもそれを自由に振るうことが叶わないという。
ヴィオレッタは、法律のようなものだと思うことにした。天使にも、神にも、守らなければならない絶対的な理があるのだろう
やたらと回りくどい方法を取っていることにも、彼なりの理由があるのだ。
不満そうなメッセに、エリクが続けた。
「インテックス様はおそらく、使徒を生きたまま捕えたいんだと思う」
「まさか! それでは、誓約違反です。使徒は謀反を起こして堕天使になった大罪人、兄さんは使徒を見つけ次第消滅させる義務がある! ……兄さんは正当な方です、罪人を屠ることに容赦などしません!」
メッセはすぐに否定したが、ヴィオレッタもエリクと同意見だ。カチリとハマったパズルのピースのように納得したのは、まさにこのことである。
インテックスの目的が『使徒を生きて捕らえること』で、それを他者を使って実行している……そう考えれば、これまでの行動についても辻褄が合うと気づいたのだ。
そして、今のメッセの言葉で、インテックスがメッセに協力を仰がなかった理由も察した。
■□■□
ヴィオレッタはメッセに頼み込み、嫌がる彼を先頭に応接室を出た。
最後に使徒の気配を感じたという場所に案内してもらうためだ。ふらふらとソフィが蒼白な顔でついてくるけれど、ソフィに対して誰も何も言わなかった。
ヴィオレッタもそうだ。危険だから来るなとも、手を差し伸べることも、しなかった。
廊下に出ると、所々に貴族らしき人々が倒れていた。使役され、兵士のように見張りとして使われていた人々だろう。
結界が張られたことで、使徒の使役も一時的に解けたらしい。
「……兄さん、こんな大きな力を使うなんて」
不安そうなメッセの声音に、ヴィオレッタは目を伏せる。
彼の案内で使徒の元に向かっているが、到着したらどう対処すればよいのだろう。
インテックスがエリクとの予定通り動いたということは、エリクはこのあと使徒と戦うのだろうか。
今の使徒は普通の人間のように無力だと言うけれど、一体どのようにして戦うのだろう。
(エリク様の命が危ぶまれるようなことをするのなら、止めたいけれど)
やめて欲しいと言えば、エリクは受け入れてくれるだろうか。
いや、ヴィオレッタに止めることができるのだろうか。
(そもそも、エリク様はどうして……ああ、余命半年……だから)
さすがのヴィオレッタも、エリクの寿命までは知らなかった。
半年の命だと聞いたときは、今別れるより少しでも長く居たいと当然のことを思ったけれど、こうして改めて考えると辛い。
(……けれど、どうしようもないことだってあるもの。それならば、受け入れて精一杯生きるしか――)
「ヴィオレッタ」
ふとエリクに呼ばれて振り返ると、彼の柔らかな瞳がヴィオレッタを見下ろしていた。
「なんでしょう、エリク様」
「帰ったら、結婚式をひらこう」
突然の言葉に、ヴィオレッタは目をまん丸にした。
緊張でピリッと張り詰めた空気の中、エリクは何を言うのだろうか。
(……聞き間違いかしら)
嫁ぐ際に式はしないと決めていたはずだ。それに、ついさっきエリクはヴィオレッタを手放そうとしたばかりである。
少し考えたのち、ヴィオレッタは意地悪く言ってみせた。
「……私を手放すのが惜しくなりましたか? やっぱり妻でいてほしいのでしょう?」
「そうだよ。やはり僕にはヴィオレッタを手放すなどできない。他の男になど、やらない」
あまりにもキッパリとした言葉に、ヴィオレッタは頬を赤くする。
「そ、そうですか。は、はい……それならば、帰ったら結婚式をしましょう」
「新婚旅行にも行きたいな」
(……ああ、好き)
やはり、エリクが好きだ。
他の誰でもなく、エリクと共に少しでも長く過ごしたい――。
ふいに、エリクにきつく肩を押された。
(え……?)
何が起きたかわからずに、ヴィオレッタはされるままエリクの背中に庇われる。
キィンと金属同士がぶつかる音が響いて初めて、全身に恐怖が走った。
すぐ近くで、何度も金属がぶつかる音が響く。
以前、王城で開かれた剣術の模擬試合で聞いた音と似ている。これは、剣同士がぶつかる音だ。
突然のことで動けずにいたヴィオレッタの腕を、メッセが慌てたように引いた。
銃を構えているジョージよりさらに後ろまで引っ張っていかれて、ソフィとともに、メッセにまで庇われてしまう。
誰かが襲撃してきたのだ。
ぴりっと張り詰めた空気からそれはすぐに察することができた。
そして。
「……ジークフリート様っ!」
ソフィの叫び声で、もしやと考えていた襲撃犯の正体を知る。
ヴィオレッタは、エリクが対している相手を観察した。
小柄な男で、歳は二十代半ばほど。髪はなくつるりとした頭皮が見えている。
堕天使であり、世界を奪おうとしている使徒。
そう呼ぶには、あまりにも彼は人らしい見た目と動きをしていた。
ただ一箇所、眼球の色が異なる。本来白目であるはずの部分が黒く、瞳の色は上半分が白く下半分が赤かった。
「いきなり結界がはられて、即行動に移したんでしょうね」
メッセが呟いた。
「この奇襲はなんのためなの?」
「あなたを狙ったようですから、念の為に人質でも取っておきたかったのでは? 使徒は剣の腕に覚えがありますから、ゴリ押しでいけると思ったんでしょう」
インテックスが到着するまえに可能な限りの保身を用意したいのだろう、とのことだった。
「兄さんは近くにいるみたいですし。気配を隠そうともしていませんから、すぐに到着します」
「……人の身体に入ってる限り、インテックスさんは使徒に手を出せないのではないの?」
「そうですよ。でも、それだけだと不安なんでしょう。……兄さんの力は絶対者のそれですから」
ヴィオレッタは頷いて、エリクと使徒を見た。
使徒から奇襲を掛けてきたにも関わらず、エリクが押している。
使徒は素早く剣を繰り出すが、エリクはそれら全てを防ぎ、重い一撃を食らわせているのだ。
使徒はその一撃を受け止めるのがやっとで、少しずつ後退し、繰り出す剣も遅くなっていく。
「はーい、そこまで。二人とも止まるんだっ!」
ふいに、この場に似つかわしくないふわふわとした声がした。
エリクと使途が同時に止まり、お互いに距離をとる。
そんな二人の間に、パッと瞬間移動のように突如現れたのはインテックスだった。
「エリク。私は確かに決闘で蹴りをつけようと言ったけれど、まだ条件も提示してないんだ。性急すぎるよ」
「……そちらのジークフリート殿から、斬りかかってきたんです」
「おや、そうだったの。まさかきみからくるとは……私に会いたかったのかな?」
ジークフリートの身体をした使徒は、ただインテックスを睨みつける。
構わずにインテックスは続ける。
「ここで取り引きを持ちかけて、エリクと剣で勝負させる。そうする予定だったんだけど、どう見ても今の腕だとエリクのほうが上だね。……所詮、使徒の剣の腕は、強化された天使の身体あってのものでしかなかった、ということか」
使徒の瞳がギラギラと怒りを浮かべて、インテックスを睨みつけた。
「これだと結果はみえている。エリクの不戦勝ということにしよう」
(あら?)
二人のやり取りを眺めていたヴィオレッタは、インテックスがあのネックレスをしていないことに気づいた。
(アクセサリーなのだから、他のものをつけることもあるだろうけれど、あれはずっとつけていないと――あ!)
当然のようにそう考えたヴィオレッタはやっと、ずっと覚えていた違和感に気づいた。
(あのネックレス、お母様から頂いた形見だわ!)
そしてソフィが最初にヴィオレッタから盗んだものでもある。
さすがに一度目に盗まれたときはヴィオレッタも怒って、ソフィに詰め寄った。そのとき、ソフィは「知らないわ! お姉様がなくしたんでしょ!?」と言い続け、結局喧嘩になってしまったのだ。
ソフィは最後まで認めなかったが、それからも頻繁にソフィはヴィオレッタの私物を持ち去った。どれもあまりに堂々と持っていくものだから、すぐにどうでも良くなって――。
けれど、ヴィオレッタから盗んだアクセサリーをソフィが身につけているところを見たことは無い。
もしかしたら、インテックスがソフィを操って盗ませたのだろうか。
可能がどうかわからないけれど、そんな気がした。
なぜならば、あのネックレスは母の家に代々伝わる【悪魔憑き】を防ぐ効果があるという代物だ。
母の曾祖母が名のある【悪魔祓い】に作らせたらしく、ダイヤモンドに特殊な仕組みがあって、そのダイヤモンドに悪魔を封じることができるのだとか。
ふと、インテックスがだらりと下ろした手の中に、煌めくものが見えた。目を凝らしてネックレスを探していたヴィオレッタだから、彼が手の中にネックレスを隠し持っていると気づいたのだ。
使徒が不敵に笑う。
堕天使というよりも、悪魔のように邪悪な笑みだ。
彼は、この身体に傷は付けれないだろう、といったことを叫びながら、持っていた剣でインテックスに斬りかかった。
エリクは動かない。驚きもしない。
(……あっ!)
こういうシナリオなのだ。
そう理解した瞬間、ヴィオレッタは床を蹴って走り出していた。
本能的なものだった。
今動かなければならない気がした。
一瞬の、出来事だった。
ジョージが発砲した。
空気を震わせる重い銃声のすぐあとに、ジークフリートの身体が床に頽れる。
その身体から黒い靄のようなものが溢れ、サッとインテックスが翳したネックレスに吸い込まれていった。
そして――突撃したヴィオレッタによって、インテックスの手からネックレスが奪われる。
それらすべてが、ほんの数秒で起きた。
しん、と静寂が降りた。
「ジ、ジークフリート様!」
ソフィが床に倒れ込んだジークフリートに駆け寄って、泣き始める。
それでも、ほかの誰一人何も言わず……やがて、唖然としていたインテックスが口を開いた。
「……ん? んん? え、ヴィオレッタ? どうしたんだい?」
「これは私のものなので返してもらいました」
「ちょ、待って。それは危険なんだ。今の見てたかい? そこには、使徒が入っている。封印もまだ完全ではないし、早く私に……」
平然を装っているが、インテックスが焦っているのは一目瞭然だった。
ヴィオレッタはしっかりとネックレスを握りしめて、胸を張る。
「このネックレスは母の形見です。ですが、私と『取り引き』をして下さるなら差し上げてもいいですよ!」
再び下りた静寂を真っ先に破ったのは、メッセだった。
「やめろ! 無意味なことはするな翠!」
メッセには余裕がないらしい。口調を取りつくろうこともできないようだ。
もしかしたら、インテックスに逆らう者がいるなど想像だにしてなかったのかもしれない。
「兄さん、俺が翠ごとアイテムを壊します。だから結界を解いてください。……翠、止めるなら今しかないぞ。兄さんは誓約でお前を殺せないが、俺にはできる」
エリクがメッセを警戒しながら、ゆっくとヴィオレッタのほうに歩み寄ってきた。
二人が睨み合う傍で、ヴィオレッタもインテックスを睨みつける。インテックスは、顎に手を当てて長考したのち、ため息をついた。
「わかった。その『取り引き』とやらを聞こうじゃないか」
「兄さん!?」
メッセがぎょっとしてインテックスを振り返る。
「今なら、使徒を消滅出来るんですよ!」
「いや、その必要はない」
インテックスはメッセに向けて軽く手を振ると、ため息をついた。
「念のために言っておくが、『取り引き』とは何かわかっているかな? いわゆる等価交換だ。私が可能な範囲できみに与えられるもの、その対価をきみから貰うというものだ」
「はい」
「きみはすでにメッセと『取り引き』を交わしている。しかし、私と『取り引き』をした時点で、呪いと同様の理屈で上書きされる。それでもいいのか」
「エリク様の【悪魔憑き】はどうなるのですか」
「あれは消え去ったから、戻ってこない。ただ、メッセとの『取り引き』で発生した最盛期の生命力も消える」
「わかりました」
失うものといえば、ヴィオレッタが持っている前世の記憶くらいということだろう。
今生はすべて前世の記憶とともにあったので、前世の記憶がなくなったヴィオレッタがどうなるかはわからないけれど。
インテックスは軽く笑うと、頷いた。
「それで? この私を脅してまで叶えたい願いはなんだ? エリク・アベラールのことだろう?」
「とても単純な願いです。私の残りの寿命、その半分をエリク様に分けてください」
ヴィオレッタがどれだけ生きることが出来るのかわからない。
けれど、一週間より半年、半年よりも一年。一年よりも――少しでも長く、ともに過ごしたい。
エリクは怒るだろうか。
こんなことを願うなんて、人の命を弄ぶ行為だ。
ヴィオレッタのなかの正しい気持ちが、いけないことだと叫んでいる。
それでも――。
ヴィオレッタは真っ直ぐにインテックスを見て、もう一度繰り返した。
「お願いします、インテックスさん。私の寿命を半分、エリク様に分けてください」
メッセに使徒がいる場所までの案内を頼むと、渋い顔をされた。
どうやら不満らしい。
「メッセさんは、やっぱりお兄さんと対立するのは嫌なのね」
ソフィに対する自分自身の気持ちと重ねながら言う。
けれど、メッセは心底うんざりするような表情をした。
「使徒のことですか? 冗談でもやめてください。謀反を起こそうとして堕天した者ですよ、粒子の一部まで消滅してしかるべき存在です。……案内については、できなくもないのですが」
メッセは、ざっと室内を見回した。
何もない空間に目を凝らしながら。
「つい今、結界が張られたんですよ」
ヴィオレッタもつられて空間を見つめるけれど、何も見えない。
結界。つまり、見えない壁のようなものだろうか。そんな想像をしながらヴィオレッタは聞く。
「では、私たちはここから出ることができないの?」
「結界といっても、閉じ込められたわけではありません。力を無効化させるもので……今、俺は天使の力を一切使えない状態です」
力が使えなくなるのは堕天使である使徒も同様なのに、どうして。
そう呟くメッセに、エリクが言った。
「ああ、それならインテックス様から聞いているよ。僕とジョージが乗り込むタイミングで、結界を張ってくれるって」
「えっ、俺聞いてませんけど!」
「まぁ、極秘任務のようなものだったから」
エリクは肩をすくめて、インテックスと話した内容を皆に伝えた。
彼は創世神のあとを引き継ぎ『世界を統べる神』という座についた。
その座についた瞬間から、あらゆる誓約を守らなければならなくなり、容易に人やその他の生き物に介入できなくなったという。
例えば、メッセに対してもそうだ。
兄として弟を可愛がりたいのはやまやまだけれど、神の座についたからには特別視することは許されない。
『世界を統べる神』というものは、万能な存在ゆえに、鎖に雁字搦めにされるが如く数多の誓約に縛られている。そのため、力があってもそれを自由に振るうことが叶わないという。
ヴィオレッタは、法律のようなものだと思うことにした。天使にも、神にも、守らなければならない絶対的な理があるのだろう
やたらと回りくどい方法を取っていることにも、彼なりの理由があるのだ。
不満そうなメッセに、エリクが続けた。
「インテックス様はおそらく、使徒を生きたまま捕えたいんだと思う」
「まさか! それでは、誓約違反です。使徒は謀反を起こして堕天使になった大罪人、兄さんは使徒を見つけ次第消滅させる義務がある! ……兄さんは正当な方です、罪人を屠ることに容赦などしません!」
メッセはすぐに否定したが、ヴィオレッタもエリクと同意見だ。カチリとハマったパズルのピースのように納得したのは、まさにこのことである。
インテックスの目的が『使徒を生きて捕らえること』で、それを他者を使って実行している……そう考えれば、これまでの行動についても辻褄が合うと気づいたのだ。
そして、今のメッセの言葉で、インテックスがメッセに協力を仰がなかった理由も察した。
■□■□
ヴィオレッタはメッセに頼み込み、嫌がる彼を先頭に応接室を出た。
最後に使徒の気配を感じたという場所に案内してもらうためだ。ふらふらとソフィが蒼白な顔でついてくるけれど、ソフィに対して誰も何も言わなかった。
ヴィオレッタもそうだ。危険だから来るなとも、手を差し伸べることも、しなかった。
廊下に出ると、所々に貴族らしき人々が倒れていた。使役され、兵士のように見張りとして使われていた人々だろう。
結界が張られたことで、使徒の使役も一時的に解けたらしい。
「……兄さん、こんな大きな力を使うなんて」
不安そうなメッセの声音に、ヴィオレッタは目を伏せる。
彼の案内で使徒の元に向かっているが、到着したらどう対処すればよいのだろう。
インテックスがエリクとの予定通り動いたということは、エリクはこのあと使徒と戦うのだろうか。
今の使徒は普通の人間のように無力だと言うけれど、一体どのようにして戦うのだろう。
(エリク様の命が危ぶまれるようなことをするのなら、止めたいけれど)
やめて欲しいと言えば、エリクは受け入れてくれるだろうか。
いや、ヴィオレッタに止めることができるのだろうか。
(そもそも、エリク様はどうして……ああ、余命半年……だから)
さすがのヴィオレッタも、エリクの寿命までは知らなかった。
半年の命だと聞いたときは、今別れるより少しでも長く居たいと当然のことを思ったけれど、こうして改めて考えると辛い。
(……けれど、どうしようもないことだってあるもの。それならば、受け入れて精一杯生きるしか――)
「ヴィオレッタ」
ふとエリクに呼ばれて振り返ると、彼の柔らかな瞳がヴィオレッタを見下ろしていた。
「なんでしょう、エリク様」
「帰ったら、結婚式をひらこう」
突然の言葉に、ヴィオレッタは目をまん丸にした。
緊張でピリッと張り詰めた空気の中、エリクは何を言うのだろうか。
(……聞き間違いかしら)
嫁ぐ際に式はしないと決めていたはずだ。それに、ついさっきエリクはヴィオレッタを手放そうとしたばかりである。
少し考えたのち、ヴィオレッタは意地悪く言ってみせた。
「……私を手放すのが惜しくなりましたか? やっぱり妻でいてほしいのでしょう?」
「そうだよ。やはり僕にはヴィオレッタを手放すなどできない。他の男になど、やらない」
あまりにもキッパリとした言葉に、ヴィオレッタは頬を赤くする。
「そ、そうですか。は、はい……それならば、帰ったら結婚式をしましょう」
「新婚旅行にも行きたいな」
(……ああ、好き)
やはり、エリクが好きだ。
他の誰でもなく、エリクと共に少しでも長く過ごしたい――。
ふいに、エリクにきつく肩を押された。
(え……?)
何が起きたかわからずに、ヴィオレッタはされるままエリクの背中に庇われる。
キィンと金属同士がぶつかる音が響いて初めて、全身に恐怖が走った。
すぐ近くで、何度も金属がぶつかる音が響く。
以前、王城で開かれた剣術の模擬試合で聞いた音と似ている。これは、剣同士がぶつかる音だ。
突然のことで動けずにいたヴィオレッタの腕を、メッセが慌てたように引いた。
銃を構えているジョージよりさらに後ろまで引っ張っていかれて、ソフィとともに、メッセにまで庇われてしまう。
誰かが襲撃してきたのだ。
ぴりっと張り詰めた空気からそれはすぐに察することができた。
そして。
「……ジークフリート様っ!」
ソフィの叫び声で、もしやと考えていた襲撃犯の正体を知る。
ヴィオレッタは、エリクが対している相手を観察した。
小柄な男で、歳は二十代半ばほど。髪はなくつるりとした頭皮が見えている。
堕天使であり、世界を奪おうとしている使徒。
そう呼ぶには、あまりにも彼は人らしい見た目と動きをしていた。
ただ一箇所、眼球の色が異なる。本来白目であるはずの部分が黒く、瞳の色は上半分が白く下半分が赤かった。
「いきなり結界がはられて、即行動に移したんでしょうね」
メッセが呟いた。
「この奇襲はなんのためなの?」
「あなたを狙ったようですから、念の為に人質でも取っておきたかったのでは? 使徒は剣の腕に覚えがありますから、ゴリ押しでいけると思ったんでしょう」
インテックスが到着するまえに可能な限りの保身を用意したいのだろう、とのことだった。
「兄さんは近くにいるみたいですし。気配を隠そうともしていませんから、すぐに到着します」
「……人の身体に入ってる限り、インテックスさんは使徒に手を出せないのではないの?」
「そうですよ。でも、それだけだと不安なんでしょう。……兄さんの力は絶対者のそれですから」
ヴィオレッタは頷いて、エリクと使徒を見た。
使徒から奇襲を掛けてきたにも関わらず、エリクが押している。
使徒は素早く剣を繰り出すが、エリクはそれら全てを防ぎ、重い一撃を食らわせているのだ。
使徒はその一撃を受け止めるのがやっとで、少しずつ後退し、繰り出す剣も遅くなっていく。
「はーい、そこまで。二人とも止まるんだっ!」
ふいに、この場に似つかわしくないふわふわとした声がした。
エリクと使途が同時に止まり、お互いに距離をとる。
そんな二人の間に、パッと瞬間移動のように突如現れたのはインテックスだった。
「エリク。私は確かに決闘で蹴りをつけようと言ったけれど、まだ条件も提示してないんだ。性急すぎるよ」
「……そちらのジークフリート殿から、斬りかかってきたんです」
「おや、そうだったの。まさかきみからくるとは……私に会いたかったのかな?」
ジークフリートの身体をした使徒は、ただインテックスを睨みつける。
構わずにインテックスは続ける。
「ここで取り引きを持ちかけて、エリクと剣で勝負させる。そうする予定だったんだけど、どう見ても今の腕だとエリクのほうが上だね。……所詮、使徒の剣の腕は、強化された天使の身体あってのものでしかなかった、ということか」
使徒の瞳がギラギラと怒りを浮かべて、インテックスを睨みつけた。
「これだと結果はみえている。エリクの不戦勝ということにしよう」
(あら?)
二人のやり取りを眺めていたヴィオレッタは、インテックスがあのネックレスをしていないことに気づいた。
(アクセサリーなのだから、他のものをつけることもあるだろうけれど、あれはずっとつけていないと――あ!)
当然のようにそう考えたヴィオレッタはやっと、ずっと覚えていた違和感に気づいた。
(あのネックレス、お母様から頂いた形見だわ!)
そしてソフィが最初にヴィオレッタから盗んだものでもある。
さすがに一度目に盗まれたときはヴィオレッタも怒って、ソフィに詰め寄った。そのとき、ソフィは「知らないわ! お姉様がなくしたんでしょ!?」と言い続け、結局喧嘩になってしまったのだ。
ソフィは最後まで認めなかったが、それからも頻繁にソフィはヴィオレッタの私物を持ち去った。どれもあまりに堂々と持っていくものだから、すぐにどうでも良くなって――。
けれど、ヴィオレッタから盗んだアクセサリーをソフィが身につけているところを見たことは無い。
もしかしたら、インテックスがソフィを操って盗ませたのだろうか。
可能がどうかわからないけれど、そんな気がした。
なぜならば、あのネックレスは母の家に代々伝わる【悪魔憑き】を防ぐ効果があるという代物だ。
母の曾祖母が名のある【悪魔祓い】に作らせたらしく、ダイヤモンドに特殊な仕組みがあって、そのダイヤモンドに悪魔を封じることができるのだとか。
ふと、インテックスがだらりと下ろした手の中に、煌めくものが見えた。目を凝らしてネックレスを探していたヴィオレッタだから、彼が手の中にネックレスを隠し持っていると気づいたのだ。
使徒が不敵に笑う。
堕天使というよりも、悪魔のように邪悪な笑みだ。
彼は、この身体に傷は付けれないだろう、といったことを叫びながら、持っていた剣でインテックスに斬りかかった。
エリクは動かない。驚きもしない。
(……あっ!)
こういうシナリオなのだ。
そう理解した瞬間、ヴィオレッタは床を蹴って走り出していた。
本能的なものだった。
今動かなければならない気がした。
一瞬の、出来事だった。
ジョージが発砲した。
空気を震わせる重い銃声のすぐあとに、ジークフリートの身体が床に頽れる。
その身体から黒い靄のようなものが溢れ、サッとインテックスが翳したネックレスに吸い込まれていった。
そして――突撃したヴィオレッタによって、インテックスの手からネックレスが奪われる。
それらすべてが、ほんの数秒で起きた。
しん、と静寂が降りた。
「ジ、ジークフリート様!」
ソフィが床に倒れ込んだジークフリートに駆け寄って、泣き始める。
それでも、ほかの誰一人何も言わず……やがて、唖然としていたインテックスが口を開いた。
「……ん? んん? え、ヴィオレッタ? どうしたんだい?」
「これは私のものなので返してもらいました」
「ちょ、待って。それは危険なんだ。今の見てたかい? そこには、使徒が入っている。封印もまだ完全ではないし、早く私に……」
平然を装っているが、インテックスが焦っているのは一目瞭然だった。
ヴィオレッタはしっかりとネックレスを握りしめて、胸を張る。
「このネックレスは母の形見です。ですが、私と『取り引き』をして下さるなら差し上げてもいいですよ!」
再び下りた静寂を真っ先に破ったのは、メッセだった。
「やめろ! 無意味なことはするな翠!」
メッセには余裕がないらしい。口調を取りつくろうこともできないようだ。
もしかしたら、インテックスに逆らう者がいるなど想像だにしてなかったのかもしれない。
「兄さん、俺が翠ごとアイテムを壊します。だから結界を解いてください。……翠、止めるなら今しかないぞ。兄さんは誓約でお前を殺せないが、俺にはできる」
エリクがメッセを警戒しながら、ゆっくとヴィオレッタのほうに歩み寄ってきた。
二人が睨み合う傍で、ヴィオレッタもインテックスを睨みつける。インテックスは、顎に手を当てて長考したのち、ため息をついた。
「わかった。その『取り引き』とやらを聞こうじゃないか」
「兄さん!?」
メッセがぎょっとしてインテックスを振り返る。
「今なら、使徒を消滅出来るんですよ!」
「いや、その必要はない」
インテックスはメッセに向けて軽く手を振ると、ため息をついた。
「念のために言っておくが、『取り引き』とは何かわかっているかな? いわゆる等価交換だ。私が可能な範囲できみに与えられるもの、その対価をきみから貰うというものだ」
「はい」
「きみはすでにメッセと『取り引き』を交わしている。しかし、私と『取り引き』をした時点で、呪いと同様の理屈で上書きされる。それでもいいのか」
「エリク様の【悪魔憑き】はどうなるのですか」
「あれは消え去ったから、戻ってこない。ただ、メッセとの『取り引き』で発生した最盛期の生命力も消える」
「わかりました」
失うものといえば、ヴィオレッタが持っている前世の記憶くらいということだろう。
今生はすべて前世の記憶とともにあったので、前世の記憶がなくなったヴィオレッタがどうなるかはわからないけれど。
インテックスは軽く笑うと、頷いた。
「それで? この私を脅してまで叶えたい願いはなんだ? エリク・アベラールのことだろう?」
「とても単純な願いです。私の残りの寿命、その半分をエリク様に分けてください」
ヴィオレッタがどれだけ生きることが出来るのかわからない。
けれど、一週間より半年、半年よりも一年。一年よりも――少しでも長く、ともに過ごしたい。
エリクは怒るだろうか。
こんなことを願うなんて、人の命を弄ぶ行為だ。
ヴィオレッタのなかの正しい気持ちが、いけないことだと叫んでいる。
それでも――。
ヴィオレッタは真っ直ぐにインテックスを見て、もう一度繰り返した。
「お願いします、インテックスさん。私の寿命を半分、エリク様に分けてください」
応援ありがとうございます!
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