上 下
4 / 106
第一章

四、

しおりを挟む
――いいですか、羽柴さん。妖怪という生き物は存在しません
 神田教授に言われた言葉が、頭のなかで渦のようにぐるぐると回る。いつものこととはいえ、はっきりと言われると泣きたくなってしまう。
 麻野は妖怪を信じているし、友達になりたいと思っている。けれど、妖怪学ではないにしろ、民俗学の権威ある教授にはっきりと否定されると、やはり意気消沈してしまうのだ。
「なんで、信じないんだろう。本当にいるのに」
「あれ、マノちゃん。また落ち込んでるの?」
 理工学部物理学科へ向かう途中、偶然廊下で出会った図書司書の脇場が、麻野の表情を見て苦笑した。彼は小脇に書類の入ったファイルを抱えており、向かう方向から察するに、事務室へ書類を届けにいくのだろう。
「落ち込んでるように見えます?」
「うん、かなり。妖怪を否定されたから?」
「そうなんです、脇場さんにはなんでもお見通しですね」
「……大体誰でもわかるんじゃない? いつものことだし」
 まだ入学して二か月だというのに、「いつものこと」と言われるのは果たして幸か不幸か。それだけ大学の日常に馴染めてるんだと思えば、きっと、よいことなのだろう。
「まだ、入学して二か月ですもんね。これからです、これから。神田教授に、妖怪の存在を信じて貰えるように勉強を頑張らないと!」
「めげないね、マノちゃんは。これから、田中さんのところに?」
 田中さん、と脇場が呼ぶのは、麻野の親友である田中静子のことだ。××大学理工学部物理学科へ入学した同期で、高校時代からの友人だった。
 暇ができたり、落ち込んだり、楽しいことがあったり、とにかく何かあると、麻野は静子のとこへ行って話をする。
「よくわかりましたね。しーちゃんに、話を聞いてもらおうと思ってます」
「あはは、マノちゃんはわかりやすいから。あ、僕こっちだから。いい資料が入ったら、教えてあげるよ。じゃあね」
「はい、また!」
 脇場の優しい言葉に、麻野はほんわりと体が軽くなるのを感じた。脇場は優しい。櫻井も優しい。なにより、今落ち込んでいる原因である神田教授もまた、とてつもなく優しい。
 いろいろと手伝うことは多いけれど、入学して二か月で体力もついたし、資料の場所もわかるようになった。資料を探すうちに知識も増えて、知らないことを多く知ることができる。
 改めて思う。
 これが、専門分野に携わるということなんだ、と。
「よし、頑張ろう!」
 自分自身に気合を入れる。
しおりを挟む

処理中です...