新人種の娘

如月あこ

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第三章 日々の暮らしと、『芳賀魔巌二』

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 今日の夕食当番がトワでよかった。小毬の番だと、あちこちで食材を分けてもらいに行ったあと、食事の準備に勤しまなければならない。スーパーのない自給自足の飛龍島では、食事の準備も大変だった。
 カマを農具が置いてある小屋へ戻し、身体にくっついた砂や草を払った。
 そのとき、近づいてくる複数の足音がして、そちらを振り返る。
 小屋へ農具を返しにきたらしい、青年たちだった。歳は、小毬と同じくらいだろうか。青年たちはたくましい大柄な体躯をしている。
 彼らは小毬に気づくと、驚いたような顔をした。
 小毬は気まずくなって視線を逸らすと、彼らの横を通り抜けた――つもりだった。
 強い力で腕を掴まれて、引っ張られる。たたらを踏んだあと勢い余って転倒した小毬を見おろし、男たちが下卑た笑いを浮かべた。
「『ソト』のやつが、出しゃばるんじゃねぇよ。トワを丸めこむなんて、どんな手を使ったんだ」
「はは、お前、そりゃ言うまでもないだろ。身体を使ったんだよなぁ?」
(身体?)
 彼らの言う意味が理解できずにいる小毬に、青年の一人が乗りかかってきた。ぎょっとして身体を強張らせる小毬の肩を、強引に地面へ押し付ける。
「い、痛い」
「みんな言ってるぜ。トワを身体で誘惑したってな。あの色恋沙汰に興味なさそうなトワを誘惑するんだ、随分とイイ身体をしてるんだろ」
 怖い。
 これまで沢山冷たく扱われてきたけれど、こんな恐怖は初めてだった。
 逃げたいのに、青年の力に押されて身動きができない。それでも抵抗をしなければと足をばたつかせると、頬をぶたれた。
 耳の奥から頭がぐわんと鳴り、意識せずに歯が鳴る。
 青年たちは、全員で三人。小毬のような非力な者が、新人種である彼らから逃れられるとは思えない。
「ちょっと味見させてもらうか」
 馬乗りになっている青年が、そう言って小毬の胸元を勢いよく引っ張った。びりりと服が引き裂かれる音が耳に届く。
 まさか、という思いが脳裏に警鐘を鳴らす。
 がちがちと歯が鳴った。
「や、やめ――」
「おい、止めとけって。ヒトなんか相手にするほど、お前困ってねぇだろ」
 別の青年が嘲笑を浮かべて、そう告げる。「まぁな」と言って馬乗りになっていた青年が退き、ほっとしたのもつかの間。
 ぐわん、と脳が揺れた――気がした。
 世界が回る。鉄の味がした。
 頬を平手で殴られたのだ、と気づくまで、かなりの時間がかかった。
「はは、こいつ怖がってるぜ。軟弱だな、ヒトってのは。軽く叩いだだけだろうが」
 青年が笑う。
 同意するように、ほかの青年たちも笑った。
「ヒトのくせにこんなところまでくるから、こういう目に合うんだよ。どうせ、俺らのこと馬鹿にしてんだろ?」
「軟弱だな、こいつ。百合子さんだったらあっさり避けてたぜ、今の」
 再び頬に激痛が走り、脳が揺さぶられる。
 ほとんど本能だった。地面の草を握りしめて寝転んだまま身体を反転させ、這いずるように逃れようとする。けれど、少し移動しただけで背中を踏みつけられ、激痛とともに動きを止めた。
「や、止めて。助けて!」
「うるさいな。黙ってろよ。お前は今、俺らのオモチャなんだからな」
 髪を鷲掴みされ、上を向かされる。
 反り返るようにして露わになった首筋を、青年の一人が指先でつつつとなぞった。
「ここを握りしめれば、ヒトは簡単に死ぬ。知ってたか? 知らないだろ。俺らと違って、ヒトは怠惰なんだ。生きることに必死になってない。敵を見据えていない。……のうのうと生きやがって、本当に腹が立つ」
「やめて!」
「うるさいって言ってるだろうが!」
 青年の手が、小毬の首を握る。
 呼吸ができない。
 めり、と肌がつぶれる音がする。青年の指が、首筋にめりこんだらしい。痛い。けれど、痛みより苦しみが先立ち、死へ直進する恐怖で頭がパニックになった。
 暴れると、両腕を押さえつけられる。
(死ぬ、死ぬっ)
 遠くなる意識のなかで、岩と岩が擦れるような音がした。なんの音かなど、どうでもよかった。ただ、ちかちかとフラッシュのように白くなり始めていた視界が、鮮血のように真っ赤に染まる。
 苦しみ、そして痛み、恐怖、それらが綯交ぜになった激情に、狂いそうになったころ。
 ふいに、青年の手が離れた。
「は、ぁ、げぼっ、かっ、はっ、はぁ」
 盛大に息を吸い込んだ。自由に動いた右手で首元を押さえれば、ぬるりとした液体が手に付着する。それにも構わずに、首を守るように両手で首を抑えていると、次第に真っ赤に染まっていた視界がもとに戻っていく。
 寝そべったまま見る景色はいつもより視線が低く、奇妙な感覚がした。
 ふと、気づく。
 辺りが静まり返っている。
「馬鹿ね」
 唐突に振ってきた声に、恐怖から身体を震わせた。身構えるために、身を丸くする。けれど、どれだけ待っても暴力はなかった。
「立てないの?」
 恐る恐る、顔をあげる。
 眉をひそめた百合子が、小毬を見下ろしていた。
「あいつらなら、追い払ったわよ。喉をやられたのね。あと、腕」
(腕?)
 そういえば、左手からも痛みを感じる。そっと振り返れば、自分の左手がだらりと垂れていた。
 百合子がしゃがみこみ、小毬の腕を抑えた。
「あああっ」
「関節外されてるだけよ」
(さっきの、岩が擦れるような音って、関節を外された音……)
 ゴキ、という振動で身体が揺れた。激痛に声も出ず、だらりと涎だけがこぼれた。百合子の手が離れると同時に、左手を抱える。手のひらを広げては握りしめ、を繰り返した。
「動くでしょ、ちゃんとはめたから」
「あ、ありがとう」
「ちょっと、呂律回ってないじゃない。喉、そんなに深くやられたの?」
 百合子が覗き込んできて、小毬を上に向かせた。目を眇める百合子に見つめられ、小毬は身動きも侭ならないまま辺りに視線を彷徨わせる。百合子の言う通り、あの青年たちはいなくなっていた。
「んー、この程度なら死なないけど。あんたはヒトだから、治りも遅いんでしょう? とりあえず、手当てしないと。立てる?」
 百合子の手を借りて、立ち上がる。
 破れた服が身体にまとわりつき、足を取られて膝をつく。その瞬間、はらりと服が地面に落ち、乳房を覆っていた下着代わりの布も落ちてしまう。
 慌てて身体に巻きつけ直すが、破れた衣類は元には戻らない。逡巡ののち、見られたくない箇所だけに服を巻きつけることにする。水着のようになるが、仕方がないだろう。
 酷く体力の消耗した身体では、動くことも億劫だった。
「……『ソト』のあんたは、ここでは嫌われてるのよ。わかったでしょう」
「『ソト』の者だから、こんな目に合ったの?」
「そうよ。だから出ていけって言ったじゃない!」
 小毬は億劫な身体をおして、地面に座り込む。ぽつぽつと口をひらいた。
「私自身が、嫌われてるわけじゃない。『ソト』の者が嫌われてるの。だから、これは『ソト』の者がうけた仕打ちであって、私が受けたわけじゃない」
「何言ってんのよ」
 百合子の声は、なぜか小毬以上に悲痛さを帯びていた。
「あんた、トワの嫁になるんでしょ。こんな目にあって、どうするのよ!」
「どうもしないよ」
 なんとか衣類を身体に巻きつけると、足を踏ん張って立ち上がった。その際、背中の下方が押しつぶされたように鈍く痛み、身体がふらつく。倒れそうになった身体を百合子が支えた。
 驚いて振り返る小毬を、百合子の不安そうな目が見つめてくる。
「このまま帰ると、トワが心配するわ。うちに寄って、着替えていって」
「貸してくれるの?」
「仕方がないじゃない。それに、あんたに仕事を押しつけたのは私だもの。こんな目にあったのは、私のせいでもあるんだから。そもそも、なんで早く帰らないのよ。日暮れには帰らないとトワが……ああ、もう」
 百合子がため息をつく。
 小毬は、小さく「ありがとう」と呟いた。
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