元奴隷の半吸血鬼少女はのんびり旅をしたい

resn

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初めての人里

静かな夜

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「フィア、お前、飯は要るよな?」

 火の前で暖を取っているフィアに、アッシュが鞄を漁りながら訪ねる。聞かれた少女はコクコク頷いているため、やはり必要らしい。

 相当に高位の吸血鬼となれば、他者から奪った血だけで生きられるそうだが、半分人間である半吸血鬼はそうもいかず、人と同じように食事も必要だ――と、以前交流のあった者に聞いていたが、どうやら事実らしい。

 アッシュは鞄の奥底から鈍色に光る物体を取り出すと、ベルトに括りつけられていたナイフを一本抜いて、その物体……手のひらに乗るようなサイズの円柱形をしたそれの、天板の部分の縁に何度も突き刺し始める。

「……おっさん、なんだそれ?」
「だからおっさん言うなっての」

 そう悪態をつきながらも作業を続け、やがて外周をぐるりと一周するように穴を開け終えた。
 さらにナイフでこじ開けると、中には……

「うぇえ……何、その黄色いドロドロしたやつ?」
「あー……確か、カボチャとタマネギを潰して、乳製品と混ぜたスープ……だったかな。まぁ、今から温めてやるから出来上がるまで黙って見てろって」

 食材の名前を言われても、どうやらフィアにはピンと来なかったらしく、頭に疑問符を並べていた。
 そんな様子を横目で見ながら、アッシュはあらかじめ囲炉裏から何本か薪を分けて起こした火にかけてあった、沸騰する湯が貼られた鍋の中に、容器の中身を匙で掻き出して投入してしまった。そのままぐるぐると、焦げ付かぬようかき混ぜ始める。

 すると、たちまち小屋内に立ち込め始める匂い。その匂いにフィアが反応し、鼻をひくひくとし始める。

「……ん? 何か甘い匂いがする?」
「おう、これは缶詰って言ってな、煮沸して殺菌したブリキの容器に食いもんを詰めて密封した……」
「シャフツ? ブリキ? ……サッキン?」
「あー……まぁ、美味いもんを長期間腐らせず保存できる魔法の箱って思っておけ」
「へぇ、凄いな!」

 食い物を保存できる、と聞いた途端に目を輝かせ、興味津々に鍋と缶を見比べているフィアの様子に、くくっと愉快そうに笑うアッシュ。

「凄いな、おれ、こんなの見たの初めてだぞ」
「まぁ、割と最近できたものだからな」

 そう言ってアッシュは、コンコンと空になった缶を指で弾きながら解説する。

「この缶詰ってのは、元は従軍用の保存食糧として開発されたもんなんだが、当時は容器の素材の関係で中毒が多発してな」
「え、これ毒なのか!?」
「馬鹿。当時は、って言ったろ?」

 その主な原因は、蓋の密封に使用されていた鉛にあったため、今は密封方法が見直されているのだ。

「今は容器の密封方法が変わったり、缶自体もこのブリキって素材に変わったりして……結果、そういう事故は無くなったから安心しろ」
「そうなのか……」

 あからさまにホッとした様子のフィアを眺めて微笑みながら……まぁ、まだまだ生産量がごく少ない高級品なんだけどな、と心の中で独りごちる。



 何故、わざわざ非常用にと鞄の一番奥にしまい込んでいたそれを今開けたかというと、フィアの体調を懸念していたからの事だった。

 何せ――河岸で見つけた時、この少女の心臓は止まっていたのだから。
 それも、数分の事ではなかったろう。数時間か、あるいは数日か。本来絶望的な時間経過だったのは間違いない。

 それでも助かったのは、フィアが半吸血鬼であったこと、そして半ば雪に埋もれ、ほとんど凍結していた……冷凍保存のような状態だったのが不幸中の幸いであった、としか言いようが無い。

 それでも、見つけた時には、ほとんど諦めの心地で蘇生を試みたのだが。息を吹き返した時は、安堵でしばらく立ち上がれなかった程だ。

 もっとも……蘇生したばかりのこの少女が、今こうして元気で居るのはまた別の理由があるのだが。

 いずれにせよ、この少女がこうして今生きているのは、幾重にも幸運に恵まれた、奇跡とでもいうべき出来事だったのだ。

 そんな少女は見た感じ元気そうではあるが、内臓の調子も万全かは分からない。もしかしたら、消化器官は弱っている可能性もあるのだ。
 ならば固形物を食わせるわけにはいかないが、あいにく他に持って来ている保存食は、辛く味付けした干し肉と、カチカチに固めた乾パンしかないが故の、断腸の想いの大盤振る舞いだった。



 そんな心境など知らず、空き缶を興味深そうに指でつついたりしているフィアに……ふと、疑問を感じた。

「そういえばフィア」
「……ん?」
「お前、魔族領で闘技奴隷をしてた割には、こっちの言葉も問題ないんだな?」

 先程の話でも……人の領域でもごく最近出てきた概念である、殺菌や煮沸消毒などの言葉こそ分からないようだったが、それ以外の会話は普通に通じている事に気がついたのだ。

 思えばフィアが目覚めてからここまで、人の領域に来たことがあるはずのないネーベルの闘技奴隷だというのに、会話に困った事は無かったと思い出す。

「ああ、それは師匠が居たからな」
「師匠?」
「うん、おっさんと同じ、ニンゲンの奴隷。なんでも魔王? を暗殺しようとして失敗したとかで……おっさん?」
「あ……いや、何でもない、続けてくれ」

 フィアが、師匠の話をはじめて間もなく、鍋をかき混ぜる手を止めたアッシュの様子に首を傾げる。
 声を掛けられ我に返った彼が、鍋をかき混ぜるのを再開しながら、先を促す。

「ん、それで師匠には、いつか役立つかもって言葉と……あと戦い方も教わった」
「それで……その師匠は?」
「死んだよ。まだおれが小さな頃に。子供の頃から知っていたやつらは、だいたいみんな死んだ」

 なんてことないかのように、凄惨な事を宣うフィア。
 その様子に、しまったとアッシュは内心舌打ちする。少女の境遇を、どうやら甘く見積もっていたようだ。

「……悪い」
「……? なんでおっさんが謝るんだ?」
「お前の置かれていた境遇も考えず、無神経な事を聞いたなって」
「ああ、なんだ、そんな事か」

 ニッと満面の笑みを浮かべ、真っ直ぐにアッシュに向き直るフィア。

「おれは、こうして生きて、しかもおっさんみたいな奴が助けてくれただろ? それだけで、おれは幸運だと思うぞ」

 そのフィアの言葉と笑顔に……アッシュは驚きに目を見開く。一方で、長年心の奥底に積もっていた澱のような物が、少し、溶けて消えたような気がした。

「……そうか、お前は強いな」
「ば、馬鹿、やめろよおっさん!」

 自然とそうしたくなり、手を伸ばしてわしわしと頭を撫でると、フィアはむずがって手から逃れようとする。

「……お。お前の頭はなかなか撫で心地が良いな」
「やーめーろー!!」
「ははっ、良いじゃないか、褒めているんだぞ……っと、そろそろ良いか」

 鍋を火から下ろして、二つ取り出したカップに分けて注いでいく。
 そのアッシュの手元を、フィアは撫でられないよう警戒して頭を庇いながらも、興味津々といった様子で見守っていた。

 そんな、尻尾があればブンブン振っていそうな様子に苦笑しながら、注ぎ終えたカップの片方をフィアに差し出す。

「ほら、飲め。熱いから、ゆっくりな」
「お、おう……ありがと」

 気もそぞろに礼を言うと、飛びつくようにカップに口をつける少女。

「なんだこれ、甘い……!」
「あ、馬鹿、急ぐと」
「……あっふっッッ!?」

 案の定、弾かれたようにカップから口を離すフィア。
 ヒィヒィと伸ばされた舌の先端が、軽い火傷で赤くなっていた。

「だからゆっくり飲めって言ったんだ、大丈夫か?」
「ら、らいじょうぶ、この程度で……っ!」

 謎の我慢強さを発揮し、今度はふうふうと必死に冷ましながらも、美味そうにスープを啜っているフィア。その様子を見守りながら、アッシュも自分のカップに口をつける。

 ……ほぅ、と思わずため息が漏れた。

 口を付けた瞬間、口の中に広がるカボチャの優しい甘さと風味、それとタマネギのコク。

 保存食はたいていが香辛料や強めの塩で固く締めるため、塩気の強い、言い方を変えれば大雑把な味になることが多い……そもそも、旅の途中の食事に美味を追求するものではないのだから当然だが。

 しかし、このスープは長期保存を目的としたものにもかかわらず、実に風味豊かだった。宿の朝食に付くスープにも引けを取るものではない。なるほど、高価にも関わらず物好きに売れるわけだ。

 たしか、つい新しく名前を聞くようになった工房の製品だったはずだが、また見つけたら一つ買っておこう。今度はコーンスープなどもいいかもしれない……そう心に決めながら、再びフィアの方に視線を戻す。

 少女は、程よく冷めたスープをニコニコと嬉しそうに口にしており、ご満悦の様子であった。本当に、美味しそうに食べる子だなと思う。
 フィア本人は「自分は男だ」と主張していたが、アッシュにはその様子はただの幼い少女にしか見えなかった。



 ……だが、その身には、身体から力を奪い、理性を溶かして淫売へと堕とす呪いが蝕んでいるという。



「……罪滅ぼし、か。そういえば、昔誰かに無責任って罵られたっけな……逃げても、返って来るもんだな」

 そんな事はさせるものかよ、と決意を新たにする。
 せっかく自由になれたこの生意気で無邪気な……しかし生きる事に真っ直ぐな少女が、そのような目に遭って良いはずがない

 ない、のだが。

「……それにしても」

 妙だ。

 目の前で暖かいスープを嬉しそうに飲んでいる少女は、どう見ても淫欲に囚われているようには見えない。呪われているにしては、あまりにもあっけらかんとしすぎてはいまいか。

「ん? どうしたおっさん。変な顔して」
「……何でもねぇよ、それ飲んだらちゃんと暖かくして寝ろよ、明日は街まで歩くんだからな」

 そう言って、新たに荷物から取り出した毛布を、傍らに放ってやる。



 穏やかな夜の時間はまだまだ長く、パチパチと薪の爆ぜる音をBGMに、ゆっくりとした時間が流れていくのだった――……
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