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第三章 本当の招待客

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 食事を終えると、皆で館の間取りを確認した。
 どこに何があるのか知っておくことは、三日間ここで過ごすために必要だという先生の意見が受け入れられたのだ。
 一階は、エントランスに向かって右手に食堂、準備室、厨房。左手には客間が二つ、そしてレストルームがある。玄関すぐ右手には、使用人が待機する小部屋も確認できた。これらの部屋は、一本の回廊によって館の一階を囲う形の間取りになっていたが、厨房とレストルームのあいだには壁があり、エントランスの前を通らなければ、右手側と左手側、それぞれの部屋への行き来は不可能な設計となっている。
 レストルームには埃が被った獣のはく製が並んでおり、清掃がされていないことから、かつての持ち主である迫田棚氏が所有していた当時のままではないかと話し合った。
 私はレストルームの獣臭さに、顔をしかめて、一同の一番うしろまで下がった。はく製になっても、獣の匂いは消えないらしい。それどころか、劣化だか黴だかしらないが、やたらと鼻につく腐臭がする。

「つらいか」

 先生が耳元で尋ねてきた。

「辛いです。先生は耐えられる匂いですか」
「それほど匂わない。きみは匂いに敏感だから、下がっているといい」

 そう言って、先生も私と一緒にレストルームから距離をとった。そのあとは、エントランスにある階段から二階に上がり、左右に伸びる回廊のうち、右手側の回廊に向かって進んだ。
 二階には、七部屋の客室があった。
 それぞれのドアに、やはりカタカナで印字された名前のプレートがかかっている。そのなかには、カンダダイゾウという名前と、緑川桜子、という名前もあった。

「おや、きみたちは二人で一部屋なのか」

 シンジが、右側突き当りの部屋の前で足を止めた。そこには、リンキコナツ様、探偵様、と書いてある。

「……探偵様って、先生のことでしょうか」
「ほかに考えられないんじゃない? ふぅん、招待主はきみが作家先生を同伴者に選ぶことを知ってたのか」

 そう言われると、疑問が過る。もともとは、小奈津と私、ふたりでこようと思っていたところに先生が志願したのだ。招待主は複数人いて、各招待客を見張っていたのだろうか。だとしたら、大掛かりな組織犯行になる。

「まぁ、同居してんなら、それくらい予想できんだろ」

 シノザキ刑事の一言で、シンジは「それもそうですねぇ」と肩をすくめた。
 私は、一度覚えた違和感を拭えないまま、結局何事もなかったかのように皆について部屋を見て回った。
 それぞれの部屋のなかも調べたが、ボウガンの矢が飛び出てくる仕組みなどは一切なかった。すでに死亡しているカンダと、緑川桜子の部屋だが、この二つはドアから軽く眺めるだけにとどめた。
 前者は綿密に調べる必要性を感じなかったし、後者はただの数合わせの名前のように感じられたのだ。
 何より、どんな仕掛けがあるかわからない部屋に、必要のない危険を犯して入る者はいなかった。

「こ、これって、名前のある部屋、使わないと、駄目、なのかな」
「ああ、たしかに。わざわざこれ通りに使う必要はないよね。どうする?」

 タクマの疑問に、シンジが応えて皆に問う。
 シノザキ刑事はがしがしと頭を掻いて、

「どこでもいいだろ、何もないことは確認したんだ」

 と気だるげに答えた。
 結局、揉めるのも面倒なほどに疲れていた私たちは、ネームプレート通りの部屋を使うことにした。一度荷物を取りに客間へ戻ったあとは、それぞれ部屋へこもることになったのだ。
 鞄を置くと、私はベッドに横になった。
 部屋にはベッドが一つと、木製の机に椅子が一脚、背の高いランプがベッド横に一つ置いてある。それが部屋の家具すべてで、ドアを隔てた向こうに簡易のバストイレがあった。浴槽は黒ずみもなく新品同様なので、あとでゆっくりと湯船に浸かろう。
 先生は着たままだったコートを脱いで、椅子に投げた。私は初めて自分もコートを着たままだったことに思い至って、コートを壁にかけた。備え付けのハンガーはクリーニング店でついてくるような安物だが、置いてくれているだけ有難い。

「疲れましたね」
「ああ」
「まさか、こんなことになるなんて。確かに怪しい招待状でしたが、本当に殺人事件が起きるなんて思ってませんでした。……さっき皆で部屋を回ったとき何気なく電話を探してみたんですが、どこにもないし。携帯電話は、海上からすでに県外だし」
「リンくん」

 先生は、神妙な面持ちで私を呼んだ。
 先生は私を、リンくん、と呼ぶ。

「重大な問題が発生した」
「えっ」

 先生は、どこか浮世離れしている。人と感性が違うのか、周りに合わせて生きることが苦痛だといい、そのため、他者とは違う独自の感性で日々を過ごしているのだ。
 その先生が、この重大事件発生時に、あえて重大な問題が発生したという。それは生卵を叩いたら割れた、くらい自然すぎた。いつもの先生ならば、生卵を叩いたら反撃された、くらい意味のわからない言動をするのに。

「ど、どうしたんですか」

 驚いた私は、寝転がろうとしていたベッドから半身を起こして、ベッドのわきに座った。

「見たまえ、ベッドが一つしかない」
「そうですね」
「よもや、私に床で寝ろというのではないだろうな」

 先生は腕を組んで盛大なため息をつくと、私の隣に座った。ベッドがたゆみ、身体が軽く上下する。

「一緒に寝るくらいの幅はありますよ。寝返りはちょっときついかもしませんが、できないこともないです」
「……リンくん」
「はい」
「私も男だ」
「女性には見えませんね」

 そう言った途端に、先生が振り返りざま、額をぶつけていた。クリーンヒットを受けた私は、頭を押さえて後方へ倒れ込む。

「カマトトぶるんじゃない! 若い男女が一つの部屋で一夜を過ごすなど、過ちが起きかねないんだぞ」

 ああ、なるほど。
 そう言われて初めて、先生の言わんとしていることが理解できた。だが、あいにく先生の心配は杞憂だ。なぜならば、私はベッドが一つだということも、先生が男性で同じ部屋で一晩どころか二晩過ごすことになることも、部屋に入ったときから知っていたからだ。

「さっき、膝枕をしてあげたじゃないですか。膝枕はいいのに、それ以上になると途端に怯えるんですか」

 呆れたように言う私に、先生は憮然とした。

「きみがそんなふうに詰るとは思わなかった。私はきみの身を心配しているのに」
「食事もとりましたし、私は元気いっぱいです。むしろ、昼間見たグロテスクなアレを忘れさせていただけるなら本望ですよ」

 そういうと、私はベッドに横になった。気を抜いたら、そのまま意識を手放してしまいそうなほどに疲れている。
 だが、眠る前に着替えとシャワーをすまさないと。

「……きみは、四年前から変わらんな」

 うとうとする意識の端で、先生の落ち着いた声がした。
 ぼんやりと先生を振り返ると、なんだか母親に置いてけぼりにされた子どものように、哀しい表情をした先生が私をみている。

「先生と初めて会ったのも、四年前ですね」
「ああ。きみが、私の家に転がり込んできたんだ」
「先生じゃなくて祖父の家ですから。……それに、仕方がないじゃないですか。父も母も死んじゃって、行くところがなかったんです」

 母が死に、そして父が死んだのが四年前だ。
 その翌年、同居始めたばかりだった祖父も他界し、私は、祖父の営む古書屋で先生と二人暮らしを始めた。
 先生と出会ってから、もう、四年が経つ。
 年若い男と二人暮らしだというと、周りは「大丈夫なのか」だの「恋人同士なのか」といった質問を浴びせるが、私と先生はそんな関係ではない。膝枕や腰揉みを所望されることはあるが、決して男女の雰囲気が漂うことはないのだ。

「……男性は、疲れているときほどしたくなるって言いますもんね。あいにくと眠いので満足してもらえないかもしれませんが、私でよければどうぞ」
「随分と投げやりだな」
「最初に先生がふってきた話題ですよ」
「きみが思っているより遥かに重大な事柄なのは事実だ。本当に一線を越えるぞ、いいのか」
「ええ、構いません」

 途端に、先生の表情が曇る。軽く首をふってベストを脱ぐと、先生は私の隣に寝転がった。お互いの肩が触れるが、それだけだった。

「きみは、本当に、変わらない」

 先生の言葉に、私は目を眇めた。

「投げやりですみません」
「まったくだ。きみはもう少し、色々なことに興味をもったほうがいい。世の中、楽しいことはたくさんある……らしい」
「そうですね。でも、私は――このままのほうが、いいんです」

 ここにいる皆が八年前の緑川桜子の殺害に関与する罪人ならば、私は四年前、別の事件で罪人になっている。
無実の夫婦と実母を、殺したのだ。
 ごろん、とベッドのうえで寝返りをうった。
 忘れもしない、真冬のことだった。年越しを控えた十二月の中旬、病院からの電話を受けたのは私だった。
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