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第三章 日々の暮らしと、『芳賀魔巌二』
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遥か沖をゆく木葉のような船を眺めながら、小毬は昼食であるおにぎりを頬張った。
一昨日、帰宅したあとトワに抱き着いて大泣きした。男たちに乱暴されたのはつい一昨日のことなのに、泣いたためか、自身で思っていたほどに悲観的ではなかった。
「青いなぁ」
「何がよ」
返事がくるとは思わずに振り返れば、百合子が弁当の包みを持ってやってくるところだった。包みといっても、野草として生えている大振りの葉で包んだ、なんとなく懐かしさを覚える包みだ。
百合子は、ミカン畑の隅にある草むらに座っていた小毬の隣に腰を下ろすと、弁当の包みをひらく。
一昨日の件があったためか、その翌日から百合子とはよく話すようになり、昼食も百合子のほうが一緒に食べようとこうしてやってくるようになっていた。
「で、何が青いって?」
「海」
「当たり前じゃないの。空と海は青いのよ。夕方には赤く染まるし、夜は暗い。当然でしょ」
「私が暮らしてた町は、内陸だったから海はなかったの」
「海がない? じゃあ、魚はどうやって捕るの?」
「海の近くに住んでる人が捕まえて、売ってくれるの」
「うる?」
「うん。お金で」
「ああ、オカネね。『ソト』の人間はオカネとモノを交換するんでしょ。知ってるわ」
「そうなの。この島では物々交換が主流だけど、似たようなものかな」
かぷ、とおにぎりにかぶりつく。うっすらと塩気の含んだおにぎりは、仕事で疲れた身体を癒してくれる。基本的に具はないが、三日に一度、トワがおにぎりのなかに小さな梅干しを入れてくれるのが、ささやかな贅沢となっていた。
今日の弁当当番は小毬だったので、残念ながら梅干しは入っていない。
「もうすぐ監査の日だけど、トワ、何か言ってた?」
「監査っていうのがある、ってだけ聞いた」
この島の裏側、一キロくらい離れたところにぽつんと小島がある。
飛龍島ほどではないが人が住めるほどに大きな島で、そこは新人種特殊軍の基地及び新人種研究施設となっているらしい。近くから新人種を見張るために、政府が作った施設なのだそうだ。
そこから、年に一度、大掛かりな監査が入る。
新人種が悪巧みを抱いていないか、余計な建築物や武器を所持していないかなどを確認に、複数人の政府の者がやってくるのだ。その者たちは飛龍島を隅々まで監察し、去っていくという。
百合子は露骨なため息をついた。
「面倒なのよ、監査って。『ソト』の人間はみんな偉そうだし、私たちを見下してるの。この島もぴりぴりした雰囲気になるから、あんた、とばっちりと受けないように気をつけなさいよ」
「うん、ありがとう」
「別に、心配してるわけじゃないわ。面倒が起こったら嫌なだけ」
百合子は憮然とそう告げると、おにぎりを食べ始める。
「監査って、そんなに大変なの?」
「案内役を務めるやつらは、大変かもね。二年前だったかしら、私も一回案内役をしたけど、『ソト』のやつらは偉そうで吐き気がしたわ。でも刃向うと全島民に関わることだから、堪えたけど」
「最近、トワの帰りが遅いんだ。やっぱり忙しいんだね」
「浮気でもしてるんじゃないの?」
小毬はぱちくりと瞬きをすると、百合子を振り返る。
(トワに恋人が?)
それはそれでめでたいが、自分が放っておかれるとなると、なんだか寂しい。何より、トワが心を砕くものが自分以外に現れるとなると、トワを盗られてしまったようで腹の底がムカムカした。
ふと、小毬は考える。
(もしかしたら、この島で暮らす新人種たちもそうなのかな。私にトワを盗られたように感じたから、怒ってる?)
そんな考えを抱いたが、百合子がおかしそうに笑ったことで意識の外へおいやった。
「冗談に決まってるでしょ。監査の前は、色々と忙しいのよ。去年から監査は男どもが『ソト』の者に対応するからことになったからその相談でしょ。いろいろ取決めとかがあるのよ、誰が案内するかとかね」
「そうなんだ」
「トワは慣れてるから、心配いらないわよ。私たちも案内役からは外されてるし……女だしね。だから、いつも通り農作業をするだけ」
小毬には関係のないことなのだ。週に一度くる食料を乗せた船の対応も、したことがない。そのような大事に関わらせてもらうにはもっと信頼を得なければ駄目なのだろう。
「でも、トワって本当にあんたのこと愛してるのねぇ」
百合子のからかいを含んだ声音に、小毬は首を傾げた。
「どうして?」
「いやぁ、ふふ、それは言えないわねぇ」
「……なに、気になる」
「どうしよっかなぁ、口止めはされてないし、言ってもいいかなー」
百合子は意味ありげに笑うと、小毬を振り返った。
「あの男たち、罰則に処されたわよ」
「あの男たち、って」
「例の、三人組」
息を呑む。無意識に、自分の首に巻かれた包帯に手が伸びた。
どういうこと、と視線で問えば、百合子は肩をすくめた。
「一昨日、あんなことがあったでしょ。私はあんたを送っていって、あんたは帰って家で眠った。そのあと、トワがうちに来てね。小毬に何があったのか聞きにきたの」
「話したの!?」
「うん、全部まるっと」
「……うそ」
愕然として、思わずおにぎりと落とした。転がっていくおにぎりを、百合子が抜群の運動神経で受け止めた。
「ちょっと、勿体ないでしょ」
「なんで話しちゃったの!?」
「トワは私たちの親も同然なのよ。問われたら隠せないわ」
「そうかもしれないけど」
あの日の翌日、そういえばトワはとてつもなく優しかったような気がする。あのときは昨日泣いてしまったから優しくされているのかな、と思っていたけれど、まさか百合子が全部話していたなんて。
「何落ち込んでるのよ。むしろ、喜ぶべきでしょ」
「……なんで」
「あんたを襲った男たち三人は、罰として石積みの仕事に回されたの。農作業なんて目じゃないほどの、重労働よ。この島も長い年月の経て小さくなってるの。波に削られてね。そんな岩壁を、修繕するのが彼らの役目」
「岩壁なんてどうやって修繕するの?」
「海の底にあるでしょ、岩がごろごろと。それを使うの」
つまり、海にもぐって素材を集めたあと、それを使って崖を修繕していかなければならないのか。この島へ来た日に溺れかけたことを思えば、潮の流れも激しいと言えるだろう。そんな海にもぐって海底から岩を拾って修理に当てるなど、考えただけでも気が遠くなる。
一昨日、帰宅したあとトワに抱き着いて大泣きした。男たちに乱暴されたのはつい一昨日のことなのに、泣いたためか、自身で思っていたほどに悲観的ではなかった。
「青いなぁ」
「何がよ」
返事がくるとは思わずに振り返れば、百合子が弁当の包みを持ってやってくるところだった。包みといっても、野草として生えている大振りの葉で包んだ、なんとなく懐かしさを覚える包みだ。
百合子は、ミカン畑の隅にある草むらに座っていた小毬の隣に腰を下ろすと、弁当の包みをひらく。
一昨日の件があったためか、その翌日から百合子とはよく話すようになり、昼食も百合子のほうが一緒に食べようとこうしてやってくるようになっていた。
「で、何が青いって?」
「海」
「当たり前じゃないの。空と海は青いのよ。夕方には赤く染まるし、夜は暗い。当然でしょ」
「私が暮らしてた町は、内陸だったから海はなかったの」
「海がない? じゃあ、魚はどうやって捕るの?」
「海の近くに住んでる人が捕まえて、売ってくれるの」
「うる?」
「うん。お金で」
「ああ、オカネね。『ソト』の人間はオカネとモノを交換するんでしょ。知ってるわ」
「そうなの。この島では物々交換が主流だけど、似たようなものかな」
かぷ、とおにぎりにかぶりつく。うっすらと塩気の含んだおにぎりは、仕事で疲れた身体を癒してくれる。基本的に具はないが、三日に一度、トワがおにぎりのなかに小さな梅干しを入れてくれるのが、ささやかな贅沢となっていた。
今日の弁当当番は小毬だったので、残念ながら梅干しは入っていない。
「もうすぐ監査の日だけど、トワ、何か言ってた?」
「監査っていうのがある、ってだけ聞いた」
この島の裏側、一キロくらい離れたところにぽつんと小島がある。
飛龍島ほどではないが人が住めるほどに大きな島で、そこは新人種特殊軍の基地及び新人種研究施設となっているらしい。近くから新人種を見張るために、政府が作った施設なのだそうだ。
そこから、年に一度、大掛かりな監査が入る。
新人種が悪巧みを抱いていないか、余計な建築物や武器を所持していないかなどを確認に、複数人の政府の者がやってくるのだ。その者たちは飛龍島を隅々まで監察し、去っていくという。
百合子は露骨なため息をついた。
「面倒なのよ、監査って。『ソト』の人間はみんな偉そうだし、私たちを見下してるの。この島もぴりぴりした雰囲気になるから、あんた、とばっちりと受けないように気をつけなさいよ」
「うん、ありがとう」
「別に、心配してるわけじゃないわ。面倒が起こったら嫌なだけ」
百合子は憮然とそう告げると、おにぎりを食べ始める。
「監査って、そんなに大変なの?」
「案内役を務めるやつらは、大変かもね。二年前だったかしら、私も一回案内役をしたけど、『ソト』のやつらは偉そうで吐き気がしたわ。でも刃向うと全島民に関わることだから、堪えたけど」
「最近、トワの帰りが遅いんだ。やっぱり忙しいんだね」
「浮気でもしてるんじゃないの?」
小毬はぱちくりと瞬きをすると、百合子を振り返る。
(トワに恋人が?)
それはそれでめでたいが、自分が放っておかれるとなると、なんだか寂しい。何より、トワが心を砕くものが自分以外に現れるとなると、トワを盗られてしまったようで腹の底がムカムカした。
ふと、小毬は考える。
(もしかしたら、この島で暮らす新人種たちもそうなのかな。私にトワを盗られたように感じたから、怒ってる?)
そんな考えを抱いたが、百合子がおかしそうに笑ったことで意識の外へおいやった。
「冗談に決まってるでしょ。監査の前は、色々と忙しいのよ。去年から監査は男どもが『ソト』の者に対応するからことになったからその相談でしょ。いろいろ取決めとかがあるのよ、誰が案内するかとかね」
「そうなんだ」
「トワは慣れてるから、心配いらないわよ。私たちも案内役からは外されてるし……女だしね。だから、いつも通り農作業をするだけ」
小毬には関係のないことなのだ。週に一度くる食料を乗せた船の対応も、したことがない。そのような大事に関わらせてもらうにはもっと信頼を得なければ駄目なのだろう。
「でも、トワって本当にあんたのこと愛してるのねぇ」
百合子のからかいを含んだ声音に、小毬は首を傾げた。
「どうして?」
「いやぁ、ふふ、それは言えないわねぇ」
「……なに、気になる」
「どうしよっかなぁ、口止めはされてないし、言ってもいいかなー」
百合子は意味ありげに笑うと、小毬を振り返った。
「あの男たち、罰則に処されたわよ」
「あの男たち、って」
「例の、三人組」
息を呑む。無意識に、自分の首に巻かれた包帯に手が伸びた。
どういうこと、と視線で問えば、百合子は肩をすくめた。
「一昨日、あんなことがあったでしょ。私はあんたを送っていって、あんたは帰って家で眠った。そのあと、トワがうちに来てね。小毬に何があったのか聞きにきたの」
「話したの!?」
「うん、全部まるっと」
「……うそ」
愕然として、思わずおにぎりと落とした。転がっていくおにぎりを、百合子が抜群の運動神経で受け止めた。
「ちょっと、勿体ないでしょ」
「なんで話しちゃったの!?」
「トワは私たちの親も同然なのよ。問われたら隠せないわ」
「そうかもしれないけど」
あの日の翌日、そういえばトワはとてつもなく優しかったような気がする。あのときは昨日泣いてしまったから優しくされているのかな、と思っていたけれど、まさか百合子が全部話していたなんて。
「何落ち込んでるのよ。むしろ、喜ぶべきでしょ」
「……なんで」
「あんたを襲った男たち三人は、罰として石積みの仕事に回されたの。農作業なんて目じゃないほどの、重労働よ。この島も長い年月の経て小さくなってるの。波に削られてね。そんな岩壁を、修繕するのが彼らの役目」
「岩壁なんてどうやって修繕するの?」
「海の底にあるでしょ、岩がごろごろと。それを使うの」
つまり、海にもぐって素材を集めたあと、それを使って崖を修繕していかなければならないのか。この島へ来た日に溺れかけたことを思えば、潮の流れも激しいと言えるだろう。そんな海にもぐって海底から岩を拾って修理に当てるなど、考えただけでも気が遠くなる。
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