新人種の娘

如月あこ

文字の大きさ
上 下
39 / 66
第五章 再会と決意

3、

しおりを挟む
 清々しい空気を肺いっぱいに吸い込み、静かに吐き出す。
 小毬は井戸の水で顔を洗うと、朝食用の米を炊き、昨日分けてもらってきた小魚を桶から出して血抜きをし、七輪で焼く。
 庭で採れた白菜を小さく刻み、塩で合えて小鉢に乗せたとき。
 トワが、家屋の奥から顔を覗かせた。
「今日は早いな」
「気合い、入ってるから」
 そう言って拳を握りしめる。トワは軽く笑い、朝食を眺める。
「おお、朝なのに豪華だな。どうした、その魚は」
「昨日、特別に分けて貰ったの。今日の案内、頑張ってねって」
 そうか、と言うと、トワは奥へ戻って行った。
 小毬はせっせと朝食を作り、トワと二人でいつものように談笑しながら食べた。食器を片づけると、小毬はトワとともに集会場へ向かう。
 そこで、今日案内役になっている者たち――男ばかり――のなかに混ざって、今日の予定をおさらいした。
 小毬が案内を担当しているのは、北東側だ。ちょうど島の裏側で、新人種の村からは少し離れた農耕地となっている。
 あえて新人種の居住区がない場所を宛がわれたのかもしれないし、偶然かもしれない。どちらでもよかった。
 トワとはそこで別れ、案内役の新人種たちと共に船着き場へと向かうと、一年ほど前に見たものと同じ、銀色ボディの船が近づいてくるのが見えた。
 緊張で身体が強張るのを感じて、静かに深呼吸をする。
「おい」
 ふと呼ばれて振り返ると、厳つい体躯の新人種が小毬を見下ろしていた。
「なに」
 憮然と返事を返せば、相手は肩をすくめた。
「いい加減、その態度やめろよ」
「嫌。あんたのことなんて信用できないもの」
「まだお前を殴ったこと怒ってんのか。もう一年も前のことだろ」
 一年前、小毬がこの島へ来た頃。複数人の新人種の青年たちから暴行を受けたのは、忘れようとも忘れられない。
 その主犯格がこの青年だったのだ。
 青年は肩をすくめてみせた。
「あいつ、死んだよ」
「知ってる」
 あいつ、というのはこの青年と共に小毬に暴行を働いた者。たしか、この青年が小毬に性的暴行をしようとしたところを止めてくれた、あの青年だ。
 新人種の寿命は短い。
 その死は突然にやってくる場合もあれば、徐々に身体が弱っていく者もいるという。青年の死は前者だった。死んだのは一昨日の昼。岩壁の修繕から畑仕事に戻された矢先、仕事の途中で亡くなったのだ。
 小毬は視線を落とした。
「……あんたは身体に異常はないの?」
「早く死ねってか」
「その逆。目覚めが悪いから、早々死なないでってこと」
 青年が振り返る気配がした。そして、低く笑う声。
「そうかよ。素直じゃねぇな、お前みたいなやつ結構好きだぜ」
「私はあんたみたいなやつとは、出来れば関わりたくない」
「ま、俺もいい歳だ。いい加減、そろそろだろうな」
 そんなことを言われ、小毬は眉をひそめる。言い返そうと口をひらいたとき、停泊した銀色ボディの船から、ぞろぞろとヒトが下りてきた。
 黒い背広に身を包んだ男たちで、年齢は大体三十代前後から五十代ほどまで様々だ。彼らの視線が、小毬に集中した。訝るような顔をされ、お互いに顔を見合わせている。
「なぜ、ヒトがいる」
 調査員の一人が言った。
 新人種の代表格である豪理がちらりと小毬を振り返ったあと、調査員へ告げる。
「彼女はこの島へ流れつき、それからこの島で暮らしています。一年前、山口調査員に報告しましたが、そちらに話しは通ってなかったのですか」
「知らん」
「彼女はもう、我らの仲間です。ヒトだと思わないほうがいいですよ」
 どうやらヒト側は、こちらが思っている以上に小毬の存在を認識していなかったらしい。てっきり、知っていて黙認されているものだと思っていたけれど。
 調査員たちは不満げな顔をしたとき、ふいに「あっ」と悲鳴にも近しい声があがった。
「小毬ちゃん!」
 聞き覚えのある声音に、心臓が大きく跳ねた。
 振り返るとそこには、故郷で何度か会ったことのある、綿貫誠次の姿があった。未来によく面会に来ていた、あの綿貫誠次だ。いつものラフな服装と違い、びしりとした黒い背広に身を包んでいる。
 驚いたまま何も言えずにいると、こほんと咳払いが聞こえた。調査員の代表と思しきヒトが、てきぱきと話を進めていく。
 ヒトと新人種がそれぞれ組になり、指定された案内場所へ方々向かって歩いて行く。
 彼らが一人二人と姿を消すなかで、小毬のほうへ歩いてきたのは綿貫誠次だった。どうやら小毬が案内する調査員は彼らしい。偶然だろうか。それとも、小毬がいることを知った誠次が、今しがた北東調査員の者と交代したのだろうか。
 どちらにしても、小毬が誠次を案内する役目らしい。
「小毬ちゃ――」
「ご案内致します」
 事務的に返事を返すと、誠次の顔に動揺が走る。誠次の肩に、手を置く者がいた。長い黒髪を頭上で一つにくくっており、透けるような白い肌、紅を塗っているのか真っ赤な唇をしている。
 歳は――見当がつかない。
しおりを挟む

処理中です...